第41話 残光と次の舞台
夜空を裂いた深紅の奔流は、やがて静かに崩れ落ちていった。
残されたのは、灰でも焦げ跡でもない――常識を逸した赤い残光。
無数の光粒が宙を漂い、星々に溶け合うように淡く瞬きながら、森を異界のように染め上げている。
遠目からその光景を目にしたシモンは、思わず息を呑んだ。
あれが――ジュリアの力。
彼女の血に眠る、魔血の顕現。
常軌を逸したその威容は、畏怖を呼び起こすに十分だった。
もし制御を失えば、敵のみならず、味方すら呑み込んでいただろう。
だが同時に、胸に浮かんだのは別の想いだった。
(……恐怖を乗り越えて、あの子は戦った。自分の意志で、覚悟を決めて)
かつて恐怖に震え、背中に縋るしかなかった少女が、いまは誰かを守るために怒りを燃やし、立ち上がった。
(――この力、使いこなせるのか……いや、ジュリアなら……)
シモンは目を伏せ、わずかに口元を緩める。
今にも倒れ込みそうなその姿を認めるや、彼は力強く地面を蹴り、駆け寄った。
倒れ伏すジュリアの身体を抱きとめ、その額にかかる髪をそっと撫で、安らかな寝顔を確かめる。
脇腹の血に濡れたブラウスが、彼女の痛みを雄弁に物語っていた。
腰のベルトからヒール・ポーションを抜き取り、布に染み込ませて傷口に当てる。
血の匂いと薬草の香りが夜気に混じり、淡い光が脈を打つように広がって、傷はみるみる塞がっていく。
だが、拭い去った白い肌には、赤い線が一筋残った。
それを見て、シモンはわずかに息を吐く。
「……あまり、得意ではないが」
そう呟き、傷口に手を当てた。
掌から淡い緑の光がにじみ、表皮をなぞるように流れ込んでいく。
やがて赤い痕はゆっくりと薄れ、ついには痕跡すら消え去った。
痛みから解放されたのか、ジュリアは穏やかな表情を浮かべている。
シモンは小さく頷き、彼女の身体を抱き直した。
そして視線を上げ、傍らに佇むルミアへと声を掛ける。
「……大丈夫か?」
ルミアは、まだ涙で濡れた頬を震わせながらも、必死に小さく頷いた。
その仕草が、かえって幼さと健気さを際立たせる。
シモンは片手でジュリアを背負い上げ、もう一方の手をルミアへと差し出した。
その掌は、まだ戦いの血で赤く染まっており、彼自身も一瞬だけ逡巡する。
だが――。
ルミアはためらうことなく、その手をぎゅっと握り返してきた。
驚きと同時に、シモンの胸に、温かなものが広がる。
彼はわずかに微笑み、短く告げた。
「……行こう」
夜の森へと足を踏み出す。
ジュリアを背に、ルミアの小さな手を引きながら――待つべき仲間のもとへ、彼らは駆け出していった。
シモンは警戒を解かぬまま、注意深く歩を進めていた。
幸い、追っ手の影はなく、道のりは順調に進んでいく。
ひとつ息を吐き、小柄な身体を背に担ぎ直す。
ぐったりと眠るジュリアは軽い。だが、確かな鼓動と温もりが衣越しに伝わり、生きているという事実が、シモンの胸を静かに支えていた。
もう片方の手は、怯えた様子の少女の小さな掌を包んでいる。
足取りはまだおぼつかなかったが、それでも震えを堪え、必死に前へと歩みを重ねていた。
月明かりが木々の隙間から洩れ、白く照らす。
二人と一人は、その道を静かに、だが急いで駆け抜けていく。
やがて、森を抜けた先の路地に、待ち受けていた私兵たちの影が見えた。
「お嬢様、シモン様、無事に──!」
ひとりが駆け寄り、背中からジュリアを受け取ろうとする。
シモンは慎重に彼女を預け、荒い息を整えながら言った。
「この子も、保護してくれ。頼む」
差し出されたルミアを、私兵が小さくうなずく。
少女はしばしシモンの手を離さずにいた。
名残惜しそうに見上げながら、小さな声で問いかける。
「……名前、教えて」
シモンはわずかに目を細め、短く答えた。
「シモン……シモン・マックイーンだ」
少女はその名を、何度も口の中で反芻するように繰り返す。
やがて、安心したように小さく微笑んだ。
シモンは片膝をつき、彼女の目線に合わせて、静かに言う。
「……次に会う時は、美味しいものを食べようか。黄昏燕のスイーツが、おすすめだ」
ルミアは驚いたように瞬きをして、それから小さく頷いた。
「……またね……シモン」
その言葉に、シモンは優しく髪を撫で、力強く頷く。
最後にジュリアへと視線を送り、立ち上がった。
「……俺は行く。後は頼んだ」
「……シモン様、まだ行かれるのですか?」
「ああ。俺の目で、最後まで見届けなきゃならない」
ふと口元に笑みを浮かべ、肩をすくめる。
「ジュリアが目を覚ましたら……適当に誤魔化しておいてくれ」
私兵のひとりが、息を詰める。
だがすぐに、静かに敬礼を返した。
シモンはルミアに微笑みかけると、次の瞬間、夜気を裂くように、礼拝堂の方角へと駆け出していった。
満月に照らされるその背を、ルミアの視線が、ただ黙って見送っていた。




