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生殺しの蛇は鬼を噛むか

 高望みをしたつもりはなかった。

 ただ、「自分だけのもの」が欲しかった。


 公に知られている事ではないが、我が百目鬼家は代々お上の毒見役を仰せつかっている。

 幼い頃から体に毒を慣れさせる訓練をするため、生まれつき少し耐性が薄かったらしい僕は、頻繁に毒に負けて臥せっていた。

 僕はいつも孤独で、いつも“誰か”を渇望していた。僕がいなくては生きられない誰か、僕に価値を与えてくれる誰かを、いつか手に入れることを夢見て、必死に毒と戦った。

 運悪く流行り病に罹ってしまい、子を残せない体になってしまったが、逆に好都合だと思った。これなら誰かと結婚しても、妻を子どもに奪われずに済む。


 幾度目かの見合いの席で志麻さんに会ったとき、僕が探していたのはこの人だったのだと確信した。

 志麻さんはとても可愛らしい。一日ずっと側にいて眺めていたいほどだ。だが、おそらく夫人として望まれる可愛らしさではない。微笑みに愛嬌があり、相槌が上手だが、それほど賢くは無い。寂しがりだが我慢強く、それゆえ孤立しがちで、仲の良い友人は一人だけ。おまけに体が弱く、本人も家族もそれを気に病んでおり、子を望むことはない――全てが理想通りだった。

 唯一期待はずれだったのは、志麻さんに「わたしには勿体無いお方で」と断られたことだろうか。当時はまだ志麻さんも学生だったから、結婚に然程興味が無いのかと思っていた。卒業してからしばらくして、少し人恋しくなりそうな時期にもう一度求婚すると、今度はあっさりと良い返事をもらうことができた。


 結婚してから気付いたが、志麻さんは唯一のお友だちに傾倒していて、その他のことにはほとんど興味を示さなかった。

 僕の仕事のことも、交友関係や人となりについてもほぼ詮索せず、こちらが話しても深追いしてこない。だが、家に帰るとあの愛らしい微笑みで「おかえりなさいませ」と言うものだから、それだけで僕は満足だった。夜の営みも頻繁ではなかったが、熱に浮かされた志麻さんは素直で可愛いし、我に返った時のばつの悪そうな顔も胸をくすぐるものがあるので、僕としては言うことなしだった。


 あまりに幸せだったから、たまには志麻さんにもいい思いをさせてやろうと思って、お友だち夫婦が出席するパーティに連れ出してみたが、あれは失敗だった。確かに、案外卑屈な志麻さんが拗ねる様子は、言葉にできないほど素晴らしかった。だが、お友だちは志麻さんをおかしな方向へ駆り立ててしまった。

 同情はしなくもない。志麻さんの愛情は、唯の友達にしてはしつこくて重かっただろうから。しかし、彼女が適当にご機嫌をとっていてくれれば、志麻さんだって都合よく解釈するのだから、心中なんて考えなかったはずなのだ。


 当の志麻さんがいやに穏やかな顔で洋菓子のレシピを書き留めているものだから、来客の日に早く家に帰ってみると、思った通り素敵なデザートが出来上がっていた。初めて食べた志麻さんの手料理は、お粗末な睡眠薬の味がした。なんだか惨めになったし、馬鹿みたいなお友だちと心中なんていう志麻さんの能天気な計画に心底腹が立ったので、僕は秘蔵の毒薬を一滴垂らしてから、「こちらをお客様に」とさりげなく釘を刺して、女中に皿を持って行かせた。

 また、やはり志麻さんはちゃんと見張っておくべきだと思ったので、結婚五年目くらいにやってみようかと考えていた計画も併せて実行することにした。何のことはない、僕に頼らざるを得ない志麻さんと二人きりでのんびり暮らすというささやかな計画だ。そのために、とっておきの麻酔薬を紅茶に入れることも忘れなかった。

 あの日は、事後処理のために兄弟たちに頭を下げなくてはならなかったが、その価値はあった。僕は、僕を必要とする志麻さんをついに手に入れた。



「――あなたには、無理よ」


 気まぐれに僕の幼少期のささやかな夢を話すと、志麻さんは車椅子から僕にちらりと視線を投げて、心底おかしそうにくすくすと笑った。


「人一人を自分だけのものにするなんて、誰にもできないの。そんなこともわからないのね」

「実体験からのためになるお話、ありがとう」

「今にあなたの実体験になるわ」


 皮肉めいた言い回しをする志麻さんに、「そうかな」と曖昧に笑ってご機嫌をとる。最近は可愛らしいばかりでなく、つんとすました大人びた顔をするようになった。賢さを装って笑う志麻さんは、輪をかけて愛らしい。

 僕だって馬鹿じゃない。心も体も手に入れる、なんて、お互いの頭が同じ方向におかしくなければ無理だろう。

 限界を弁えているから、こういう結果にしたのだ。僕は、志麻さんの心までは求めない。彼女が僕の手の内にいるというだけで――命すら握っているというその事実だけで、十分幸福なのだ。


 志麻さんの本質は、執念深く狂気的で、どこまでも美しい。僕は彼女の中のいびつさを愛している。

 そして、僕の目を盗んで庭師の男に思わせぶりな視線を送る志麻さん自身も、獲物を食らおうとする蛇のように愛らしい。僕の代わりを品定めしているのかもしれない。考えて少し気分が悪くなったので、大概だと苦笑する。

 いつか僕の我慢がきかなくなって、志麻さんの心が欲しくなってしまったら、虚しさに喰われてしまう前に、脳の髄まで痺れるような劇薬を飲んで、共に死ぬのも悪くない。


 僕は、首をもたげた感情を笑顔の下にそっと隠して、少し乱暴にカーテンを閉めてから、悠然と腰掛ける彼女を自室という檻へと運ぶべく、華奢な車椅子を押した。



似たもの夫婦を書いてみようということで、身体束縛系ヤンデレ×精神束縛系ヤンデレ夫婦にしてみました。

百目鬼どうめき 志麻しま

旧姓は蛇園。孤独が過ぎて少々歪んでしまった寂しがり。愛は重いが興味の無いことにはドライ。目的のためには手段を選ばないが、詰めが甘いのが玉に瑕。

百目鬼どうめき 省吾せいご

お上の毒見役を務める一家に生まれた狂気の五男坊。幼い頃から病気がちで、流行り病により子種がなくなってしまった。徐々に体力がつき、今では立派に毒見役。医薬品への造詣が深い。

(ちなみに、文子の旧姓は川津でした。)

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