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17 邯鄲の夢


 空とランニングを続けてわかったことがある。

「おはよーございまーす」

「こんにちわー」

 空がすれ違う人達に軽快な挨拶を投げる。すると投げられた側からも同様に明るい返事を返してくれているこの光景。

「今日もデートかい、空ちゃん」

「あはは、ありがとうおばちゃん」

「水原さんとこの子も、最近明るくなって。空ちゃんのおかげかねえ」

「ははは、そうっすね」

「大事にしなよ、空ちゃんはいい女なんだからさ」

「もーおばさんったら」

 まんざらでもなさそうに笑う空を見て、心の中でため息をつく。そう言う態度は止めろ、勘違いを引き起こす。

 こんなやりとりを続けてもう何度目だろうy

 そしてこの行為が俺の日課に不本意ながらも早朝ジョギングが追加され数週間がたったことを実感させる。

「太陽結構ペース維持できてるじゃん」

「まあこれだけ付き合わされればな」

 最初はあれほど辛くてしんどかった3キロ程度ならば軽い息切れ程度で走れるようになっていた。俺ってすごい。

「じゃあ次は大台の10キロだね」

 息が荒くなっている俺の少し前で走る空は、相変わらず楽しそうに太陽の光を浴びたきらりと輝く汗を流し、笑っている。

「それは勘弁してください。今の5キロで何とか、って感じなんだから」

「えー……こっからが面白いんじゃん」

「何が、だよ」

「自分の限界とか、日々成長していく感じがさ」

「成長……ねえ」

 多少走れるようにはなったが、積極的に走りたくない俺の、どこが成長したのだろうか。流されているだけじゃないか。

「人に心を開くようになった」

「は?」

「だって入学後とかちょっと前までの太陽なら、絶対断ったりシカトしたでしょ」

「……」

「ちがう?」

「……かもな」

 こいつはいつもそうだ。小さいときから、今も。

「ははは、おおあたりー」

 天性の明るさで人懐っこくて……。

 小中高、こいつはいつも学校で人気で、活発で。

「それじゃあ太陽、あと少し頑張ろっか。ほらほら足止めてないでさ。

「……ああ」

 だから俺は、こいつの傍にいるのをやめたんだ。

 この後俺はランニングの記憶が無かった。心に何か薄暗い雲がかかったような気分だったのは覚えている。ベッドに倒れこむように寝た時に、樹が横にいたことは覚えている。それに対し俺は別に拒絶することなく受け入れたことも覚えている。

 けれど、空とどう別れたのかが全く記憶に無かった。

「何かあった様子じゃのう」

「ん……」

 眠いんだ。ほっといてくれ。

 犬を撫でるように俺の頭を、毛布越しに体を撫でる樹に今はやめろと返事をする。

「ふむ、慣れなことでそろそろ根を上げると思っておったが……意外と持ったのお」



「これ太陽、疲れているからと寝てはならん。起きんか、これ」

「あと1時間……」

 母さんや周囲の人間に対しては空気を読むくせに、俺に対してだけは妙にきつい。疲れているんだ、頼む。

 俺は寝がえりをうつように毛布を巻き込む様に、更にくるまろうとした。ついでに起こそうと毛布にのしかかてくる安眠妨害者を追い払うのも目的だ。

「お、そうくるか。面白い」

「のしかかっていたであろう樹は布団に倒れこみ、俺もろとも両手両足で気にしがみ付くコアラの様に抱きしめだした。

「やめ、本当に眠いんだ」

「太陽、太陽」

「頼む、樹……休んだら、相手すっから」

「空は積み上げてきた。お主とは違う。そこだけは自覚せえよ」

「……」

どこぞの説法の様に呟かれた樹の一言に俺は反論はおろか、なにも言い返す事が出来なかった。そして俺は、樹の言葉を聞かなかったこと、聞いていなかったこととする様にただ黙って目を閉じた。

この時見た夢は、はっきり覚えている。

樹と出会う前に見たあの丘に俺は立っており、以前より大きさを感じさせる大樹をまっすぐ見つめていたんだ。その木の下には麦わら帽子をかぶった女子が座っている。顔はよく見えないが、俺の知り合いのようで俺と目が合うと手を振っている。

俺は現実世界では決してしないような行動に出た。夢だとわかっていたからだろうか。大きく腕を振り、彼女の名を、? いや、とにかく彼女の傍へ行こうと駆け出していたんだ。前より成長しているんだ、俺は前に進めているんだと、胸を張って伝えるように力強く。

――けれど彼女の下へ辿りつくことはできなかった。

夢の中で見たあの綺麗な丘は、彼女は近寄れば離れ、俺が立ち止まるとこちらへおいでと言うように、手を振り歓迎をする。まるでそれは映画や漫画で出てきた砂漠のオアシス、いや蜃気楼のようで、いつしか俺は歩みを――。

 俺の気を知る由もなく、前を向けば木陰で涼むように座り俺に手を振る彼女がいる。けれどその彼女に俺は手すら触れることはできなかった。いつしか空は曇り、俺の心にも夢だが諦めがよぎってきた。

 ――もういいや。

 ――俺は十分やったよ。

 ――そこまで必死になって、なにを得られるんだ。

 自分が盗れなかったブドウを羨むキツネの様に、俺は自己弁護を始めていた。

 しかしその弁護に、賛成してくれるものはいない。

 俺に手を振っていカノジョも、いつの間にかどこかへ消えていた。やはり蜃気楼、捕まえられるわけがない。からかわれていただけなんだ。

 カノジョが消えたことで、俺は自分が正しかったと納得し、胸を撫で下ろそうとした。すると、誰かが俺のシャツを後ろから引いているのが分かった。

「ねえ、太陽」

声をかけられたので俺は振り返り、その正体を見ようとしたが見たのは、先ほど俺に手を振っていたカノジョだった。

「いつの間に後ろにいたんだ? あれだけ追ったのに、全然追いつけなかったんだぜ?」

 俺はお前を一生懸命追ったんだ、頑張ったんだとアピールをした。すると彼女は帽子を深く被って俯いているから顔はわからないが、クスリと笑った。

「笑うなよ、必死だったんだぜ。これでも」

「諦めたくせに?」

「え?」

「だからダメなんだよ、太陽は」

俺より背の低い少女は俯いたまま俺に鋭く言葉を突きつけた。

「後一歩を踏み出せないから、太陽はダメなんだ。いつもそう」

「な、なんだよ急に」

「自分しか傷つかないと思っているからダメなんだよ。ばーか」

 言い返そうと口を開いたが、それより先に彼女の口撃が放たれた。

「みんなだって怖いんだよ。傷つきたくないんだよ。ナイーブな太陽には分からないかもしれないけど」

 そんなことわかっている。

「顔も知らないやつにそこまで言われる道理はねえ。俯いてねーで、面と向かって言えよ!」

俺の方を見て喋れと彼女の腕を掴んだが、それを邪魔するように横から一陣の猛烈な風が吹いた。

 思わず彼女の手を離し、自分の顔を覆うようにガードしてしまう。

「だからさ、あとちょっと、がんばれ」

 彼女の励ましともとれる一言と同時に、再度俺を夢から覚めさせるような突風が横槍に吹いてきた。

 麦わら帽子がその風に乗り、どこかへと旅立っていく。思わずそれを腕と腕の隙間から目で追ってしまった俺だが、すぐに彼女の方へと視線を移した。

「後一歩じゃ、太陽。お主なら――」

逆光ではっきりと顔は見えなかったが、口元を優しく微笑ませた彼女の最期の一言を聞き終える前に、俺は目を覚ました。

「驚いたように身を起こしたことで隣にいた樹が目を大きくくりんと見開いていたのを覚えている。

「なんじゃ、騒々しい起き方じゃのう。嫌な夢でも見たか?」

 じろじろとこちらを見てくる樹を、おれもまたじろじろと見返した。

「ふふっ、そんなに見られると照れてしまうのう」

「……てい」

 ピコンと俺は樹の可愛らしいおでこにデコピンを放った。動悸はわからない、が、無性にしたかった。

「何じゃ、藪から棒に!」

 怒る樹に対し、俺は笑って更なる追撃をお見舞いした。整えられた長い黒髪を、くしゃくしゃになるように撫でまわしてやった。まあその後に俺が櫛で手入れをするは目になったのだが。

「まったく、級に何をしよるか」

「わるかったって」

「むう……」

「樹、……」

「ん~?」

「ありがとな」

「んふふ、そうか」

 思わず出た俺の本音を聞いた樹は、含み笑い、俺に身を預ける様に背を倒した。

「おい、とぎにくいだろ」

「わしに礼を言う小童の顔を見たくてな」

 しばしこのままで。と言うように、樹は俺を背もたれにしてよりかかる。

「ガキっぽさならそっちの方が上だろ、樹」

「外見で判断するとは、まだまだじゃな」

「うるせえ」

 先ほどの感謝をうやむやにされた感が強いが、そんな俺を見た樹は一言、「良い顔になった」と不思議と褒めてくれたのが印象的だった。そしてその後に見せたどこか寂しげな笑みも。

「なあ……樹」

「なんじゃ~」

「俺の提案に、樹は笑って返してくれた。


 ――そうして夏休みに俺はある決心をした。


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