第一話6 餌orお気に入り(デッドオアアライブ)
(思い……出した!)
レンは、衝撃に襲われていた。
何故すぐに思い至らなかったのだろう。何故忘れてしまっていたのだろう。
ガブリエルがバルトに対し口にした、『強化』という言葉。そこに覚えた引っ掛かり。
もしかすると、無意識に目を背けていたのかもしれない。しかし思い出してしまった以上、そして目にしてしまった以上、もう受け入れるしかない。
ソシャゲにおいて、あまりにも定番な要素の一つ。
その名も、強化合成――要は、キャラにキャラを食わせるあれだ。
「強化合成というのは……不要になった異界人の魂を引き剥がし、それを使って別の異界人の魂を強化することだ。たった一人を強くするために、複数人の人間を生贄にする。そんな残酷なシステムだよ」
ガブリエルが、ゲームそのままの『強化合成』の仕組みを説明する。
ゲームの中では軽々しく行われるその行為も、こうして実際に『食われる』場面を見てしまうと、それが如何に残酷で無慈悲なものか実感させられる。
いや、ゲームなら、合成素材専用の存在が居る場合もある。しかし現実にはそんなものはなく、そこに居るのは等しく一人の人間だ。それぞれに生活があり、心があり、そして命がある。
そのことを、未だ鳴り止まぬ絶望の声がレンに訴えかけてくる。『死にたくない』、と。
眼前のガラス玉の中、眠る女性はただ光っているのではない。
下から立ち上る光が、他の人間の魂が、どんどんと入り込んでいっているのだ。
ガブリエルの言葉と併せて考えれば――下の人間は素材。彼らの魂を、この女性の強化に使っているということである。
「生きたまま魂を引き剥がされるというのは、想像を絶する苦しみを伴うらしい。全細胞に癒着した何かを、丁寧に一つずつ、かつ乱暴に引き千切られるようなものだとか」
目の前の光景に茫然としているレンに、ガブリエルはそう語る。
例えですら想像が全く付かないそんな痛みを、彼らは今正に味わっているということだ。
「強化の恩恵は大きい。魂が強化されればステータスも上がるし、アビリティが付与されることもある。しかし、見ての通りの残酷さと外聞の悪さから、実際にやっている神は少ないそうだ」
(異世界召喚ではこれが当たり前、という訳ではないのか……)
かろうじて保たれていた世界の倫理に少しは安堵を覚えるレンだが――安心できるはずもない。
(しかし、わざわざここに連れて来たということは――)
『無関係ではいられない』。塔に入る前、彼は確かにそう言った。
それはつまり、レンもここに呼ばれる可能性があるということだ――どちら側かは分からないが。
そして、ガブリエルの語りは続く。
「だが、さっきも言った通りうちの女神はガチャ中毒だ。大神石を、召喚以外の目的に使うつもりがサラサラ無い。すると結果、どうなると思う?」
「ボックスが溢れる……」
ソシャゲではよく見る光景だ。ガチャを引きまくれば、キャラクターは増える一方。
放っておけば、いずれはボックスの許容量を食いつぶす。
「その通り。他の世界では、輪廻転入やボックスの拡張で大概追いつくんだ。しかしここでそれは滅多に行われない。女神ハイジが、『ガチャ廃神』なんて呼ばれる所以だよ」
誰に呼ばれてるかはさておき、さもありなんという呼び名だ。目の前の光景を一度でも見たなら、強化合成など二度とする気にもならないのが普通だろうに。
それでも尚ガチャを回し続けるなど、正気の沙汰ではない。
「彼女をよく見たまえ。頭の少し上に、星印が見えるだろう」
言われてレンが目を凝らせば、女性の頭上には小さく赤い星のマークが浮かんでいた。
「あれは『お気に入りマーク』だ。実は今、君にも付いている」
ガブリエルはそう説明を加えながら、パチンと指を鳴らす。その音に従って現れた手鏡をレンに手渡すと、「ほら、見てごらん」と促した。
「確かに……」
鏡の角度を四苦八苦して変えながら、レンは自分の頭上に黄色い星マークが浮かんでいるのを視認した。
(色が違うな……)
改めて女性の方を確認するが、やはり彼女の頭上の星は赤色だった。この違いは、一体何なのだろうか。
「それは、ハイジ様の付けた目印だ。間違って大切な異界人を合成素材にしないように、ってね。逆に言えば、それが外れた異界人はいつ強化素材にされてもおかしくない」
疑問に思うレンだが、ひとまずはガブリエルの話を聞くことに集中した。
何せ、そちらは間違いなく命が懸った話なのだから。
「今君にそれが付いているのは、君が新人だから。これからクエストに失敗すれば、容赦なく外されると思っておいた方がいい」
つまり――今後クエストに駆り出され、そこで失敗をしたら。
レンもまた、下の彼らと同じように魂を引き剥がされ、地獄のような苦しみを味わうことになるということだ。
「いいかい、受け取れる天啓の強さ、明確さは、ボックスでどれだけ強く心に刻み込めるか、その一点に懸っている」
ガブリエルは真剣な面持ちで、レンに言い聞かせるように語り続ける。
「『絶対にクエストを成功させる』。『死んでたまるか』。そういう意志が大事なんだ。だから今日見た事を、絶対に忘れないでほしい」
彼はそう結び、レンの肩に手を置くと、「わかったかい?」と訊ねた。
コクリ、と頷くレンだが、一つ気になって質問を投げかけた。
「……魂を引き剥がされた異界人は、どうなるんですか?」
生きたまま魂を引き剥がされる、ということは――抜け殻になった身体は、そして合成された魂は、どうなってしまうのか。
「そうだね……もうじき強化が終わる。下に降りよう」
ガブリエルは答える代わりにそう言って、再びエレベーターに乗り込んだ。
レンが黙って従うと、浮遊感と共にエレベーターが作動する。
塔に響き渡る絶叫は、少しずつ小さくなっているようだった――不快感は欠片も減らないが。
一つ、また一つと止まる叫び声を聞きながら、レンたちは下の層に戻ってきた。横目に見える光の筋も、どんどん薄く細くなっていった。
レンはエレベーターを降り、桶の縁に立つ。
中を覗き込むと、もうほとんどの人が声を上げてはいなかった。彼らはぐったりと折り重なり、その表情からは微塵の生気も感じ取れない。
「……終わったみたいだね」
やがて最後の一人の声が止み、光は完全に消え失せ、辺りは通路と同じ光の玉以外の光源が無くなった。
それを見届けたガブリエルは、低い声でそう呟いた。
そして、次の瞬間。
ドウン、と大きな音が響き、塔全体が大きく揺れた。
「うわっ」
体勢を崩し桶に突っ込みかけたレンの腕を、ガブリエルがかろうじて掴む。
そしてレンは、その光景を目の前で拝むことになった。
目の前に山のように折り重なっていた人々の抜け殻が――落ちて行ったのだ。
先ほどの音は、桶の底が開いた音らしかった。重力に従って投げ出された人々の身体は、下へ、下へとひたすらに落ちて行く。
そして――彼らの身体はどんどん小さくなり、いつまでも落ち続けているのだ。
底の見えない真っ暗な場所へ、いつまでも、いつまでも。
やがて彼らは見えない程小さくなり――後には、ただ何もない闇だけが残された。
「……あまり長く見ない方がいいよ、レン」
ガブリエルにそう言われるまで、レンはずっとその闇を見つめていた。視線すらも吸い込むような、人の心を吸い寄せるような、深い闇。
ぐいっと腕を引っ張られ、レンはようやくガブリエルに向き直る。
「魂を引き剥がされて抜け殻になった身体は、今のように『奈落』へと廃棄される」
ぎぎぃ……と軋むような音を立て、桶の底は元通りに閉まった。その傍らで、ガブリエルはそう語る。
「『奈落』……?」
発された不穏さを発散する単語に、レンは声を震わせながら訊ねた。
「この世のどこにでもあり、そしてどこでもない場所さ。肉体は奈落、魂は別の人間の欠片。これで彼らは、肉体も魂も完全な死を迎えた、と言っていい。二度と生まれ変わることすら叶わない」
ガブリエルの声音は、無感情で淡々としたものだった。しかしその表情は、どこまでも痛切な悲哀に満ちている。
(完全な、死……)
合成素材にされたら、自分にもそれが待っている。普通の死ですら体験したこのないレンには、やはり想像の付かない概念だ。
だが――本能より更に深い何かが、それを拒んでいるのを感じた。もしかしたら、それが『魂』というやつなのかもしれない。
レンはおもむろに膝を着き正座をすると、手を合わせ、そして祈る。
冥福を祈る、というのは意味がないのかもしれない。おそらく彼らは、死後の世界にすら行けないのだから。
ただ――彼らの『死』を悼む気持ちだけは、どうにか届いてほしかった。
「……戻ろうか」
ガブリエルは優しげな目でレンが祈り終えるのを待つと、やがてそう声を掛けた。
レンは頷いて立ち上がり――そして、心に強く刻む。
絶対に生き抜いてやる、なんて格好いいものではない。
ただひとえに――
(あんな目に、絶対に遭いたくない)
という、後ろ向きな決意を。
***********
二人は塔を出て、再びあの寂しい通路を歩いている。精神的な疲労から、しばらくは無言の時間が続いていた。
「……疲れただろう。戻ったら、今日はもう眠ってしまうといい。『科学』のクエストは今入っていないはずだから、急な召集もないだろう」
ようやくボックスの立方体の端が見えてきたというところで、ガブリエルがそう話しかけてきた。
レンもコクリと頷きながら、ようやく見えたそこにふうっとため息を吐く。
(色々ありすぎて、頭がパンクしそうだ。こういう時は眠るに限る)
ガブリエルの助言も踏まえ、部屋に戻ったらいの一番に眠ることを決意するレン。
――だが、しかし。
「あれ――」
不意に、視界の端にチラつく物があった。思わず声が漏れ、足が止まる。
視線を向ければ、何やらメッセージウインドウのようなものが見えた。
「どうしたレン……って、馬鹿な! クエスト!?」
振り返ったガブリエルは、そのウインドウを見ると驚愕に目を見開き、大声でとんでもないことを口走った。
「な――」
(『噂をすれば影』ってやつか?)
という心の呟きは、ガブリエルの肉声と見事に被った。
それにしたって急すぎる。召喚されたその日のうちに、早速クエストに駆り出されるとは。
「『科学』じゃないとしたら、『開拓』か? それにしたって――いやちょっと待て、その色は!」
気が付けば、レンの体はぼんやりとした光に包まれている。
慌てふためくガブリエルの横で、更に慌てながらメッセージを読み始め――途端、レンの表情が凍りつく。
ほぼ同時、その光景を見慣れているらしいガブリエルにも同様の変化が見て取れた。
「「『防衛』!?」」
今度はレンも声を上げ、二人の肉声が綺麗に被る。
メッセージウインドウは赤色。『魔物を殲滅せよ』と書かれたメッセージの上に躍るクエスト分類は、『防衛』の二文字だった。
体を包む光は輝きを増し、徐々に自分の体が見えなくなる。
「どういうことですか!?」
『レンが防衛クエストに回されることはまずない』。
ガブリエルは間違いなくレンにそう言ったはずだ。にも関わらずこれは一体どういうことなのか。
責めるように問いかけるレンに対する回答は――
「あの駄女神――また操作ミスか!」
頭を抱えて吠えるガブリエルによって明かされた、信じられない事実だった。
「は」、と一音息を漏らした後、
「はああああああああああ!?」
鍛え上げられた腹筋から渾身の叫び声を響かせ――レンの姿は、光の中に掻き消えた。