第34話 悪食女神の食事
リザードマンや軍よりも先回りした。
しかし、先客が全くいなかった訳ではない。オンタリア湖の水中から体を出している魔物がいる。
シーサーペント。水棲の蛇型魔物で、水中に隠れている部分も合わせれば数十メートルの長さがある。長く強靭な体で相手を絞め殺すことを得意としており、水中では上位に位置する魔物。
そんな強い魔物が狙っている相手がいる。
「なんだ、あの人……」
オンタリア湖の中心。
深い水の上であるにもかかわらず、水面に立っている者がいる。灰色の肌に、真っ白な長い髪を持つ妙齢の女性。距離があって表情は分からないが、藍色のドレスを着こなしていることから女性だと分かる。
水面に立つ女性。明らかに普通ではない。
女性の状態を確認するため湖へと一歩近づく。
「ご主人様……!?」
シルビアの叫び声にハッとさせられる。
咄嗟に腕で気配のする方へ防御すると強い衝撃が叩き付けられる。
「おまえ……」
「初めましてだな」
目の前にいたのは白い髪の女性。ピシッとした軍服を思わせるような赤い服を着ており、両手にガントレットを装着して右手で殴り掛かってきていた。
苦痛に顔を歪めてしまうほどの威力。
相手は、間違いなく迷宮眷属だ。
だが、そんな事は女性の状態を思えば些細な事だ。
「おっ!」
シルビアの短剣が左から、ノエルの錫杖が右から叩き付けられようとする。二人とも俺が防御できることを信じて、相手の存在を察知して攻撃へと移っていた。
しかし、二人の攻撃は空振りに終わってしまう。
「え、どこに行ったの?」
アイラが女性の消えた方を目で追って下を見る。
そこには何もない――ように見えて微かな瘴気が溜まっていた。
「これがフォールンベアがいきなり現れた理由だ」
「正解だぜ」
女性が湖の前に姿を現す。
腰に手を当てて立っている姿は近付くことを拒んでいるようだ。
「悪いが、せっかくの食事タイムだ。邪魔されるのは困るんだよ」
「食事……?」
湖の上に立つ女性を見る。
意識を集中させて視てみたところ異様な気配に気付くことができた。
「お、感じることができたみたいだな」
「ノエル、まさか……」
「うん。アレ、神様だわ」
それも友好的な神などではない。
その証拠に神による食事が始まる。強靭な体を使って尾を叩きつけようとしたシーサーペント。しかし、女性の掲げた手によって弾かれて仰け反ってしまう。手で触れているようにしか見えなかった。だが、弾かれたということは女性の手から何かしらの力が解放されていたのだろう。
そうして、仰け反ったシーサーペントへ徐に近付くと再び女性の手で触れる。
「なっ……!?」
たった、それだけで青かったシーサーペントの体が真っ黒に染まり、炭のようにボロボロとなって崩れた。
真っ黒な粉が湖の上を舞い、女性へと吸い込まれていく。
「今のは神気です」
「お、見ただけで分かるみたいだな。さすがは『巫女』って言ったところか」
ノエルによれば女性――女神が自身の神気を叩き込むことによって相手の肉体を崩壊させ、解放された魔力を吸い取っている。
それが女神なりの食事だった。
だが、気になるのは神気の使い方だ。
今までに出会った神とは異なる神。少なくともティシュア様は、神気をあんな風に使ったりしていなかったし、普通に食事をすることで活力を滾らせることで回復していた。いや、彼女の場合は既に人間に近い存在になっているから普通の神としての常識が当てはまらないのかもしれない。
「あの方は、目覚めたばかりで空腹なんだ。迷宮へ行くつもりなら先へ進むのは自由にしていい。けど、あの方の邪魔をするつもりっていうなら……潰すぜ」
両手の拳を構えて腰を落とす女性。
少しでも敵意を見せるような真似をすれば攻撃するつもりだ。
「お前は何者だ?」
「もう分かっているんだろ。ゼオンの眷属だ。ま、眷属って言っても、あいつのやろうとしていることは、わたしの目的を叶える上で都合が良かったから協力させてもらっただけなんだけどな。あんなガキでも協力したから、こうして目的を叶えることができたわけだ」
湖の上に立つ女神を守るように立つ女性。
彼女の目的は、女神を顕現させることだろう。
「女神を復活させて何がやりたい?」
「さて、それは彼女の意思次第だな」
「なに……?」
「わたしはキリエ。そこにいる、お前らの仲間のノエルと同じで『巫女』だった女だよ」
キリエと名乗る女性。
「正しくは最後の『巫女』だな。アムシャスの奴に社を潰されて、『巫女』の役職まで剥奪された。奴は、自分にとって都合がいいようにする為に信仰することは認めたけど、女神セレスの存在は認めなかったのさ」
元のままだと諍いが起こるため新しい神を用意した。
「わたしのいた神殿は、女神セレスを祀る神殿だった」
場所によって姿の違う女神セレス。
それでも、女神セレスと言葉を交わすことのできる『巫女』は存在しており、その神殿で祀られている姿こそ本当の女神セレスの姿だった。
「間違った姿のまま祀られる神。それが、神にとってどれだけ酷なことなのか同じ『巫女』であるあんたには分かるんじゃないか?」
「うん……」
それまでは正しい姿で祀る者も少なからずいた。
だが、キリエを除いて全員が違う姿で信仰することによって女神自身も本当の姿を思い出すことができなくなった。
やがて、それは神を狂わせるに至る。
「元の信仰心を抱いたまま、別の姿で信仰される。それが、今の彼女さ」
シーサーペントを喰らったことで灰色だった肌に明るみが出てきていた。
少しだけ人間に近付いたように見える。しかし、色が出てきたことではっきりとした女神セレスの顔は――何も見えなかった。
まるで、靄でもかかっているように顔を判別することができなかった。
「チッ、わざわざ海からシーサーペントまで運んできたっていうのに足りないみたいだな。やっぱり、こんなんじゃ埒が明かないな」
ボチャン!
そんな音が聞こえたかと思うような動きでキリエの姿が地面へと消えて行く。
「もしかして、地面を潜っているの?」
ようやくキリエの姿を追えたアイラが言う。
「正確に言うなら地脈に潜っているの」
ノエルには地脈の流れが誰よりも分かっていた。
そして、地脈に神気が多量に含まれているのにも気付いている。
「女神セレスが顕現しているせいかオンタリア湖周辺は神気が濃くなっている」
それこそ神樹があるエルフの森並みにある、ということらしい。
「気を付けて! 彼女が何をするつもりなのか分からない!」
警戒するよう促すノエル。
だが、地脈へ潜っていても感じられたキリエの気配が近くにはない。むしろ遠ざかっている。
それでも、周囲を警戒していると答えはすぐに分かった。
「わっ!?」
「なんだ!?」
「ここは……」
オンタリア湖の前に数人の兵士が唐突に姿を現す。
彼ら自身も湖の前にいる理由が分からず戸惑っているようだった。
「まさか……」
おそらくキリエは自身だけでなく、他者も連れて移動することができる。
そして、数人の兵士を連れて来たことには理由がある。
「ひぃ……!」
兵士の一人が湖の異変に気付いた。
湖の上に立っていた女神セレスが水面を滑ってゆっくりと近付いている。
「な、なんだよ、これ……!?」
逃げようとした兵士だったが、足をスライムのような物に絡め取られており、離れることができずにいた。
そうしている間に近付かれると伸ばされた手が兵士の頬に触れる。
「へっ……?」
正体不明、おまけに顔を判別することができない。
それでも抜群の肉体を持つ女性から迫られたことで兵士が呆けてしまう。
「おい!」
「っ……!」
一緒に移動させられた兵士の喝により正気を取り戻す。
しかし、少しだけ遅かった。
「ぁ、ああっ!」
触れられた兵士が小刻みに痙攣を続けて崩壊する。
人が跡形もなく消える姿を見ているしかなかった兵士たち。しかし、彼らもすぐに後を追うことになった。
「ぐぅ……」
「がぁ!」
女神セレスの白い髪が鎌のように形状を変えて兵士たちの胸に突き刺さる。
一瞬の出来事。血を流すことすらなく兵士たちの体が崩壊する。
「これが女神セレスの食事だ。邪魔しないでもらおうか」
その光景を離れた場所から俺たちは見ているしかなかった。
目の前には10メートル以上ある巨大なスライムが立ちはだかっており、キリエがスライムの上に腰掛けていた。
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