深夜、私室で最推しと密会しました。
魔物の障気もすっかり晴れ、満月の光が冴える深夜。
下町の教会裏に乗り付けた、アニータが手配してくれた公爵家の馬車へ、フレイさまが私とリオを押し込むように乗せられたわ。
「お嬢、あんた、何してるんだ!うかつに聖女の事にに口を出したり手を出すな。
あいつを崇めてる連中に目をつけられたら、どうなるか……」
「フレイ!」
そう叫んだのはヴィクトル様。後ろにレダ嬢を連れているわ。
「レダ嬢を乗せてくれ。あとこの書状を公爵へ。きっと匿ってくださる。
聖女ローズティア様の行方は、私たち教会騎士団にお任せを。きっと王宮か……ドルシュキーの屋敷か」
「……なぁ兄貴、さっきレダさんに掴みかかりそうになってた酔っ払い。あれ、見間違えじゃなければハンスの親父さんだよな?」
ヴィクトルはその問いには答えなかったわ。
つまり、ゆっくりと首を縦に振るのと同じ事よね。
「民衆が騒ぎ始めた。急げ」
御者が馬に手綱を打ち、馬車が走り出したわ。
「ハンスの親父さん、敬虔な教会信者なのに、どうしたっていうんだよ。あれじゃあ……」
「嘘よ……私、ローズティア様が聖女だなんて知らなかった。ただの生意気な庶民だって、皆そう言ってたのに。
どうして……? 聖女様に嫌がらせをしちゃったから、こんな目に遭わなきゃいけないの?
私、ハンスと一緒になれないの……?」
レダの震える声に、車内の空気が重く沈む。
「……君の家はまだ新興勢力のうちの1つにすぎない。
社交界で権力を奮ってはいないのは、分かっていたはずだろ?
今後のことを考えて、君はもっと慎重に行動すべきだった。
一時の競争意識や嫉妬や負の感情で、悪態を付き、嫌がらせをする……そんなことに加担するべきじゃなかった。もっと、狡猾に上手く立ち回るべきだった。
その結果、もっと厄介で狡猾な者に、いい様に使われて、責任を被せられて終わり。
……どこにでもあるよくある話だ」
静かに、だがはっきりとリオが言う。
レダ嬢は肩を震わせ、嗚咽を堪えながら涙を流し続けていたわ。
「それは、ウチが王家の血が入ってないからって言いたいの……?」
「血は関係ない。俺も、嫌と言うほど経験したよ。
一応、これでも第二王子だからな。
そのくせ、協力な後援があるわけでもないのに、こんなのでも王位を狙わせたい連中なんてごまんといる。中には親切な顔して、途中に梯子を外してくるのもいるんだ。
その中で悪意を嗅ぎとれ、なんて至難の業だよな。
だからといって、無能で人畜無害なふりをして黙って状況に押し流されるしかないのも、随分と滑稽だと思うが」
自虐めいたリオの独白に、私はただ微笑むしか出来なかった。
「……王宮怖!」
「心の声漏れてるぞ、お嬢。俺もだけど」
「何よそれ。この馬車に乗り合わせてる皆、王宮や貴族社会苦手なんじゃない」
満月も西に傾きかけた夜中過ぎ、ようやく馬車は我が家のお屋敷に着いたわ。
お屋敷の庭先は避難民でごった返していたわ。
「エリーゼ様! 魔物から助けていただいてありがとうございます!」
「フレイ様もリオネル王子もかっこよかった!」
「ねえ!ご一緒していた 光の聖女様はいらっしゃらないの?」
流石にこの人数だけあって、使用人棟や、お屋敷の高価な調度品を置いていない一階の一部や、玄関ホールなどのいくつかの部屋を開放したようだったわ。
流石に私達の生活空間である2階には入らないよう措置が取られていたわ。
ウチのお屋敷でレダ嬢を匿うことに、お父様はあっさりと承諾してくれて助かったわ。
「因果応報、勧善懲悪……ね。流石に今晩の夢見は悪くなりそうだわ」
「姉上、それはどこの言葉だ」
リオは少し笑ってくれた。
私たちの姿を見るなり、お母様は卒倒してしまったわ。ボロボロだものね。
「私の可愛いセルシアナエリーゼが……こんなボロボロの姿で!何処のどちら様よ……!
わたくし、そんな風育てた覚えはないわ……!」
泣き喚いて魘されながらも、使用人たちにベットルームへ運ばれていくお母様。
ごめんなさい、前世が田舎育ち故に、貴族のお嬢様にしてはモンスターを撃退する側に回るぐらいには、元気が良すぎる娘に育ちました。
まだ起きて待機していたメイドとアニータに促されてラベンダーとローズペダルのハーブソルト入りお風呂に入り、ネグリジェに着替えても。
カモミールとドライオレンジ、ミントが香るハーブティーをゆっくり飲んでも、気持ちはまったく落ち着かないわ。
今日あんな出来事があったばかりなのだから、当然よね。
それにしても今日のイベント密度濃かったわね。漫画なら何話分かしら?
……フレイ様が仰った、リオと二人で逃げる選択肢、か。
まるで、バッドエンド直前の選択肢だわ。
静かな夜の帳が街を包み込む中、月明かりが優しく窓辺を照らしている。幻想的ね。
私はまだ熱く乱れる胸を抱えながら、扉の軋む音に気づいたわ。
「リオ…?」
彼が静かに部屋の中へと歩み寄ってくる。
瞳はいつになく真剣で、その奥に秘めた想いが揺れていた。
これこそ王子様ムーブ全開で絵になるわ、スチル下さい……尊い。
「エリーゼ、君に話したいことがある」
息を呑むほど近くで、リオの声は囁くように響く。
その言葉に、私の心はざわめき、戸惑いと期待が交錯する。まるで私がヒロインみたいじゃないの。
……何かしら、こんなタイミングで?
「こんな夜に、どうしたの?」
「……アルディ家から手紙が来てな。
少し、厄介な事になった」
ん?リオにしては変な間があったわ?何か言い淀んだ?
「闇魔法使いは、自然の摂理とは違う力を操る都合上、術者自身の寿命を削る。
それを回避するためには、光の魔力を持った女性と結婚しろってさ。
そんなの王宮も、教会も、有力貴族も放っておく訳ないのに」
「それって、光の聖女のロジーと結婚すれば良いって事じゃない?
ロジーだってリオの事まんざらじゃないみたいだし。
良かったじゃない。ロジーと結婚しちゃいなよ」
……ああ、良かった。なんとかゲーム通りに進みそうね。私のリオネル様をお守りする役目はここまでかな。
嬉しいはずなのに、胸にぽっかりと穴が空いた気がする。
おかしいな、自分の思う通りに物事が動いているのに、何故悲しいんだろう?
「どうして私に?」
「……ひどいな、貴方は。俺はこんなにも……貴方に惹かれているのに」
リオはゆっくりと手を差し伸べる。
その指先に触れた瞬間、私の体に自然と近づいたわ。
近い近い!距離が近い!オタクの情緒死んじゃう!
「逃げよう、二人で──どこへでもいい。君となら、きっと」
甘く切ない言葉に、私の瞳からは涙が静かに零れ落ちた。えっやだ、涙?何で泣いているの……?
言葉にできない感情が溢れて、胸が締めつけられて仕方ないわ。
「湖が綺麗な村があるんだ。隠れ家にちょうどいい」
「リオ…でも、私たちは……」
言いかけた声は震え、リオはそっと唇を重ねる。
その温もりに、私は戸惑いながらも抗えなかったわ。
そんな、乙女ゲームのヒロインみたいな、本物の恋人みたいな扱いをされて。私は拒める訳なかった。
月明かりの下、二人だけの世界が静かに広がる。
揺れる心の中で、確かな想いだけが深く堕ちてゆく。
……今、キスを、したの?リオネル様と?本当に?
その言葉が胸に突き刺さった瞬間、涙が溢れて止まらなくなった。
違う、違うのに……こんなはずじゃなかったのに。
どうしよう、私は悪役令嬢で、こんな事許されるはずないと心の奥がひどく痛んで、涙は止めどなく溢れ出てしまう。
その眼差しも、優しい微笑みも、暖かな唇すら、本来はヒロインのものなのに。罪悪感が押し寄せるわ。
「……嫌なのか?」
リオの声が耳に優しく響くたび、余計に胸が締めつけられた。
どうしよう。舞い上がるぐらい嬉しいのに、膝から崩れて落ちそうなくらい悲しくて、何も喋れないの。
誤解されちゃう。きっと彼を傷つけることになるわよね?
そんな事など望んでいないのに、どうしてこんなにもすれ違ってしまうのかしら。
最推しの前で、憎まれ役の悪役令嬢である私が、身を引いて、全部背負うしかないのだと自分に言い聞かせているはずなのに。
どうして良心の呵責に苛まれていつもしくじるの?その結果が、ご覧の有り様よ。
「違うの。違うのよ……そんなつもりじゃなかったの……ごめんなさい……」
嗚咽をこらえながら、私は震える声でそう告げるしかないわ。
「少しだけ、ひとりにして……お願い……」
そう言っても、リオは私を優しく抱きしめて離してくれなかったわ。
……何これやばい……この展開、アニメ化したらたぶん2期の12話だよね?
でも私、悪役令嬢だし……これ、間違いなく修羅場ルートだわ。いやそもそもこんなルートないから。
そんな私の心中なんて知らないリオは、気まずそうに静かに部屋を去ってゆく。
その背中に、もう後戻りできない未来が迫っているのを感じてしまうわ。
時間はもう、残されていない。この世界は悪役令嬢には優しくはないはずなのだと、自分に言い聞かせた。
……良心の呵責に苛まれて、悪事に加担出来ずに、いつも優しくしてしまう。ヒロインにも、殿下にも、最推しのリオネル様にさえ。
これが勧善懲悪、因果応報の世界だったらどうなるか?少し考えれば分かることよね。
そう、この頃は悪役令嬢なのだから破滅するのだ、という見通しは本当に甘かったと、後々痛感することになるのだけれど。