第十八話 勇者の休息
長い一日が、ようやく終わろうとしていた。
いや、実際の時間的には長くなんてなかったのかもしれねえけど、俺にはとてつもなく長く感じられる一日だった。
もしかしたら、初めてここに来た日よりも、体感時間的には長かったんじゃねえのか? 事実、身体のほうはあの日の何倍も疲れてるし。
で、そんな俺は現在、自室のベッドの中にいた。
夕飯も食い、風呂――じゃなかった、湯浴みも済ませ、あとは寝るまでのんびりしてていいっつー、なんとも気楽な状態だ。
ちなみに、怪我のほうはもう完治している。目を合わせてくれないのは変わらなかったが、アーロンさんに促されたエアリィが治癒の魔術で治してくれたんだ。
このあたりは腐っても――いや、頭に『バトル』がついても『シスター』ってところか。
と、そんなことを考えるでもなく思い浮かべていたら、部屋の扉がノックされた。
「あの、ホクトさま。少し、よろしいでしょうか?」
扉越しに聞こえてくる、控えめな声。
この声は――シャルか。
そもそも俺のことを『ホクトさま』なんて呼ぶ人間は、彼女くらいのものだしな。
「ああ、別にいいけど」
でも、あとはもう寝るだけっていう時間に、一体なんの用があって来たんだろうか。
少しして「失礼いたします」とシャルがその姿を見せる。
彼女の髪と同じ淡い桃色の寝巻きは、丈の長いワンピース。
腰まである長い髪は少しだけ湿っていて、彼女が歩く度に柔らかく揺れた。
当たり前のことだが、頭にティアラは乗せていない。
身を起こし、俺はシャルのほうに向く。
俺が寝っ転がったままじゃ、話だってしにくいだろう。
しかし、彼女はそれに首を傾げ、俺の隣に腰を下ろしてきた。
……おいおい、いくらなんでも無防備すぎやしないか? いや、この場合は無防御とでもいうべきだろうか。
ぶっちゃけてしまうが、俺は『据え膳食わぬは男の恥』って思ってるタイプの人間だ。
女の子とつきあえる機会があるならつきあうし、一緒に寝られる機会があるのなら寝たい。……もちろん、そんな機会はいままで一度たりともなかったわけだが。
だが、そんな俺でも、ここはさすがに注意を促しておく場面だろうと思った。
しかし、それとまったく同じタイミングでシャルが、
「あの、今日は本当にお疲れさまでした」
と頭を下げてきたので、喉元まで出かかっていた言葉をつい呑み込んでしまう。
代わりに口にしたのは、適当なあいづち。
それと彼女の労いに対する感謝の気持ちだ。
「あ、ああ。どういたしまして。……ところで、なんでシャルはこんな時間に俺の部屋なんかに? それを言うためだけにってわけでもないだろ?」
そこまで言って、ふと『用がないと、会いに来てはいけないのですか?』というベタな展開が脳裏をよぎった。
しかし、現実はそこまで甘くなく。
「いえ、今日は本当にお疲れになっただろうな、と思いましたから。……ご迷惑でしたでしょうか?」
「ああ、いや! 全然!!」
実際、迷惑ではなかった。
でも、この悶々とした衝動はどうしたものか。
あとはもう寝るだけのつもりだったんだぞ? 俺。
だから当然、ここは俺の自室なわけで。
腰かけてるのだって、俺のベッドだ。しかも隣には、同い年の美少女にしてこの国の皇女であるシャルまでいるときている。
このままじゃ、シャルが去ったあとにちょっとばかり『運動』しなきゃいけなくなりそうじゃないか。
いや、もういっそシャルも巻き込んで『運動』しちまうか? 彼女なら絶対に拒まないだろうし。
ほら、あれだよ、あれ。
模擬戦で頑張った自分にご褒美ってやつ。
大丈夫、相手はシャルなんだから拒否はされないって。
大体、俺の部屋に来たのは彼女のほうからなんだ。それも、こんな時間に。
だったら、そういう展開も予想……あるいは期待してるはずだろ。
うんうん、シャルにその気がまったくないなんてこと、いくらなんでもありえないって!
よし、俺の早とちりだった場合は『冗談だって』で流せるくらいに、軽~く誘ってみるか。
真理に告白したときは、滑稽極まりない振られ男になっちまったからな。
ああいうのは、もう絶対に勘弁だし。
と、俺がそこまで決意を固め、身体を熱くし始めたときだった。
「ご迷惑でなかったのならよかったです。それに、お元気そうで安心しました。様子を見に行って差し上げたほうがいいと助言してくれたエアリィには、本当に感謝ですね」
その一言。
そのたった一言で、けれど、俺の中にあった欲望は急速に醒めていった。
なんだ、エアリィに促されてのことだったのか。
シャルが自発的に思い立って、来てくれたわけじゃなかったのか。
その事実に、なぜか俺は空しさを覚えてしまう。
どっちであっても、嬉しくないってことはないはずなのに、だ。
「それと、ホクトさまがお疲れのようでしたら、癒してさしあげなさい、と。どうしたら癒せるのかが私にはよくわからないのですが、それはホクトさまが教えてくださるから、と。ホクトさまにすべて委ねればいいから、と」
「それも、エアリィが?」
「はい」
にっこりと微笑むシャル。
もしかしたら、主想いの臣下を持てて幸せだ、とか思っているのかもしれない。
けど、そういうけしかけ方をするのはやめろよな、エアリィ……。
危うく、なにも知らない無垢すぎるほど無垢なお姫さまに手を出すところだったじゃねえか。
……いや、エアリィを恨むのは筋違いか。
俺自身、一番大事で重要なことを忘れちまってたんだから。
そんな状態で、シャルを抱こうと思っちまったんだから。
冷静になれたいまなら、ちゃんとわかる。判断できる。
確かに俺は、『据え膳食わぬは男の恥』って思ってる人間だ。
ああ、そこを否定するようなことはしない。
でも、この場合は違う。
シャルっていう『据え膳』は、『国崎北斗』って男に向けて差し出されたものじゃない。
『セイヴァーであるホクト・クニサキ』の前に据えられたものなんだ。
だったら、『俺』がシャルに手を出していい道理はない。
ちゃんとシャルが、俺を『ホクト』っていう人間として好きになってくれて。
俺も、欲望とは別の感情をシャルに抱けるようになって。
お互いがそうなれたときにようやく、俺はシャルに手を出すことを許されるんだと思う。
と、なぜか妙にすっきりした心持ちになりながらそんなことを考えていたら、隣に座るシャルが唐突に問いかけてきた。……うう、やっぱりドキドキやムラムラはしちまうなあ、このシチュエーション。
「ふと思ったのですが、ホクトさま。わたくしの『救世主』として召喚されたのは、どうして他の誰でもなくホクトさまだったのでしょうね?」
わたくしの、か。
その言葉に俺は、ささやかな束縛感や独占欲めいたものを感じ、つい嬉しくなってしまった。
もちろん彼女自身には、そんな感情なんて微塵もないんだろうが。
さておき、シャルの疑問はかつての俺も抱いたものだ。
そして、他ならぬ創聖神に尋ねたものでもある。
「あー……。こう言うとアレかもしれねえが、創聖神が言うには、これといった理由なんてないんだそうだ。単なる偶然、俺とシャルの魔力の波長が、ぴったり合ったっつーだけで」
「ぴったり合った……ですか?」
「一応、運命を感じたっていい、とも言ってたけどな、あいつは」
うう、こんな答えを返されて、内心では落ち込んでたりしねえだろうな、シャル。
『運命』っつったって、取ってつけた感バリバリだからなあ……。
けど、そんな俺の心配は、無用のもののようだった。
だって、隣から聞こえてきた彼女の声は、とても弾んでいたのだから。
「それなら、運命なのでしょうね。魔力の波長が合う人間なんて、そうそういるものではありませんから」
「そういうものなのか?」
「はい、そういうものなのです。ですから、わたくしがホクトさまと出会えたのは運命。偶然を遥かに超えた、奇跡のようなものだと思うのです」
まあ、シャルがそう感じて、満足できて、機嫌よく笑えるのなら、それに越したことはないんだけどさ。
事実、確率的には奇跡のようなもんなんだろうし。
やがて、シャルは笑顔のままベッドから腰を上げ、俺に正対して頭を下げてきた。
「本当に、今日はお疲れさまでした。では、わたくしはもう自室に戻るといたしますね」
「あ、ああ」
「では、ホクトさま――」
「――っと、ちょい待ち!」
彼女の言葉を遮り、俺もベッドから立ちあがる。
ぶっちゃけ俺には、このエアリィのお膳立てを、余計なお世話って感じてる部分があった。
シャルが立ち去ったあと、俺は絶対に悶々とした衝動に襲われるだろう。
いや、マジで眠れないって! ベッドにはシャルの残り香だってあるんだからさあ!!
だから、エアリィと会って文句のひとつでも言ってやりたくなったのだ。
彼女とは、話しておきたいこともいくつかあったし。
ただ、命令の件で嫌われてるってんなら、エアリィは当然、俺に対して怒ってもいるだろう。
だから、どんな話をするにしても明日になってからのほうが……なんて考えてもいたんだが。
でも、いまならシャルのことを口実にして、強気に出られるんじゃないか?
大体、エアリィがシャルをそそのかしたせいで俺は悶々としてるんだ。
エアリィはその責任を取るべきだともいえるはず。
もちろん、それを命じる気はさらさらないけどさ。
ともあれ、そんなわけで俺は、シャルにエアリィの居場所を尋ねてみることにした。
知ってたらラッキー、くらいのつもりで、だ。
「エアリィですか? なんだか落ちつかない様子でしたから、たぶん空中庭園のほうにいるかと」
「空中庭園? 落ちつかないのと空中庭園って、なんの関係があるんだよ……」
「花を愛でていると落ちつくんですよ。そういう経験、ホクトさまにはありません?」
「う~ん……。ない、とは言わないけど」
それから俺たちは一緒に俺の部屋を出て、「よい夢を」と交わし合って別れた。
これに関しては、もうすっかり慣れちまったな。使い方が、日本でいうところの『お休みなさい』とまったく同じなものだから。
さて、それはそれとして空中庭園だ。最上階まで行って、謁見の間の近くにある階段から屋上へ行けば……。
――ん? あれって……。
空中庭園までの行き方を頭の中で描いていたら、赤い寝巻きに身を包んだカミラの姿が目に飛び込んできた。
しかし、俺に気づくやいなや、露骨に目を逸らして足音も荒く去っていってしまう。
い、一体なんだったんだ……?
ここは俺の部屋の近くなんだから、俺に会いたくないのなら来なきゃいいだけの話だろうに。
もし会いたくて来たんなら、シャルのように話のひとつもしていくだろうし。
会いには来たけど、話はしたくなかったってことか? おまけに、俺の顔を見ると同時に不機嫌になったような気もするし。
う~ん、女心は複雑怪奇ってところか……。
◆ ◆ ◆
謁見の間の近くにある階段を上り、屋上という名の空中庭園に出る。
果たして、そこにエアリィの姿はあった。
風に揺れているのは、栗色の髪と白い寝巻き。
湯浴みを終えたあとだからか、いつもの帽子は被っていなかった。
それにしても青いローブ姿のときもそうだが、本当に露出度が低いよなあ。
足首が見えるか見えないかってくらいの丈だもんなあ。
それはそれとして、どこか憂いを帯びた表情で髪を押さえているエアリィの姿は、やたら様になっていた。
いや、この場合は絵になってるっていうべきか?
寝巻き姿を見たのはこれが初めてってわけじゃないのに、なぜだか見とれてしまったし。
あー、こりゃアーロンさんに言われたことを変に意識しちまってるのかな、俺。
「――こんな夜更けにどうしました? ホクトさん」
「……っと、気づいてたのか」
苦笑しながら近づく俺に、エアリィはしれっと、
「気配を消してたわけでもなければ、階段を上ってくる音も聞こえましたからね」
隣に並び、俺は「なるほど」と呟く。
それから、俺のほうを見ようとしない彼女のほうを向き、
「……白か」
瞬間、額に衝撃。
次いで、なにかが地面に落ちるカランという音が聞こえ、隣に立つ少女にいきなり短剣を放たれたのか、と理解する。
だが、それに納得できるかといえば話は別だ。
「痛てえな! なんでそんなもん投げんだよ! いや、それ以前になんで持ち歩いてんだよ!?」
ついつい声を荒げてしまう俺。
それに、エアリィのほうも強い口調で返してくる。
「いざというときの備えです! それと模擬戦のときのあれは忘れてください! ホクトさん、デリカシーというものがないです!!」
模擬戦のときの……あれ?
俺に負けたあと、エアリィが泣いてたことか?
いやいや、どう考えても違うよな。
他に『……白か』で連想できることというと……あっ!
「勘違いだって! 俺は寝巻きの色のことを言ったんだ! ローブの裾のところから短剣投げるときに下着が見えてたのなんて、本当にいまのいままで忘れてたんだ!」
「言い方が、とてもとても紛らわしかったんですよ! 紛らわしいのは罪です!!」
そういうもんかね!?
……しかし、そうか。ちゃんと気にしてたのか。
よかった、そういう羞恥心はちゃんとあるんだな。いや、マジでよかった。
「あー……っと、それはそれとして、エアリィ」
「なんですか!?」
「や、そう怒るな」
まあ、怒るなってのは無理な話なんだろうけどさ。
俺はもう、嫌われるようなことをしちまってるわけだし。主に、模擬戦のときに。
ちょっとばかり落ち込んだ雰囲気が伝わっちまったんだろうか、ようやく俺のほうに顔を向け、エアリィがもう一度尋ねてきた。
「……それで、なんですか?」
「あ、ああ。一応、謝っとこうかと思ってな。模擬戦のときに『セイヴァーとして』命令したこととか、そのせいで『忠誠心』の技能がCランクに下がっちまったこととか……」
「なにかと思えば、そんなことですか。別にホクトさんが謝る必要はないですよ」
「必要ないってことはないだろ。俺がした命令を受け入れたせいで、女王さんに対する忠誠心が下がっちまったん――」
「だ・か・ら、その前提からして間違ってるんですってば。わたしはシャーリーンさまに忠誠を誓ってなんかいません」
「……はい?」
「わたしが忠誠を誓ったのはですね、この世でただひとり、シャル――シャルロットさまだけです。いえ、いまとなってはもう、シャルだけ『だった』と過去形で言うべきですね」
エアリィは、女王さんに忠誠心を抱いてない?
じゃあ、なんでエアリィの『忠誠心』のランクは一気に二段階も下がったんだ?
それに、どうして『シャルだけだった』って、過去形で言う必要が……?
疑問符だらけの俺の表情がそんなにも可笑しかったんだろうか、白いワンピースを身にまとったシスターの少女は小さく笑みをこぼし、先を続けた。
「種を明かしてしまえば、単純なことなんです。ホクトさんは、ひとりの人間に忠誠を誓うのと、二人の人間に忠誠心を抱くの、どちらが誠実だと思いますか?」
「そりゃあ、考えるまでもなく前者だが……」
「では、二人の人間に忠誠を誓っている状態は、不誠実だと思いますか? もちろん、その二人の志が同じものであるという前提の上で」
「不誠実、とまで言うつもりはないけど……。いやしかし、だからといって胸を張れることでもないような……」
俺がそう言うと、エアリィは我が意を得たり、と人差し指を立てた。
「つまりは、そういうことです。いくら志を同じくしている者たちであるとはいえ、二人の主に同時に仕えようというんですから、どうしたって『心』は分割されてしまう。
仮に、わたしの『心』の総量を……そうですね、十としましょうか。それが五と五の二つに分割された場合、ひとりの主に向けられる『心』は当然、五になります。
ほら、十だった『忠誠心』が五に下がったでしょう?」
「わかったような、わからねえような……。いやまあ、二股かけたから『忠誠心』のランクが下がっちまったってのは、俺にもわかったけどよ」
「二股とか言わないでくださいよ! ……まあ、間違ってはいませんけど。
ちなみに、その二人の主がくっついてくだされば、分割されているわたしの『心』――『忠誠心』のランクも元に戻ると思うんですよね。いえ、もしかしたらSに上がることだってあるかもしれません!」
「まあ、理屈の上ではそうなるのかもしれねえが。……ちなみに、エアリィがシャルの他に忠誠を誓ってる奴ってのは、一体誰なんだ? 『分割』って言ってんだから、当然、もうひとりいるんだよな?」
そこだけが心底疑問だったので訊いてみると、彼女はなぜか「なんでここまでの話の流れから読み取れないんですか……」と呆れたように呟いて、
「そんなの、ホクトさんに決まってるでしょう。わたしの『忠誠心』は、ホクトさんの命令を受け入れたと同時に大きく下がったんですから」
「――うえぇっ!?」
「……なんですか、その不満そうな声は」
「いや、別に不満とかはねえけどさ! なんつーか、意外すぎて! だってお前、俺のこと嫌ってるだろ!?」
「はい!? なんでホクトさんの中ではそんなことになってるんですか!? わたしにはそっちのほうが疑問ですよ!」
「いや、だってよ! 『セイヴァーとして』命令しちまったし、そのあとは全然目を合わせてくれなかったし!」
「あ、ああー、なるほど……。確かにあれは、勘違いされても文句言えない行動だったかもしれませんねー……。
で、でもでも! 泣きじゃくっちゃったあとに目を合わせるのって、けっこう勇気がいるものなんですよ!? お爺ちゃんもお爺ちゃんで、孫娘を頼む的なことを言い出しちゃってましたし! もう、わたしがどれだけ恥ずかしい思いをしたことか……!」
ああ、それはわからなくもない。
しかし、ということは……だ。
「俺、エアリィに嫌われてなかったのか? というか、命令のことも別に怒ってなかったり?」
「そんなの、当たり前じゃないですか……。言っておきますけど、わたし、怒ってる相手には当たり障りのない対応しかしないんですからね? そうやってやり過ごすといいますか」
なるほど、見た目からは怒ってるのか怒ってないのか判断できないタイプってことか。……厄介だな。
「ホクトさんの命令にしたって、確かに以前、『命じられれば表向きは従う』と言いはしましたが、どんなことにだって限度というものはありますからね。拒絶したいときは拒絶しますよ。
模擬戦のときのは、そうする必要性を感じなかったから大人しく従ったんです」
「なるほどな。――けど、お前が拒絶したい命令っていうと、どんなんなんだ? ……『俺に抱かれろ!』とか?」
「えっ!? いえ、それはっ……!」
あ、いまので思いだした。
俺がここに来た目的には、シャルをけしかけたエアリィに文句を言うってのもあったんだった。
あれ? じゃあ、いまのって割と俺の本心だったりするのか?
しかし、エアリィのほうにその気があるとは……はっきり言って、とても思えない。
怒りからなのか顔は真っ赤に染まっているし、目線だって逸らされたし。
似たようなリアクションは、真理と話していたときにも度々見たが、あれは怒りの感情からだと幼なじみ本人に明言されちまったからなあ。
エアリィのこの反応も、きっと真理のあれと同じものだろう。
そう判断し、俺はもうこれ以上、踏み込まないことにした。
勘違いから下手なことを口にして、罵詈雑言を叩きつけられちゃたまらねえし。
まして、いまの相手はエアリィだ。
怒ってるのか否かを、見た目からじゃ容易に判断できないエアリィなんだ。
君子危うきに近寄らず、ここは大人しく撤退すべきだ。
「悪りい、エアリィ。冗談が過ぎたな。そういうことを命令する気はねえから、機嫌は損ねねえでくれよ?」
「いえ、別に機嫌を損ねているわけでは、なくてですね……?」
耳まで真っ赤にしながら、そんなことをごにょごにょと呟くエアリィ。
俺はそれに軽く笑みを返して、早々にこの場から立ち去ることにする。
「いいって、無理しなくても。じゃあな、エアリィ」
「ですから、無理しているわけでも……。あ、いえ、ちょっとは無理してるのかもしれませんけど……。
……はあ、もういいです。ホクトさん、わたしももう自室に戻りますので、階段を下りるところまでは一緒に行きましょう?」
「ん? そうか? エアリィがいいなら、俺は大歓迎だけど」
一緒に行動しようとしてくれるってことは、少なくとも怒ってはいないってことなんだろうから。
そして俺とエアリィは、どちらからともなく階段のほうに目を向け、歩を進め始める。
そのとき、ぽつりと「だ、大歓迎ですか……」なんてエアリィが言っていたけど、それに関しては丁重に無視させていただくことにした。……変につついて悪い反応が返ってきたら、嫌だからな。
「……と、ホクトさん。すっかり言い忘れてしまっていましたけど、今日は本当にありがとうございました。わたしのことも、祖父のことも」
「えっと……どう、いたしまして?」
俺にしてやれたことなんて、アーロンさんに勝ったことだけだ。エアリィにされていた、『お願い』どおりに。
それはやって当然のことで、いまさら礼を言われるようなことじゃない。
そう思っていたもんだから、俺はつい疑問系で返してしまった。
それにくすくすと笑いをこぼすエアリィ。
「どうして疑問系なんですか。……でも、いまはいいです。わかってないのなら、それでも」
それもそれで心地いいから、とばかりに彼女は微笑む。
それは、いままでに俺が見たエアリィの、もっとも自然で、無防備な笑顔で。
ああ、この娘はこんなふうにも笑えるのか、なんて思いが、ふと胸をよぎった。
そして、その底意ない笑顔が彼女の祖父――アーロンさんのものと重なる。
無邪気で、含むところがなにもなくて、とても穏やかで。
だけど、エアリィは俺よりひとつ年下なだけの女の子だから、アーロンさんとは違うものだって感じてしまう。
可愛いなって。そんなことを、どうしても思っちまう。
それは、不純なんだろうか。汚れた感情なんだろうか。
可愛いなって。
アーロンさんに言われるまでもなく、この娘を守ってやりてえなって。
できることなら、他の男には渡したくねえなって。
そんな想いを、いつからか彼女に抱いちまってる、俺っていう存在は。
……不純だって言われるんなら、それでもいい。
ああ、別にかまわねえよ。
そう非難されるだけで、エアリィのこの笑顔を見ていられるんなら。
この娘の背負ってるもんを、ほんの少しだけであっても肩代わりしてやれるんなら。
ああ、不純な動機だってのは俺だって承知してんだ。
『エアリィの心からの笑顔』っていう『見返り』がほしいだけなんだってことも、わかってる。
でも、いいじゃねえかよ、それでも。
お互いが、笑い合えんならさ。
やがて、階段を下りきり。
俺とエアリィは、改めて向かい合った。
口にするのは、いつもの言葉。
でも今日は、心からそれを願って。
「じゃあな、エアリィ。……いい夢を」
「お休みなさい、ホクトさん。……よい夢を」
そうして二人、笑顔を交わし合う。
なぜだろう。
たった、それだけのことなのに。
心の距離が、いつもより近く感じられた。
もちろんそれは、俺の抱いた錯覚でしかなかったのかもしれねえけど。
それでも、エアリィも同じことを感じていてくれたら嬉しいなって。
そう、思わずにはいられない夜だった――。
かなり長くなってしまいましたが、ここに『女王さまの実力テスト』のエピローグ的エピソードをお届けします。
久しぶりの会話メイン回、いかがでしたでしょうか?
各キャラの心情に納得でき、すんなりと入り込めるような出来になっていれば幸いです。
しかし、エアリィが正ヒロインすぎますね、これ(苦笑)。
シャルも一応は行動を起こしているのですが、完全にエアリィに食われちゃってる感じです。
なによりも、ホクトからの感情が……。
頑張れ、メインヒロイン。
カミラに関しては、いまはどうやってもケンカ展開にしかならなさそうだったので、ああいう扱いにさせていただきました。
彼女に関しては、次の章で仲直り(?)イベントをちゃんとやりたいところです。
まあ、その前に幕間が二つと、ノクターンで書いている『闘技場~囚われの性少女~』を書くつもりでいるわけですが(苦笑)。
ともあれ、これにてひと段落。
このあとは幕間を二つ書いて『女王さまの実力テスト』は閉幕となります。
では、また次回。




