青薔薇の聖女はラストダンスを踊る。
仄暗い闇の中、豪奢なドレスを着た年端のいかない少女が泣いていた。声を押し殺し、啜り泣いて。
『ねぇ、死にゆく貴女。
惨めな私の代わりに、復讐をお願いしたいの』
……復讐?
『そう、私からすべてを奪ったあの聖女と、それに付き従う貴公子達の全てを』
……滅ぼすの?
貴女が望んだ婚約者、それにあの聖女を守る貴公子達、貴女が得られなかった地位、ローズベル王国全て?
……それって、貴女やリオネル王子が辿れるはずの他の未来も潰すことになるんじゃないの?
『どうして!この憎悪も怨嗟も我慢しろというの?!』
……いやいや、落ち着いて。そうじゃなくてね?
……不幸になるはずの貴女が最高に幸せになった上で、相手の鼻っぱしらを折ってから真相を明かす方が、本当の復讐になるのでは?
確かに、あの時、私はそう言ったかもしれない。
半分ぐらいは冗談、もう半分は説得するつもりだった。
それが、まさか、こんな事になるなんて。
「その者は光の聖女ではありません!」
「その者は、この国に害をもたらすドルシュキー公爵家、ドルンゲン帝国の間者です!」
光の聖女ローズティアと、闇の貴公子のリオネル第二王子の声が王宮にこだまする。
「エリーゼ様!ご無事ですか!」
逮捕されたはずの闇の魔法使いリオネル王子と、隔離されたはずの光の聖女ローズティアが、舞踏会の会場に突入してきたわ。
「リオネル第二王子だと!?逮捕されたはずでは?」
「光の聖女、ローズティア様が二人?!」
ざわめくドルシュキー派の貴族達。
「本当のローズティアは私です!
光の聖女である前に、青薔薇の聖女セルシアナエリーゼ様の騎士です!」
「セルシアナエリーゼ!無事か?!」
そう言って、駆けてきたリオが私を抱きしめる。この温もり、この感触、匂いに胸がいっぱいになってしまうわ。
「……リオ!ロジー!無事だったのね!怪我は?怖かったよぉー!」
駄目でした。ギャン泣きですわ。情けねぇ。
「大丈夫かい?セルシアナエリーゼ」
「お父様!」
嘘でしょ?舞踏会にお父様まで駆けつけてくれたの?
「どうせリオネル王子と光の聖女様は王宮に閉じ込められていると思ってね。
お爺様は一応王子様だったし、爵位でゴリ押しして連れ出したよ」
ウチのお父様、本当に神経が太くなりましたわね。
張り詰める空気、ドルシュキー派の凍てついた視線がリオとロジーを突き刺すわ。
ドルシュキー派の一人が皮肉混じりに笑う。
「聖女の名を騙る庶民如きが、落ちぶれ公爵令嬢の騎士を名乗る?
笑わせてくれるな」
だが、ローズティアは胸を張って毅然と言い放つわ。
「私は軟禁されたお部屋の中で決めました。
光の魔力、光の聖女なんて知らない!
私の事は私で決める!
生涯この剣を、アタシはセルシアナエリーゼ様に捧げます!
アタシは誰が言おうと、青薔薇の聖女セルシアナエリーゼ様の騎士です!」
何処から持ってきたんだろう、レイピアを高く掲げる瞳は揺るがない強い決意に満ちているわ……。
ん?待って、あれ光の魔力で精製されたレイピアよね?ラスボス特攻入ってるやつ。
リオネル様、魔王モードにはなってないんだけど?
なんで光のレイピア覚醒イベント起こってないのに持ってるの!
まさか、イベント見逃した……?!あのイベント好きなのに!
「ねえ、キャス。もういいでしょう?
アタシが学園に通う15歳から18歳の期間を何度も何度もループして、私と入れ替わって聖女ごっこするの。
それだけじゃないんでしょ?
キャスも、ドルンゲン公爵のお妾さんになって……。
下町でモンスターをエリーゼ様にけしかけたり。
悪党にアタシを誘拐させようとしたり。
その誘拐をエリーゼ様のせいにしたり。
テンプテーションの魔法で、下町の皆を聖女しか見えない様にして……
ねぇ、こんな事しても何にもならないよ?
だから、もうこんな事やめよう?キャス」
「……なんて事言うの、おねぇちゃん!今までやってきた事が台無しじゃない?!」
周囲のドルシュキー派、ざわついているわ。
「そう、そこのキャスリーンはドルシュキー公爵家と共謀し、自身を聖女と偽った!
それだけではない。
フィオナ王太子とリオネル第二王子を亡き者とし、このローズベル王宮を簒奪する腹づもりだったのだ!」
「そんなまさか、偽りの聖女?!」
「ドルシュキー家がそんな事を?」
動揺を隠せないわね。
耳元で囁く声。
『焼き付け刃みてぇな栄光なんざいらねぇのさ。
魔法のブルーローズなんざに負けない、本物の青色の薔薇を咲かせてみせるのさ』
……ああ、そうか。
私は髪飾りにした青薔薇に触れる。
ウチの庭に咲いたこの青い薔薇は魔法じゃなくて。
「この青薔薇は、桜子ひいお祖母様の……交配だけで作った青薔薇だったんだ……」
『あんたも、マリー・ルイーズと一緒だろ?ロジー。
自分と大切な人のために、最後まで踏ん張りな!
アンタは、あたしを守ってくれた大好きな赤薔薇の舞姫マリー・ルイーズの血を引いてんだからさ』
青薔薇の聖女の声だ。
青薔薇の妃と、赤薔薇の舞姫。
そっか。ひいお婆様は単に子どもや孫たちに光の魔力を与えたくなかったのではなく、危険が及ぶから渡さなかったのね。
だから、信頼出来るマリー・ルイーズの家系の子に光の魔力を……。
なんだ、そんな単純な事だったのね。
「嘘よ、アタクシが王妃の座から退けられたら、またお父様とお兄様に折檻されるわ!
痛いのも苦しいのヤダ!助けてアタクシの可愛いフィオナちゃん!」
「……あぁ、お母様の癇癪が始まったか。
王妃、ドルシュキー公爵は処刑塔へ一旦連行しろ」
「嫌ぁ!処刑塔なんて怖い!
フィオナちゃんはアタクシの事を絶対裏切らないのよ!
もういいわ、本家の軍を呼び込んでやる!」
そう王妃が叫んだわ。お父様は苦笑する。
「ああ、ヴェロニカ。それなんだけれどね。
残念ながら、君のドルシュキー本家にもスターリングシルバー公爵が率いる北方騎士団が攻め入ってるよ。
元々ドルシュキーの脱税や汚職や業界独占、不正会計が酷くて困っていたんだ。
その金で国家転覆のための兵器を買い込んでいたのだろう?
報告と証拠ならたんまりとある。それなりの刑罰は受けてもらう事になるよ。
僕の元婚約者は、我が国最強の北方軍司令官ロゼ・パルファム・スターリングシルバー女公爵なのは知っているね?
北方軍の予算、君らにガンガン減らされてたよね?
今でも彼女とは綿密に連絡を取り合っているんだよ。
もちろん今回の事も、全部ね?
彼女、今までの冷遇に相当腹を煮やしていたからね」
その話を聞いて青ざめるフレイ様とビクトル様。
「よりによってロゼ叔母様を敵に回しちゃったかー……」
「あの方は苛烈で有名な北方軍の総大将なのに……」
と、二人でコソコソ話しているわ。親戚筋なんだ……。
「嫌!助けなさい!ロナウド!
この時のために可愛がってやったのよ!
フィオナの次に王位を継がせる様に画策したのよ、このアタクシが!」
「……ヴェロニカ王妃。
セルシアナ嬢やキャルロット公爵家を失墜させれば、僕のローズマリーを返してくれると約束しましたね?ヴェロニカ叔母様。
でも、彼女の親戚に会い、本当の事を聞きました。
とうの昔に、ローズマリーは死んでいます。
どうしてそんな嘘を?」
「あら?ワタクシ、そんなこと言ったかしら?
所詮は庶民平民風情の妾なんて気にするほどでも……?」
ロナウド様の地雷を無遠慮に踏んだヴェロニカ王妃。
なのに笑ってるわ、怖い。
ロナウド様の平手が王妃に飛ぶ。
あぁ、温情ゆえの制裁だわ。
「ぎゃー!痛い!痛いのは嫌ぁー!」
「……もういい、話が通じない。
この事態に混乱しているだろう。連れて行け」
命じられた衛兵たちが王妃を連行してゆく。
王妃の頭から外れた、金のティアラが乾いた音を立てて床を転がっていった。
息子であるフィオナ王太子は振り返りもしないわ。
苦虫を噛み潰したような顔をしているだけ。
もう誰も助けないわ。そらそうよ。
偽グレイル卿はため息をついて。
「はー、ようやくオレもお役御免かぁ!
全く、本当に殿下もお人が悪いよな。
いくらオレが親戚のカミーユに似てるからって、行方不明になったグレイル卿の代わりを務め、ドルシュキー公爵家に潜入せよ、なんてさ。
二重スパイなんて本気でキッツいんですよ。
特別手当、危険手当、夜勤手当も!
その他諸々ちゃんと支払って下さいよ?経費込みで!」
「分かってるよ、ボーナスはたっぷり弾むさ。
ヨハン・シュトラウス・ロダン」
フィオナ殿下が偽グレイル卿をヨハンと呼んだわ。
それが、本当の名前なのね。
「エリーゼお嬢さん、下町ではすまなかったな。
ドルシュキー公爵の愛妾キャスリーンが近くにいたから、悪様に言うしかなかったのさ」
「あの言い草、凄く不快でしたわ。ヨハン様。
今思い出してもイラっとするから一発殴っても?
もちろん平手じゃなく、正拳突きで」
「うわ、そんなレベル?悪かった悪かった」
「冗談ですけど、本当に冗談じゃすみませんわ!」
するとニッコリ微笑むフィオナ殿下。
こうおっしゃったわ。
「あと申し訳ないけどヨハン。
君、営巣行き……じゃなかった、ドルンゲン行きね?拒否権無しで」
「いやー!?俺頑張ったのに!
ドルンゲンなんて行ったら死んじゃうじゃないですか!?」
「だってドルンゲンの動きが怪しいんだ。密偵が必要なんだ」
おう、がんばれよヨハン君……。多分死にそうだけれど。
「クソが!セルシアナエリーゼ!
なんでアンタばっか〜!
前世の学校職場でも今世でも、どうして私ばっかこんな酷い目にばかり遭うの〜?
可愛いアタシが毎回ヒロインのはずなのに〜!」
地団駄を踏んで、泣き叫ぶキャスリーン。
すると私の口がまた勝手に開いたわ。
「あら、悪い事をすれば悪い結果になるなんて、当然でしてよ。
ループも繰り返せばそれだけ業が煮詰まるのではなくて?
それこそ自業自得じゃないのかしら?
言ったでしょ?
私は、ワタクシのセルシアナエリーゼ公爵令嬢の本分を取り戻したまでだわ」
ワタクシ……ゲーム内の悪役令嬢セルシアナエリーゼの一人称だわ。
「まあ、地下室で聖女召喚に失敗して……まさか代わりに魔法術式が部分部分繋がって寄生木の魔法が変な風に成功した、なんて言えませんわね。
大体のループだと、その前にリオネル王子が私を憐んでひと思いにやって下さいましたけれど」
それでリオネル様が、悪役令嬢を殺したって説明になっていたのね。
リオネル様も魔王になってラスボス化するわ。納得。
「父上。国王陛下。国家反逆、王宮転覆を図っていたドルシュキー公爵家一派を一掃いたしました」
「全く、フィオナよ。
余計な事を……
ヴェロニカ王妃の言う通りにせよと、何度も申したであろうが」
「え、あの?父上?」
国王陛下は懐にあった短剣をキャスリーンの喉元に突きつける。
「ひっ……!どして?国王サマ?」
「何故も何も、貴様がこの中で1番弱者であろう。
キャスリーン・マリー・ルイーズ。
……ヴェロニカ王妃の発言は、我が王命である。
聖女ローズティアを妃とし、光の御子を産ませよ。
国の為に、何人も。
また、リオネルの背に刻んだ闇の呪術魔法式を起動させ、ドルンゲン帝国を蹂躙せよ。
悪帝アルヴェインを掃討せよ。
さもなくば、聖女の妹の命は無い!
イービルシャドウ!」
そう国王陛下は咆哮して、黒い魔力を纏った騎士のデーモンの影を召喚したわ。
「させない!サモン・バールゼブル!」
リオが闇魔法を解き放つ。
現れたのは山羊の角を持つ威厳のある巨躯のデーモンだわ。
赤黒い雷光を解き放ち、激しい礫の様な嵐雨を呼び、騎士のデーモンを翻弄する!
だがなおも、騎士のデーモンは肉薄し、リオに斬りかかろうとする!
危ない!リオを助けなきゃ!と、私は咄嗟に。
「ロジー!それ貸して!」
私はたまらず、ロジーの手にしている光の魔力を帯びたレイピアを借りて駆け出す。
それだけなのにふわりとドレスが舞い、青薔薇の花びらが舞い上がった。
まるで、ダンスを踊っているかの様に。
私は一気に距離を詰め、フレデリク国王に強烈な一撃を振りかざそうとする。間に合うか?
途端、光のレイピアから魔力が溢れ始めた?
いいえ、レイピアからではないわ。
私の手から放たれた美しくも鮮やかな魔力の光が、瞬間、空間とデーモンを切り裂いたのだった。




