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09

 目の前には中央部が隆起した帽子のような形をした鍋がある。

 突起部分にはたれにつけられ、厚めに切られた肉が乗せられており、じゅうじゅうと焼ける音が聞こえてくる。溝上になっている場所にはもやしや玉ねぎが敷き詰められており、上部に置かれた肉汁や滴り落ちるタレで煮られている。


「これは、なんじゃ?」

 樹は物珍しそうに、鍋を見ている

「なんだ、食べたことがないのか?」

 樹は鍋に顔を近づけ、匂いを嗅いでいる

「羊の肉なのはわかるが、変な形の鍋じゃのう」

「ジンギスカンっていうんだよ」

 父が優しく樹に教えている。

「人が来たらこれだよな」

 ホットプレートを使うほうが楽なのだが、こっちのほうがジンギスカンをしている気分になる。

「そろそろ焼けるわ。食べましょ」

 俺と樹に箸を渡し、そろって卓に着く。

「いただきます」

 声をそろえて言うと、後は皆好きなように好きなものを食べる。

「久々だな。これ」

 甘い醤油たれに浸かっていた羊肉は臭みがなく、中央部の盛り上がった部分で焼かれた肉は香ばしい香りを放っている。それに焼き立ての肉は熱く、一口噛むと厚い肉の中から肉汁が零れてくる。

「窓を開けて換気もしてるから、匂いも籠らんだろう」

 窓の外では雨が小ぶりになったのか、雨音は小さい。窓を開けたことにより部屋の気温が少し下がり、冷たい風が入ってくる。しかしそれ以上に目の前のジンギスカン鍋の熱気が部屋を暖める。

「あら?樹ちゃん?」

 母の声かけが耳に入ったので樹の様子を見ると、樹は何故か箸を持ちぼーっとしていた。

「なにが食べたい? ほら、お肉も焼けてるよ」

 父さんも樹が遠慮していると思ったのか、焼かれた肉をどんどん樹の取り皿に入れている。樹は自分の空だった取り皿を肉で埋め尽くしていく父にハッとなった様子を見せた。

「あ、いや、すまない。少し見惚れておった」

「あらあら、もしかして私に?」

 母さんは自分の頬に手を当て、ニコニコと嬉しそうに聞き返している。

「母さんは確かに美人だが……」

「年考えろよ」

 父の言葉を遮るように言った俺の言葉を母は聞き逃さず、俺と父さんに鍋の下で煮え切った輪切りにされた玉ねぎを投げつけてきた。

「あっづぅ!」

 俺たちが口を抑え熱さで悶えているのを見て、母さんは吐き捨てるような目つきで俺たちを見ていた。ただその目は語っていた。『次は無いぞ』と。そんな家族のやり取りを見てか、樹は声を出して笑いだした。

「いや失礼、仲睦まじく素敵だと思ってな。失礼」

 笑って出た涙を指ですくいながら、樹は笑った理由を俺たちに教えてくれた。しかし俺たちはそんなことを言われるとは思っておらず、なんだか気恥ずかしくなってしまう。

「父君」「は、はい」

 樹に呼ばれた父さんは授業中に指された生徒のように、なぜか背筋を伸ばして大きく返事をしている。

「お肉、ありがたく頂かせてもらいます」

 かしこまって樹はそう言うと、一口で肉を口に含んだ。

「おお、コレは確かに美味い。たれに漬け込んであるせいか、羊肉なのに臭みもなく、柔らかい。それにこのぶ厚い肉が肉を食べていると実感させ、食欲をそそらせる」

「喜んでもらえて嬉しいわ。もっと食べてね」

「おうとも、沢山買って来たからな」

 褒められてうれしいのか、父さんたちは上機嫌になっている。

「太陽はなにを食べておるのじゃ?」

「もやしだよ、お前も食うか?」

 俺は自分の箸でタレがしみ込んだもやしを掴み、隣に座っている樹の前に差し出した。

「おお、良いのか?」

「味が染みていて美味いぞ」

 ジンギスカンには必需品の野菜、それがもやし。値段も安く素晴らしい。

 い俺の箸からもやしを食べると、樹は口元を片手で隠し咀嚼している。

「んんっ、このたれの甘みがしみ込み、柔らかいこの触感、たまらないな」

「おかわり!」

「はいはい」

 樹が元気よく言うので、俺は鍋からもやしをつまみ、先ほどと同様に樹の前に差し出した。

「これもまた美味!」

 樹も満足そうである。さて、俺は玉ねぎでもと鍋のほうを見ると、対面している母さんと目があった。何やらうれしそうに箸を咥えている樹を見ている。短時間しか樹と出会っていないのに、母さんが樹を見ている行為をいつものことかと思わされてしまう。樹のことを好きすぎるだろ。

「こんどは玉ねぎが良いぞ。あー」

「玉ねぎね、熱いから気をつけろよ」

 持っていた玉ねぎを樹に食べさせようとし、箸が止まった。何で俺こんなことしているんだ。疑問に思いふと樹の方を見れば、餌を待つひな鳥のように上半身を突き出し、大きな口を開けて待っている。

「まだか~?」

「……自分で食べろ」

 俺は持っていた玉ねぎを樹の皿に移し、新たに肉をとって食べることにした。

「おお、すまぬなぁ」

 樹は気にしていないのか、そのままその玉ねぎを自分の箸で食べている。

 そんな俺たちのやり取りを見て両親は初々しいと笑っているが、相手にするのも面倒だったため無視をすることにした。

「で、樹ちゃんはいつまでいられるの?」

「迷惑ならば明日、いや、今からでもお暇しようとは思っていますが」

 樹の返答に母さんは強く首を横にふり、引き留め始める。

「ううん、迷惑なんかじゃないわ。むしろ娘が出来たみたいで大歓迎よ。楽しいから」

 たぶん本心だろう。父さんもウンウン同意している。あれ、もしかして俺っていらない子? などとくだらないことを考えながら、肉をとろうとすると、何故か俺の目の前で肉が浮いている。

「ほれ、お礼じゃ」

 当然肉が浮くはずもなく、樹が先ほどの野菜の礼にと俺に肉をとってくれたようだ。

「いいって、自分で食えよ」

 両親の前であることや、いくら樹の正体が木とはいえ自分がやるのならともかく、妙な気恥かしさが体に残る。ちらっと二人の方を見ると、微笑むような顔でこちらを見ているではないか。樹は相変わらず美味そうに焼かれた肉を口の前に運んでくるし……。

「遠慮するでない。ほれ」

 悩んでいると、無理やり肉を箸ごと口の中に突っ込まれた。

 先ほどまでジンギスカン鍋で焼かれていた肉が、俺の口内に高熱を維持したままは入ってきたため、思わず口から肉が飛び出そうになる。

「あ、す、すまん」

 俺の様子を察したのか、樹はおろおろと自分に酌まれたコップに入った水を水を俺に渡してくれた。俺はそれを躊躇いなく受け取り、口内を冷やすべく一気に飲んだ。

 肉も飲み干しほっと一息ついていると、樹はがらにもなく萎れた花のように落ち込んでいた。ただこの程度のことでそこまで悩まれるのも困る。

「気にすんなって」

 頭をぽんぽん叩いて、大丈夫だとアピールしてやった。樹はそんな俺を見てか、ほっと息を撫でおろしていた

 樹より問題なのは、俺たちのやりとりを見た母たちが横槍を入れてくることで、囃したててくる方がよっぽど悩みの種になっていた。




 それは嫌なので、本日2度目の風呂へ入るとしよう。

「なんじゃ、今はいるのか?」

 樹が話しかけてきた。

「そっちも終わったのか?」

「うむ、今洗い物が済んだところじゃ」

 着ていたエプロンで手を拭きながら、樹は返事をする。

「ごめんなさいね、洗い物手伝ってもらって」

 母さんは本当に助かったと樹に感謝をしている。樹はと言えば、

「気にするでない、母君よ。馳走になったのじゃ。片づけはわしの役目」

「本当にいい子ねえ、ねえねえ、本当にうちの子にならない?」

 この通りである。猫を被っているわけではないだろうが、樹は俺とは違い人に好かれる奴だ。

「では、わしもお湯を頂くとするかのう」

「お父さんが入った後だけど、ごめんなさいね?」

 やめてやれ、父さん泣いているぞ。

「いやいや、なにを嫌がることがあろうか」

「あらそう?」

「家族の為に一生懸命働く父、嫌がるはずがなかろう」

 ふと横を見ると、父はさらに泣いていた。

「というわけで太陽。湯浴みに行くぞ」

「お、俺もかよ」

「積もる話もあるじゃろ」

 確かに話すことは山ほど、だからって、風呂じゃなくても風呂じゃなくても

「そうだ、樹ちゃんの下着、どうしましょ。今穿いているのは洗わないといけないし」

 そうだ、元から泊まる準備はしていなかったはず。コンビニでも行く気か?

「太陽、なにか寝巻か何かを借りてもよいか?」

「あ、ああ。スウェットなら何着か」

「ではそれを借りてもよいか?」

「ああ。足は窄まっているタイプだし、丈は問題なし。紐もあるからウエスト調整は問題ないだろ」

「ではそれを借りるとするかのう」

「で、でも、ほら、下着は?」

 今は寝まきではなく下着の話だったはずだ。

「スカートじゃないし、生地の厚い寝間着を着れば、寝る時くらい問題ないじゃろ」

 あっはっはと言い放つ樹に、俺たちは茫然としてしまう。

「ノーパン少女」

 だれだ、今言ったやつ。あ、父さんか。なぜわかったかって? 母さんにお仕置きという名のアイアンクロ―をされているからだ。

「あら、じゃあ後で洗濯しておくわね。明日の朝には乾いていると思うから」

 それでいいのか、母さんよ。できればアイアンクロ―を維持したままこっちを見ないでいただきたい。

「決まりじゃな。さ、風呂じゃ風呂」

 樹が来てから家の中が騒がしくなったような気がする。気苦労は多いが、不思議と居心地は悪くなく、むしろ昼時まであったストレスが俺の心からすっかり消えて行ったような気がする。

 樹は積もる話だなんだと言ってはいたものの、二度目の風呂は軽く済ませるだけにして早々に風呂からあがった俺たち。樹は積もる話だなんだと言っているが、部屋でゆっくり話そうと無理やり納得してもらった。樹の髪にドライヤーを当てながら俺は、樹にどこで寝るかを質問した。すると樹は俺の部屋に布団を敷いて寝ると言っている。まあ確かに風呂で出来なかった話もあるのだから、妥当だろう。俺たちの会話を聞いた両親は嬉しそうに会話しているのが耳に入った。

「二人は同じ部屋らしいわ」

「アレは持っているのか?子どもは大丈夫か?」

「そ、そうよね。一応渡しておこうかしら」

 この有様だ。息子を何だと思っているのか。

 二人が言っているあれとは、『風船のようなアレ』なんだろうが、ご生憎様。両親から渡されると言う羞恥プレイは遠慮したい。そのため俺は樹の提案を了承し、両親から声をかけられる前に二階の物置兼、布団部屋へ出向き、樹の布団を取り出しに行った。

「コレで良いか?」

「おお、十分じゃ。それにしても、どれもふかふかで雲のようで質が良いのう」

 樹は俺が部屋に運んだ布団を撫でながら、感想を漏らしていた。

「なんだ、樹はコレも珍しいのか?」

「なにぶん、布団などで寝た記憶は少女の記憶程度しかないからのう。あったとしてもペラペラのせんべい布団が中心じゃ。後はたまに来る鳥や獣たちから話を聞くくらいかの。なにぶん、木の状態では動けないのでな」

「そんなもんか、だったらたまにはその体で遊びにでも行けば良いのに」

「森で少女がシカやキツネ、果てはクマなど獣たちと戯れている。それを見た群衆はどう思う?」

「なるほど、通報もの、よくてホラーだな」

 長髪の美少女が一人山で禽獣たちと遊んでいる姿、夜中に見たら漏らす自信がある。

「そうじゃろ? それにいざ街へ向かおうにも、足がないから帰るのにも困難じゃ」

「なるほど、色々大変なんだな。でも今回はどうやってきたんだ?」

 人には人の、木には木の事情があるってわけか。だが気になったことも出来たため聞いてみると、蕎麦殻の入った枕を両手で抱えて正座している。

「枕、それでいいのか?」

「うむ、布団は柔らかく、枕は堅いほうがよく眠れそうじゃ」

「そうかい」

 布団と床の間に一枚マットを敷き、布団を敷き終える。後は……歯磨きか。樹について来いと洗面所まで連れていき、新品の歯ブラシを渡すと同時に歯の磨き方を教えてやった。樹は慣れた様子で俺が説明したとおりに歯ブラシを上手く使い、洗面所の横に置いてあるコップでうがいをした。

「コップ、使い終わったら軽く水で洗っておけよ」

 うむとうなずくとザザっと水で洗い、俺にそのコップを渡してきた。

「太陽も使うじゃろ?」

 確かに使うが、見られているとなんか嫌だな。間接キスとか言う年頃ではないが、妙に恥ずかしいものの、渡されたコップを使い数回口をゆすいだ。今日だけで色々経験した気分だ。

 樹は下でテレビを見ている両親に寝る前にあいさつをした後、俺の部屋に戻って来た。お互い布団に入り、部屋の電気を消した。

「おやすみ」

「うむ、明日も良い一日を」

 何じゃその挨拶と思いながらも、俺も疲れたので目を閉じた。しかしすぐには寝られない。なにせ聞きたいこともある上に、いつも一人だった俺の部屋によもや美少女がスースーと寝息を立て、手を伸ばせば届きそうな距離にいるのだから。それを意識してしまうとどうしようもない。

「……なあ、起きてるか」

 起きているはずはないが、気になって樹の方へ問いかけた。

「……どうした?」

 返事が返ってきた。寝息を立てていたように聞こえたが、起きていたのか。ちょうどいい。

「なぁ、これからどうなるんだ」

 俺は胸の内にある不安を吐きだそうと決心する

「どうなるとは?」

「樹が来て、俺の生活は大きく変わりそうな気がするんだ」

「……変わるかもしれんな。そのためのわしじゃ」

 樹は淡々とそう告げる。

「怖いんだ」

 俺は樹に胸の内を吐露した。

「怖い? お主が望んだことであろう?」

「確かにそうだけど、そうだけどさ……自分の環境が急変するかもしれないって恐怖はなかなかのものだぜ」

「お主の声の震えから察するに、環境の変化が怖いのであろう」

 樹はそんな俺の心境を聞き、なにやら黙っている。少しの間黙った後、樹はそれは当然だとうんうん頷いている。

「木も同様じゃ」

「木も?」

「嵐が吹けば、いかな大木ともいえど、根元から倒されてしまうこともある」

 大木が?

「なまじ図体もでかければ風がぶつかる面積も大きい。山火事だってある。しかし木は逃げることはできん」

「逃げる……こと」

「木は耐え忍ぶのみ」

 耐えしのぶ……か。けどな、人間は木じゃない。

「じゃが、人は違うじゃろ?」

 優しく問いかける樹に思わず素直に頷き、返事をしてしまった。

「人は環境に適応できる。わしら木のように環境に耐え続けた上で、自分たちの体を環境に合わせることもない」

「寒ければ火をくべることで体を温め、喉が乾けば水を飲む。逆に飲みたくなければ飲まなくても良い」

 俺たち人間は、周りの環境に対し、ある程度までは自分たちの体を適合させてきたが、最終的には自然をコントロールしようという方針へ向かった。

「木にはそれが出来んのじゃ」

「大量の雨が降れば、木はただただ受け入れるのみ。弱ければそれで根腐れを起こす。地滑りで根っこもろとも倒れてしまう者もおる。人間のように逃げることはできんのじゃ」

「でも、樹みたいに」

 そう、こいつが人間の姿をしている以上、他の木だって

「わしは特別、言うなれば妖のようなもの他の木はこうはいかん」

 特別か……そりゃそうだよな。木が人間になるだなんてよもやま話、誰も信じない。

「ま、太陽は人間。わしら木のように受け身に過ごすことはあるまいて」

「俺は別に、受け身なわけじゃ……」

「ほう、友も作らず、伴侶も作らないお主がか?」

 口元を布団でおおいながら、樹は俺をくすくすと笑っている。

「ま、安心せい」

「わしが付いておるのじゃからな。さ、もう寝るがよい」

「へいへい」

 樹はまるで母親のように俺に言った。俺はといえば、樹に吐露したせいだろうか、不安が少々減ったような気がした。

「おやすみ、樹」

「そうそう、実は今朝からお主の部屋をあの木から覗いておったが、もうストレスはなくなったようじゃな。よかったよかった」

 唐突な樹の言葉に驚き布団から飛び上がり上体を起こすも、樹の返事は無い。もう寝たようだ。

 突然現れて俺を男にするだの、両親にはやたらと好かれるわ、その上俺のことを監視しているとか……わけがわからん。あれだけ疑っていたのに、怪しんでいたはずなのに今の俺は、俺のことを受け入れてくれるこいつの事を信じてみたいと思っていた。

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