第十二話 救世主としての命令
裂けた青いローブからは、エアリィの綺麗な肌が覗いていた。
もちろん、俺が正気を取り戻せたのはそれが理由ってわけじゃない。
でもきっと、一因ではあったんだろう。
たったいま、俺はエアリィを殺すつもりで――正確には、殺しちまってもいいやってくらいの軽い気持ちで、彼女に本気で斬りかかった。
ギリギリのところでエアリィがかわしてくれたからよかったものの、本当に危ういところだった。
俺の手で、親しい人間を――エアリィを殺しちまうかもしれないところだったんだ。
俺の手の中にある、『恐怖を喰らう剣』のせいだ。
もちろん、これのせいばかりにするつもりはない。
けど、これのせいで、俺の中からは人を殺すってことへの『恐れ』がなくなっちまってた。
俺がやりたいか、やりたくないか、そのどちらを望むかだけに、選択が委ねられてしまった。
望めばやっちまえるんだって事実に、酔っちまったんだ。
この剣は、危険だ。
呪われてこそいないが、『斬る』っていう行為のリミットがひとつ、簡単に外れちまう。
良心、あるいは理性ってもんをちゃんと持ってないと、ただの人殺しになっちまいかねない。
俺の場合は、高い能力が経験に根ざしてない状態で手に入っちまってるから、なおさらだ。
正常な感覚が戻ってくるにつれ、そういえば、なんでエアリィは俺の一撃をかわすことができたんだろう、なんて疑問が湧きあがってきた。
そして思わず、呟くように口に出してしまう。
「よく……かわせたな」
「おそらくは、『見切り』の効果でしょうね。本当にきわどいところでした。……もう一度やれと言われても、同じように避けられるとは思えません」
にこりともせずに、彼女はそう返してくる。
「そこまで、きわどかったのか……。……いや、待てよ?」
しかし、エアリィの言葉には引っかかるものがあった。
いや、別に彼女の言ってることがおかしいってわけじゃない。
そうじゃなくて……
「じゃあ、なんでアリシアとの戦いのときは、駄目だったんだ?」
「――はい?」
「ほら、あれだ。『不屈の精神』。精神的に追い詰められると、ランクの差を無視して攻撃を当てられるようになるっていう技能。あのとき、俺は『槍に当たりたくない』って当然のように思ってた」
「それは、そうでしょうね……」
「そしていま、あまり言いたくはないが……俺は確かに『当たれ』って思いながらお前に斬りかかった。で、『創聖神の加護』ってのは、言い換えれば俺の望みを現実に反映させるっていう技能だ。
だから、俺が『当たれ』って思いながら振った剣を、お前がかわせるのはおかしくないか?」
そんな問いかけに、エアリィはしばしうつむいて、
「……ホクトさんに迷いがあった、という可能性は?」
「悪いが……それはない。殺してやるとまでは思わなかったものの、戦いを続けられない状態にしてやる、くらいは考えてたからな」
バツが悪くなり、俺は彼女から目を逸らした。
エアリィはそれが目に入っているのかいないのか、思案顔で沈黙してから、
「となると、結論はひとつですね。……『創聖神の加護』は絶対ではない」
「ああ、確かに『穴』があるよな。不意打ちには対応が難しい、とか」
「いえ、そういう類のことではなく。人間が保有している技能である以上、人間の意志や努力によって無効化できる可能性があるのでは、という意味です」
あー、なるほど。そっちか。
俺の『創聖神の加護』を、エアリィの『見切り』が上回った、その絶対性を無効化した、と。
「でもよ、そうなると『不屈の精神』のことはどうなるんだ?」
「そこはそれ、『可能性がある』というだけの話ですから。そもそも、アリシアさんが本当に追い詰められていたのかなんて、彼女にしかわからないことですし」
「なるほど、確かにそうだ。――あ、そうだ。なあ、エアリィ」
あくまでも、気安い口調で。
俺は紫色の刀身を持つ剣をエアリィの首筋へと当てる。
もちろん、そのまま彼女を斬るなんてことは考えてないが。
「斬るつもりがないのにこんなことをしても、わたしには無意味ですよ?」
「そうだろうな。怯えて降参なんて、してくれないよな」
「当然です」
だから、たとえエアリィに嫌われることになろうとも、もう、こうするしかないわけで。
「そこで、だ。『セイヴァーとして』頼む。……いや、命令する。それも、二つほど」
驚きに、なのだろう、エアリィが目を大きく見開いた。
まあ、このあと確実に嫌われることになるんだろうが、それでも。
殺しちまうのに比べれば、こっちのほうがずっといいよな、絶対に。
「……どういうつもりです? ホクトさん」
「いや、どういうつもりもなにも……。それで、まずひとつ目。もう降参してくれ、頼むから」
「命令なのに『頼むから』っていうのも、どうなんですかね……」
呆れたように呟きながら、彼女は困ったような目を女王さまのほうへと向ける。
女王さまは女王さまで嘆息し、
「ホクトさまの命令では仕方ありません。降参なさい、エアリィ」
「……承知しました。――というわけでホクトさん、わたしの負けです。なので、もう剣を下ろしてもらえませんか? 首のところが冷たくて冷たくて」
それに俺は「ああ、わかった」と剣を下げて。
「さて、『セイヴァーとしての命令』、二つ目だ」
「わたしを降参させることには成功したのに、一体、他になにがあるっていうんですか……」
「さっき、なにか言いかけてたろ? 『わたしは……』ってさ。あれ、なんて言おうとしてたんだ?」
「……っ! あ、あれは……!」
「あれは?」
「あ、れは……」
一度目の命令のときよりも困った表情で、エアリィは女王さまのほうを見やった。
ふむ、女王さまになにか口止めでもされてるんだろうか。
女王さまのほうも、さっきより深いため息をついているし。
やがて、女王さまが諦めたように首を横に振り、俺の命令に従うようにと、その表情だけで促した。
それを受け、彼女は俺に視線を戻す。
「えっと、その、わたしは……」
「わたしは?」
「わたしは……必要とあらば、ホクトさんの手で殺されるよう命じられているんですから、と。
あのときは思わず、そう、言いそうになってしまったんです……」
「なっ……!?」
なんだよ、それ……!
そんなことをあの女王さまは――いや、『さま』づけなんかしてられるか!
あの女王さんは、エアリィに命じたっていうのかよ!
戦いの前に、女王さんがエアリィへとかけていた言葉を思いだす。
――悔いの残らぬよう全力で戦いなさい、エアリィ。これがあなたの最後の戦いとなるかもしれないのですから。
あのときは意味がよくわからなかったけど、あれは、そういう……!
「最初は、必要ないだろうと思っていたんですけどね。でも、アリシアさんとの模擬戦を見ていた限りだと、パラメーターは高いのに実戦経験は皆無のようでしたから。
なので、ここはひとつ、ホクトさんを挑発して軽く斬られるくらいはしなくちゃ駄目かなって」
「でも、それだけじゃないよな? それだけじゃ、あそこまでヤケにはならないよな?」
「ええ。……知らなかったんですよ、『創聖神の加護』の効果が、どれほどのものなのか。まさか『ホクトさんの望むとおりのことが起きる』なんて、そんな反則的なレベルの技能だったなんて……」
なるほど。
なんとなくだけど、これで合点がいった。
女王さんから命令を受けていたとはいっても、エアリィは最初、そこまでする必要はないだろうと思っていた。
けれど、俺に実戦経験がまったくないと見抜くやいなや、浅く斬られる覚悟を決めた。
だが、俺は『創聖神の加護』を持っている。
俺が望めば、『見切り』を使ったところで避けるなんてできっこない。
俺が思い描くとおりに、エアリィは斬られることになる。
もちろん、現実にはかわすことができたわけだけど、それはあのときの彼女には知りえないことだ。
『望むとおりのことが起きる』なんて聞かされて、エアリィはどれだけ怖かっただろう。
「だから、らしくもなくヤケになって、余裕を失っていたのか……。どうあっても自分はここで死ぬんだって思って」
「はい。アリシアさんのように降参することは、禁じられていましたから」
少し身体を震わせながら、エアリィは女王さんのほうに顔を向けた。
それに女王さんが返したのは、やはり嘆息。
「他でもないホクトさまの命令だったのです。エアリィ、あなたが降参したことを責めるつもりはありませんよ」
責めるつもりはない、だって?
違うだろ! ここはエアリィに謝るところだろ!
頭を下げろとまでは言わないけど、酷い命令をしてすまなかったって、謝るところだろうがよ!
「――おい、女王さん」
「なんでしょうか、ホクトさま。そんな低い声を出して」
「謝れよ。エアリィに」
女王さんは、なにを言ってるのかわからない、とでも言いたげな表情を浮かべてから、
「それも『セイヴァーとしてのご命令』でしょうか? でしたら、謹んで従わせていただきますが」
「違う! 『セイヴァーとしての命令』かどうかなんて関係ない! 謝るべきときには謝る! それは、人として当然のことだろ!」
大体、『命令されたから謝る』じゃ意味ないだろ!
そんな謝罪には心が――誠意ってもんが込められてないじゃないか!
「謝るべきときには謝るのが当然、ですか。なるほど、確かにそのとおりですね。しかし、ホクトさま。お言葉を返すようで恐縮ですが、今回、私はエアリィになにを詫びねばならないのでしょうか?」
「なにをって、そんなの決ま――」
「なにかを得るためには、なにかを失わなければなりません。この国が『救世主』を得ようというのなら、代償としてなにかを支払わなければならない。血を流さずして、犠牲を払わずして、前に進むことはできません。
私はただ、エアリィに犠牲になるよう命じたまでです。シャルロットが治めることになるであろう、この国の、決して遠くはない未来のために。それが、責められるべきことなのですか?」
「……っ! うるさい! エアリィはまだ十六歳の女の子なんだぞ! そりゃ、そうは思えないくらいしっかりしてるけど、それでも、この場にいる誰よりも幼いんじゃないのか!?」
「年若い娘であれば、犠牲となるのを免れるとでも? 失礼ですがホクトさま、あなたは政の惨さを、汚さをあまりにも知らなさすぎます。
犠牲とは、本来ならば『運命』とでも呼ぶべきものに要求されるものです。私はそれを、要求される前に先んじて支払おうとしたにすぎません。最小の犠牲で最大の利益を得られるように、と。
いいですか? 臣下に『ここで死ぬように』と命じられぬようでは、女王など到底務まらないのですよ」
確かに、俺は甘っちょろい小僧だ。
つい最近まで日本で暮らしてた、なにも知らないガキんちょだ。
でも、自分を信じてついてきてくれた人に『死ね』と命じるのが正しいことだなんて、絶対に思えない。
「それと、ホクトさま。あなたとて私とそう立場は変わらないのですよ? 『救世主』として臣民を導いていく限り、なにかを切り捨てなければ進めなくなるときというものが必ず訪れます。
そも、あなたはエアリィのことばかり口にしていますが、その前にあなたと戦ったアリシアのことはどうなるのです?」
「……どういうことだよ?」
「あなたにその意志があれば、あなたが斬ったのが槍ではなく彼女の身体であれば、アリシアは死んでいたのですよ? 命を捨てる覚悟で戦っていたのは、アリシアもエアリィも同じだったのです。
なのになぜ、ホクトさまはエアリィだけを特別に扱おうとするのですか? なぜ、そのような扱いができるのですか?」
それは、俺も一度は思ったことだ。
エアリィに斬りつけようとする前。
彼女との戦いを、少しでも早く終わらせたいと思ったときに。
確かに、思った。
アリシアもエアリィも、万一のときの覚悟はしてるんだって。
だから俺は、仮に殺してしまっても罪悪感を覚える必要なんてないんだ、なんてことを考えちまって……。
けど……!
「エアリィは降参するのを禁じられてたんだろ! でもアリシアは違った! 体術の技能も持ってたんだから、一応は戦えたのに……それでも、あいつは槍を失った段階で早々に負けを認めたじゃないか!」
降参できるか、できないか。
万一のときの覚悟をしていたのは同じでも、その前提が違う以上、アリシアとエアリィが同じ条件下に立たされていたとはいえないはずだ!
「それは、二人の役目の違いとしか言いようがありませんね」
「役目の違い、だって?」
「ええ。アリシアはあなたの実力及び実戦経験の有無を確かめるために用意した相手でした。
対して二番手であるエアリィの役目は、『明らかに戦闘慣れしていなさそうな少女を相手にしたとき、ホクトさまはどう対応するのか』を見定めること。自分よりも弱そうな人間を見ると加虐心を剥き出しにする、というタイプの人間は決して少なくありませんからね。
もちろん、ホクトさまは人を斬ったことがなさそうでしたから、そのあたりも彼女で経験してもらえれば、とも思ってはいましたが」
よく言う。
人斬りどころか、殺人すら経験させようと企んでやがったくせに。
「それで、これでもまだ私はエアリィに――エアリィ対してだけに謝るべきなのでしょうか? 彼女に謝れというのなら、これまで犠牲にしてきたすべての民にも謝るべきなのでは?
そして、それにどれだけの時間を割けば、ホクトさまは満足してくださるのですか?」
「……もういい」
俺と女王さんは、見ているものが違う。
見ているところ、価値観ってものがあまりにも違いすぎる。
いまの会話で、それがよくわかった。
いや、それともうひとつ。
俺はこの女王さんのことを、絶対好きになれないだろうってことも。
女王さんは済ました表情で「そうですか」と口にし、アーロンさんのほうへと目を向けた。
「では、模擬戦の第三戦を行うといたしましょう」
「あ、それはちょっと待った!」
そう女王さんを制止し、俺はエアリィのほうへと向き直る。
彼女にも、言っておきたいことはあるんだ。
「あの、ホクトさん……?」
「……エアリィ。――ちょっと、歯ぁ食いしばれ?」
「は、はい!?」
「いいからいいから。ほら、早く」
真顔で、しかし強気に促す俺。
それに気圧されたのか、エアリィがあたふたとし始める。
「あ、あの!? ちょっと、一体どういうことですか!? さっきは『エアリィはまだ十六歳の女の子』とか言ってたのに、その『十六歳の女の子』の顔に一体なにをする気なんですか!?」
「い・い・か・ら」
「は、はいぃ~~~」
情けない声を漏らし、ぐっと口許に力を入れるエアリィ。
それだけじゃなく、ぎゅっと両の目も閉じられている。
それを確認してから、俺は。
平手のまま、右手を思いっきり高く振り上げて――。
――ぺちん、と。
彼女の頬に、一発だけ。
軽い、本当に軽い、そっと触れるような平手打ちを食らわせた。
ちなみに、触れたエアリィの頬の柔らかさに、少しなんてもんじゃなくドキドキしてしまったりもしたのだけれど。
それはまあ、ここだけの秘密ということで。
これにて、エアリィ戦はひとまず決着です。
まあ、まだ全部は解決していませんが。
そして、女王さまがついに本性(?)を表しました。
女王様は嫌われ役として出したので、ここでは大いに嫌いになってほしいところです。
や、別に悪人ってわけじゃないんですけどね、シャーリーンも。
それでは、また次回。




