第26話 眷属の不可思議な行動
夜闇の中、焚火の爆ぜる音が響く。
場所はレジャーナの外壁近く。門から入った先にはオネットが張り巡らせた糸の壁があって、入った瞬間に切り裂かれる仕組みになっている。もし、都市の中へ入るような真似をすれば迂闊に踏み込んだ騎士と同じように肉片が地面に転がることとなる。
騎士の末路を見た多くの兵士が恐怖から踏み入れるのを諦め、外で野営することとなった。ここから魔物に占領されていない次の都市であるケルディックまでかなりの距離がある。今日のうちに辿り着くのは不可能であるため、野営するしかなかった。
外壁を背にして、周囲を土壁で覆う。それだけでも多少の効果はあり、見張りの兵士を立たせておくことで奇襲に対応する。
俺は仲間とホルクス、ホランド両将軍を集めて気になったことを伝えていた。
「魔物が彼らの支配下にない?」
ホランド将軍が俺の言葉を反芻する。
最初に気付いたのはシルビアだ。
「モンストンで相対したシャルル・サクリーナですが、彼女は撤退時に邪魔となるゴブリンを矢で射っていました。暴れているのは迷宮から生まれた魔物ですので、彼女なら『退く』よう命令するだけで道を開けるはずなんです」
ところが、速度を落としてまでゴブリンを攻撃していた。
どう考えても手間でしかない。
「そして、レジャーナの状況です。都市の中へは入りませんでした。それでも入口から見えた物がありましたね」
魔物の死骸。
多種多様な死骸が打ち捨てられていたことから都市へ侵入した魔物を誰かが倒したことが伺える。
では、誰が倒したか?
人がいなくなったはずの都市に唯一いた人物。
「オネットの目的はレジャーナから領主を追い出すことらしい。ようやく手にした故郷に魔物がいることに耐えられなかったから倒したのかもしれない」
自分で討伐する必要があった。
どちらの場合でも一つの事実が分かる。
「本来なら命令を下せるはずの相手に対して命令を下すことができなくなっている」
命令を聞かせることができなくなっている理由については分からない。
ただし、チャンスなのは間違いない。
「最悪の場合には、敵の命令一つで国にいる全ての魔物を相手にしないといけなかったかもしれない。その最悪を想定しなくてもいいのは嬉しい誤算だった」
ガルディス軍のおかげで大人数の行軍であるにもかかわらず魔物との戦闘を最小限に抑えることができていた。
もしも、戦闘が多発するような事態になれば彼らの協力が得られなくなる。
「これから、どうするべきか……」
ホランド将軍が悩んでいた。
皇帝に仕える彼にとって帝国を建国したアムシャス皇帝は本当に憧れるべき存在だった。
それが、この数日で知りたくもない事実を次々と知らされてしまった。
レジャーナの領主とは代替わりした子孫だったが、何度か武器調達の打ち合わせで会っていた。先祖のしたこととはいえ、非道な事をしていたなんて信じられないからこそ混乱している。
状態次第では彼らを置いて先へ進んだ方がいいかもしれない。
風が強く吹いて焚火が爆ぜる。
その時、眠そうにしていたシルビアが顔を上げて遠くを見る。
「どうした?」
「……どうやら、お客様の到着みたいです」
「魔物の襲撃か?」
俺には何も感じない。
だが、シルビアが何かを察知したというのなら何かがあったのかもしれない。
「こうなると土壁が邪魔だな」
魔物の襲撃を恐れて頑丈に造った土壁。防御力はたしかに上がったが、内側から外の様子が分かり難くなってしまった。今は外に巡回の兵士がいて魔物が接近した時には知らせてくれるようになっている。
「いいえ、違います」
俺の問いにシルビアが首を横に振る。
ホランド将軍の懐が光る。光を放っていたのは、手の平に収まるサイズの護符。通信用の魔法道具であり、対になった護符に向かって吐かれた言葉が発せられるようになっている。
将軍の持っている通信護符と対になった護符を持った人物は限られている。
『しゅ、襲撃です!』
護符から慌てた声が聞こえてくる。
「敵は? どんな魔物だ?」
『……敵は魔物ではありません! たった一人の少女です!』
「少女?」
ここに至るまでの間に二人の眷属を目にしているホランド将軍。
彼でも報告を聞いて相手が誰なのか予想ができた。
『黒髪の少女が、剣で次々と部下を……っ!?』
「お、おい……!」
小さな呻き声と共に報告が聞こえなくなる。
襲撃を受けている状況を思えば彼がどうなったのかは明白だ。
『そこにいるのは将軍様?』
子供みたいな幼い声が聞こえてくる。
「貴様が、部下を……!」
『怒る気持ちは分かるよ。アタシも似たような立場だったからね』
「ふざけているのか!?」
『ふざけている……? ちがう、ちがう。ただ厳然たる事実を言っているだけ』
何かおかしいのかクスクス笑っているような感情が込められた声。その声がバカにされているように聞こえてホランド将軍をひどくイラつかせていた。
だけど、本人は本当にバカにしている訳ではない。今の状況を心底から楽しんでいた。
『さて、そこに迷宮主マルスと眷属のみんなはいるかな?』
部隊長から通信護符を奪い取ったのは俺たちと接触するのが目的だったらしい。
「ああ」
『アタシはアナタたちが先へ進もうと興味がない』
本当に迷宮へ行ってしまっても構わないのか平然と言ってのける。
『けど、こっちの要求だけは呑んでもらう。ガルディス帝国軍の人間は全員、ここに置いていってもらう』
「それは……」
『全員を見捨てろ、そう言っている』
それまでと違って凄味が含まれた声。
とても10代の少女には思えない、いくつもの修羅場を潜り抜けてきたからこそ発することのできる声。
そして、本気でガルディス帝国軍を滅ぼそうとしている。
「そんなこと……」
『ああ、一つだけ訂正しておくね。見捨てるのは「ガルディス帝国軍」の全員。一緒に来た「グレンヴァルガ帝国軍」については自由にしていいよ』
「何が目的だ!?」
『目的? そんなものは一つしかないよ』
通信の向こうで叫び声が聞こえる。
時々、風を切るような音も聞こえることから襲い掛かってきた兵士を斬り殺しているのだろう。
『アタシの願いは一つだけ。ガルディス帝国軍の壊滅。一般人との区別なんか必要なく全員を斬り殺せる状況をずっと待っていたの』
楽しそうに笑う少女剣士――リュゼ。
縋るような目を俺たちへ向けてくるホランド将軍。
「すみません。わたしの警戒が足りませんでした」
「シルビアのせいじゃないだろ」
相手は迷宮眷属。どこから現れてもおかしくない。
「どうも気配が奇妙なんです。それに戦闘が始まる直前まで本当に殺気がありませんでした。それに、わたしたちに向けられている殺気ではありません」
隠す気のない殺気。
それは全てガルディス帝国軍へ向けられていた。
「……俺たちが引き受けますよ」
「助かる」
余裕のあるうちに迷宮眷属へは対処しておいた方がいい。
それに、単独行動しているのなら尚チャンスだ。
『それがアナタたちの答え? だったら仕方ないかな?』
遠くにある土壁。
その一部が斬り壊されて、外の状況も知らずに休んでいた兵士たちが跳ね起きる。
「きちゃった」
姿を現した少女。
兵士の誰よりも小柄だが、纏う雰囲気と放たれる殺気が異様なことから誰もが恐怖を抱いていた。
「じゃ、始めるね」
☆書籍報告☆
発売まで、あと5日。
購入者には書き下ろしの特典もあります。




