第五話2 ディルマンチュラ討伐戦
闇の中を、落ちていく。
この下に、巨大な魔物が口を開けて待っていたら――などという、どうしようもない不安がレンを襲う。
身構えていたレンはしかし、ネルの光魔法に照らされた地面を見た。ひとまず最悪の展開は避けられたと言える。
しかし、待ち受けているのは討伐対象、ボスモンスター。それを打ち倒さなければならないのだから、安堵している暇はない。
穴を通り抜け飛び出した部屋は、青緑の妖しい光を放っているため視界が確保されていた。
だから、レンにもハッキリと見えた。
部屋の奥、そこに陣取るモンスターの姿が。
そこに居たのは巨大な蜘蛛の化物だった。
沢山の赤い目玉と下品な牙が付いた頭。でっぷりとした胸と腹。刺々しい黒い毛に覆われた八本の脚は、一本一本がレンの脚ほどの太さがある。
頭、胸、腹だけでレンの倍くらいの大きさがある。脚を含めれば、全長は五メートルにもなろうという巨体だ。
そして、部屋はその巨体を収めて尚余りある大きさだ。端から端までは五十メートル近くある。
光を放っているのは、ところどころに固まっている蜘蛛の糸だった。
「『エア・バッファ』!」
ネルの魔法により、五人は部屋の床に軟着陸する。それと同時、ブンッと音を立ててメッセージウインドウが各自の目の前に現れた。
『討伐対象 ディルマンチュラ』
表示されたメッセージはそれだけだった。そして、それだけで十分だ。
「大気に宿りし火の精霊よ――」
「行くぞ!」
「おう!」
エレナが詠唱を始め、エドモンドとバルトが地を蹴ってボスへと迫る。
全力強襲の電撃作戦。エレナを守りきればレンたちの勝ちだ。
大蜘蛛、ディルマンチュラの瞳孔の無い目玉が一斉に、駆けて来る二人に向いたようだった。
その口から大量の糸が吐き出され、二人に向かって飛来する。
ダメージはないかもしれないが、粘着性の高いそれは身動きを封じる。つまり、戦闘中に食らったら一巻の終わり。そういう意味で言えば、普通の攻撃よりも厄介な飛び道具だ。
バルトは左に、エドモンドは右に大きく跳躍して糸を躱すと、即座に切り返し再びディルマンチュラに近付こうと駆け出す。
大きく左右に分かれた二人に、糸が交互に放たれる。
だが、厄介だろうと単調な攻撃だ。強化された二人にとって躱すことは容易い。
するとディルマンチュラは唐突に狙いを変える。二人の間を縫って、レンたちが居る場所に向かって糸を飛ばして来た。
「飛燕を落とす三つの牙。十戒、聖苑、黄金の秤。上りて揺蕩い我を見よ」
詠唱を続けるエレナは身動きが取れない。その彼女を守るのは、レンの役割だ。
「ふん!」
風の魔力を帯びた団扇を両手で握りしめ、上から下に真っ直ぐに振り抜く。
巻き起こった突風が、ディルマンチュラの糸を巻き込んで吹き荒れる。糸の塊は乱気流に解かれ、レンたちに届くことなく洞窟の床にはらりと落ちた。
(よし――!)
と安堵したのも束の間、ディルマンチュラの挙動に変化が起こっていた。
洞窟の最奥から糸を飛ばしていただけの大蜘蛛は、突如身を屈めると凄まじい勢いで走り出したのだ。
八本の脚がバラバラと動き、喧しい音を立てながら一気呵成に近付いてくる。
「コイツ――!」
「速ぇ!」
左右に散っていたエドモンドとバルトは、慌てて踵を返すとディルマンチュラの行く手を塞いで身構えた。
そして息吐く間もなく、ディルマンチュラとぶつかり合う。
ディルマンチュラは、二人に向かってそれぞれ前脚を繰り出す。二人は武器を使ってそれをいなすが、よく見れば足の先端は刃のように鋭く研ぎ澄まされている。
まともに食らえば、あっさりと真っ二つにされてしまうだろう。
脚の動きは見た目に反してかなり素早く、二本の前脚を器用に動かして二人を狙い続ける。
ディルマンチュラの脚は、伸ばしきれば一本一本が五メートル近くあると思われた。生身の人間が挑むには余りにリーチの差が大きい。
バルトもエドモンドも、一本の脚を相手取るだけで精一杯だ。攻め込む隙などあろうはずもなく、己の身を守ることしかできない。
だが――今はそれで十分だ。
「因果満ちれば天に嗤い、災禍混じれば地は謳う。可逆の彼方へ導かん」
エレナの詠唱が進み、魔方陣はかつてないほどの魔力を孕んでいる。
その脅威を感じとったのか、ディルマンチュラは脚でバルトたちの相手をしながら、空いている口から糸を再び放つ。
全く、魔物の生存本能というのは厄介だ。しかし――
「させるか!」
叫びながらレンは再び団扇を振るい、糸を吹き散らす。
荒れ狂う風の音と、バルトたちの武器とディルマンチュラの脚がぶつかり合う金属音が洞窟に響き渡る中、詠唱がその喧噪を切り裂いて響く。
「赤、蜀、南、香、尽、遠、階。白き御霊が常世を語る!」
エレナの周囲に描かれた魔方陣の至る所から、赤々とした炎が噴き上がる。
それはエレナが高く掲げた杖の先に集まると、見る間に巨大な炎の玉へと集約されていく。
煌々と赤い光を放つ魔方陣の中心で、エレナは最後の詠唱を刻んだ。
「落陽をここに! 『インフェルノ・ギガンティア』!」
そこにあったのは、まるで小さな太陽だった。その大きさはディルマンチュラを一飲みに出来る程で、その熱量は周囲の糸を干からびさせる程だ。
正しく、全てを焼き尽くす断罪の炎。
「さあ、害虫駆除の時間だ。灰すら残さず燃え尽きろ!」
エレナが吠えながら、杖を振り下ろした。
巨大な火の玉は見た目にはゆっくりと、しかし避けることのできない速さで迫り、一息に大蜘蛛を飲み込んだ。
その瞬間、炎が膨れ上がって洞窟を紅に染め上げる。
轟々と音を立て荒れ狂う炎の奔流が、ディルマンチュラが居た辺りを蹂躙していた。猛る炎熱は周囲のあらゆる物体の存在を許さず、周辺にあった糸は遂には蒸発して消え失せた。
「久しぶりに見たが、凄まじい火力だな……魔力が濃い場所だからこれで済んでいるが、普段の戦場なら俺たちも焼け死ぬところだ」
「流石に、これを食らって生きてるヤツは居ねぇだろ」
「炎の最上級魔法だからな。やはり、この魔法の爽快感は素晴らしい……!」
いつの間にやらこちらまで戻ってきていたエドモンドとバルト、そして会心の魔法を放って満足げなエレナが言葉を交わす。
レンも改めて炎を見遣り、感嘆のため息を漏らす。
エレナの魔法は既に何度も見ているが、これ程強力な魔法は初めて見た。
『最上級魔法』の名の通り、エレナの奥の手というところか。先ほどの会話を聞く限り、滅多に使えない事情もハッキリとあるようだが。
「ちょっと、まだ油断しちゃダメですにゃ。魔法が強すぎて魔力感知が滅茶苦茶なのです。敵の生存確認ができないので、炎が晴れるまでちゃんと目視ですにゃ」
「あれを直視すると目が乾いて仕方ないんだが……」
愚痴るエドモンドを杖で小突いて、ネルは警戒したまま炎を見つめる。
ネルの言う通り、確実に敵の死亡を確認してからでないと、勝利を確信はできない。安易な勝利宣言はフラグでしかない。
正論と言えば正論であるが、しかしこの場合――
「あれは……欠片も残らないような……」
「全くだな。あれでまだ生きてるってんなら、もう生き物じゃねぇだろそれ」
レンの呟きにバルトが同調する。『灰も残さず』とかエレナも言っていたし、跡形もなくなっている可能性は非常に高い。
その場合はまあ良しとするしかないだろう、などとレンが考えていたら――
「――馬鹿な」
呟いたのはエドモンドだったが、それは全員が見ていた。
「一体、どういう……」
愕然と声を上げるエレナ。その視線の先には、炎の最後の一片が消え失せ、元の光源である糸が燃え尽きて幾分暗くなった空間がある。
そして――
「そんな……」
絶望に駆られ、レンもまた声を上げた。
そこには、ディルマンチュラの漆黒の巨体が、堂々と存在していた。
赤々と、どうやら怒りの炎に燃える目で、レンたちを睨み付けながら。




