第二話1 そんなステータスで大丈夫か
彼は、困惑していた。
眩む視界、酷い耳鳴り、ぼんやりとした意識。端的に言えば、前後不覚。だがそれは、彼の困惑の直接的な原因ではなかった。
(女神ハイジ……許すまじ)
一人の人間の人生が懸っているというのに、操作ミスとは。信じられない気持ちと激しい怒りと、どうすればという絶望感が彼――レンを襲っていた。
最初に正常に働いた感覚は、聴覚だった。
切迫した声がいくつも重なり、ガチャガチャと金属がぶつかる音、ドタバタと駆け回る足音がそれを聞きとれない雑音へと変える。
続いて平衡感覚が取り戻され、自分が片膝を着いて蹲っているのが分かった。手に触れた地面の感触は固くざらざらしており、粗雑な石造りのようだ。
そして、ゆっくり目を開けると。
触覚に違わぬ石造りの床。その上を、何人もの脚が走り回っているのが見える。その向こうにはやはり石材を積み重ねて出来た壁が見え、しゃがんだ視界で見えるのはそれで全てだった。
確かめるようにゆっくりと脚に力を込め、その場でレンは立ち上がる。
開かれた視界により、レンは自分が高いところに居ることを把握した。
石造りの壁は腰くらいの高さで途切れ、その向こう見えるのはだだっ広い荒野。そこには、何だかよくわからない生き物が大量に蠢いていた。
(『魔物を殲滅せよ』、だったか)
それを見て、レンは自分に課せられたクエストの内容を思い出す。つまりあれを全て倒せということなのだろうが――
(数が多すぎるんじゃないか……?)
そもそもレンは魔物と戦うことなどできないのだが、それを置いても難易度がおかしい気がする。
現実逃避気味に周りを見回せば、簡素な鎧姿の兵士らしき人々が忙しなく走り回り、声を上げ、壁の下へ向かって矢を射かけていたりする。
レンの認識が正しければ、ここは城塞と呼ぶべき場所のようだ。
「おお、貴方が最後の一人ですね!」
と、その内の一人がレンを見つけると立ち止まり、目の前まで来て唐突に跪いた。
突然のその行動に、レンはびくりと身を固める。
見るからに厳格そうな男性だ。くすんだ茶髪は短く刈り上げられ、こちらを見上げる顔は精悍、青い瞳はレンを真っ直ぐに見据え、海を思わせる深みがある。
彼は他の兵士とさして変わらない簡素な鎧を身に着けているが、その身から発する威厳は全く比べ物にならなかった。
「お待ちしておりました。私はここ『クランカ』の兵団長を務めております、ザック・マクガレンと申します。女神ハイジ様より、貴方がたをお迎えするようご神託を頂戴しております」
そんな人物が畏まった口調で話しかけてくるものだから、レンとしてはどうにも落ち着かない。
(俺は本来ここに居るはずじゃない役立たずなんだが……)
そう申し訳なく思うが、このまま突っ立っている訳にはいかないのも事実だった。
状況的に彼――ザックに従うのが一番良さそうだったので、「レン・アワードと申します」と返事をして手を差し出す。
すると彼は立ち上がってレンの手を取り握手を交わした後、
「レン様ですね。では、他の皆様の元へお連れ致します。こちらへ」
そう言ってきびきびと歩き出した。
(そうか、流石に一人ではないのか。それなら何とかなるかもしれない)
そう言えば、クエストに送り出されるのが一人とは言われていない。ゲーム的な考えでも、バトルならパーティーを組むのが普通だ。
レンは少し安堵しつつ、慌てて彼の後を追う。
「しかし……見慣れない格好ですね。その、そんな装備で大丈夫ですか?」
と、歩きながらザックが首だけこちらに振り返って問いかけてきた。おそらく、一目見た時から気になっていたのだろう。
大丈夫だ、問題ない――なんて、気の利いた台詞を吐けるはずもない。
見慣れない格好と言うのは、レンが元々テラリアからずっと着ている服――即ち、何の変哲もない学生服なのだから。
(大丈夫な訳がないな……)
それは心の中に収めつつ、首を竦めることで返事とする。
不安を抱えたまま、レンは彼の後を無言でついていった。
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城塞の内部へと入りしばらく歩いた後、ザックはとある扉の前で立ち止まった。
「失礼致します! 最後のお一人をお連れ致しました!」
そして扉をノックし大声でそう発すると、返事を待たず中へと入った。
レンが続いて中に入ると――
「レン! どうしてここに!?」
中から、聞き覚えのある深い声が叫ぶのが聞こえた。
スラリとした長身に青い髪――エドモンドだ。
そこいらの兵士と変わらない簡素な鎧を装備した彼は、レンを見ると驚いた表情を浮かべていた。
「あん? お前、さっきの小僧じゃねえか! なんだって防衛クエストに居やがる!」
そしてもう一つ、知っている声が掛かった。
過たず視線を低くすると、そこにはやはりバルト・タイラスその人の顔があった。
やはり軽そうな鎧を身に着けているが、彼の場合は要所要所に固そうな鉄板がしっかり付いており、機動力を損なわず防御力を高めているようだ。
それに加えて、ぼさぼさの髪を抑えつけるように角付きの兜を上から被っている。
「何だ騒々しい。二人とも、知り合いか?」
今度は知らない声だったが、レンはその主を見たことがあった。
男らしい口調と裏腹に、そこに居たのはスラリとした女性だ。と言いつつ、出るべきところがしっかり出ているのに歳相応に目が行くが――それはそれ。
彼女は、レンが『強化の塔』で目撃した女性だった。美しい光を放ち、見る者を魅了する銀色の髪。見間違えようがない。
白を基調とした、ローブというのだろうか。シンプルな作りの外套を纏い長い杖を持った、如何にも魔法使いという風貌。ちなみにローブの下は一応鎧らしいが、レンにはちょっと直視できなかった。
代わりに顔を見れば、燃えるような赤い瞳が印象的な凛々しくも美しい顔立ちだ。
そして――何よりも目を惹くのは、その尖った耳。
「エレナだ。エルフィニーナ出身。君は?」
(エルフだ……)
その耳と、口にされた世界の名前からレンはそう思った。バルトのドワフニカと言い、もしかするとエルフとドワーフのモデルとなった世界なのかもしれない。
だが、そんな考察をしている場合ではないと我に返る。
「レン・アワードです」
「テラリア出身の、な」
慌ててレンが名前だけを名乗ると、バルトが不満たらたらという声でそう付け足した。
「テラリア……? テラリアの民が何故ここに?」
そう言いながら、エレナはレンをまじまじと観察する。美人の熱視線にどぎまぎしつつ、本当になんでだろうと激しく同意だ。
「ふむ……とは言えなかなかの面構えだし、結構鍛えてるみたいじゃないか。ステータスはどうなんだ?」
「ステータス……?」
エレナはレンを見るとそう評するが、それは過大評価である。そして、問の意味が分からずレンはオウム返しに呟く。
いや、もちろんステータスという言葉の意味は理解している。しているが、「どうか」と言われても「どうなんでしょう」としか言えない。
「なんだ、そんなことも知らないのか? 手を叩くでも指を鳴らすでもいい、頭の中で『ステータス』と連呼しながら何か動作をしてみろ」
「こんな風に」と言って指を鳴らすエレナの傍らに、青く光るウインドウらしきものが現れる。
『エレナ・フィルス』とフルネームが左上に書かれたそれには、HPを初めとしたステータス値が並んでいる。ゲームそのままの見た目で、レンは思わず興奮する。
(なるほど、そういうのがあるのか!)
男なら誰もが一度は考えるであろう、自分のステータス値。
それが現実に見られるという期待に胸を膨らませながら、レンは言われた通り『ステータスステータスステータス……』と頭で唱える。
「ステータスステータスステタステステスタ」
「声が出てるぞ」
「噛んでるし」
エレナとエドモンドが冷静にツッコミを入れるが、レンは気にせず手を叩く。
ズバアアアアアン。
「ーーっ! やかましいわ、このスットコドッコイ!」
相も変わらず力加減を見失ったレンの拍手は、城塞の上に居た兵士が身構える程だったとか。
全員が目を白黒させる中、兜のお蔭で被害が少なかったらしいバルトだけが元気に文句を叫んだ。
などと一悶着ありつつも、レンの目の前にエレナが出したのと同じウインドウが表示された。
「さあて、どんなもんか……って、戦闘力たったの5!? ゴミじゃねぇか!」
馬鹿にする気満々らしいバルトが早速覗き込んできたが、余りの低さにただ驚くことしかできなかったらしい。
「いや、それよりも制動力1の方が驚きだぞ……筋力が30あってこれは、動く度に何か破壊するレベルだ」
続いてウインドウを見たエドモンドは、戦慄すら覚えているようだ。
レンは横目にエレナのウインドウを見るが、彼女の制動力は36。イマイチ何を表す数値なのか分かりかねるが、ぶっちぎって低いことだけはよく分かった。
「いやいや、というか……年齢15!? その見た目で!?」
「よく言われます」
そしてエレナがお約束のやり取りをするのを最後に、レン以外の全員が沈痛な面持ちで頭を抱えた。
ちなみにここまで沈黙と不動を守ってきたザックも部屋に居たのだが、彼も一緒になって頭を抱えている。レンとしてはもう、針のむしろ状態だ。
「つまり、なんだ。これは要するに……」
精一杯平静を保ちながら、おそるおそる声を上げたのはエドモンドだ。
「あの……女神様の操作ミスだと、ガブリエルさんが」
レンがそれに答えるように、最後に聞いたガブリエルの言葉を伝える。
すると全員が再び頭を抱え――
「あんのガチャ廃神、またやりやがったのか!!」
遂に堪えきれなくなったエレナが、全力で怒りの叫び声を上げた。