第三幕 畜生叫ぶ
「ケロッ。それはないです」
「フフ。確かにないね」
んなもん知るか。ジャージの何が悪い。
日曜日、俺たちは学園の近くにある駅前に集合していた。
目的は勿論例の展覧会とやらである。
「ジャージにマフラーというのは意外とキツいんだね」
「これくらい、沖縄では普通だ」
「ケロロ。ここは沖縄じゃないですし」
「私服を買うくらいのお小遣いは貰っているだろうに」
確かに、俺達元畜生組は、毎月定額の支給がある。ある……が。
「あんなん、もらった日には殆ど消える」
「ケロ。一体何に使ってるのです?」
「ゲームとか、漫画とか、あとは科学大全とかは結構高かったなぁ……」
「宵越しの金は持たないってことか。そんなので、九割消えるってどれだけ買ってるのやら」
「うるせえよ。俺がどんな風に金を使おうが俺の勝手だろうがよ」
「ケロロ。まるっきりダメ人間の発言です!?」
「誰がダメ人間だ!」
なんでジャージって着ただけで、ここまで言われにゃならんのじゃ。
「これはちょっと展覧会に行く前に、ショッピングをしないとね」
「別にんなもん必要ねえだろうがよ!」
「ケロロ。ダメです。一緒にいる私達が恥ずかしいです」
「……胃袋、お前意外とそういうのハッキリ言うのな」
「じゃ、レッツショッピング!」
そんな無駄にテンションの高い言葉と共に、俺らは電車で10分程の場所にある巨大ショッピングモールにやってきた。
正直服というものはよくわからん。興味もない。だから、どこへ行って、何を買えばいいのかまるでわからん。
「やっぱり、全体的に肌が黒いからこういうのが似合うんじゃないのかな?」
「ケロロ、でも目つきが悪いのでこういうのも良さそうです」
なにやら、ブツブツ言いながら俺に服を当てていく。目つきが悪いは余計だクソ胃袋。
「おい。なんでもいいが、俺に金は無いぞ?」
「その点はご心配なく。ボクが貸してあげるよ」
…………てことは何か?
俺はこのナメクジに借りを作るってことが?
「やっぱ帰る!」
あれからあの『呪い』の声は一度も聞こえてこない。
つまり、展覧会に行かなければ、俺という尊い命を破壊するというわけではないのだ。
「それは」
「ダメです。ケロ」
…………何? その目力? 俺よりも余程目つき悪くね? てめェらそんなキャラじゃなかったよな?
「……これは?」
胃袋になんか全身桃色のタイツを着せられる。
「ケロ。「そうです。私が変なおじさんです」と言って──」
「潰すぞ?」
「お前は何、ズボンにハサミを入れようとしている?」
既に会計を済ませたらしいズボンに向かって大きなハサミを向けるナメクジ。
「フフ。こうやってボロボロにするのが、流行のファッションというヤツなんだ」
「いや、寒いからやめろ」
「いいからいいから」
よくねえよ。足が冷えたら結構死ねるんだぞ? ……つかお前、
「……どこにハサミを入れようとしている?」
「知らないのかい? よく人間は何故か装甲が少なく肌色成分の大きな鎧で、防御力や格好良さをアピールするんだ。その理論を応用して、股間部分にパンツごと大きな穴を開けて、急所を大きく露出させることで逆に格好良さを──」
「ふざけんな!!」
──結局、俺は全体的にゴワゴワとした服を着せられていた。上着がどんな名前のものかさえわからんが、ジャージに比べると動きにくいこと限りなし。
「まぁ、及第点だね」
「てめェが選んだんだろうがよ」
「マフラーさえ取れば合格なんだけどね」
「寒いだろうがよ!」
「もう四月も半ばだよ?」
それがどうした? 俺は七月や八月だろうとマフラーを外す気はない。最早それはポリシーと言っても過言ではない。
「ケロロ」
「なんだよ、お前も文句か?」
「ケロ? 違いますよ。ミーくん、とってもかっこよくなってます。ケロッ」
「………………………ちっ」
俺は思わずカエルから目を背ける。
くそっ。なんだよ。
「服も終わったんだから、とっとと行くぞ!」
そんなに悪い気はしなかった。
あれから、『人助け部』には三人ほどの客が来た。
ネコ、サンマにブタ。
相談内容だって様々だった。
金の価値がわからん、剣道をマスターしたい。罵ってほしいなんて言われた日には、すっげえ帰りたくなった。ずっと言ってるが、俺は本来帰宅部向きなのだ。
それらを一々解決したり、解決? したり、殴り飛ばしたりするこの一週間は……ムカつくほどに充実してた。
胃袋はいつもオロオロで、時折ドロップキックをぶちかましたり、緑色になって胃袋を吐き出したりした。
ナメクジはいっつも本を読みながら、面倒ごとは全て俺達(実質俺だけ)に押し付けた。
パッと見、こいつらいらねぇんじゃねえかとも思うが、ブタ以外は俺だけじゃ、絶対に解決できないものばかりだった。
俺達はなんだかんだでいいトリオになってきているのかもしれない。
「こんな生き方もありなのかな」
そんなことを呟いた時には、思わず自分の言葉を疑ったが、……まあそんなもんかもしれない。
さて、何故今こんな話をしたかと言うと、俺は馬鹿なことにすっかり忘れていたのだ。
俺が生きているのは人間の世界。
だから、人間の相手をしてきたのだと思っていた。
違う。
俺はゴリラやオバちゃんなんかを除けば、結局のところ、人間もどきの『元』畜生としか触れ合ってはいないのだ。
俺は人間について何もわかってはいなかった。
人間の『悪意』について、まるで何もわかってはいなかったのだ。
「────」
俺は大きく目を開く。
何だよ、これ。
──一時間前。
場所は閲覧会会場。当然であるが、沖縄出身だからと言って、沖縄について全てを知っているわけではない。というか沖縄にいた頃はもっぱら草をかき分けることくらいしかしてなかった俺からしてみりゃ、ここにあるほぼ全てのものが、初めて目にするものであった。知っているものなんで星の砂くらいである。……あれチクチクして痛ェんだよ。
まあ、芸術関係に疎い俺にとっては、シーサー? とかいうものよりも、黒砂糖やサーターアンダギー、沖縄そばばかりに目が奪われていた。
「ケロ。全体的に脂っこいけど、美味しいです」
「フフ。あんまり食べたら太ってしまいそうだね」
「そのまま動けなくなってくれたら万々歳だ」
俺はラフテーとかいうブタの肉を煮た物を見る。……今週はブタが酷かった。あのブタ、合計十回くらい来てたからな。……一日二回以上だ。
俺は複雑な気分になりながら、フォークで肉片を突き刺──
「アフン」
「…………………」
肉片を突き──
「ウッフン」
「………………………………………………ふぅ」
俺はゆっくりとフォークを起き、席を立つ。
「ケロ? ミーくんどうした…………ケロ!?」
「いやな。ちょっと、調理室を…………燃やしてくる」
「ケロロ!? ミーくんの目が殺気に満ちています」
あはははははははははは。何を言ってんだろうなこの胃袋は。
「ケロッ! 行かないで!」
ええい。離せ! 変なところ掴むな!
「次はどこへ行こうか」
「ヌーちゃんスルーケロ!?」
というか、このナメクジ、なんで分厚い小説を読みながら美術鑑賞なんざしてるんだよ? 普通不可能だろ?
「この三味線展示会というのが展覧会の目玉らしいね」
「……三味線」
「ケロロ、ミーくん三味線知ってるんですか?」
「知らん」
見たことも食ったこともない。
「フフ。弦楽器のようなものだと記憶しているよ。演奏というよりも歌と合わせることが多い楽器だね」
「弦楽器?」
「ケロロ。知ってます。バイオリンやギターみたいな弦という紐のついてる楽器ですよね」
「流石ケロちゃん」
ナメクジが本から目を離さず、胃袋にいい子いい子する。ここまで、慈しみを感じないいい子いい子も珍しい。
「食いもんじゃないのか」
途端に興味が無くなる。
そりゃ、音楽マニアの胃袋や、……よくわからんマニアのナメクジは楽しかろうが、俺からしてみたらどうでもいい。
「ケロケロ。きっと、楽しいですよ? なんでも、時価一億の三味線が出てくるとか」
「はっ。一億ねぇ」
ネコの件でかなり金銭感覚が麻痺した俺からするとなんだかなぁ。
一億という数字自体、アボガドロ定数と比べたらカスみたいな数字だ。
「まあ、行くだけ行ってみるか」
「…………なんだよ、これ」
三味線と呼ばれる弦楽器。沖縄では三線とも呼ばれるそれは、他の弦楽器とは違い、その名の通り弦が三本しかないことが大きな特徴の一つである。
だが、更にもう一つ他の弦楽器とは違うところがあった。
「この三線と呼ばれるものは、他の弦楽器とは異なり、見た目も強く意識して作られています。多くは犬の皮、高級な物ですと猫やニシキヘビの皮となりますが、今回この三線に使われているのは」
ナレーションが言った。
「ハブの皮です」
「………………」
ああ。あ……。
「本来ハブ自身は細く、このように加工するのには適しませんが、今回お見せしたこの三線は、ハブ博士と呼ばれる山城海さんが、長年の研究の末にようやく発見した、突然変異の、大きく、そして何よりも美しいハブを使用しております。それでは、山城海さんに起こしいただきましょう」
「ケ、ケロ? ミーくん?」
「何だか顔色が酷いよ?」
ああ……ああ。
出てきた男は……。
男は……。
「失礼します」
『素晴らしい色のヘビじゃないか』
あいつだった。
「──こいつを初めて見たとき、ピーンと来ましてね」
「そうなんですか。さて。実は山城さんは、ハブ博士であると同時に、三線名人でもあるのです」
「いやいや。名人だなんて、そんな。ただ、人よりも多少多くの賞をいただいているだけです」
「その三線名人であられる山城さんに、今回、このハブの皮で飾り付けられた、宇宙で最も美しい三線を披露していただきたいと思います。ではお願いできますか?」
「はい。こんな私で良ければ喜んで」
そう言って男は、三線……いや、あいつに手を伸ばそうとした。
………………ざけんな。
「その汚い手をそいつに近づけんじゃねぇえええええええええええ!」
「む?」「な、なんですか君は!?」
「ケロロ!?」「ミーくん!?」
一瞬静まる会場。
「てめェ、そいつに指一本でも触れてみやがれ。俺がお前を八つ裂きにしてやる」
「君は一体何だね? ここを何処だと思っているんだ?」
「んなもん、知るかよ。……そうだな。強いて言うなら、てめェの墓場だぁああああああああああああああああ!」
目の前が真っ赤に染まる。
殺す。殺す。コロス。
「シャァアアアアアアアアアア!」
瞬間、突然俺の後頭部に強い衝撃が加わったかと思うと、段々と意識が薄くなってきた。
クソ。
ク……ソ………。
「あなたは、何故私に生徒を殴らせた!!」
次に意識を取り戻した時、初めに聞こえたのは、そんなもっさりとした声だった。
「あなたの話を聞く限り、こいつがあの男を殺そうとすることくらい、簡単に予測できた筈だ!」
「ケッケッケ。ああ、面白いくらい予想通りだったぜ」
……ゴリラと、あの『呪い』の声?
「では何故!?」
「じゃあ、訊くが、お前はどうするべきだったと言うんだ?」
「最後まで隠し通すべきだった! そうすることで、彼は幸せになれた筈なんだ!」
「……ちげぇ」
「何が違うと言うんだ!」
「ケッケッケ。全然ちげぇんだよゴリラ。てめェ何年教師やってんだ。そんな仮初めの幸せが本物である筈がない」
「本物……だと?」
「ケッケッケ。ああ。本物の幸せっつーのはな、乗り越えて初めて手に入るものなんだ、逃げに逃げて手に入れたぱっと見の幸せに価値なんかねえよ」
「別にあいつは逃げていたわけではない!」
「逃げてはいねぇだろうが、オレ達が気づかれず、逃げるように仕向けるのはおかしいだろう」
「だからって──」
「そろそろあいつが起きる。ピロートークは任せるぜ、ケッケッケ」
「……くっ!」
ゴンっという壁を殴る音。……ったく。
「静かにしろよゴリラ」
「……お前」
ゴリラが俺が起きたのに気づいたらしい。
「いちちちち」
俺が痛む後頭部を抑えながら上半身を起こすと、俺の下半身にもたれかかって胃袋が寝ていた。なんでてめェも寝てんだよ。あと、股間が近い。どけ。
「……えらく冷静だな?」
「ああ、お陰様でな」
「…………そんなわけ……ないか」
おや? 気づかれたらしい。はは。流石文系、僅かこれだけの台詞でわかるのね。
話の内容からして、俺の頭を殴ったのはこのゴリラらしい。よく頭蓋骨無事だったな、俺。
「訊いてもいいか?」
「…………なんだ?」
俺は可能な限りの笑顔を作る。
「人間が飯を食う時、『いただきます』と言って、全ての犠牲に感謝と謝罪をする」
「…………」
「で、仮に人が人を殺す時は『いただきます』でいいのか?」
「…………違う」
「『ごちそうさま』?」
「……違う」
「じゃあ『ありがとう』か?」
「違う!!」
ゴリラは叫ぶ。
「じゃあ、なんつったらいいんだよ?」
「何を言ってもダメだ!」
「…………知ってるか?」
「…………何をだ?」
「あのおっさん、俺のガキを殺してあいつを持って行った時、特に何も言わなかったんだ」
「うぐ……」
「馬鹿面下げてあいつを見ていた奴等もそうだ。少なくとも俺の心にはその誰からも『いただきます』も『ごちそうさま』も『ありがとう』も聞こえなかった。あれなんだろ? ちゃんと言ったら、俺達犠牲者には伝わる魔法の言葉なんだろ?」
「………………」
「もう一つ質問だ。人間は人間を殺していいのか?」
「…………ダメだ」
「ヘビは人間を殺してもいいのか?」
「ダメだ!」
「………………じゃあ」
俺は、ゴリラを睨む。
「じゃあなんで人間は俺達ヘビをあんな風に殺してもいいんだよぉおおおおおお!!」
叫びながらゴリラの襟首を掴んだ。
「ああ? 言ってみろよ教育者! いつものように、有難いお言葉をご披露しておくれよ! なあ!?」
「………………!!」
「まだ……」
俺の頬に何か熱いものが伝う。
「まだ、美味しく食べてくれたとか、栄養になったとか、寒さを凌いだとかでも、まだ許すことができる。だけど、なんだあれは。色合い? 綺麗? んなもんの為に、あいつは、あいつらは!」
ゴリラは、ギュッと俺を抱きしめた。
「感謝をするための言葉はある。感謝するための心もある。なのにあいつらはなんで、俺達のために何も言ってくれない! 『詩』を謳わない!」
クソッ! クソッ!!
「あいつらは……あいつらは……うぅ……あああああああああああああ!」
「……許してくれ」
「ああああああああああああああああ!」
「私は人間だ。今全ての人間の代表として私が謝る。すまない。本当にすまない。何なら、あの人の代わりに殺してくれても構わん。だから、私達馬鹿でクズな人間をここで許してはくれないか?」
「ふざけんなふざけんなふざけんな! あいつを殺す! 絶対殺す!その後にあんたも殺してやる! 人間は全員コロス!!」
「頼むから私だけを殺してくれ! 頼むからそれで幸せになってくれ!」
「ざけんなぁあああああああああああああああああああああああ!!」
その時だ。
「ケロロ」
そんな、クソふざけた声が聞こえたのは。
「ミーくん」
「しゃべんな」
俺はそいつの方を見ずに言った。
「ミーくん」
「口を閉じろ」
「ミーくん」
「鳴いてんじゃねえぞ! このクソガエル!」
「……ケロ。やっと、私を『胃袋』以外で呼んでくれたね」
「てめェ──」
「私も殺されてあげる」
「……………はあ?」
このボケは一体……。
「私ね。ミーくんに歌を褒められてね。すっごい嬉しかったんだ」
「おい」
何を言って……。
「だからね、殺されてあげる」
「お前は──」
「おや?」
「…………………」
相も変わらずの背筋が震えるようなキザったい声。お前まで何なんだよ。
「だったら部長のボクも死ななくてはならないね」
「はあ!?」
「ボクはケロちゃんもミーくんも大好きだし」
「そんなふざけた理由で!」
「全然ふざけてなんかないさ。ボクは二人とも真剣に大好きなんだ」
「俺は人間共さえ皆殺しにできりゃ満足なんだよ! てめェらには全然関係ないだろうが!」
「ケロロ。それは違うよ?」
「何が違うんだよ!」
「フフ。ボク達はね。もうナメクジでも、カエルでも、そしてヘビでもないんだ」
「────!?」
「ケロ。ここにいるのは、昔は違ったけど、今はみんな人間なんだよ?」
「グッ…………」
俺は自分の肩から生えた、両方の腕を見る。
俺も……人間………。
「ケロ。だから、もしミーくんが人間が嫌いで、人間を殺したいのなら、私が真っ先に殺されてあげる」
「当然、ボクも死ぬさ」
「……私も構わん」
「それで、ミーくんが幸せになれるなら」
なんなんだよ?
一体何だってんだよ?
何でそんなこと言うんだよ。
俺達は人間共とは違って……………俺たちは……………。
「!?」
何だよ。
てめェら、なんつー顔をしてんだよ。
カエルはしゃっくりをあげ、
ナメクジは目の中を真っ赤にし
ゴリラは鼻をズルズルいわせる。
……………なんで。
なんで、そんなに人間みたいな顔をしてやがんだよ。
てめェらは……てめェらは…………俺達は…………人……間。
もう、畜生じゃなくて、人……間。
クソ。
クソクソクソクソクソクソクソクソクソクソクソクソクソクソクソ。
クッソォオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!!
「…………………めェら、やっぱバカだろ?」
「ケロ」
ケロじゃねーよ……クソガエル。
「今、ここにいる、てめェらの一人でも抜けたら…………幸せになれるわけねえじゃねェか」
「ミーくん…………」
……頼む。頼むから。
「もうこれ以上俺の前から誰もいなくなるんじゃねぇええええええええええ!!」
その日、大変迷惑なことに閲覧会会場の救護室で、俺とカエルそしてナメクジとゴリラまでもが、顔を涙と鼻水でぐちょぐちょにしながら何時間も泣いた。