表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
アラサー冒険者のaimless odyssey  作者: 久遠堂 鍵介
第四章 「新米冒険者の初日」
70/94

第64話 炎の初戦果

 夏休みの終わり、三人はワイアースの南門を抜け、街道を南下した。

 暫く道なりに街道を進むと、その先は東へ折れた。

 三人はそこで街道を外れ、さらに南へと歩を進める。

 朝の陽光は高く昇りきらず、晩夏の空気はまだ柔らかい。

 草原に踏み入ると、草葉の露が靴を濡らし、涼やかな風が頬を撫でていった。

 シモンがちらと振り返り、静かな口調で告げる。


「ここからは、いつ魔物が出てもおかしくない。だが、無理に気を張るな、自然体でいい。ただ――普段と違う音や影に気づいたら、それを見逃すな」


 ジュリアはきゅっと唇を結び、いつもより硬い面持ちで息をのむ。

 全てが初体験の彼女にとって、その一言は緊張を帯びた現実の合図だった。

 一方、ハルカはクールな表情のまま小さくうなずく。

 戦場に慣れた者の自然な応答であり、彼女の静かな警戒心が言葉以上に伝わってくる。


 先頭のシモンは歩調を崩さず、二人の足取りを確かめるように振り返っただけで前へ向き直る。

 遠くには、目当ての採取地である湿地帯が白いもやを漂わせ、ゆるやかな陽射しの下に横たわっていた。

 今回の目的は、冒険者ギルドで受注した薬草・水精草の採取依頼である。

 依頼等級はEランク。本来ならFランクのジュリアには受注資格がないが、指導役として同行するシモンがいるため、実地指導の名目で認められていた。


 冒険者は新人の生存率が低く、また生き延びても多くは早々に離職する。

 そうした現実を踏まえ、ギルドはベテランが新人に付き添い、実地で学ばせることを広く推奨している。

 今回の依頼もまた、その制度のもとに位置づけられていた。

 あらかじめ戦闘については、ジュリアとハルカが前に立ち、シモンは基本的に指示に回ると決めてある。


「視線は足元と地平線、両方だ。油断するなよ」

「了解!」


 先頭を歩くシモンが言うと、ジュリアが元気よく返事をした。

 その後ろでは、ハルカが広く警戒を怠らない。

 前方だけでなく後方や側面へも目を配り、歩みの緩急に合わせて位置を調整する。

 その姿は、実戦経験の差を自然に示していた。


 その時、草の海に風が走った。

 ざわ、と波立つ音に、ジュリアは息をのむ。

 その瞬間、シモンが低く呟いた。


「来るぞ……お客さんだ。二人とも、状況の変化に集中しろ」


 ジュリアは反射的に鞭を握りしめた。

 力がこもりすぎ、手のひらに汗が滲む。

 鼓動の速さが緊張を隠さず伝えてくる。

 一方、ハルカは忍刀の柄に手をやり、すっとジュリアの前に出た。

 冷ややかな視線で前方を射抜き、いつでも刃を抜ける構えを見せつつ、自然にジュリアをかばう。

 その直後、黒光りする塊が草むらから弾け出た。


 スティングビートル――体長は大人の上半身ほどもあり、漆を塗り込めたような甲殻が陽光を弾く。

 表面には細かな凹凸が走り、金属の鎧のように冷たい光沢を帯びていた。

 頭部の先から突き出す角は槍の穂先に似ていたが、その鋭さは比ではない。

 牛の角より太く、刃物のように磨かれた縁は、触れるだけで肉を裂くと直感できる。

 あの質量が全力で突き込まれれば、人間の体など容易く貫き砕くだろう。

 羽がぶるぶると震えるたび、低い唸りが地を伝い、胸の奥まで響いた。押し寄せる空気はただの風ではなく、圧迫感を伴う衝撃波のようで、眼前に迫る脅威そのものだった。


 無造作に黒光りの巨体が突進してくる。

 ハルカが即座に一歩踏み込み、抜きざま忍刀を振るった。

 しかし刃は甲殻に弾かれ、甲高い音を残すばかりで深くは通らない。


「硬い甲殻と、正面の突進。だが旋回は鈍い。特徴を掴めば対処できる」

「了解」


 ハルカは敵から目を離さず、短く返す。

 声に揺らぎはなく、そのまま間合いを測り続けていた。

 ジュリアは相変わらず鞭を握る手に力を込めすぎ、肩が上がっていた。

 緊張が全身に回り、動きが硬くなるのが見て取れる。

 シモンは横に並び、彼女の肩へ軽く手を置いた。


「お前は弱くない。いつも通りでいい、大丈夫だ。今は自然体で集中しろ」


 何でもないような柔らかい調子だった。

 けれどその一言に、ジュリアの瞳が揺れる。

 こわばった肩がわずかに下がり、張り詰めた空気が少しだけ和らいだ。


 敵の突進を紙一重で躱したハルカは、流れるように側面へ回り込む。

 その動きを追うように旋回したスティングビートルが生んだ一瞬の隙を、ハルカは見逃さなかった。

 忍刀の切っ先を甲殻の継ぎ目へ差し込み、そのまま力強く引き裂く。黒光りの巨体が断末魔の羽音を響かせ、草原に崩れ落ちた。


「やったの……?」


 ジュリアの声は力が抜け、安堵と驚きが入り交じる。


「まだだ」


 シモンの低い声が即座に返る。

 言葉通り、草むらから新たな影が弾け出た。

 別のスティングビートルがハルカの脇をすり抜け、一直線にジュリアへと突っ込む。

 その瞬間、ハルカは身をひねり、鋭い回し蹴りを放った。

 甲殻の塊が横から弾かれ、草原を転がる。


「打て!」


 シモンの声が飛ぶ。

 反射的に、ジュリアの掌に炎が集まった。

 圧縮された火の矢が疾走し、体勢を立て直すより早くスティングビートルを貫く。

 瞬間、爆ぜた炎に包まれた巨体は焼き尽くされ、草むらに残ったのは輝く魔石ひとつだった。


 炎が収まっても、ジュリアはなお掌に魔力を纏わせたまま立ち尽くしていた。

 戦闘が終わったことを頭では理解していても、張り詰めた集中を解き切れないでいるのだ。

 シモンはそっと彼女の手に自分の手を重ね、「お疲れ」と柔らかく声をかけた。

 その一言に、ジュリアは大きく息を吐き、肩で荒く呼吸しながらも、わずかに冷静さを取り戻していく。


 ジュリアの視線は、自然と自分の手に落ちた。

 力の入りすぎた右手は、いまだ鞭を固く握りしめている。

 指先が白くなり、汗が滲んでいるのが見えた。

 左の掌には、魔法を放った余韻が残っていた。

 じんわりとした熱と、焦げた匂いが指の間から立ちのぼる気がして――それが確かに自分が魔物を倒した証であると告げていた。

 両の手を見比べながら、ジュリアは胸の奥に残るざわめきを少しずつ落ち着けていった。

 緊張が溶け、代わりに静かな実感が心の底に沈んでいく。


「集中と警戒は大切だが、同じくらい冷静さも大切だ」

「……触っても、大丈夫?」


 恐る恐る問うジュリアに、シモンは軽く頷いて応える。

 静かに佇む魔石をその手に取ると、胸の奥が一気に熱を帯びた。

 緊張で固まっていたはずの指先が震え、その震えさえも力強い脈動に変わっていく。

 手の中の魔石は、紛れもなく自分の魔法で打ち倒した証――初めての戦果だった。


「できた……私にもできたんだ」


 昂ぶる感情が波のように押し寄せ、戦闘時とは別の高揚がジュリアの顔に浮かんでいた。

 強張っていた顔は徐々に解け、震えていた唇ははっきりとした弧を描いた。

 瞳には確かな光が宿り、それは自信を深めた者だけが浮かべる、力強さを備えた笑みだった。

 汗に濡れた掌も、焼け付くような余熱も、そのすべてが確かに「生きて勝ち取った証」であると告げていた。


 シモンは周囲を一瞥して脅威がないことを確認すると、今度はハルカのもとへ向かった。

 草むらに横たわるもう一体のスティングビートルを指し示し、穏やかな声で言う。


「さあ、こっちはお前に任せる。魔石の取り出し方を教えよう」


 ハルカは無言でうなずき、最後に一度周囲を見まわすと、忍刀を納めシモンの元へ駆け寄った。

 シモンは自らナイフを抜き、ハルカの倒したスティングビートルへと膝をついた。

 甲殻の隙間を迷いなくなぞり、ためらいなく刃を差し入れる。

 わずかな手応えのあと、黒光りする核――魔石が引き抜かれた。

 ハルカの目がわずかに見開かれる。


「……死骸から、取り出せるのですね」

「自然に霧散しても魔石は残る。ただ、この魔石や、霧散する魔素に引き寄せられて、別の魔物が寄ってくることもある。そうなれば連戦を強いられて、命がいくつあっても足りん」


 シモンは手にした魔石を軽く掲げ、口元に笑みを浮かべる。

 ハルカは引き締めた表情を崩さず、魔石に視線を向けた。


「だから魔石を持ったままのんびり歩き回るのは危ない。……まあ、どうしてもなら“餌”にして放り投げて、逃げ道を作るのも上手いやり方だな」


 いつの間にか寄ってきたジュリアが、きょとんと目を丸くする横で、ハルカは真剣にうなずいた。

 胸の内で、シモンはさらに思う。

 魔石をわざと置いて魔物を呼び込み、狙い通りの戦場をつくる――そんなやり方もある。

 だが、それを教えるにはまだ早い。

 今は口にせず、自分の中にしまっておいた。


「魔石の位置や取り出し方は、経験がものを言う。慣れれば見ただけで見当がつく。もしくは魔力や精を探ることでも探ることは可能だ」

「はい。精進します」


 ハルカは真剣な声で答える。

 その横顔には、無駄のない冷静さと学ぼうとする意志が同居していた。

 シモンはふっと微笑み、肩の力を抜くような調子で言った。


「これからいくらでも機会はある。じっくり行こう」


 シモンはポーチから清潔な布を取り出し、手にした魔石を軽く拭った。

 澄んだ光を放つそれをハルカに手渡す。

 ジュリアは横目でそれを見つめ、静かに感慨を覚えていた。

 ハルカは受け取った魔石を丁寧にしまうと、すぐに警戒の姿勢へと戻った。


「目的地はまだまだ先だ。このあとも油断せずに行くぞ」

「はい!」

「了解」


 シモンの声に、二人は同時に返事を返す。

 ジュリアの声は力強く。

 ハルカは短く、しかし確かに。


 三人の足取りは再び南へと向かう。

 陽は少しずつ高くなり、遠くの湿地帯はなお白いもやを湛えて、静かに彼らを待っていた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ