最推しが義弟になりました。
あの王宮での一件の後、我がキャロルット公爵家は表向き、休養と称して南方の領地に行く事となりました。
理由は至極当然、リオ様をウチで独断で匿った事により、王宮はもとより、社交界での立場も悪くしてしまったからなのでしょう。
夜も明けぬうちに、リオネル様を含めた私達キャロルット公爵家は、王都の屋敷から静かに出発しました。まるで夜逃げみたいだわ。
領地へ向かう馬車の中で揺られ、ふと横に目をやると、ガラス戸越しにゆっくりと遠ざかる王都ブルーシャトー。向かいに座っているお父様もお母様も、憂鬱そうな顔をしていらっしゃいます。これが都落ちなのかと思うと、流石に堪えるものがありました。
「……お父様、お母様、申し訳ありません」
私は、深々とお父様とお母様に頭を下げる。
「私が、王宮で勝手にリオネル様を探しに行かなければこんな事……」
お父様とお母様は慌てて。
「何を言っているんだ!エリーゼ」
「そうよ、エリーゼ。そのおかげでリオネル王子は無事なのよ?」
その言葉を聞いた瞬間、私の隣に座っていたリオネル様はビクッと身体を震わせる。
「……やはり、ここでも僕は厄介者なのですか?」
なんて事を言うの、この子は。私はとんでもない失言をしてしまったんだわ。
目をやると、リオネル様の青ざめた顔。小さな肩は震えているその姿に。
お母様が、叫んだ。
「リオネル王子、もう二度とそんな事おっしゃらないで!あれはヴェロニカがいけないの!
こんな事ならあの時、私が身重のリリーを連れ出していれば良かったのよ……!国王陛下を信じた私が浅はかだったの!」
叫びだった。悲鳴だった。
あの気丈なお母様が、泣いていた。
「マリヤカトレア、貴女は悪くない。だから落ち着いて、ね?」
お父様は優しくお母様を抱きしめる。
「エリーゼ、君は当然の事をしたまでだ。僕だって、リオネル王子をあの時お連れした事を後悔していないよ」
「リオネル様のあんなおいたわしい姿見たら、社交でも何でも王妃様の顔なんて、もう金輪際見たくないわ!」
お父様の腕の中で泣き崩れるお母様。こんなお母様を見たのは初めてかも知れない。
のだけれど。あれ、悪役令嬢の父母ってこういうキャラだったかな?
確か、ゲームだと、悪役令嬢の父親は平々凡々で周りに流されやすい性質で、母親は派手好きで社交界の華とまで呼ばれてパーティーに入り浸ってなかった?
ゲームでは、二人ともリオ様と特に絡みなかったのに、どういう事なの……?
一週間かけて、ようやく辿り着いたのは、湖畔に面した立派なお屋敷でした。
太陽が高く上がってるからお昼ぐらいかしら。馬車から出ると、水と草葉の香りが私の鼻腔をくすぐるわ。
「ようやく着いたね。ここがウチの領地にある別邸だよ」
「リオネル王子、なにぶん田舎で窮屈でしょうが、どうかご容赦くださいませ」
お母様が申し訳なさそうにリオネル様に頭を下げる。
確かに、ここに来るまでの道中、領地内は見る限りの麦畑、雑木林、山、まばらで小さな村……王都生まれ王宮暮らしのリオネル様には確かに堪えるかもしれない。
だけど、お屋敷と、大きな湖に面した庭園、その敷地をぐるりと見渡す。どう見てもイギリスの湖水地方みたいです。
「えっ、王都の屋敷より大きいし、随分広くない?」
「うん……僕の暮らしていた離宮どころか、王宮より立派ですね……」
いわゆるカントリーハウスなのだけれど、大きい。王宮よりも大きいって何事なの。維持費の事はちゃんと考えてあるのかしら?
「あー分かっちゃうよねぇ。お祖父様が、ここなら王宮よりデカい屋敷を建ててもバレないだろうって張り切っちゃってね」
「王都では王宮より大きな屋敷を作らせない様に法律で定めていますから。しかし、大貴族の反感を喰らうのを恐れて、それまでの連合国家であった名残である自主自立という方針に従い、各領地までは取り締まれなかったのですよね」
「ああ、ウチのお祖父様は、一応王子に生まれたのに王位も継げず、臣下に降格されたのがよほど腹に据えかねたんだろうけど……この広さは正直やり過ぎだよねぇ。管理する側の都合も考えてくれないと」
使用人から広すぎて管理しきれないと、結構苦情がきてるんだよねぇ……と笑うお父様。向こうからこちらを見ていた庭師のあまりにも鋭すぎる目線が、その真実を物語っていた。
「キャロルット前公爵の噂はかねがね聞き及んでましたが、ここまでとは……もしバレたらどうなる事やら……」
そこまで言って、リオネルはため息をつく。流石のお父様も苦笑いするしかありません。
……お祖父様、無茶が過ぎるわ。
王都からの荷物をお屋敷に運び込む使用人達。
その手際は慣れていることもあって、流石に早い。プロだわ。
あらかた片付いた所で、お父様は声を上げる。
「さて、一旦皆集まってくれ。大事な話があるんだ。
ウチでリオネル様を引き取る事になった。
国王陛下から秘密裏に命が下されて、キャロルット公爵家に養子入りするという形で匿う事になったんだ。
エリーゼ、リオネル様は君の弟になったんだよ。よろしくね」
にこやかな表情でお父様は軽く言うけど、周りの執事やメイドたちは困惑してザワついている。
リオネル王子を、王命で秘密裏に公爵家で匿う?ほとんど攫って来たようなものなのに?前代未聞じゃない?
まさに、晴天の霹靂。寝耳に水。とんでもない事を言い出したお父様に私は耳打ちする。
「……お父様。何を言ってらっしゃるの?」
「……いやあ、あの後、実はフィオナ殿下と一緒に国王陛下を説得したんだ。それで、あの一件は、秘密裏の王命という形にしたんだよ。
だからエリーゼ、何も心配しなくていいんだよ。君は正しい事をしたんだから」
あの国王陛下を説得?お父様は一体、何をどうしたの?
お母様はピシッと姿勢を正したまま。
「良いですか、皆さん。
リオネル王子は、本来なら、その魔力や才覚で王位継承すら出来るお方です。
お世話には、一切手を抜かないように。
何か不手際あれば、処罰しますが、よろしいこと?」
「はい!」
ピシャリとお母様に活を入れられて、執事やメイドたちは異口同音に気合の入った返事をする。何だろう、皆して最初戸惑っていた割に、ちょっと誇らしげなのは。
「リオネル王子。貴方様の教育はワタクシが預かります。よろしいですか?」
「……はい、マリヤ様」
えっ?お母様がリオネル様の教育?
「いきなり母と呼べ……なんて酷ですわね。どうぞ、お好きにお呼びになってね」
そうしてお母様は珍しく、悪戯っ子の様に笑って、こうおっしゃいました。
「そうだ、リオネル王子のお母様のお話をしましょう、たくさんね?
ワタクシ、リオネル殿下のお母様と幼馴染だったのよ?」
えっ何それ、その設定美味しくない?ゲームで出てきてないんですけど?
お母様に言いつけられて、不詳、私エリーゼめはリオネル様のお屋敷の案内役を仰せつかいました。
小さな頃から度々連れて来られていたから、こっちのお屋敷の事は大体分かるもの。
エントランスから大食堂、厨房、バスルームに、お客様用の応接室、ベットルームにお祖父様の書斎。亡くなったお祖母様のクローゼットにも秘密で案内したわ。
それからお祖父様が用意してくれた私専用のお部屋。大きな窓からバルコニーに出て、そこから臨んだ広い庭園には沢山の薔薇が咲き誇っていていた。手に届く大輪の薔薇を取ってリオネル様に上げると、目を輝かせてくれたの。
なんでも、青みがかった薔薇は珍しいとか。この世界でもブルーローズって珍しいのかな。確か同じ種類のものが、王都のお屋敷にもあった気もする。
それにしても、ああ、なんて愛らしいの。実際リオ様しか勝たん。一生、いや来世も推せるわ……。
「……エリーゼ様、どうして僕を助けてくれたの?」
「えっ?助けた?」
「そうでしょう?
だって、僕もお母様も、あの王宮では価値が無かった。だから皆に無視され、嫌がらせされていたんだ。
兄上だけは庇ってくれたけど、守ってくれる人すらいなかったんだ。
なのに貴女があんな事を言い出すから……このままだと、エリーゼ様と兄上との婚約も破棄されてしまうでしょうし、公爵まで立場を悪くしてまで僕を助けて……」
「えっあのお父様が?いつもヘラヘラしていて、いまいちウダツの上がらない?」
「……君、結構辛辣だよね」
でもリオ様の一件以来、お父様の株は爆上がりです。お母様もよ?
「私には……婚約よりも、家の立場よりも、リオネル様の方が大事です」
流石に、私は前世から貴方のファンでした、なんて言えない。死んでもいえない。
「……何を言っているの?兄上と婚約するということは、将来この国の王妃になるということ。
そんな栄光や名誉を、何故、僕の為に蹴って……」
「そんな名誉なら、私は要りません」
私は間髪入れずにはっきりと断言する。
「……どうして、あり得ないでしょう?」
リオネル様は信じられないものを見たと、目を見張る。
「まさか僕の事、好きなのですか?一、二回しか会ってないのに?それだけで……?
それとも、夢で可哀想な目に合ってる様を見て、同情したから?」
リオ様の、純粋だけれど、真っ直ぐで聡明な瞳が、私に問いかけてくる。
かと言って、安直に恋愛感情に結びつけて説得するのも、リオ様に失礼だと思う。何せお父様にリオネル様と婚約しても良いんだよ、と言われて戸惑ってしまったぐらいだし。
「私は、リオネル様が好きで、でも恋人になりたいとか、結婚したい訳ではないわ。おこがましいもの。
出来るなら、末永く幸せになって欲しいと願っています。
それに同情はしていな……いえ、してるかも知れない。
けれど、それ以上に大好きで、貴方が不幸になるのがとても嫌なの。
だからそうならないか、とても心配しています」
こう答えるしかないよね。自分でも分かりにくいけど。
「……不思議だね。普通、好きなら独占したり、結婚したいものじゃないの?」
「いいえ」
私は貴方に殺される悪役令嬢。そして貴方はラスボス。
ゲームでは、どうしたって殺し殺される役柄でしかなかったのに、恋仲?結婚?
それで、もしリオ様がもっと不幸になったらどうするの?そんなの嫌だ。ヒロインや他の女の子と結ばれて、本当に幸せになれるなら、私は耐えてみせる。むしろ、私が貴方の不幸を引き受けてあげる。
「最推しの貴方が幸せなら、私、それで良いの。
私なんてどうなったっていいわ。見返りも要らない。
私は恋人や結婚よりも……そう、私は、貴方の防波堤になりたい」
そう、貴方を不幸や悲劇から守る防波堤。それが私の偽らざる本心だった。
「さいおし?ボウハテイ……何処の言葉なの……?」
困惑する愛しの最推しリオネル様に、私は思いの丈を告白する。
「私、貴方を絶対に不幸にさせないわ。
私が貴方を守る。悪女になっても、この身が破滅しても。
この薔薇に誓うわ」
リオネル様が助かるなら、どんな事だってしよう。
そう、たとえこの先婚約破棄があろうと、悪役に身をやつしても。たった独りで野垂れ死のうとも。
……そう、後々思い返してみれば。
あれは、前世の頃のリオネル様に対して抱えていたクッソ重くて一方的な……そう、いわゆるオタクのクソデカエモ感情を押しつけただけだったな、と。
リオ様ごめんなさい……。本当に私は……痛いオタクでした。