2.約束
夕食が終わった後、ダイニングルームで椿はクラウディオに文字の読み書きを習っていた。
「勉強も良いけど、もう少しゆっくり過ごせばいいじゃないか」
そういうクラウディオに椿は首を横に振った。
「読みたい本があって………」
ここ最近の彼女の日課は読書であった。この別宅にも図書があり多くの本が収納されていた。ヴィルの邸宅にはないものもあり椿はその中でいくつか厳選して滞在中に読んでしまおうと考えていた。
「ヴィルに言えば君用に揃えてくれると思うよ」
「そんなことできません」
椿の中ではこういう書物は高価で手の届かないものという認識であった。確かに珍しいものもあり、間違えではなかった。
ここで触らせてもらえるだけでもありがたいのだ。
わざわざ自分用になどそろえる必要はないと椿は首を横に振った。
「真面目だなぁ」
クラウディオは椿の頭を撫でた。綺麗にそろえられた黒髪はさらさらとして手にここちよい。
「ありがとうございました。またわからない部分があったとき教えてください」
「うん、いいよ」
丁寧にお辞儀をする椿にクラウディオは穏やかにほほ笑んだ。
部屋へ戻ろうとするとヴィルヘルムと遭遇した。ヴィルヘルムは真剣な面持ちで椿に今後のことを話した。
「椿、明日は少し留守にする」
「どこかへ行かれるのですか?」
「ああ、少し仕事をしなければならない」
少女は首を傾げた。ここへは休暇で来たと思っていた。
「ああ、大したことではない。すぐに終わるものだ」
それさえ終えれば、後は好きなだけ休暇を満喫してよいと言われている。
「しかし、明日は俺もクラウディオもいない。ここで留守番をしておいてほしい」
供さえつければ町へ観光に出かけるのは良いが、椿の性格ではこの館の使用人にお願いなどしないだろう。縁の薄い土地でありあまり一人で出歩いてほしくなかった。
「わかりました。ヴィル様の留守をお守りします」
仕事を与えられたのだと椿は解釈し任せてくださいと声を張り上げた。
椿の表情に影が落とされヴィルヘルムはそっと彼女の頬に触れた。
「明後日、一緒に出掛けよう」
そう囁き椿の頬に口づけした。
瞬間、椿は顔を真っ赤にして後ずさった。
「なんだ、どうした?」
今までにない反応にヴィルヘルムは少し驚いた。近しい者にする挨拶のつもりだったのだが。
「いえ、その」
「時々、クラウディオがしているだろう」
「そうですが………」
はじめは動揺していたが、今はだいぶ慣れた方である。
何度かクラウディオが椿の頬にキスをするのを確認していたので、問題ないだろうと思っていた。
「その、………恥ずかしくて」
伏見がちに呟く少女にヴィルは呆れたように見つめた。
このようにキスをする習慣は彼女の国にはない。
時折する話から別れた夫とは彼女ずいぶんと距離をとっていたそうだ。
「驚かせてしまったな」
「いえ、その………お、おやすみなさい」
まだ頬が真っ赤な彼女はそう挨拶をし、自分の部屋へと小走りで去ってしまった。
その後姿を見送った後ヴィルはダイニングルームの入り口を見つめ顔を強張らせた。クラウディオの顔がそこからにょきっと出ていたのである。
「なんだ」
「いや、君もだいぶ椿に優しく接するようになったなぁと」
その言葉にはあ?とヴィルは怪訝に眉を潜めた。
自分がいつ彼女に冷たくしていたというのだ。
「いや、はじめの頃は本当に怖い顔で椿をみてて結構はらはらしていたんだ」
「そんなに俺は怖い顔をしていたのか」
「前から言っていたけど君って目つき悪いから気を付けないとそう見えちゃうよ」
それも素敵だと若い女性はときめいてくれているが。
ヴィルは面倒くさげにクラウディオを引きずるように自室へと連れて行った。そこには使用人に用意してもらったワインが置かれている。
「おや、これは」
栓が抜かれると同時に芳醇な香りにクラウディオは目をとろかせた。どこの国のものかわかるようだ。
「たまたま手に入ったものだ。懐かしいか」
彼の母国ユリウス国の酒である。
「まぁね」
グラスに注がれた赤い色にうっとりと見とれる。しばらく香りを楽しみ、ごくりと飲み干す。
「それで、使いが見つけたものは」
「うん、あったよ。密売の現場が」
それを聞きヴィルは眉を潜めた。
海外から法外のものが出入りするのは珍しくない。
そして官吏の目に届かないように国内で売買する。
本来ならば外交や貿易に関係した者の仕事であるが、売買しているものの内容はヴィルの専門内のものであった。
異端の者たち。
玩具として使用するのか、それとも番犬代わりにするのかは不明であるが金持ちの間では密かに人気があり高値で売られる。最近のデータからは特に東海のものが人気なのだという。
椿もその類で捕らえられていた。右も左もわからず、言葉もわからず与えられるのは苦痛のみの日々を強いられてきた。おまけに傷をすぐに治癒する能力を持つ魔女というだけで不老不死を求める者の餌食になっていただろう。
「今回は東海の者はいなかったよ。だいたいが北と南方のユリウス国よりずっと南の暗黒大陸がほとんどだ」
「どうせまたマジェリタ経由だろう」
ヴィルは頭を抱えた。
「明日取り押さえる。すでにここの者にも伝えてある」
フローエ夫人の館にも数名狩人が存在していた。彼らは普段は貴族の別邸の管理をしているが、異端関連の事件について調査していたのだ。
元々密売の件に関してはすでにフローエ夫人に報告がいっている。本部の者を指揮官として派遣させようと考え、そこで指名されたのがヴィルであったのだ。
「ヨハヒムの子たちでは心元ないから行ってくださらない。勿論、好きなだけ私の別邸を使っていいわ。丁度いいわ。あの子にもゆっくりさせてあげましょう。この前の事件で怖い思い指せたし観光を楽しませてあげたいわ」
任務とついでの観光なのだ。
任務を片付ければしばらくは好きなように滞在してよいと許可を得ているのでしっかり休暇をとらせてもらうが。
それに遠方に行く間、椿を館に置いていくのはどうも落ち着かない。ハンス・フランケンシュタインの事件ですっかり怯えていたため、傍にいてほしかった。
じぃとこちらを見つけてくるクラウディオの視線に気が付いた。
「なんだ。仕事の話は修了したから好きにしていいぞ」
「ねぇ、ヴィル。君は椿をどう思っている?」
「どうとは………」
「いやね。最近思うんだ。あの子の今後について」
それを聞きヴィルは嫌な気分になった。
帰ろうと思っても彼女の母国はすでに門戸を閉じてしまい入ることは困難になっている。
だが、一生帰れないというわけではない。無理だったとしても比較的に自分と同じ髪の色、肌の色をした国で静かに過ごすという選択肢もある。
「あの子は頑張り屋だよ。この短期間で十分会話が可能なくらい語学を身に着けている。客人という立場だけど、家のことも手伝おうとしてくれる」
一銭も持たない身でできることはその程度なのだと椿は笑っていたような気がする。
「生きた年月の割にあどけなく幼い部分もあるけど、あれは本当に外界との接触を遮断していた影響だろう」
何百と生きる不老の魔女であるが、外見は十五の少女のもので内面もそれに近いものであった。外見よりも幼く思える。
「そのうち熟していき良い貴婦人になるよ」
外の世界に触れて少しずつ成長していく様をクラウディオは間近でみてきた。元々身分ある姫であったというしときどきはっと目を見張るときがある。堂々とした立ち居振る舞い、柔和な笑みに目を奪われることがときどきあった。
それはヴィルヘルムも同様であった。
「そうだな」
「君、椿を娶りたいと思わないかい?」
ぶはっと飲みかけていたワインを吹き出してしまった。
汚いとクラウディオは眉をしかめた。
「なんで、そういう話になるんだ」
「んー。このままっていうのもね。今は侯爵があの子の身を保障してくれているけど、いつまでも客人扱いのままなのはどうかなと」
そこでクラウディオは考えていた。
「この国の貴族の君が彼女と結婚すれば彼女の身は安泰じゃないかな。大貴族の一員になれば」
「貴族の一員になるのがどれだけ大変だとおもっているんだ」
過去に平民から貴族の妻になった女性がいたが、精神を病んだという。それだけ心労が強いのだ平民から貴族になるというのは。
「良い案だと思うけど………故郷にいる父上と兄上が反対しそうなら侯爵とフローエ夫人に任せればいいし」
「椿の想いはどうするんだ」
「お、ということは君は別に娶ってもよいということだね」
にまにまと笑顔で尋ねてくる青年にヴィルは眉をぴくぴくと動かした。
「もう仕事の話は終わりだろう。今日は休むから出て行ってくれないか」
そう締めくくられクラウディオはやれやれと部屋を出ようとする。
「確かに色々苦難はあるだろうけど、俺としては結構良案だと思う」
「だからそれは」
「もし、君にそのつもりがないなら、俺が彼女をもらっちゃおうかな」
それでも別に構わない。普段の生活通りしていればいいので、ヴィルがいう苦難はだいぶ軽減されるだろう。
「………」
ヴィルは何も答えずクラウディオを見つめていた。その表情には先ほどまでのあきれ顔は認められなかった。
「じゃ、おやすみ」
にやっと笑ってクラウディオは手をひらひらさせて去った。
部屋で一人となったクラウディオは就寝する気も起きずに椅子にすわりぼんやりと考えていた。
先ほどのクラウディオの最後の言葉が頭の中で反芻する。選択のひとつとして今まで考えていなかった。だが、ひとつの形として提示されるとそれは何度も脳内で提示され答えに困っていた。ないとすぐに否定できればいいのだが、それができずにいる。それにしばらくヴィルヘルムは困窮していた。




