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眠る太陽の下で月は目覚める  作者: 伝記 かんな
9/12

誤報に隠された事実


                   9



《―只今、速報が入りました。

 今日午前5時頃、都内都M区にて

 通り魔事件が発生しました。


 被害者は通勤途中で襲われた模様で、

 死亡が確認されています。

 犯人は捕まっておらず逃亡しており、

 一時的にМ区を包囲封鎖し、

 捜索中との事です。 


 警視庁は、М区全域の住民へ

 緊急事態の例外を除いて、

 外出は控えるようにと呼び掛けています。

 詳しい状況は分かっておらず

 異例処置の為、対応に戸惑う声が

 SNSにて多数寄せられています。―》



通り魔?違う。もっと、

凄い事が目の前で起こったのに。

何で、嘘の情報を流すの?


人から、一気に芽が出て・・・・・・


思い出すだけで、吐き気がする。

それだけ、衝撃だった。

今でも、不安と恐怖で

落ち着いてはいられない。


警察には、本当の事を伝えたつもりだ。

でも、聞いてくれなかった。

おかしくなったと、思われたのだろうか。


目の前で起こった事は、夢ではない。

私は多分、かろうじて正気を保っている。

だから、何とか。

他のみんなに、本当の事を伝えたい。

そう思ったが、なぜかスマホを没収された。

何も、できない。


“ここから出ないでください。”と言われ、

“落ち着きますから”と、水筒を持ち出して

お茶らしきものをもらった。

少し苦味が強かったが、気が動転していたので

味に構わず飲み干した。

とにかく、無理矢理にでも落ち着きたかった。


その後パトカーに、私一人残された。


勝手に触るのはどうかと思ったが、

今の状況を知りたい気持ちが勝って

ラジオをオンにすると、今の速報が流れた。

嘘の、情報だ。


一体何が、起こっているのだろう。


外は、慌ただしく

複数の警官が行き来していて、とても

状況を教えてもらえる状態じゃない。


私は、大丈夫なのだろうか。


新種の、ウィルスとか。

でも、あんなの・・・・・・今まで、

見た事も聞いた事もない。

でも、もしそうだったら、あの人みたいに

身体からたくさん芽が出て、

死んでしまうのだろうか。


もう、手遅れなのでは。

だから、ここにいろと。

放置されている、とか。


考えたら、きりがない。

悪い方に考えてしまう。

そうなると、居ても立っても居られない。


でも、外に出る方が・・・・・・逆に危険なのでは。

色々考えてしまって、動けない。

・・・・・・どうしたらいいの?



私の人生、ここで終わってしまうのか。




コンコンコン。


窓から、音がした。

見ると、女性が顔を覗かせている。

目が合ったので、明らかに

私目当てに訪ねてきたのだ。


彼女は、警官、だろうか。

そうであっても、心細く感じていたので

来てくれた事が嬉しかった。


会釈をすると、彼女はドアを開いて

私がいる後部座席へ乗り込んできた。


「失礼します。不自由な思いをさせて、

 申し訳ありません。」


眼鏡を掛けた、理知に溢れる女性は

真っ直ぐに見据えてくる。


何も問題ない。大丈夫。


そう、言い聞かされたような気がした。


「私は科捜研所属の一員で、

 穐枝 栞と申します。

 ・・・・・・ラジオ、消してもいいですか?」


今では、天気予報に変わっている。

頷くと、彼女は静かにオフにした。


「混乱を避けるために、事実を伏せて

 報道されていますが・・・・・・

 誤報だと発覚するのは時間の問題です。

 目の当たりにしたのは、

 あなただけではない。」


ラジオで得た情報に対する言い訳、と

捉えてもおかしくはない。


しかし、彼女の真摯な態度と

口調の力強さは、それを踏まえて

説得しているように思えた。


「被害をこれ以上広げない為に、

 時間稼ぎが必要でした。・・・・・・

 発芽したものの、あなたが早急に

 通報してくれたお陰で、

 開花まで成長するのを抑えられた。

 感謝しかありません。」


自分に向かって深く頭を下げる彼女に、

戸惑うしかない。


「冷静な判断をなされる方が第一発見者で、

 不幸中の幸いでした。」


「い、いえ・・・・・・あの・・・・・・」


冷静な判断だったのかどうかは、分からない。

ただ、どうしたらいいかと考えて、

救急車を呼ばなければと思っただけだ。


それよりも、今。この人は、

“開花まで成長するのを抑えられた”、と言った。


“あれ”が何か、知っているのか。

それなら聞きたい事は、別のところにある。


「“あれ”は一体、何なのですか・・・・・・?」


「・・・・・・」


彼女は、答えずに私を見据える。

さらに疑問を、投げた。


「私は・・・・・・大丈夫なのでしょうか?」


すると、彼女は頷いた。


「発芽しなければ、大丈夫です。

 ・・・・・・先程、警官に渡されたものを

 飲みましたか?」


「えっ・・・・・・あ、はい・・・・・・」


「念の為、抑制剤を服用してもらいました。

 体内に吸引された花粉の働きを、

 無力化させるものです。

 副作用として、眠気を生じさせますが

 身体を害する成分は入っていません。

 ご安心ください。」


あの、お茶らしき飲み物は・・・・・・

抑制するもの、だったのか。


そんなものまで作られているとなれば

・・・・・・やっぱり、この人は

“あれ”が何か知っているのだ。


「抑制剤は現時点で、

 大量に用意ができません。なので、

 出来れば混乱を最小限に抑えたいのです。

 ・・・・・・今回のように事が起こって

 パニックになれば、供給が行き渡らずに

 被害が広がるリスクが高くなります。」



淡々と、述べられる。


いや、私が落ち着いていると把握して

冷静に伝えてくれている。



「・・・・・・辛いかもしれませんが、

 目の前で起こった事を、今一度思い出されて

 話してもらえませんか?

 実際のところ、発生要因は

 不明な点が多くて明らかになっていません。

 あなたの見たものが、

 それに繋がる可能性があるのです。」



本当のところ、思い出すのは怖くて嫌だった。


でも彼女は真摯に、私が見たものを聞いて

分析しようとしている。

きちんと話を、聞いてくれようとしている。

それが、とても有り難かった。


“あれ”が何なのか、彼女たちも

全てを知らないのかもしれない。


ならば、伝えなければ。

伝えることで、最悪な事態を免れる術を

見出せるなら。

だが、その前に。


「・・・・・・“あれが”何なのかを・・・・・・

 知っている限り、

 教えてもらえないでしょうか?」


不安は、“知らない”、“分からない”が

重なり合って生まれる。

それが積もりに積もって、

絶望と化した時、恐怖へ繋がる。


出来れば、知りたい。

“あれ”が、何なのかを。


「人を培養土にして繁殖する花が、

 存在する・・・・・・と言ったら、

 信じてもらえますか?」



その問い掛けは、非常に恐ろしかった。



「現時点でお伝えしても、理解するのは

 無理難題だと思います。・・・・・・

 近い内に必ず事態を、

 収拾させることを誓います。」


彼女は、淀まなかった。


希望が、あるから。

この事態に、備えていたから。


そう捉えることができるのは、彼女が

強い姿勢だからだ。


「・・・・・・なので、今少しだけ

 待っていただけませんか?」



今は何も聞かず、待っていてほしい。


そう、言われた気がする。



「・・・・・・分かりました。話します。」



私が、その希望の欠片になれるのなら。



















                   *
















「・・・・・・そう。

 じゃあ、話は聞けたんだね。」



リビングから聞こえてくる、彼の声。


いつもは穏やかな声音なのに、今

耳に届いた響きは

心なしか少し、緊迫している。


そのせいで一気に、覚醒へと導いた。



ベッドで眠っていた心依架は、

ゆっくり瞼を上げる。



「・・・・・・うん。今すぐ調査が必要だね。」



白夜は、誰かと通話しているようだ。



「今から来てもらえる?

 詳しくは、その時に聞くよ。

 心依架にも伝えたいから。

 迅速な対応、ありがとう。

 うん・・・・・・あぁ、

 その件は、自分から伝えておくよ。

 もう、抑えきれないだろうから。」



ベッドから起き上がり、

部屋のドアを少し開けてみる。


彼の表情に、笑みはない。

壁に背を預けて、真剣な様子で話している。



―相手は、栞さんかな?

 仕事の話みたいだけど・・・・・・

 自分の名前出した、よね?



一緒に住むようになって、

初めて見る姿かもしれない。


今まで部屋で会った時は、

柔らかい雰囲気と眠そうな印象しか

目にしていなかった気がする。



「いずれは明るみに出る事象だったと、

 彼女からは聞いてる。けど、

 このタイミングだとは、ねぇ・・・・・・

 あぁ、君もそう思う?・・・・・・うん。

 もう、隠しきれないって事かな。

 混乱は、避けられないだろうね。」



空気で分かる。

何が起こったのかは分からないが

今の状況は、ただ事ではないのかもしれない。



「では、また後で。」


通話が切られるのを確認して、心依架は

静かに部屋から出ていった。


「おはよ。・・・・・・

 起こしちゃったみたいだね。」


笑顔で返されたのは、安心させる為なのか。

その奥にある事情が思わしくないことは、

肌で感じている。


「何か、あったの?」


問い掛けると、白夜は

静かな眼差しを向けて答えた。


「テレビ、点けてもいい?」



その申し出は、とても珍しい。


リビングの角に設置されている、液晶テレビ。

普段は何も映さず鎮座している為、

インテリアとして認識していた。


心依架自身、テレビを観る習慣がない為

それを可笑しいと思った事はない。

彼もまた、テレビを習慣で観る人ではないと

把握していたからだ。



「別に、いいけど・・・・・・」


だから尚更、ただ事ではない。


彼が、液晶テレビの電源スイッチを押して

リモコンで操作する姿を、黙って見守る。


今問い掛けても、答えをくれる気がしない。

黙ってテレビを観る事が、

それに繋がる気がした。



《―繰り返しお伝えします。

 今日午前5時頃にМ区で発生した

 通り魔事件により、継続して

 包囲封鎖している模様です。

 未だに犯人確保の報告がなく、近隣の住民は

 不安と恐怖を募らせています。》



「・・・・・・えっ?М区って・・・・・・」


自分たちの住むマンションは、М区内にある。

包囲封鎖、というのは。


テレビから流れた報道ニュースが、

すぐには受け入れられなかった。


「表向きは通り魔事件としてだけど、

 実際は、違う。」


画面に目を向けたまま、白夜は告げる。


「例の花の芽吹きが、発生したんだ。

 公共の道路上で。」


「えっ?」


「しかも、目撃者は一人じゃない。」


「う、そっ・・・・・・」


「対応が早くて開花までに至らなかったのが、

 不幸中の幸いだった。

 今、後処理をしているところだと思う。」



《現場付近から中継です。

 ―今、どういった状況でしょうか?》


《はい。数台のパトカーが塞いでおり、

 警察官たちの姿が多数見受けられます。

 М区住人に向けて、外出しないようにとの

 呼び掛けが、絶えず行われている模様です。

 その一方で、

 М区の住人によるSNS投稿では

 通り魔事件ではなく、別件ではないかという

 声が上がっています。

 とある投稿では、瞬間を撮れたという

 信じ難い動画が上げられ、

 様々な意見が飛び交っていまして・・・・・・

 事実関係と結び付くのかどうかは、

 定かではありません。》


《信じ難い動画というのは、何でしょうか?》


《先程私も確認いたしましたところ・・・・・・

 距離が離れていて鮮明ではありませんが、

 人から、たくさん植物が

 生えているように見えました。》


《人から、植物、ですか?》


《加工して悪乗りしたのではないかという声が

 多数で、現在その動画は消されています。》


《そうですか・・・・・・

 ありがとうございます。

 引き続き、情報が入りましたら

 よろしくお願いいたします。


 ―それでは、まもなく

 警視庁、警視総監による緊急会見が、

 始まる模様です。》



「リアルとは、

 受け入れ難いだろうからねぇ・・・・・・

 動画に関しては、加工してるって思われて

 それで終わるけど・・・・・・」



そこで、言葉が止まる。


彼が懸念しているのは、多分。

その実際を目にした人間が、多ければ多い程

パニックが起こるという事だ。


発生の原因も、何も分かっていない状態で

それが起これば・・・・・・

大きな被害に繋がってしまう。



《―М区包囲封鎖による交通規制、

 通学、通勤の影響。この事について、

 住民の皆様には深くお詫びを

 申し上げると共に、ご理解をいただきたく

 思います。捜査員一同、

 犯人確保に尽力しております。

 引き続き外出を避け、自宅待機を

 よろしくお願いいたします。》


《通り魔事件ではなく、

 新種の病原体が発生したのではないかという

 見解がありますが、その事について

 詳しくお答えください。》


《質疑応答は、控えさせてもらいます。》


《異例の包囲封鎖に至ったのは、

 その事実を隠す為ではありませんか?》


《1秒でも早く、犯人確保に努めます。》


《国所有区域との関係がある可能性は?》


《再度追って、詳細をお伝えいたします。

 以上です。》


《待ってください!

 答えられないのはなぜですか?!》


《事実無根なんですよね?!

 どうして隠すんですか?!》



事実無根。

そうだ。根も葉もない。

流石に気づいている人は、いるんだ。


「苦しいねぇ。」


彼も、同じ事を思ったらしい。


「苦し紛れに事実を隠したのではという

 波紋が、広がっているみたいだ。

 悪い影響に繋がるかもしれない。」 


「何で、本当の事を伝えないの?」


その方が、良かったのでは。


「時間稼ぎをしたかったんだよ。

 矛先は、いくらでも受け入れる。

 誤報だとしても、足を止められるから。

 ・・・・・・伝えるには、まだまだ

 足りない要素が多い。

 ありのままを理解できる人間は、

 多くないんだ。」


白夜が紡いだ意見は、口癖の

“言葉にするのが難しい”という意味に

直結しているように思えた。


「・・・・・・やっと、抑制剤が

 作れたばかりなのにね。」



プルルルル。


自分のスマホから、着信音が鳴っている。


部屋に置いていたので、戻って

画面を確認すると、真世心からだった。

躊躇わずにスワイプする。


「・・・・・・おはよ。」


《良かった、出た!みぃ!今どこ?!》


心配そうな親友の声に、少し肩の力が抜けた。


「彼んとこ、だけど。」


《ニュース見た?》


「うん。今見たとこ。」


《・・・・・・大変な事になってるみたいだね。

 今日の仕事は、お休みでいいよ。

 自宅待機。いい?》


「・・・・・・うん。分かった。」



通話が切れる。

短い会話だったけど、十分だった。


真世心のように、情報を素直に聞いて

心配する人が、ほとんどだろう。


その気遣いが、とても有り難かった。

お陰で少しだけ、和むことができた。



「真世心ちゃんから?」


部屋の入り口に立つ彼の声が、良く通った。


テレビの音が消えている。

真世心の大きな声は、漏れて聞こえたらしい。


「うん。お仕事お休みしていいって。」


「・・・・・・まぁ、そうなるよねぇ。」



再び、プルルルルと着信音が響く。


今度は、ママからだ。


「おはよ。」


《あぁ。おはよう。

 あなたも彼も、まだ家にいるのよね?

 出勤してないわよね?》


「うん。ママこそ、家にいるんだよね?」


《ええ。いつも通りの出勤時間だから、

 今起きたところよ。》


同じマンションで近くにいるけど、通話だと

遠くにいるような感覚に陥る。


馴染み深い声を聞いて、心依架は

安堵の息を漏らした。


白夜が、そっと近づいてきて

スマホに耳を澄ます。

それに構うことなく、通話を続けた。


「大変な事になってるね。」


《もう、びっくりしたわよ。

 ・・・・・・お仕事、お休みになったわ。》


「自分も。自宅待機だって。」


《良かった・・・・・・

 勿論、白夜くんもよね?》


目配せすると、彼は微笑んだ。


「・・・・・・うん。」


《二人とも家に来なさいって

 言いたいところだけど・・・・・・

 しばらく、おとなしくしておいた方が

 いいかもしれないわね。》


「包囲封鎖ってのが解除されたら、

 行こうかな。」


《ええ。ご飯食べに来なさいね。》


「えっ。いいの?」


《ご飯作ることくらいしか、できないけど。》


「ふふっ。何言ってんの。嬉しいよ?」


《彼にも伝えておいてね。》


近くで聞いているとは、思っていないだろう。


「うん。分かった。

 それじゃあ、また後でね。」



白夜が自分の家に出向いたのは、

一週間前の話だ。


驚いたのが、穂香が白夜のことを

知っていたという事。

実際会ったことはなかったらしいけど、

風の噂というもので耳にしていたという。

そして彼も、穂香が夜働いていた店の

オーナーに、伝手があったという事実。


そんな、偶然すぎて不思議な縁を感じながら

顔合わせは和やかに終わった。

業種を問わず理解してくれて、

快く受け入れてくれたのが

とても意外だった。少しの疑いもなく、だ。


穂香が作ったご飯を、彼が

美味しそうに食べていたのが印象強い。

あんな幸せそうな顔、初めて見た。


自分も料理頑張ろうと、密かに決心したのは

言うまでもない。



通話を切ると、心依架は

ゆっくりとベッドに腰を下ろした。


「・・・・・・おとなしく自宅待機する・・・・・・

 ってわけじゃなさそうだけど。」


白夜は目の前に立ち、視線を降り注いでくる。


「そうだね。悪いけど・・・・・・

 調査に出掛けようと思ってるよ。

 栞が、許可を取ってくれている。」



その、大きな双眸の眼差しを逸らさず

恥ずかしがらずに

受け止められるようになったのは、

ごく最近である。



「・・・・・・栞さんが来るんだ?」


「あぁ。彼女が連れて行ってくれる。」


白くて、しなやかな彼の手が

自分の頭に、ふんわり乗る。


無言のまま、注がれる視線を

受け止めていると、彼に微笑みが浮かんだ。


「・・・・・・何も、聞かないんだね。」


心依架も、頬を緩める。


「力になれるなら、それでいいもん。」



難しい事、分かんなくても。

彼の傍にいられたら、それでいい。



「・・・・・・ふふふ。ありがとう。」


優しく撫でられて、胸の奥が騒ぐ。


そのざわめきも、自然と身体に

馴染んでいくのが心地いい。


「このまま、

 ゆっくり過ごせたらいいよねぇ・・・・・・」


ため息混じりの呟きには、

彼の本音が溢れている。


「・・・・・・そうだね。」


調査が終わっても、

問題は山積みといったところだろう。

何か分かれば、いいけど。


「今回、突発的に起こったのは間違いない。

 栞の見解を聞いてから、判断するよ。」


「こんな事、今までになかったよね・・・・・・」



ほとんどのケースが夜明け前で、

被害者の自宅で発見されていたような。

自動的に目撃者も増えるけど、その都度

原因解明に協力してほしいと

栞たちが説得しているのは聞いている。


いずれ、きちんと伝えなければ

混乱が起こるのは、間違いないだろう。

でも、もうそれが・・・・・・

限界なのかもしれない。



俯いて考え込んでいると、

頭を撫でていた白夜の手が

自分の手を取った。


「優雅に朝食ってわけにはいかないから、

 スムージーを作るよ。

 何か入れておかないとね。」


心依架は立ち上がって、その手を引かれながら

一緒にリビングへ歩いていく。


「自分が作る。」



彼は毎朝、スムージーを作って飲むらしい。


その習慣が自分にはなかったけど、

一緒に住むようになって

合わせて飲むようになった。


作るのを何となく見ている。

凍った果物と野菜、水を

ミキサーにぶち込めばいいだけっしょ。

それなら自分が。


口にはしていないが、顔に出ていたのか

彼は噴き出すように笑った。


「有り難いけど、

 今日のところは自分にまかせて。ね?」


「えっ。何で?作れるし。」


「飲み慣れた、自分のやつが飲みたいから。」


「・・・・・・」


「配合って、大事なんだよ。」



何か、やんわりと、

お前の作ったやつは飲めないと、

言われた気が。


ぶすくれた顔になりそうだったが、堪える。


「・・・・・・配合って?」


「気分によって変えるからねぇ。」


「今日は、自分の配合に任せてよ。」


「今日は、ごめんね。」


「・・・・・・じゃあ、明日。」


「ふふふ。うん。楽しみにしてるよ。」


明日ゼッタイ、

超絶美味いって言わせてやるからな?


静かな闘志を燃やしながら、

キッチンに立つ彼を見つめる。


「栞の分も、作ってあげようかな。

 きっと、何も食べていないだろうから。」


彼の、誰に対しても優しいところは

とても大好きになっている。

嫉妬していた頃が、懐かしくて恥ずかしい。


「ここへ来る時は、だいたい

 お腹空かせてるんだ。」


「・・・・・・いつも大変そう。」


会う時は、いつも疲れている様子だ。


「通常業務プラス、組織の仕事を

 頑張ってくれてるからねぇ。」


「きちんと、休めてるのかな。」


「息抜きを覚えたから、前よりは多分。」


そういえば、

派手に着飾るのがストレス発散って

言ってた気がする。


それで遊ぶわけではなく、ただの気分転換。

何か、もったいないんだよね。

栞さん、超絶美人なのに。


「でも息抜きでさえも、

 勉強しちゃうからねぇ。」


小さく笑って言ったその響きに、

どことなく親しみが籠められている。

そう。咲茉のことを話す時に、

似ているような。


最近、やっと分かった。

彼にとって彼女は、家族同然なのかも。


「栞さんって、没頭タイプっしょ?」


「そう。自分と似てるところだよ。」


「・・・・・・白夜も?」


「うん。心依架に没頭してる。」


えっ。それは。


「・・・・・・ふざけてる?」


「ふざけてないけど?」



―・・・・・・

 そういうこと、真面目に言うから。

 どうしたらいいか分かんない空気になる。



ピーンポーン。


仲介するように絶妙なタイミングで、

インターホンが鳴った。


「心依架ー。出迎えてくれるー?」


ガガガガ、とミキサーが回る音と同時に、

声が投げられる。

その場から逃げるように、急ぎ足で

玄関へと向かった。



―いや、めっちゃ嬉しいんだけどさ。

 こういう時、どんな反応が正解なんだろ。



玄関のドアを開けると、

微かなメントールの匂いが

吹き込む風とともに舞い込む。


「おはよう。」


飾り気のない黒フレームの眼鏡に

髪を一つ括りでビジネススーツ姿の彼女は、

よく知らない者からすると

近寄り難くて固い印象しか受けないだろう。


「おはようございます。栞さん。」


今では、自分の方が栞を迎える立場だ。

最初の気まずさが、懐かしい。


「申し訳ないけど、調査頼むわね。」


単刀直入に告げるところが、心依架にとって

大好きな部分である。


「はい。今、白夜がスムージー作ってて

 ・・・・・・とりあえず、飲んでいきませんか?」


「ええ。助かるわ。

 今日まだ、何も食べてないの。」


彼の予想は、大当たりである。


中に入ってドアを閉めたと同時に

栞は、脇に抱えていた何かの箱を

心依架へ差し出す。


「これ、あげる。会った時に渡そうと思って、

 車に積んでいたの。」


「えっ、これ・・・・・・」


「心依架に合うと思って。

 遠慮なく受け取って。」


「・・・・・・あ、

 ありがとうございます。」


予想外のプレゼントに驚いてしまい、

躊躇わず素直に受け取る。


よく見ると、

白いシューズボックスのようだった。


「・・・・・・今、開けてみてもいいですか?」


「どうぞ。」


上蓋を開け、包まれた紙を丁寧に剥がすと

収められた中身を目に入れる。


「かわいいっ」


ベージュピンクの、紐付きパンプス。

いいなと思っていたところだった。

最近買った服に合うかも。


「履いているところ、

 実際に見たいのが本音よ。」


「・・・・・・えっ?

 自分で履いてみないんですか?」


「可愛めのって、自分じゃ似合わないから。」


「そんな事ないですよ!」


まさか、モデルにされるとは

思っていなかった。


「まぁ、とにかく。

 同棲祝いってことにしといて。」


「・・・・・・」


断る理由が、浮かばない。


「じゃあ・・・・・・遠慮なく。」


「ええ。お邪魔するわよ。」


さらりと言って彼女は、パンプスを脱いで

リビングへ入っていく。


お姉ちゃんがいたら、

こんな感じなのかな。


その背中を追うように、心依架は

シューズボックスを持って付いていった。



既に、カウンターキッチンのテーブル上には

グラスに注がれた緑色のスムージーが三つ、

並んで置かれている。


「現場の鑑識は、もうすぐ終わる頃よ。」


栞は椅子に座らず、

グラスを一つ手に取って口を付けた。


「何か繋がるような話は、聞けたのかな?」


キッチン内に立ったまま、白夜も

グラスを一つ取って喉を鳴らす。


「目撃者は最初、被害者が急に

 しゃがみ込んで何か拾っていた姿を、

 目にしたらしいわ。」


そんな二人に倣い、黙って心依架も

グラスを手に取って一口飲む。


今日のは少し、果物の甘さが強い気がする。


「種子を拾った際に根付いて、発芽した。

 それは、今までの被害者と一致するね。」


「・・・・・・この時間帯での発見が

 今までにないのは、

 これまでと何かが違う点だと思うわね。」


「それは、自分も思うところだよ。

 君の見解は?」


「種子が、上から降ってきたとか。」


「・・・・・・なるほど。」


「でもそれだと、現実的じゃない。」


「そうだね。でも、

 良い線なんじゃないかな。」


二人は話しながらも、

スムージーを飲み干していく。


会話に入らず見守っていたのに、

自分の飲むペースが遅い。焦った。


「今回の件には、糸口がある気がするよ。」


逸早く飲み干した白夜は、

空のグラスをシンクに置いた。


「すぐ準備するから、少し待ってて。」


部屋へと歩いていく彼の姿を横目に、

栞もグラスを空ける。


「念の為、抑制剤の固形を持ってきたわ。

 二人とも飲んでいって。」


彼女は胸ポケットから、

PTPシートに入った錠剤を取り出した。

四錠のそれを、頑張って飲んでいる最中に

手渡される。


さっき彼が、口にしていた言葉を思い出した。

これが、それなのか。


「二錠で一人分。私を含め捜査に関わる者は、

 効果を知るための治験として

 服用しているわ。やむを得ず今回、

 目撃者にも薄めたものを飲んでもらったけど

 ・・・・・・優先として、

 М区の住人にも渡すつもりよ。

 国は逸早く、正しい情報を伝える方向へ

 進めているわ。」


「・・・・・・そうなんですね。」


「何か異変を感じたら、必ず教えて。」


「分かりました。」


やっとスムージーを飲み干し、

手にした抑制剤のシートを二錠破って

手の平に乗せる。

残りの二錠は、白夜が来たら飲めるように

彼のグラスの近くへ置いた。


見掛け、何の変哲もない白い錠剤。


空のグラスを水で注ぎ、近くに設置された

ウォーターサーバーで水を少し入れた。

一口含み、難なく二錠を飲む。


「あの、自分もすぐ準備します。」


そして、ソファーに置いていた

シューズボックスを抱えて、リビングを出た。



ゲストルームになっていた部屋は、

心依架の部屋へと生まれ変わっている。


家から、服とか必需品とか

運べるものは少しずつ運んでいて、

持ち運びが困難な物は

無理に動かさず、そのままにしている。

なので、引っ越しは完了していた。


ただ眠っているのは、ほぼ白夜の部屋。

高確率でリビングの定位置にて

寝落ちしてしまい、気づいたら

ベッドに運ばれている。

なぜか、自分の部屋のベッドではなく。

そのまま朝を迎えている事が多い。

今日も、そうだった。



―栞さんに会えるのって、あまりないから

 今、履いてみようかな。



箱を開けて、紐付きパンプスを手に取る。



―買った服と合わせて。

 いいかも。気合い入る。


 メイクする時間ないから、

 リップだけでも引いとこ。



手早く済ませて、約3分。

姿見鏡で確認する。

予想以上に、コーデが気に入った。


スマホを持って部屋のドアを開けると、

既に玄関で待っていた白夜と栞が

その出で立ちを目の当たりにする。


目を見開いている。


二人の反応に、

やってしまった感が押し寄せた。


やっぱり、場違いだったかも。



「かわいい。」


「かなり似合うわ。」


それぞれ呟いて、顔を綻ばせる。


「戦闘モードだねぇ。いいよぉ。」


「あげた甲斐があったわ。ありがとう。」


二人の口走る言葉が独特すぎて

怯んでしまうが、快く手招きされたので

躊躇いながら歩み寄っていく。


辿り着くと、

ふんわり笑う彼に優しく手を取られ、

微笑む彼女に温かく背中を押された。


「行きましょう。」

















燦々と、朝日が降り注ぐ。


マンションのエントランスを抜けてすぐに、

栞のスポーツカーは停まっていた。

本来なら駐車禁止だと思うが、

包囲封鎖されている今では

問われないのかもしれない。


「徒歩でも十分行ける距離だけど、

 時間が限られているから車で行くわよ。」


心依架と白夜は、後部座席へ乗り込む。

狭い空間だと分かっていても、

自然と誘導された。

でも流石に、今の状況で

イチャつく度胸も空気もない。


エンジンを点火して直ぐに、車は発進する。


現場へ向かう事、およそ2分。

国の所有区域である樹海が、

目視できる路上。

心依架が学生の頃に、スマホで撮りながら

通っていた所である。


その散策は今、行っていない。

あの時の熱意は、彼へと注がれてしまった。


1台のパトカーが停まっているだけで、

捜査員の姿は見当たらない。


栞はエンジンを切ると、

スマホで誰かに通話を繋げた。


「・・・・・・今から調査を行います。

 終わり次第、また連絡します。」


簡潔に終えると、彼女は

後部座席へと振り返る。


「万全よ。あなたたちが座れるように、

 ブルーシートを引いているから。

 思う存分調べて。」


「了解。ありがとう。」


白夜は短くお礼を言うと、心依架に

視線を向けた。


自分以外に向けられることのない、

優しくて熱い眼差し。


それを受けて、胸の奥が騒ぐ。


「行きましょうか。お姫さま。」


ふんわり笑って彼は、

うやうやしく手を差し出す。



“お姫さま”。


最初は先入観に邪魔されて、素直に

受け入れられなかった。


今ではそれが、自分だけのものなのだと

実感できる。


小さく笑って、その手を取った。

片方のドアから、一緒に外へ出る。





日差しが強く、入道雲が浮かぶ青空。

夏の終わりが近いはずなのに、

熱気と陽炎は弱まることなく

路上に揺らめいている。


人気のない路上を歩くのは、嫌いじゃない。

今までだって、深夜近所の公園へ

散策に出掛けた時とか。

明るい時間にはない空気が好きだった。


その時の、寂しさと比例するような静けさが

友人のような気がして。

日常の一環で得られた、特別な時間だった。


今は、というと。

隣には彼がいて。

手を繋いでくれて。

温かさを感じながら、静けさを堪能している。


しかも、夜ではなくて、朝。

体温が溢れかえっているはずの、街中で。


自分たちの灯火を、感じている。



思わず、スマホを取り出して

ぱしゃりと空を撮った。



歩いて間もなく、日に照らされた

ブルーシートが目に入る。


一畳分くらいだろうか。

風で飛ばないようにする為なのか、四隅に

コーンが置かれていた。


不思議な光景である。


路上のど真ん中に、確保された空間。

しかもそれは、自分たちの為に。


同じ事を思ったのか、彼と視線が合って

笑みを浮かべる。


「特等席だね。」


「花見の場所取りみたい。」


「ふふふ。感覚的には、合ってるよ。」


二人は、その上に並んで踏み入れると、

ゆっくり腰を下ろした。


照らされて温まっていた熱が、

じんわりと伝わってくる。


「心依架。」


名前を呼ばれて、振り向いた。


「今までの調査は、“間”までに留まって

 “常世”には踏み込んでいなかった。

 今回、それを実行するよ。

 ・・・・・・被害者は恐らく、

 命を落としたという自覚がないまま

 意念体として存在している。

 自分たちは、その被害者に会って

 話を聞こうと思う。」


「・・・・・・幽霊として、

 存在してるってこと?」


「そう捉えて、間違いないよ。」


「話とか・・・・・・できるの?」



渋谷散策した、あの時の事を思い出す。

白夜は抑えつけられて、

危ない目に遭っていた気がするが。


そんな思いが通じたのか、彼は苦笑した。


「あの時は、力不足だったからねぇ。

 今の自分たちなら可能だよ。

 ・・・・・・遠隔で、晴さんと明也さんが

 待機してくれている。

 話を聞いた後、被害者を解放する為にね。」


どういう事なのか、正直分からない。


しかし、二人の名前を聞いて

不思議と、安心感を覚えた。


「・・・・・・それって、被害者は・・・・・・

 もう、苦しまずに済むってこと?」


「・・・・・・そういう事になるかな。」


「なら、大丈夫だね。」


自分の言葉に、彼は微笑む。


「心強いよ。彼らがいてくれる事は。」


「・・・・・・うん。」


被害者の苦しみを、解放できる。

それが、できるのなら。



彼の頭が、自分の膝上に置かれる。


路上で、膝枕する日が来るなんて

夢にも思わなかった。



見下ろし、真っ直ぐに向けられた

彼の眼差しを捉える。



一瞬で、大きな睡魔に襲われた。





















眩い光の筋が、

白くて何もない空間に差し込んでいる。


太陽の姿は、見当たらないのに。



『同期完了です。白夜様。』


「ありがとう。“心”。」



声が響いて、存在に気づく。


自分と肩を並べる白夜の姿と、彼の目の前で

光の粒に覆われて浮かぶ、スマホの“心”。


“間”に来た時いつも思うけど、

自分よりも先にいるかのように

急に姿を認識する。

特に今回は、明らかに

何かを施したような会話だった。


じっと見つめていると、彼も

大きな瞳を向けて視線を交わす。


「危惧するのは・・・・・・

 意念体の記憶を養分とする、例の花の特性。

 枯渇してしまう前に、断ち切る必要がある。

 それは、マナさんが実行する。」


「・・・・・・マナさんも、

 どこかにいるんだね。」


「初代が設けた“間”と、中継しているよ。」


普段の、ふんわりした雰囲気はない。


真っ直ぐに自分を見つめ、真剣に告げる彼は

どこか別人のように思える。

でも。これが、本来の彼なのだ。


肩を引き寄せられ、顔の距離が近づく。


「・・・・・・心の準備は、いい?」


彼の囁きは、優しい風となって耳に届いた。


「・・・・・・いつでもいいよ。」


何も、怖くない。

彼と、一緒ならば。






















一瞬、“現”に戻ったのかと錯覚する。


しかし、ねっとりと漂う湿った空気は、

この見えている世界が“常世”であることを

示してくれていた。



白々と明ける空を見上げる、一人の男性。

心あらずといった表情で、微動だにせず

立ち尽くしている。


この人が、被害者なのだろうか。



―「あの子たちの蔦が、絡まっているわね。」―


自分の口から紡がれる、“御影”の声。


「具現化できますか?」


すぐ隣に寄り添っていた白夜が、尋ねる。

“彼女”は、柔らかい笑みを浮かべた。


―「“心”ならば、可能ではなくて?」―


ふわりと片腕が上がると

光の粒が集まり、“心”が現れる。


『仰せの通りでございます。“御影”様。』


するりと手の中に収まると、

男性に向けて翳す。


ぱしゃり、という音が響いた。


同時に、“彼女”が告げた

蔦の形状が浮かび上がる。


複雑に絡み合い、

どこから手を付ければ解れるのか

全く見当がつかない。


「流石です。有難うございます。」


ただ白夜は、満足そうに感謝を伝えた。


「・・・・・・マナさん。お願いします。」


そして、姿が確認できない

彼の名前を紡いで、乞う。


後ろから、男性へ目掛けて

ぶわっと風が通り抜けた。


あれだけ複雑に絡み合っていた蔦が、

その一吹きでバラバラと切り落とされる。


―「まぁ。お見事。」―


芸当を見て“彼女”は、微笑んで称えた。


切断されたのは蔦だけで、

男性自身は何事もない。

動ける状態になったと思うのだが、

尚も彼は立ち尽くしたままだ。


「ここで何が起こったのか、

 聞いてみましょう。」


―「・・・・・・無事に、

  思い出してもらえるかしら。」―


「・・・・・・手遅れでなければ。」


男性の顔は虚ろで、見上げる目にも光はない。

そっと近づく自分たちにも、

気づく様子はなかった。


―「・・・・・・失礼します。殿方。

  朝焼けが、とても綺麗ね。」―


そんな呼び掛けで、反応してくれるのか。


思った通りというか、

男性に届いていないようだ。


―「・・・・・・駄目ね。」―


「・・・・・・

 ここは、心依架に任せましょうか。」


話を振られるとは思わなかった。

白夜の眼差しが、真っ直ぐに向けられる。


「君の見解で構わないよ。この彼に、

 どんな事が起こったと思う?」


“御影”は、控えているらしい。

しばらく男性を見据えて、心依架は答えた。


「・・・・・・多分、だけど・・・・・・

 何か、見つけたんだと思う。」


「例えば?」


そういえば。

この辺で、何か珍しい色の鳥を見かけて

画像に収めた気がする。


「・・・・・・鳥、とか。」


“鳥”の言葉に、ぴくりと男性は反応する。

瞼の痙攣程のものだったが、

それを彼は見逃さなかった。


「直接彼に、聞いてみよう。」


促されるまま、言葉を紡ぐ。


「・・・・・・すみません。自分、この辺で

 珍しい色の鳥を発見したんですけど・・・・・・

 もしかして、見かけました?」


聞き方、合ってるかな。


心配だったが、動かなかった男性の顔が

こちらを向いて、何度も頷く。


『あぁ・・・・・・最初、聞き覚えがない

 鳴き声が聞こえてさ・・・・・・見た時、

 雀かと思ったけど、変な色だったんだよ。』


確か、前のスマホで撮ったやつだ。

その画像を、バックアップしていなかった。

していたらすぐに、画像を見せて

確認できたのに。


そう思っていたら、“心”が話し掛けてきた。


『心依架様。私を頼ってくださいませ。

 貴女様の記憶からすぐに、

 画像を作成できます。』


「・・・・・えっ。どういう事?」


首を傾げていると、表情を和らげた白夜が

補足するように告げる。


「心依架。ここは、“現”じゃないから。

 君が見たものであれば、可能なんだよ。」


よく、分からないが。


「・・・・・・画像、あるの?」


『お任せください。』


きらりと“彼女”の画面が明るくなり、

思い描いていた画像が浮かび上がる。



樹海の周辺を飛び立った、

伽羅色の小さな鳥。


収めた姿は数ミリくらいで、

はっきり確認できるものではない。

しかし、それを目に入れた男性の表情は、

確信を得たかのように変わる。


『そう・・・・・・!この鳥だよ!

 そこの塀の上に止まってて・・・・・・』


指を差す方向は、男性の身長の

ちょうど二倍くらい高さがある塀。


この画像よりも断然、

間近に止まっていたようだ。


「スマホで、撮ろうとした?」


自然な流れで、白夜が尋ねる。


『あぁ。でも撮ろうとしたら、

 すぐに飛んでいってしまった。』


画像は、撮れなかったんだ。

そう思っていたら、“御影”が言葉を発する。


―「・・・・・・不気味ね。」―


その一言に反応せず、白夜は

押し黙ったままである。


『・・・・・・М区に住むの、

 抵抗あったんだけどさ・・・・・・

 物件安いし、すぐ転勤だからいいかなって

 ・・・・・・』


身の上話になっているような。

話が、逸れている気がする。


「ここで、何か拾ったんですよね?」


核心ともいえる、彼の問い掛け。

男性は、喋るのをピタリと止めた。


しばらく、フリーズした時間が過ぎる。



「・・・・・・花の、種とか。」


思い出すのを後押しするように

キーワードを投げると、男性の表情が

苦悶に変わっていく。


『そうだ・・・・・・

 その鳥が、種を咥えていて・・・・・・

 落としたのを、拾ったんだ・・・・・・

 ・・・・・・お、俺の、手の平を・・・・・・

 う、うわあぁぁぁぁぁっ!!』


頭を抱え、発狂すると

その場に膝を落とし、蹲った。


腕を中心に、突き破って小さな芽が出る。


あまりの光景に、心依架は立ち竦んだ。


『助けてくれぇぇぇっ!!』


必死に縋りつこうとする、男性の両手。

掴まれる寸前で、白夜が腕を引いてくれて

逃れることができた。


『あぁぁぁっ!!どうして、

 助けてくれないんだぁぁぁぁっ!!』


男性は泣き叫び、這いつくばってしまう。


芽吹きは止められず、全身に広がった。



今回の調査で、初めて分かった事がある。

どんな事が起こって、死に至ったのか。

頭では、分かっていたつもりだった。

そう。目の当たりにするまでは。


胸がズキンとして、頬に涙が伝う。

恐怖と哀しみが、容赦なく押し寄せた。


押しつぶされそうな自分を慰めるように、

“御影”が言葉を零す。


―「・・・・・・彼は、思い出してくれた。

  無事に還すことが出来るわ。」―


白夜が、包み込むように肩を抱く。

彼もまた、動けない自分を

支えてくれている。


―「百夜。もう十分だわ。解放してあげて。」―


「・・・・・・はい。」



ダァァァン!!


彼が返事をした後、大音響が届いた。



聞き慣れず急な音に自分は驚いたが、

白夜と“御影”は物怖じせず

視線を男性に向けたまま動かない。


泣き叫んでいたのが止まり、

身体中に芽吹いていたものが

跡形もなく消えていた。

表情も、和らいでいる。


一体何が、起こったのだろう。

獣神の従者を撃った時と、何かが違う。



『・・・・・・ありがとう・・・・・・』


男性は、ぽつりと感謝を告げる。


『ずっと・・・・・・働き詰めで、

 休めてなかったんだ・・・・・・行かなきゃ、

 行かなきゃって・・・・・・

 全然、良いこともなくて・・・・・・

 樹海の緑を見られるのは、

 ちょっとだけ、良かったかな・・・・・・

 でも、もう、これで、休める・・・・・・』


全てが、解放された。

嬉しいけど、寂しいような。

彼は、そんな表情を浮かべていた。



―「・・・・・・素晴らしい力だわ。」―


「彼らの存在は、奇跡に近いです。

 そして、それには・・・・・

 皆の想いが籠められています。」


言葉を交わす二人には、何が起こったのか

分かっている気がした。



さらさらと、男性の身体は

砂状の光へと変わって、

朝焼けで赤く染まる空に昇っていく。


入り混じっていく様は、

幻想的で美しいと思えた。


恐怖も哀しみも、完全に

消えたわけではないけど。

彼が、安らぎを得られたのなら。

救われたと、思いたい。



【奇妙な事をするものだ。】


重低音の声が、耳元に響く。


―「ふふっ。貴方も、

  素晴らしいと思ったでしょう?」―


【面白いとしか思えぬ。】


この至近距離で口が裂けているのを

見るのは、まだまだ慣れない。


―「見守っていたのは分かっていたわ。」―


会いたかったわ。


【我の出る幕はない。】


お前に会いたかっただけだ。


なぜか二人の会話が、そう聞こえた。


「お二方。“間”で、心行くまでゆっくりと。」


白夜も同じだったのだろう。

微笑みを目にして、肩の力が抜けた。



彼の腕の中で見届けた朝焼けは、

多分これからも、思い出す事になるだろう。


胸の痛みと共に。





















さっきは差し込んでいた陽の光が、

もう消え失せている。


いつもの、真っ白な空間。

自分がよく知る、“間”だ。


「・・・・・・ありがとうございます。

 後日、お礼を兼ねて伺います。」


『同期解除します。』


終始姿が見えなかった、陰の立役者。

彼らに向けた言葉を聞いて、心依架は

会いたい気持ちが膨らんだ。


後日伺うって言ったけど、自分も一緒に

会いにいけるのかな。

会いたいな。


「心依架。被害者が言っていた鳥を、

 見掛けた事があったんだね?」


優しい眼差しを向けて、尋ねる白夜。


“常世”での彼は、鋭い感じだったけど

カッコよかった。

今の柔らかい雰囲気も、勿論大好きだけど。


「うん。もしかしたらと思って聞いたら、

 偶然一致してたみたい。」


「見せてもらえるかな。」


『了解です。』


自分の手にあった“心”は、ふわりと宙に浮かんで

拡大した画像を映し出す。


遠目だったせいか、鮮明ではなく

色でしか判断できない。


「・・・・・・樹海から、

 飛んできているのかな?」


「そう考えるのが、自然だね。

 ・・・・・・まさか、種子を咥えて

 飛んできている鳥がいるなんて、ね・・・・・」



画像を見つめて、しばらく彼は考え込む。


お二方は、出てくる気配がない。

今多分、自分たちが何気に手を繋いで

寄り添い合っているから、満足なのかも。



「・・・・・・でも、やっと・・・・・・

 根源に、辿り着けるかもしれない。

 これは、大きな一歩だよ。

 偶然とはいえ、君のお陰だねぇ。

 ありがとう。」


ふわりと、頬にキスされる。


実はこれ、普段よく日常的に、されている。

でも、何ていうか。今のは・・・・・・

いつもより、ドキドキするというか・・・・・・

“間”だから、なのかな。


見つめることしかできないでいると、

彼は満面の笑みを浮かべる。


「かわいい。」


「えっ、いや、いつも通りだしっ」


その、かわいいというのも、

口癖のように言われているのに。

何でだろう。


「“現”に戻ったら、忙しくなるなぁ。

 ・・・・・・でも、心依架がいてくれるから

 乗り切れそう。」


温かいハグも。

なぜか、いつもより、嬉しすぎる。


「・・・・・・愛してるよ。心依架。」



“愛してる”。


この言葉って、大抵の日本人は

口にすることを躊躇うだろう。


重い、とか、恥ずかしい、とか思って、

相手に伝えなかったり。

いろんな意味が籠められていて。

軽々しく伝えるものではないと、

心にブレーキをかけている。


それを、彼が口にするなんて。

言葉をくれる時が来るなんて。

予想も、心構えも、していなかった。



伝えられて分かった。



温かく優しいのに、自分の全てを

力強く包み込む波動。


隅々まで響いて、鳴り止まない。



少し、恥ずかしいけど。

自分も、伝えたい。



「・・・・・・心依架も、愛してる。白夜。」



頬が緩んでしまう。

同じく涙腺も。最近、

泣いてしまうことが多い。


彼がくれるものは、自分に強く響いている。



「・・・・・・ありがとう。」



いつも笑顔の彼だけど。


この時の微笑みは、特別だったと思う。


どこか申し訳なさそうで。

それが、本来の彼なんだと分かっている。


“百夜”ではなく、“白夜”と呼んだのも。

きっと、その方が嬉しいと思ったから。



彼は、自分自身の事を

受け入れていない。


いつか、それを。

話してくれる日が、来るといいな。



















                   *














包囲封鎖が解除された後の

世間の反応は、彼が懸念していた方へ

繋がっているのではと、

心依架は実感する。


一日経った今でも、話題は持ち切りだった。



“通り魔事件は誤報?

新種のウィルス発生を隠ぺいか?”


“М区の住人は困惑 差別化される恐れ”


“国の所有区域との関係が濃厚なのでは”


“正しく、詳しい情報を公開すべき”



様々な声が上がっている中、

内閣官房長官が緊急会見するという

予報もあった。午後2時からとの事である。

それに、注目が集まっている。



今朝は互いに、

日常通りの時間を過ごした。

白夜は、迎えに来た栞と仕事へ行き、

自分も無事に、

ISAMIベーカリーへ出勤している。


昨日の、イレギュラーな時間の余韻を

まだ、多く残したまま。


生命の瀬戸際というものに触れ、

自分の中で何かが変わった。


何気ない日常。

それが、どんなに有り難いのか。

一つ一つ、噛み締めている。



昨日あれからマンションへ帰って

家に着いた瞬間、ほっと息をついた。

落ち着ける場所があるって、

とても幸せな事なんだと思った。


安心したら、

お腹が空いている事に気がついて。

スムージーを飲み干した時は、

お腹いっぱいだったのに。

白夜も同じだったのか、

“待ちきれないねぇ。”と言って笑った。


ご飯を作って待ってくれる人がいる。

それって、すごく幸せな事なんだよね。


同棲するようになって、ほとんどの料理は

すすんで彼がしてくれている。

意外にとても上手で、美味しい。

自分の料理の腕は、まだまだだから・・・・・・

ガチで頑張りたい。

彼にも、幸せだと思ってもらいたいから。



包囲封鎖が解除されたのは、

着いてから約一時間後。

互いに、待ちきれない感じで

ママの所へ行った。


ママの笑顔が、とても優しくて。

日頃感謝しているけど、

伝えきれないくらいに溢れそうだった。

泣きそうになったけど、何とか堪えた。

笑顔で、返したかったから。


なじみ深い自分ちの朝ご飯は、

本当に嬉しくて。

程よく焼き目の付いたトーストに、

半熟のハムエッグ。ヨーグルト。旬の果物。

レタスとトマトのサラダには、

柑橘系のドレッシングが掛かっている。

そして、ママお手製のコンソメスープ。

これが、めっちゃ好き。しみた。


そして、即席で作ったと思われる

ひじきと枝豆の煮物があって。

これ、大好きなやつ。

自分も作れるようになりたい。


二人とも、がっつき気味だったから

ママは可笑しそうに笑ってた。

でも、とても嬉しそうに。


食べることって、生きることなんだって

改めて教えられた気がする。


“あたりまえ”のことが、

“あたりまえ”じゃないということも。


一つ一つ、噛み締めている。

















店のピーク時を過ぎて落ち着いた頃、

心依架は昼休憩に入った。

今日は客の引きが早かった為、

まだ午後1時を過ぎたばかりである。


「みぃ!お疲れさま!」


店の裏手に設置された

簡易テーブル一式の椅子に座った直後、

真世心が厨房からやってくる。


「まよごんも、お疲れさま。」


「今日は落ち着いてるから、パパが

 早めに休憩していいって。

 一緒に食べよ~!」



小麦粉が付いた作業服に身を包んだ

彼女はもう、立派なパン職人だと思う。


仕込みの手伝いばかりで、

彼女のパンが店頭に並ぶ事は

まだまだないけど。

いっぱい頑張って輝いている姿を

近くで見ていると、元気をもらえる。


いつかゼッタイ、実を結ぶと信じている。


「今日のまかないは、パニーニだよ~」


「やばっ。ちょー好き。」


真世心が持ってきたトレーの上には、

プロシュット(生ハム)とプロセスチーズ、

たっぷりめのレタスがサンドされた

ISAMIベーカリーの人気パンが二つ。

それと、乾いた喉に嬉しいレモンティー。


まかないに向かって心依架は、

きちんと手を合わせた。


「いつもありがとう。いただきます。」


「あははっ!えっ?そんな丁寧に?

 どしたの?」


「いつも、すっっっごく感謝してる。」


「あははっ!・・・こちらこそ、

 いつも頑張ってくれてありがと。

 勇家一同、とても感謝しております。」


笑いながら真世心は、対面して座ると

深々とお辞儀をする。


「まよごんの頑張りに比べたら。

 自分は、全然だよ。」


「何言ってんの。頑張るのって、

 比べられないでしょーが。」


互いに、グラスに入ったレモンティーを

手に取って、ゴクゴクと潤す。


「同棲生活、どうよ?」


「・・・・・・信じらんないくらい、

 めっっっちゃ楽しい。」


「うわ。幸せですオーラ、出まくってる。

 最近また、キレーになってるもんね。」


「・・・・・・えっ?」


「ダーリンに毎日愛でられて、そりゃあ

 キレーになりますよなぁ。」


「ちょ、いや、その・・・・・・」


「いい。隠せてない。正直すぎ。

 おめでとう。ごちそうさま。」


確かに、愛でられてる感は、すごくある。

第三者から言われると、何か

照れてしまうというか。


「いーなぁ。」


「ま、まよごんだって・・・・・・」


「あれ。言わなかったっけ?別れたって。」


「えっ、そうだったの?」


初耳だった。


「パンに没頭したいからごめんって、

 ウチから。それでもいいって

 言ってくれたんだけどさ、何か、

 そんなの相手に悪いじゃん?」


パニーニを頬張る彼女を眺めて、

自分も後に続く。


「・・・・・・それで、別れちゃったの?」


「自分じゃなくても、他にいい人

 いっぱいいるから。時間軸合ってる方が、

 彼も幸せだと思うし。」


パニーニのハーモニーが

口いっぱいに広がって幸せなのと、

真世心が遥かに大人の考えで

複雑なのとが、混じり合う。


「でもまだ、好きなんっしょ?」


「好きは好きだけど。距離感は、

 今が一番いいかも。」


「・・・・・・」


「あ。別に、寂しいとかはないんだから。

 今はホント、パンだけに

 没頭したいわけよ。」


没頭。

そういえば、彼も自分に没頭してると

・・・・・・言ってた気が。


「パンとイチャしてっから。」


「ぶっ」


「ガチだかんね。」


「いいかも。」


「みぃじゃないけど、毎日

 めっっっちゃ楽しいんだから。」


「うん。それが一番。」


「みぃも彼に没頭してるから、

 楽しいわけでありまして。」


「は、はい・・・・・・」


「あの頃が懐かしい。恋愛に興味ない的な

 あの、みぃが。ここまで。うん。

 自分は嬉しい。今だから言うけど、

 心配だったんだよ?

 寂しくて死にそうな感じで。」


「・・・・・・

 そんな風に、見えてたんだ。」


間違いは、ないけど。


「彼がホストっていうし、ガチめに

 マズいって思って。でも、

 すんごくいい彼だったっぽいし、

 みぃって男運いいわ~って。」


「・・・・・・あはは。」



―運が良かったのかは、置いといて。

 白夜じゃなくてホストが本業の彼だったら、

 今頃自分は破滅していたかもしれない。


 とにかく寂しくて。

 何かに没頭しなければと焦っていたような。

 でも、闇雲に踏み込むのは躊躇っていて。

 どうすることも、できなくて。


 そう考えると、あの時の自分は

 本当に危なかったのかも。

 寂しすぎて、病んで。

 こんな美味しいパニーニも、味わえずに。



あっという間に食べ終わった真世心は、

スマホを取り出して扱い出す。


「昨日はホント、大変だったね。」


レモンティーを含んでリセットし、

心依架は最後の一口を頬張って堪能する。


「・・・・・・うん。意外に解除が早かったから、

 良かったけど。」


「通り魔事件、デマだったっぽいじゃん?」


「・・・・・・」


自分の口からは、何も

言い出すことはできない。


「新種のウィルスとか、怖すぎ。」


「・・・・・・そう、だね。」



包囲封鎖が解除された後、М区全域の住人に

抑制剤が渡されていると聞いた。

その為、“新種のウィルス発生”説が

濃厚になってしまったらしい。



「でもさ、隔離する程のヤツじゃないって

 事でしょ?薬で何とかなるらしいし。」


「・・・・・・」


“抑制剤”というだけであって、

元を断つ方法ではない。


「午後2時から、お偉いさんが

 緊急会見するって言ってたね。

 ・・・・・・そこまで休憩時間、取れないっての。」


実のところ、見届けたい気持ちが強い。

でも、真世心が言うように

休憩時間を過ぎてしまう。


内容はニュースで流れるだろうから、

仕事が終わってから確認しよう。


「みぃと一緒にランチできて良かったぁ。

 お昼からも頑張れるわぁ。」


「ふふっ。自分も。」


「・・・あ!今度わたにぃのパンがついに、

 店頭デビューするみたい!

 それで今さ、新しいパンの試作してんの。」


「わっ。ついに、だね。」


「是非第一号を、

 みぃに食べてもらいたいって。」


「えっ、いいの?めっちゃ嬉しいけど。」


まよごん兄さんが作るパンって、

とても繊細で優しい味のものが多い。

試作を食べさせてもらう度に、

ふんわり癒されていた。



素直に喜ぶ心依架を見て、

真世心は小さく笑う。


「わたにぃ、何気に

 みぃのファンじゃないかな~って思う。」


「・・・・・・ファン?」


「手が届かないって分かっていて、

 幸せを願う、ファン。」


彼女の言い分に、ピンとくるものがなく

首を傾げるしかない。


「・・・・・・どういう事?」


「みぃは、アイドルみたいな存在って事。

 そんだけかわいいってことよ。

 じゃ、先に行くね~!」


「うわっ」


くしゃくしゃと自分の頭を撫でて、

厨房へと去っていく。


親友の例え話がよく分からないまま、心依架は

何も言葉を返さず見送った。


髪留めを外し、ボサボサになってしまった髪を

整えるように両手でまとめる。



楽しい時間が過ぎるのは早い。


午後2時になる、約10分前。

制服のポケットに収めていたスマホを

取り出して、確認する。


レモンティーを飲み干すと、立ち上がって

トレーを両手に持った。



―白夜は今、どうしてるかな。



彼が関わっているプロジェクトが、

その異例の緊急会見に

少なくとも関わりがあるのは分かる。


どんな内容で、伝えられるのか。

経緯を、ありのまま知らせるのだろうか。

“言葉にするのは難しい”、あの世界の事を。


そうだとしたら、どれだけの人が

受け入れられるのだろう。



連絡をしようと思ったが、それを止めた。


仕事が終わって、マンションに帰ったら

話を聞いてみよう。それまで、

いつも通り過ごそうと思った。



ざわつく心を、抑えながら。























寝返りを打つと、綺麗に染まった

緑色の髪が耳から零れた。

その拍子に、きめ細かく白い首筋が

露わになる。


ノースリーブシャツから出る両腕は

程よく引き締まり、その左上腕には

独特なタトゥーが刻まれていた。


長い睫毛が小さく揺れ、瞼が上がる。


しばらく彼女は、無機質な天井に

視線を定めたまま動かなかった。



コンコンコン。

軽めのノックが、ドアから響いた。



「俺や。起きとんか?」



自室で過ごす以外、片時も

この声が離れたことはない。


鬱陶しいと思う反面、

傍になければ苛立つし、落ち着かない。



寝起きという気だるさが

勝っていたのもあったが、彼女は

何の返事もしなかった。


鍵は、掛けられないようになっている。

だからわざわざ、断わらなくても

入ることは出来るのだ。

しかし毎回律儀に、この声の主は

ドアをノックして声を掛ける。


それが常識なのだろうが、

施設の者たちはともかく

自分との間で、

礼節を重んじる必要はあるのか。



「入るで。」



嫁になれとか、ふざけたことを言った割には

未だに踏み込んでこない。


腫れ物に触るような扱いを、

いつまで続けるつもりなのか。


その不満は、膨れ上がっている。



「何や。起きとんやないか。」


ベッドの上で身を起こして座る彼女を

彼は一瞥し、腕を組みながら

壁を背にして寄り掛かる。



その微妙な距離を保つ理由は、何なのか。



睨むように鋭い彼女の視線を、

彼は気づいているはずなのだが

合わせようとはしない。


「今日は早めに、調査へ出掛けてほしいと

 先生から言われとる。メシ食った後、

 すぐ準備するんや。」


「・・・・・・」


言葉を発さない彼女に対し、再び

ちらっと見ては、目を逸らす。


「何か、返事せぇ。」


「・・・・・・ダルい。行かない。」


「・・・・・・はぁ?」


そう言って背を向けて寝転がる

彼女の元へ、彼は近づく。


「何や、具合悪いんか?」


「・・・・・・」


「熱、あるんちゃうか?」



ごつごつした手が、額へ伸びた瞬間。



「おわっ?!」


彼女に手首を取られて

彼は引き込まれ、ベッドの上へ倒れ込んだ。


素早く上に乗られて抑え込まれ、

見上げることしかできなくなる。


「・・・・・・な、何や。どないしたんや?」


どないしたんや、じゃねーだろ。


「腑抜け。」


「はぁ?」


「欲しいものだけ与えとけば、従うとでも?」


「・・・・・・」


「うんざりなんだよ、そういうの。」


「・・・・・・よう分からんわ。

 一体、何言うとんの・・・・・・」


彼女は、ノースリーブシャツを脱ごうとする。


「やややや待ちぃっ!!」


それを、彼は慌てて両手で止める。


「どないしたんホンマ?!

 そういう冗談、あかんで?!」


見下ろす彼女の視線は、さらに

厳しいものになった。


「・・・・・・冗談に見えるわけ?」


「ホンマ、どないしたんや・・・・・・」


「部屋に入った時、

 そういう目で見てたんじゃないの?」


「い、いや、んなわけ・・・・・・」


「見たいんでしょ?」


「分かった。一旦、落ち着こか。」


「まさか、したこないとか

 言わないでしょうね?」


「はぁぁ?あるわ!当たり前やろ。」


「何で止めんの?」


「・・・・・・」


「大事にしたいんや~、とか抜かしたら

 全部脱いでやるけど。」


「・・・・・・」



彼には、躊躇う理由があった。


彼女の兄には、返しきれない恩がある。

そして、彼女を大切に想う気持ち。

それは、命を落とした『彼』の分まで

背負っている。


嫁にしたいと言ったのは、正直

咄嗟に出た言葉だった。

踏み留まらせる為、というのもあった。



―俺の性格は、ホンマめんどくさいわ。

 腑抜けと言われて、当然かもしれん。



ただ最近、ある思いが膨れ上がりつつある。


踏み込んでいいものか。

思いのままに、触れていいのか。


葛藤している。



黙り込んだ彼を、しばらく眺めた後

彼女は呆れたように息を漏らす。


「・・・・・・もういい。萎えた。」


上に乗っていた両足を外そうと

腰を上げた瞬間、ぐいっと

彼に腕を引っ張られて押し倒された。


今度は、彼が上に覆いかぶさる。


至近距離で視線を通わせるのは、

あの時以来なかった。


「・・・・・・あんさんの言う通り、

 大事にしたいのは、ホンマや。」


「あ、そう。」


彼女は完全に、萎えている。

しかし、彼の心には火がついていた。


「抑えつけたくないんや。」


「今の状態でそれ言うの、説得力ないけど。」


「あんさんは、気ままが一番ええ。」


「何が言いたいわけ?」


「・・・・・・あかん。思いつかへんわ。」



相手を喜ばせる、甘い言葉。


今まで生きてきた中で、彼が使う事は

一回もなかった。

頭の中で絞り込むが、見つからない。



「・・・・・・こういう時、

 何て言うたら喜ぶんや?」


終いには、彼女に聞くという選択肢を選ぶ。



「・・・・・・知らない。」


彼の熱い視線を真向に受けつつ、

答えを返す。



彼女もまた、甘い言葉を掛けられたり

褒められたりすることなく育って、

成人を迎えたという環境がある。


行動する事で生き抜いてきた二人には、

言葉が必要だと思う場面が無かったのだ。



「・・・・・・言葉、いらんか?」


「あんたの口から出る言葉、全部

 胡散臭いから。」


「ほぉ。流石や。分かっとる。」


彼女が投げる厳しい言葉は、

ほぼ正解だと思って笑ってしまう。


「萎えたって、言わなかった?どいてよ。」


「あんさんから出る言葉も、裏腹や。」


「・・・・・・」


そう。彼女も、素直ではない。


「分からせたるわ。」




二人が使う言葉は、生き抜くためのもの。


今、二人でいる空間で

それは必要ない。



これ以上、掛ける言葉も。






















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