第99話 朝靄と残影
まだ朝靄の残る訓練場に、六人分の軽やかな足音が、規則正しく響いていた。
澄んだ冷気を切り裂くように、ジュリア、ハルカ、そして私兵の新人四名が外周へと駆け出していく。
先頭に立つのはブルマ姿のミレイだった。
小柄な身体に見合わぬ勢いで地面を蹴り、振り返りもせず声を張る。
「遅れんなよー! ボク、今日は昨日よりも速く走るからな!」
猪突猛進。
その一言がそのまま形になったような突撃ぶりだ。
すぐ後ろから、ダリオが声を上げる。
「当然だ! 俺たちはテラノス様に仕える私兵だぞ! この程度の鍛錬で音を上げてどうする!」
肩に力が入りすぎているのは一目瞭然だが、その熱量は嫌いではない。
さらにその後方で、グスタフがのんびりとした足取りで頷く。
「うむ。朝の空気は……身体に……良い」
一際目立つ巨体が静かに進む。
最後尾では、セイルが軽く肩をすくめていた。
「はぁ……ったく。なんで俺まで付き合わされてんだかね。あ~眠ぃ~」
ぼやきながらも、足運びは無駄なく確実だ。
仕事はきっちりこなす現実派らしい動きだった。
その様子を、訓練場の端で腕を組んで見送る男が一人。
シモン・マックイーンは、小さく息を吐いた。
「……元気なもんだ」
六人の背中が邸の外周へと消えていく。
およそ三キロの周回。
戻ってくるまで、しばし時間はあるだろう。
静寂が、ゆっくりと訓練場を満たしていった。
ひとり残されたシモンは、中央へと歩み出る。
乾いた土の匂いと、晩秋の冷たい空気が頬を撫でた。
――一週間。
あの夜から、もうそれだけの時間が過ぎている。
自然と、記憶が蘇った。
丘の上で相対した二つの影。壊楽のダムドと、白影。
(……退けること自体は、できた)
だが、それだけだ。
勝ったわけではない。
仕留めきれなかった。
逃がしたのは、あくまで自分の判断だ。
もし――。
(ダムドが、最初から油断していなかったら……)
あの怪力。
まともに受ければ、一撃で致命傷に至りかねない。
不意打ちに近い一撃を受けても耐え切り、ヒール・ポーション一本で立ち上がる回復力。
あれを軽視するのは、愚かというものだ。
そして、白影。
(目的が、最後まで見えなかった……)
戦闘において手を抜いていたとは思わない。
だが、それでもなお“隠している”ものがあったのは間違いない。
もし奴が真正面からではなく、徹底して搦手に回っていたら――。
(……戦況は、さらに面倒なことになっていただろうな)
そして、黒いスラッシュバニー。
あれは本当に、単なる実験体だったのか。
(……いや)
考えたところで答え合わせは出来ない。
推測に推測を重ねても、不毛なだけだ。
ふっと、乾いた風が頬を撫でた。
思考が、現実へと引き戻される。
「……ま、考えすぎても仕方ないか」
小さく呟き、シモンは腰へと手を伸ばした。
普段の訓練で使う木剣ではない。
収めてあるのは、愛刀。
わずかな金属音が、静かな訓練場に溶けた。
剣を構え、何もない虚空を見据える。
呼吸を整え、意識を丹田へと沈めた。
精を巡らせる。
集中が深まるにつれ、視界の奥に“影”のような闇が収束していく。
輪郭が、ぼんやりと浮かび上がる。
一人は大柄な影。
もう一人は、細身で白い残光を帯びた影。
――ダムドと白影。
朧げだった輪郭が、徐々に定まっていく。
その瞬間、シモンは迷わず地を蹴った。
一気に間合いを詰める。
それに呼応するように、二つの闇も動き出した。
シモンは躊躇いなく斬りかかる。
だが、大柄な影――ダムドは、両腕のリストガードでそれを受け止めた。
(……奴のポテンシャルなら、この程度は防ぐだろうな)
素早さで圧倒し、崩しにかかる。
だが次の瞬間、ダムドの背後から白影が飛び出した。
空中から苦無が放たれる。
(防ぎきれない……!)
強引な横っ飛びで躱す。
体勢が崩れた隙を、ダムドは見逃さない。
剛拳が唸る。
力任せではない。鋭さを伴った連撃だ。
前衛で絶え間なく攻め立てるダムド。
後衛で撹乱を続ける白影。
剣を振るう隙が、ない。
拳を剣で捌き、体勢を整えようとした瞬間、白影の苦無と氷の礫が飛ぶ。
体勢が崩れたところに、再びダムドが踏み込んでくる。
(単純な連携でも……奴らのレベルだと、ここまで厄介か)
このままではジリ貧になる。
シモンは大きくバックステップを踏み、距離を取る。
ダムドの腕を狙って、カウンターを仕掛ける――が。
次の瞬間、白影の姿が視界から消えた。
気配だけが側面に回り込む。
(奴なら、この手の撹乱はお手の物だろうな)
カウンターを中断。
さらに後退し、二人を視界に収めようとする――が、そこで思考を反転させた。
(……いや、逆だ)
後ろではなく、前へ。
待ち構えていたダムドの拳を、スライディングで潜り抜ける。
そのまま背後へ回り込み、くるりと反転。二人を同時に視界へ収めた。
(――一気に決める!)
間髪入れず、白影へ斬撃を放つ。
「――飛燕・番」
二羽の燕が連れ立つような、二連の斬撃。
白影の体勢が僅かに崩れる。
だが、シモンの視線はすでにダムドへ移っていた。
敢えてその射程圏内に留まり、攻撃を誘う。
誘いに乗った右拳。
半身になって躱し、その右腕へ狙いを定める。
一瞬で、切り刻む。
切断には至らない。だが機能低下には十分だ。
苦し紛れに振るわれた左腕を紙一重で躱し、脇腹へ突きを放つ。
一直線に突き出された刃が、影を貫通する。
ダムドが硬直した。
その隙を逃さない。
すれ違いざまに横薙ぎの一撃を加え、一気に白影へ迫る。
「――ソニック・ステップ《瞬間加速魔法》」
世界が、一瞬だけ遠のく。
次の瞬間、白影の懐へと踏み込んでいた。
(……一対一の剣戟なら、俺に分がある!)
急所を狙った乱撃でプレッシャーをかける。
白影は受けに回るが、ついに防ぎきれず崩れる。
(――勝機!)
「――《桜颪》」
一瞬にして十数の斬撃。
急所だけを的確に裂いた感触が、手に伝わる。
その瞬間――。
二人分の闇の輪郭が、霧散した。
剣を下ろし、息を吐く。
火照った身体を、晩秋の風が静かに冷ましていった。
だが、安堵より先に浮かんだのは反省だった。
(……所詮は、俺が作り出した都合の良いイメージだ)
奴らの身体能力をもとに、効率的な動きを想定した。
だが実際には、あの二人には特異な技も術もあるだろう。
すべてを再現できているわけではない。
それに、奥の手だって隠しているかもしれない。
(いや、あると思った方が自然……というより当然か)
実戦なら、もっと厳しい戦いになるだろう。
(劣勢は……避けられない、か)
やれやれ、と頭を振る。
――その時だった。
ぱち、ぱち、ぱち、と乾いた音が響いた。
続いて、歓声。
「す、すげぇ……!」
振り向けば、いつの間にか六人が訓練場の端に立っていた。
ランニングから戻ってきていたらしい。
ミレイが興奮気味に駆け寄る。
「今の乱撃、なんなんですか!? めちゃくちゃ速かったんですけど!」
ダリオは憧れの眼差しを向けている。
グスタフは腕を組み、うんうんと大きく頷いた。
「……流石です」
セイルは呆れたように頭を掻く。
「物が違うよな。ったく、追いつける気がしねーよ」
盛り上がる新人たちの声をよそに、ジュリアはただシモンの動きを見つめていた。
その表情には、驚きと、それとは別の感情が混じっている。
「ねぇ、ハルカ。さっきのシモンの動き……なんなの」
ハルカは目を閉じ、先程の動きを思い返すように小さく息を吐く。
「あれが、シモン様の実力の一端かと……でも」
「……でも?」
「……おそらく、まだ本気には達していないかと」
ジュリアは黙り込む。
そして、小さく呟いた。
「……まだまだ、先は遠いってことね」
「……同感です」
二人の表情には、悔しさが滲んでいた。
だが、それ以上に燃えるような決意も見て取れた。
顔を見合わせた二人は、何も言わずとも互いの心を察したようだった。
俯きはしない。
まっすぐに、シモンを見つめる。
その視線に気づいたシモンは、軽く手招きした。
「ジュリア、ハルカ。ちょっと来い」
二人が歩み寄るのを待ち、シモンはひとつ咳払いをする。
そして、新人たちも含めた全員を見渡した。
「……今日は、みんなにお知らせがある」
期待に目を輝かせる者。
神妙な顔つきの者。
真意を探るような目を向ける者。
それぞれの表情を確かめ、シモンはゆっくりと口を開いた。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
シモンの実力の一端を目の当たりにし、それでも「まだ本気ではない」と知ったジュリアとハルカ。
改めて彼との差を実感し、それでも前を向く二人、そして新人4人をどう思いましたか?
印象に残った場面や台詞があれば、ぜひコメントで教えてください。
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