残夜
竜の首が落ちた。
曇天にその頂を隠したタラッタの霊峰が、にわかに唸り始める。長く続いた狂乱の終わりを告げるように、あるいは愚かな竜を咎めるように。
「……エダニよ」
首はまだ生きていた。
姿を現さぬ霊峰の頂を虚ろに見詰め、彼は女神の名を口にする。
「エダニ、我が女神よ」
低く呼び掛けるたび、牙の隙間からどす黒い血が溢れ出す。鈍い黄金の瞳孔がゆっくりと開き、ふと声が途切れたなら、山々の峰から強い光が射し込んだ。
「エダニよ。私は、ここにいる」
ようやく輪郭を露わにした霊峰の頂は、しかしあえなく人影に遮られた。
生白い肌に絹の衣を纏った娘は、まさしく竜の首を落とした当人であった。
その手に握った細く歪な形をした刀は、竜の血を浴びて元の色など分かりやしない。娘の目を覆う硬い殻も然り、背中に垂れた長い髪も、穢れを吸ってひどく汚れてしまっていた。
「エダニは来ない」
娘が静かに、残酷に告げる。
「そなたの夜は終わりだ」
血の気のない唇は抑揚に乏しい声を紡ぐと、それきり黙り込んだ。やがて、表面に無数の溝を刻んだ白い殻に手を掛け、そっと目元から剥がす。
娘の瞳に宿るは、朝焼けの色彩。
幾千の夜、竜が夢に見たものと同じ、何物にも代えがたい追憶の色だった。
「ああ、エダニよ……。私に、死をもたらすのか」
竜の言葉に、娘は何も答えない。
「貴女と同じ顔を、声を、瞳を持つものに……私は、裁かれるのだな。貴女を、求めたばかりに」
その声がいよいよ消えようとしたとき、娘の手が竜の首に触れる。
慰めには程遠い、ただ眠りに就くことを促すだけの単調な動きで、娘は哀れな竜をゆっくりと撫でたのだった。
「また訪おう。いつか、今度は──そなたらが壊れてしまう前に」
かつて欲して止まなかった再会の約束は、竜を安堵させるには至らなかった。
娘に向ける眼差しに、もはや信頼の色はない。そこに在るのは疑念と、怒りと、深い悲しみばかりが浮かんでいる。
染み出した血が手のひらを腐らせてゆくのにも構わず、娘はひたと竜の骸を見詰めた。
「眠れ、黒竜。そなたの魂が、再びエダニとまみえる日を待っている」




