第二回 4話から6話 完 お~い 松井秀喜新監督 たのむぞ〜。
【まえがき】
球場へ向かう足の裏のむずむずと、テレビの前の夕飯の匂い。
あの頃、子どもたちの世界は、野球という一つのボールで回っていた。
だが、人は大人になるにつれて余計な知識を覚え、裏切られ、冷め、いつの間にかアンチの旗を掲げたりする。野球ぎらいを気取りながら、どこかでまだ未練を引きずっているような、そんな老いたファンも少なくないだろう。
これは、V9の水道橋から始まり、理不尽な豪雪とゴジラの猛威に震え、酒の勢いで虎党に身を落とした一人の男の物語である。
そして、十月二十三日。
背番号「90」をまとったかつての怪物が、知性と品格を携えて古巣へ帰ってきた。
冷や水のような現実を承知のうえで、なおも胸の奥でパチパチと音を立てる少年の日の残り火。お茶を一杯すすりながら、気ままに綴る、大人のための野球回顧録。
4話
十月二十三日。東京都内で、就任会見が開かれた。
松井秀喜、五十二歳。契約は三年。背番号は「90」である。
この数字には、意味がある。長嶋さんが初めて巨人の監督になったとき、背負っていた番号だ。本人は会見で、もうひとつ理由を明かしたという。長嶋さんは昨年、八十九歳で亡くなった。生きていれば、今年は九十歳。その年に、九十を背負うのだと。
言葉に出さない約束を、背番号に縫いつける。いかにも、この人らしい筋の通し方だと思った。
私は、テレビの前で温かいお茶をすすっていた。
そこに映っていたのは、あの夏の海獣ではなかった。
背筋がすっと伸び、声は低く落ち着き、言葉を吟味するように丁寧に選んで話している。「ふるさとに戻ってきた」。そう言ったとき、画面の中の顔が、一瞬だけふっと緩んだ。日米通算五百七本のホームランを積み上げた男が、まるで少年のように笑ったのである。
あの暑い夏から、三十年以上が過ぎた。
海獣は、海を渡り、異国で打ち、傷つき、引退し、そして古巣から二十四年ぶりに呼び戻された。その長い歳月のあいだに、あの暴れる力は、言葉を選ぶ力――知性と品格へと変わっていたのだと思う。
私の背中を拭っていたあの冷や汗は、いつの間にか綺麗に乾いていた。
エセ虎ファンの私が、気がつけば、画面の向こうのこの男の次の一言をじっと待っている。なんともあやふやで、情けない旗の色である。
5話
ただし、はっきり言っておこうかな。
松井秀喜は、監督としては、まだ一勝もしていない。
打ったホームランの数が、そのままチームを勝たせる力になる保証などどこにもない。「名選手、名監督にあらず」。そんな格言は、野球ファンなら誰でも知っていることだ。だから私は、胸に膨らむ期待と同じ重さで、冷めた疑いもちゃんと持っておく。
その上で、勝手に夢を見るのだ。
川上哲治さんは、徹底した確率で勝った。広岡達朗さんは、選手の意識を根底から作り変えた。森祇晶さんは、じっと見るだけで相手の癖を見抜いた。巨人の歴史には、それぞれの「勝ち方」を持った名将たちがいる。
松井は、どの「策」を継ぐのだろう。
あるいは、まったく新しい四つ目の「勝ち方」を携えてくるのか。
もうひとつ、どうしても気になることがある。恩師の長嶋さんは、オノマトペで教えた。スーッと来て、バシッと。では、その秘蔵っ子だった松井は、選手たちに何で教えるのだろうか。言葉か。データという数字か。それとも、あの大きな背中か。
組閣については、本人が「一人だけ、すでに声をかけている」と明かしている。もしそのヘッドコーチに、監督経験のある高橋由伸さんが入るのだとすれば、それは見事な「静と動」の組み合わせになるはずだ。もちろん、これは老いぼれの勝手な願望にすぎないが。
朗らかな人が横にいて、じっくりと言葉を選ぶ人が前に立つ。ベンチの空気というものは、案外、そういう人間の配置からガラリと変わるものだ。
勝負の世界は、結果がすべてである。
だが、まだ結果が出る前の、この「どうなるのだろう」という圧倒的な期待感こそ、ファンが一番贅沢に味わえる時間でもあるのだと思う。
さあ、三十日から、新しい季節が始まる。
お茶をもう一杯淹れて、画面の前に座るとしよう。
6話
就任早々、超高校級の逸材の説得が、初仕事になるかもしれない。そんな報道を見た。
原石を預かり、磨いて、やがて世界に送り出す。
囲い込めば、強くなるかもしれない。だが、囲い込まない強さというものもある。かつて、海を渡って大きくなった男が、いま、海を渡る若者の背中を押す側に回る。
そういう巨人なら、私は好きだ。
父親は、子どもを手放すために育てる。そんな言葉を、どこかで聞いたことがある。野球の話ではなかったが、この場面にぴったりだと思った。
水道橋の改札を抜けて、胸を鳴らしていた少年は、いま、お茶を片手に、画面の向こうを見ている。
野球は中学で終わった。憧れも、一度は消えた。酒で旗の色も変えた。
それでも、背番号90の男が、ベンチの真ん中に立つのを見たとき、体の奥で、何かが小さく鳴った。
少年の頃の音だ。
さて。
ひとつ、望みがある。
あの黄金期の始まりを、もう一度見てみたい。
強かった巨人を。水道橋の改札を抜けるだけで、胸が鳴った頃の、あの圧倒的なジャイアンツを。
松井さんは会見で、新しい黄金時代をここから、という趣旨のことを語ったと聞く。大きく出たものだ。だが、海獣と呼ばれた男が言うのだから、少しは信じてみたくなる。
エセ虎ファンが、こんなことを言うのは筋違いかもしれない。それでも言う。
強い巨人が、見たい。
お〜い、松井新監督。
今度こそ、どんな夢の続きを見せてくれるんだい?
【あとがき】
歳を重ねると、物事を素直に面白がることが難しくなる。
「どうせ勝負の世界は」「名選手が必ずしも」と、知ったような理屈を並べては、胸が高鳴るのをどこかで冷ややかに予防接種してしまう。大人になるというのは、少しだけ野暮になることなのかもしれない。
けれど、1992年のあのクソ暑い夏に、我が故郷の代表をなぎ倒していった怪物が、三十年以上の時を経て、言葉を大切にする紳士となって画面に現れたとき、私はまんまと予防接種に失敗した。
囲い込みの野球から、世界へ送り出す野球へ。
長嶋さんの情熱を背負いながら、データとロジックで若者を育てる未来。
もし本当にそんな新しい巨人軍が見られるのだとしたら、かつて水道橋で足を鳴らしていたあの少年への、これは最高のお詫びであり、贈り物になるような気がしている。
もちろん、三十日からの開幕で、あっけなくボロが出るかもしれない。
その時はその時で、「ほら見たことか」と苦いお茶をすすりながら笑えばいいのだ。
勝負の行方はまだ誰にも分からない。
だからこそ今夜は、この青くさい期待をもう一口だけ味わいながら、静かに杯(あるいはお茶)を置くことにする。
お付き合いいただき、ありがとうございました。




