序.港町
ベルラント帝国の西部にヨハヒム海という美しい海原がみえる町があった。
ブラウペルレ港町。
古くから海外との商業都市として栄え、貴族の別荘も少なくない。貴族の滞在中に臨時に雇われることも町の者にとって大事な収入でもあった。
「返して!」
港町の隅で少年は泣きじゃくりながら大人たちの間を駆け回った。帰路の途中にごろつきどもに駄賃の袋を奪われてしまったのだ。
「それでパンを買うんだ。返して」
今日のバイトで稼いだもので大事な家族の食糧費であった。ここで奪われれば母も弟も今日は空腹の状態で夜を明かさなければならない。
「そうかそうか、ありがたく酒に使ってやるぜ」
ごろつきどもはにやにやと笑い袋の中の貨幣を確認していた。
「おー、頑張ったな」
「かえし」
「返してください」
にやにや笑うごろつきと少年の間に少女がすっと間に入った。
突然の登場に男たちはなんだなんだと首を傾げた。
すっぽりと大きめな婦人帽を被り顔がみえない。
「そのお金を返してあげてください」
たどたどしい口調ながらもはっきりと少女は男たちに言った。
男たちはその女の顔を覗き込み笑いだした。明らかに異国人の容貌で物珍しく感じた。
「なんだ? 俺に買って欲しいのかい?」
バターのかかった白い肌に綺麗な黒髪と黒い瞳は魅惑的であった。やや幼さを残す印象であるが、それでも好む男はいるだろう。
男たちは彼女を異国人の娼婦と勘違いしているようだった。
げひた笑いを続けながら男はいやらしく少女の手をとろうとする。
「おい、何をしている」
後ろから不機嫌そうな銀髪の青年が現れた。
「ヴィル様」
少女に呼ばれた青年ヴィルは上質な衣類を身につけ、明らかに上流階級の者だとわかる。じろりとヴィルは男たちを睨みつける。
ここで貴族に目をつけられれば厄介だと男たちは萎縮してしその場を立ち去った。
「あ、待って。返してあげて」
少女は男たちに呼びかけたが彼らは聞いていなかった。
「ごめんなさい」
少女は自分よりずっと幼い少年に声をかけた。少年は潤んだ瞳で下を向いていた。
二人の様子をみて事情を察したヴィルは大きくため息をついて少女の帽子を奪った。それを少年にかぶせる。
「それを明朝フローエ家の別荘に届けろ」
そういい少年にお金を持たせた。先ほど男から奪われた金額より多めで少年は驚いた。
「いいな。届けられなかったらその金は返してもらうぞ」
そういいヴィルは少女の手をとりその場を離れた。少年は帽子を脱いだ少女の姿をみてその珍しい姿にほうっと息をついた。美しい黒髪は風とともに揺れて美しいと感じた。
町中を歩きながら先ほどの少女・椿は青年の方を見つめた。
「あの………ありがとうございました」
「全く、クラウディオと一緒に店を覗いていたらはぐれるなんて」
またしても迷惑をかけてしまったようだ。
椿はしゅんとしてしまった。
フローエ夫人から別荘への招待状が贈られたのはハンスの事件から1か月経とうとした。
例の事件に椿を巻き込み怖い目に遭わせたことでいつかお詫びしたいとこのヨハヒム海岸の別荘への招待した。
ヨハヒム海岸。
近隣諸国との貿易が行われている港町があり、活気づいている。都市に比べると国外の文化が入り混じっており、珍しい肌の色の人もいれば旅芸者もいた。
珍しいものに椿は思わず見とれて一緒に町にでていたクラウディオとはぐれてしまったのだ。
「よかった。心配したんだよ」
クラウディオはヴィルヘルムと共に別荘へ戻った椿をみてぎゅっと抱きしめた。
「誘拐されたかと心配になった」
「申し訳ありません、クラウディオ様」
二人に迷惑をかけてしまったと感じた椿はしゅんとした。
「何もなくてよかったよ」
この町は一見長閑であるが、人を誘拐して国外へ連れ出そうとする者もいた。ヴィルヘルムもクラウディオも椿に再三気を付けるようにと注意した。
「まぁ、無事だったしよかったよ。それよりお腹空いたよね」
お腹ぺこぺこだとクラウディオは腹をさすった。そういえばと椿も空腹を訴えるようにお腹の音がなり頬を赤く染めた。
椿が戻った頃にすでに食事の準備は行われていた。
港町近辺なので、魚料理メインであった。味付けは異なるが、獣肉より魚肉の方がなじみがある椿は嬉しそうに頬ばっていた。
「椿は魚が好き?」
「はい。私の家も海の方面でしたので魚が食事によくでていました」
懐かしそうに椿はほほ笑んだ。人と接することは滅多になかったが、潮の音は耳に心地よくつい故郷を思い出してしまう。
「そうそう。東海の品物が置いてある店があったんだよ」
「本当ですか?」
「一緒に行こうと思ったら椿がいなくなったから、結局どんなのがあるかわからないけど………ええとなんだっけ。燈篭とか着物とか飾られていたよ」
行ってみる? と尋ねると椿はこくこくと頷いた。
それでは決まりだとクラウディオは笑って見せる。




