第3話─同胞と代償─
瞼を包む柔らかな光と、温かく肌に吸い付く布の感触がある。
ゆっくりと目を開けると、木製の頑丈な梁と天井の板が目に映った。
「ここ……は?」
倒れた自分を運んでくれた人がいる。
傷口を刺激して苦しませないように、最も柔らかい麻のシーツを選び丁寧にかけてくれた。
横たわるベッドからも、その人の祈るような優しさがじんわりと肌を通して伝わってくる。
『……最悪の事態は免れたみたいだ。』
脇腹の激痛は、鈍い疼きへ変わっている。
意識を失う前、「岩」のクロムが内臓は守れたと言ってた通り、致命傷は避けられたみたいだ。
それでも、血を失うとここまで酷いんだと痛感する。
ミコの言ってた『男性の平均寿命が40歳』だっていう言葉の重みを、今なら強く理解できる。
外で自由にできる代償がこの脆い器だとしたら、人間はなんて危うい生き物なんだろう。
とりあえず、体を起こそうとしたけれど……動かない。
まるで、何か重たいものが体に乗っているみたいだ。
神経を痛め過ぎて、麻痺してるんだろうか。
確かめるように手や、足の指を動かして、ようやく気づく。
自分の体の上。
幽霊のミコが疲れ果てたかのように、維持されている「魔除け」の膜の上から全身を横たわらせていた。
その魔法がミコの霊体と癒着して、重い膠のように固まってる……
だから、動けないんだ。
ミコを起こそうと思った、けれど、スヤスヤ眠る彼女に声を荒げることはできなかった。
《ずっと泣きながら、触れることのできない看病をしようとしていたぞ、その娘は。》
大角鹿の姿をした「守護」のルーン、エオルが淡い光を纏って浮遊し呟いた。
他の仲間の文字たちが、会話に参加する様子は……ない。
「意識を戻したのは、君と自分……だけみたいだね。」
《我は汝ら兄弟とは違う。転生よ、主よ……、汝の魔力で我は在る。我らが同胞の命を汝が背負っていること、ゆめゆめ忘れるな。》
厳しい口調だけど、その思念には隠しきれない親愛と契約者の自分への強い忠誠が宿っていた。
「……ごめん、体が勝手に動いちゃって。」
エオルの心配はわかる、けれど、次は絶対やらないと約束できないな。
誰かが傷つく瞬間を見過ごせるほど、自分は器用じゃないから、苦笑いしか返せない。
すると、部屋の扉が静かに開いた。
入ってきたのは、遠ざかる意識の向こうで手当てを叫んでた女領主だ。
自分と目が合うと、ホッとした様子で胸を撫で下ろす。
「よかった、目が覚めたのね。3日間も意識がなかったから、心配してたのよ。」
「……3日間も。」
唖然とする自分の顔色をじっと見ると、女領主は綺麗な白い布が入ったバスケットを、ベッドから反対側の壁ぎわにあるサイドチェストの上に置く。
そして、彼女は小さな椅子をベッド下から引っ張りだして腰を下ろした。
「なにか食べる?必要なら持ってくるけど……」
そう言われて、お腹がぐ〜っと盛大に鳴った。
眠っている間何も食べてないんだから、身体が空腹を主張するのも当然か。
「えっと、それじゃあ……パンと豆のスープ。あと水があると嬉しいかな。」
「ふふふ、ベーコンと牛乳も付けるわ。聖職者だからって、断ったらダメよ?血だって足りてるかわからないし、なにより貴方はこの街の英雄なんだから。」
クスクスと笑い、心底安堵したように彼女は息をつく。
そして今、自分がこの街でどう扱われているか話してくれた。
あの「開かずの庭」を解放した功績は、街中に広まっていること。
卑怯な真似をした冒険者は厳罰に処され、自分は「対話で守護獣を鎮めた聖者」として扱われているって。
「約束通り、貴方には家宝の剣を差し上げます。それに……」
彼女は少し照れくさそうに笑うと、おもむろに立ち上がる。
そして部屋の空気を入れ替えるためにすでに開けてあった窓枠に近づくと、誇らしげに斜め下を指さした。
動かない体をベッドに横たえたまま、少しだけ首を横に傾け近くの窓に視線を向ける。
厚い漆喰の壁に、煤けた赤レンガがアーチ状に縁取る窓、太い鉄格子のその向こう。
開口した窓の高さと水平のベッドから、斜め下を見下ろす。
『……窓から庭が見下ろせるってことは、ここは2階なんだ。』
沿岸特有の風に針葉樹が揺れる中、視線の先には開かれた庭が陽光を浴びてキラキラと美しく輝いていた。
正門の向こうでは、街の子どもたちが楽しげに走り回って、大人たちはその光景を見つめたり、互いに祝杯をあげている。
エオルから流れてきたあの柔らかな日差しの、何倍もの穏やかな光がそこにあった。
「あの大角鹿が消えた後、庭には不思議な平穏が戻りました。何より、幼い頃に一度だけ聞いた母の歌声が、聞こえた気がしたの。……ルソ、貴方は私が失っていた『記憶』を返してくれた。」
彼女が聞いた気がする歌は、まだ眠りこけているミコの声だ。
幽霊の歌は、生者には聞こえない。
だけど血縁の、家族の繋がりは今も息づいているんだと感じた。
「それでルソ、剣を渡す前に聞きたいことがあるの。……貴方、何者なの?」
「へっ?!?」
予想していなかった質問に変な声になって、心臓はバクバクと脈打った。
ミコも大角鹿も見えていない、はずだ。
なのに、領主はなにかを見抜いたような真剣な顔でじっと見つめてくる。
「や、やだなぁ……自分は、普通の神官で……」
「いなかったの。貴方の傷がとても深くて、お抱えの神官や近くの教会の人を沢山呼んだのだけど。……誰も貴方を、知らなかった。」
彼女は間違いなく、自分の手当てに必死だったんだ。
心血を注ぐように財を使って神官を呼んだり、深手を負わせたことに責任を感じていたことがよくわかる。
そんな彼女に、嘘はつきたくない。
だけど……
「事情があって……、どの教区にも属してないんです。名乗れるような高潔な身分でも、聖地で修行した身でもありません。ただの流れ者ですよ。」
領地が違うから知る者がいないんだと、言い逃れもできたかもしれない。
それでも、彼女の求める答えがそんな表面的なものじゃないのもわかった。
だからこれが自分が語れる、精一杯の真実だ。
嘘は言っていないけれど、真実のすべてでもない。
その曖昧な答えに、領主は意外そうに眉を寄せた。
自分なら、話してくれると思っていたのかもしれない……
落胆させたかもしれない彼女の表情に、心がチクリと痛む。
数秒の沈黙、それから納得したかのように領主は頷き言った。
「訳あり……、というわけね。でも、困ったわ。貴方は今、この街の英雄で恩人なの。そんな人が身元不明のまま野垂れ死にしたら、領主である私の責任ってことにもなるのよ、ね?」
「……えっと、それはつまりどういうことでしょうか?」
彼女の意図が汲み取れない……
いくら『英雄』だといっても、領主に深い縁があるわけじゃない。
旅の途中で行き倒れた『赤の他人』が絶命しても、彼女の責任になるはずがないんだ。
……何かを、企んでるのだろうか?
そんな人に見えないけれど。
魂の『家』の中でぽつぽつと起き出した文字たちがパニック状態で騒ぎ出し、自分の心拍数がさらに跳ね上がる。
すると彼女は窓辺からゆっくりとベッドの傍らまで歩み寄り、決然とした表情で告げてきた。
「ルソ、私と『取り引き』しましょう。」
「え……?なにをどう『取り引き』するんですか?まったく心当たりないんですが……」
彼女に売れるような高価な物も、提供できる技術も、一切持っていない。
困惑していると、まるで悪巧みを思いついたような悪戯な笑みを零しながら、領主の彼女は続けた。
「私ね、貴方に興味が湧いたの。でも、ただ連れて行ってって言っても断るでしょう?だから貴方を私の旅の『護衛』として登録させて。そのかわりに旅の資金や身元を、私が保証する……ダメ、かしら?」
《……いいんじゃねぇか?それで。》
目覚めたらしい「棘」のソーンが、鈍く言った。
確かにそれなら無所属を理由に捕まることも、不当な扱いを受けることもない。
だけど、今は「無敵」のルーンを探している最中でもあるんだ。
その確率は半分よりも低く、危険な旅になる。
「申し出は本当にありがたいですが……領主のあなたを連れていくことはできません。どうか、この街を守ってください。」
「……そう。残念だわ。」
物悲しそうに頭を下げた領主は、置いてあったバスケットに手を伸ばす。
そして、そこから一振りの短剣を取り出した。
瞬間、起きた文字たちがざわめき立った。
《ぬっ!これはティールの気配か!》
剣と対となる「盾」のスキルドが、嬉々と声を上げる。
《間違いない、正義兄だよ。》
頷きながら「治癒」のルーン、リヴが静かに言った。
《こりゃあ、断れねぇよ、なぁ?》
「棘」のソーンが言うように彼女が持つ剣からは、同じ魔力の波長を感じた。
こんなにも早く、兄弟であるティールに出会えると思わなかった分、心臓がバクバクと高鳴り、視線がどうしても剣に吸い寄せられてしまう。
そして自分の動揺を、領主の彼女は見逃さなかったみたいだ。
「貴方のことを神官たちに聞いた時、『探してるのか?』って聞かれたのよ。目の前にいるのにね?おかしいなとは思ったんだけれど、『恩人なので、私が責任を持って探します。』って答えたのよ。貴方が私の同行を断るのは構わないけど……本当、困ったわね。」
「!!!」
絶対に、困って、ないッッッ!
内心で叫びつつも、彼女の言葉は全身に雷でも走ったかと思うほど衝撃だった。
それはつまり……
この先、旅を続けても必ずどこかで『所属が無い』ことがバレることを意味していた。
《観念したほうがよさそうですよ転生。なぜかはわかりませんが、ティールが『導く運命』の力で彼女に与していますから。》
ラーグが冷静な声で囁く。
「正義」のルーンがそうする理由が本当に定かじゃない。
けれど、承諾するしかなさそうだ……
ただ、どうしても気がかりがある。
「一つだけ、確認させてください……。あなたは、この街を捨ててまで外へ出るおつもりですか……?」
領主の仕事が、単に土地を管理するだけじゃないことはわかっている。
自分について来るということは、統治権や立場を手放すということなんだ。
すると彼女は庭園で遊ぶ子どもたちを一瞥して、柔らかく微笑み言う。
「貴方は本当に優しいのね。幸い、私には信頼できる優秀な執事長がいる。それに、思い出したの。私は、父が魔物クラーケンとの戦で死んだことを受け入れたくなくて庭を避けてた。でも……今なら、受け入れられる。」
彼女のヘーゼル色の瞳が、強い意思を宿して真っ直ぐに自分を見つめた。
「花を手向けたいの。私を、15年前に死んだ父が眠る地に連れていって。」
ティールが力を貸しているのは、彼女の望みを叶えたいからなんだろうか。
そこまで言われては、もう断る理由も思い浮かばない。
彼女の言う「取り引き」に答えるしかなさそうだった。
「………わかりました。あなたの身の平穏と安全、責任を持って引き受けます。」
長くため息を吐くのと、空腹に耐えきれず『ぐぐぐぅぅ〜』とお腹が鳴ったのは同時だった。
「ふふっ、そういえば空腹だったわね。すぐ持ってくるわ。」
そう言って引き出した椅子をベッドの下に戻すと、嬉しいそうに部屋を出ていく。
『花を手向けるだけじゃないよね……、絶対。』
一緒に行く以上、ルーンの魔法も文字たちのことも、隠しきることなんて不可能だ。
腹を決めて、寝ているミコに「起きて」と声をかける。
最初こそムニャムニャ言っていたミコだったけど、自分と目が合うと途端に飛び上がって涙を溢れさせた。
〘よかった……です。ルソ様……ルソ様ぁ!!!〙
ちゃんと生きているのを確認するように抱きついてくる。
相変わらず魔除けは反応して、ピリピリと皮膚を刺激するけれど。
ここまで感動されたら、幽霊だけどまあいいかと思えてしまう。
「心配させてごめんね、ミコ。」
一時的な金縛りからも開放され、泣きじゃくるミコの頭を撫でた。
自分から彼女に触れる時は、『魔を除ける』力は作用しない。
感触は魔法が発動したままなので、自分の魔力をペタペタと触る感じなんだけど。
それでも、ヒクヒクと泣くミコを落ち着かせて、ようやく起き上がった。
治療のために、服とシャツは切られたのか。
黒い長袖の服も、リネンのシャツもは着てない。
代わりに、前合わせを大きくはだけさせた、麻の簡易的なシャツとブライズと呼ばれる綺麗な肌着を身につけている。
シャツの隙間から覗く自身のお腹には包帯が何重にも巻かれ、微かに薬草の匂いがした。
『そうだ……クロム!クロムは大丈夫!??』
意識の先端を魂の奥深く、一時的に集まっている空間へ向ける。
すると。
《お主は心配性じゃのぉ……儂の無事より、お主自身を心配すればよかろうに。》
薄明なその場所から揺らめき現れた「岩」のルーンのクロムは、明らかに倦怠を滲ませていた。
《魔法の儂は、肉体を持つお主より傷など大したことないわい。とうに、治癒も済んどるしのぉ。》
確かに肉体と直結している自分と、魔法の「核」のクロムでは、平時なら魂がろ過器となり被る衝撃の重さは異なる。
この『家』という領域が、兄弟たちが本来受ける損傷を幾重にも減衰しているからだ。
けれどあの刹那。
内臓を……自分を死守すべくクロムは完全に『同調』していた。
密着し、融けあった霊威の前には、ろ過も意味をなさない。
彼は等しき損傷を、刻んだはずなのだ。
『傷は大したことない』という言葉の裏にある、深い残滓。
『転生のルーン』として自分がより先じて判断せねば、かけがえのない同胞たちを虚無へ還しかねない。
その厳たる事実が、冷徹に胸を刺した。
「そういえば……ストールは……?」
部屋の入口付近。
隅の方へ追いやられた丸いテーブルが、目に入る。
その上に、洗ってくれたんだろう白いストールと、金のボタンがついた真新しい黒い服と、茶色いズボンが丁寧に畳んで置いてあった。
この服は、自分のために用意してくれた物だろうか……
そのテーブルの下、大剣で切られたらしい部分を革紐で縫った革鞄と、籐で編まれたカゴが見える。
そのカゴの中に、元々自分が着ていた服が丸めて入れてあった。
上から見える範囲でも、黒い生地に赤黒い血の染みがべったりと残っているのがわかる。
血生臭い現実に少し気後れしていると、部屋の扉がカチャリと開いた。
入って来たのは使用人たちだ。
一人は、貴重な小麦の白いパンや黒胡椒がたっぷり掛かった厚切りのベーコンの乗ったトレーを持ち。
その後ろに控える一人は、豆のスープに牛乳や果物が乗ったトレーを担当している。
さらにもう一人は、陶器製の水差しを抱えていた。
《わ〜い!ごちそうだぁ〜!》
普段見ることのない食べ物に、「翼」のエゼがはしゃぐ。
《あのね……あの真っ赤な林檎が……食べたいよ。》
瑞々しい果物に興味を示したのは、「泡」のブルムだ。
《おい!その肉のカリカリした所、俺に寄越せ!》
「棘」のソーンは、ベーコンの一番美味しそうなところを横取りしようとする。
『いや、皆んなで同調する気!?』
まず、自分の胃に収まるかもわからないんだけど……
『ぐぎゅぐぐぐぅ』と肉体の方がまだかと叫ぶので、ベッドから段々になっている足場を慎重に踏みながら下りる。
そして着せられたシャツを脱いでベッドの上に畳んで置くと、革鞄から自分が普段着ている着替え用のリネンのシャツを引っ張り出して着た。
テーブルを空けるために用意されていたズボンを履き、真新しい服に袖を通す。
上着の内側にある紐を履いたズボンに結びつけて素早く固定し、短剣を吊るすための頑丈な革ベルトを腰にしっかりと巻きつけた。
ズキッと痛みが走ったけど、早く食事にありつきたい。
仕上げに白いストールを首に巻いた。
テーブルの上をすっきりと整えて、ようやく椅子に腰掛ける。
待ってましたとばかりに、文字の兄弟たちはギュウギュウと押し合うような形で同調した。
ちょっと騒がしいなと思いながらも、白いパンを一口頬張る。
すると、ふわっと口の中へ溶けてしまった。
いつもはもっと硬いだけに、1つ、2つとあっさり食べきってしまう。
そしてさっきから鼻孔を擽る香ばしい匂いのベーコンも、口へ運んだ。
黒胡椒のスパイスがピリリと肉の味を引き立て、その旨味が舌の上に広がった。
《ここの歯ごたえ、たまんねぇな!》
『確かに……ソーンが独り占めしたくなるの、わかる気がするね。』
お互い笑みを零しながら少し焦げ目がついて香ばしく焼けたベーコンの、パリっとした食感を堪能しながら完食した。
そこへ、女領主が部屋に戻って来た。
自分が林檎を頬張る姿を見て、彼女は満足そうに微笑む。
「ふふっ、いい食べっぷりね。英雄がガリガリじゃあカッコつかないも。しっかり体力つけてね、明日には出発したいから。」
「げほっ!あ、明日!?さすがに早すぎませんか!?」
「『剣が』そう言ってる気がするの。貴方は、ここに居ては危険だって。」
そっと差し出されたのは、彼女が『家宝』と言っていたあの短剣だ。
常に手入れを施されているのだろう、サビ1つないそれを手渡される。
『ティール、何か事情があるんだよね……話してくれる?』
人には聞こえないよう、剣に向けて意識を集中させて彼に話しかけた。
けれど、ずっしりと重みを伝えるばかりで、彼は黙ってしまっている。
《皆のこと、忘却した?》
「集約」のソムが、静かに重みのある声で問いかけた。
《モシカシテ、人間になったコト怒ってるのかー?》
「蛇」のウィルムがおっとりとした口調ながらも、ティールが腹を立ててないか気にして声を響かせたけど、返事がない。
『どうして、返事してくれないんだ?』
自分に怒っているんだろうか、久しぶりの兄弟に戸惑っているんだろうか。
手に沈むその重みは、単なる鉄の質量じゃない。
まるで剣そのものが、拒絶しているかのような冷たさだ。
じっと剣を見つめたまま固まっていた自分に、彼女は不思議そうな声で訪ねてきた。
「どうかした?父がかなり大事にしていたから、傷とかはないはずだけど……」
「い、いえ……素晴らしい剣を頂き、ありがとうございます。それで、どのようにお呼びすればよろしいでしょうか?」
「ナスマよ。あとねルソ、敬語はなしね。堅苦しいと、肩がこっちゃうの。」
「わかりまし……わかったよ、ナスマさん。明日から……」
「『ナスマ』よ。明日からよろしくね、ルソ。」
まるでお気に入りの場所でも見つけたかのように、興奮状態のナスマを見送りながら思う。
女の人って強いかも、と。
そして出された料理を食べ終えて、使用人がトレーを片付けて部屋を出て行った後、ふと思った。
「それにしても、明日なんて……自分は死にかけだったんだよね……?もしかして……」
着ていた服の裾と、巻かれた包帯をそっと捲り上げてみた。
すると、大剣で裂かれた深い傷がほとんど塞がっていた。
たった3日や、複製の「回復」のルーンで完治するはずのない、大怪我が。
《ごめんなさい。駄目って言われたけど、転生兄が死んじゃったら嫌だったの……》
魂の空間で、嘆くようにフルフルと震える「治癒」のリヴを抱き寄せ、優しく背中を撫でる。
『謝らなくていいよ。リヴのおかげで、自分は死なずに済んだんだ。クロムのことも、本当にありがとう。』
リヴは嬉しそうにコクリと頷いた。
もしかしたら、すでに自分の正体はバレているのかもしれない。
確か「お抱えの神官」を呼んだって言っていたから、この異常な回復速度を誰かに見られた可能性もある。
だからこそ、ナスマはここに長居するのは良くないと判断して、強引に「明日出発」にしたのかもしれない。
そう考えると、彼女の気遣いには頭が下がる思いだった。
そして翌日の朝──
腰紐のアグレットに刻んであった魔除けを削っていると、宣言通りナスマが部屋にやって来た。
彼女は数日分の食料や必需品が入る革鞄を下げ、動きやすい紺色の旅装束に身を包んでいる。
受け付けをしていた時と違って、ストロベリー・ブロンドの美しい髪は左右できっちりと三つ編みにされ、頭の形に沿ってぐるりと綺麗に巻きつけていた。
髪を解くのは、寝る時に母さんがそうしてたのを見た程度で、子どもじゃないかぎり極めて希だ。
村にいた時も、旅の最中も、成人女性は髪を纏めてるのが普通だ。
だけど、ナスマはわざわざ最初に会った時と別の、機能的に纏めた髪に結い直してきた。
その髪型からは、淑女としての品格と旅に対する覚悟が滲んでいる。
背筋は凛と伸びており、腰に帯びた細剣エストックや使い込まれた革手袋から、確かな「武」の気配を感じた。
「そういえば、ナスマに聞きたいことがあるんだ。この白銀の短剣みたいな物を、代々大事にしている貴族に心当たりないかな?」
「貴族?それに似た物を持っている人で心当たりがあるのは、エルマノス公爵様ね。ここから北東のディヴァイニ領に住んでいるわ。」
彼女がテーブルの上に広げた地図の、右上の方を指差す。
その地を治めるクラッグ一族は、領内に鉱山を所有していて、鉄鉱石と製鉄技術で財を成したと言う。
「たしか昔から大広間に、『松明』が飾ってあったわね。「知識や技術を灯すんです」って自慢されてたのだけど。役に立つかしら?」
「凄く役に立つよ……、って、ちょっと待って……!」
彼女は返事を待つのも、もどかしかったのか。
自分はナスマに強く手を引っ張られるように、外へ出た。
「ナスマ、少しだけ時間をくれないかな?せめて、自分の短剣を回収したいんだ。」
そう言って、街の入口近くのあの樹を探して、その根本からボロボロの私物の短剣を拾い上げた。
そういえば、ミコが昨日からちょっかい出しをしてこないのが気になる……
「執事長から伺っております!ナスマ・グノスィドッター様と聖者様ですね。どうぞ! お通りください。」
ナスマの後に続いて歩いて行くと、鋭い杭が並んだ木製の柵の検問は、なんの滞りもなくあっさりと通過できた。
自分が今着ている服は特定の『紋章』のボタンと刺繍がされていて、強い証明になるらしい。
ミストの街を出て、ひたすら北東へ。
防壁代わりの木柵を左手に見ながらしばらく進んだところで、立ち止まる。
「……ナスマ、少し待って。」
周りに彼女以外の人影がないのを入念に確認してから、胸に手を当て「波動」のルーンを自分に向け紡いだ。
すぅ、っと深く息を吐き、ナスマの方を向くと決意を固めて打ち明ける。
「昨日の質問だけど、確かに自分は『普通の神官』じゃないよ。説明するより、今から見せるね。」
そう言って木製の柵に向けて、「守護」と「魔除け」を組み合わせたバインド・ルーンを刻んだ。
金色の文字が強く輝き、エオルが《オオォン》と厳かに咆哮すると、街全体を包み込む強固な結界が展開される。
キラキラと輝く光の膜に息を呑み、街を振り返っていたナスマだったけど、やがて自分の方に顔を向けて申し訳なさそうに視線を落とした。
「ルソ……私、貴方に謝らなきゃ。本当はね、貴方が只者じゃないって気づいてた。」
ナスマは自分が気を失った後にすぐに駆け、多量の出血を止めようとしてくれたらしい。
持っていたナイフで黒い服を切り裂いて傷口を見た時、流れ出ているはずの血が「見えない壁」のようなものに押し留められていた、と。
「出発を急いだ本当の理由をそのまま言ったら、貴方は忽然と姿を消しそうだったから、『剣が』って言ったのよ。それに……これでも私、領主として奇跡や呪いに鼻が利くのよ。」
その勘からナスマは他の者が来る前に包帯を巻き、教会の神官にも「異常な回復」を悟られないよう常に付き添ってくれていたらしい。
そして、傷口を直接見ないように遠ざけていたと語る。
「もし見られたら……英雄なのに、化け物あつかいされて死ぬまで拷問でしょ?それは避けたかったのよ。」
負担をかけさせないという理由であえて「交代制」にして、確信を持たせないまま意識の回復を待っていた、と。
「たぶん、呼んだ神官達には気づかれてないわ。けれど……率先して包帯を巻いたり教会の人を何人も呼んだから、執事達の貴方を見る目が疑いに変わり始めてたのよ。」
「疑ってたのに、よく許可してくれたね……」
そう言うと、ナスマは不敵な笑みを浮かべ誇らしげに答える。
「『怪しいからこそ、私の目の届く範囲に置いておくのよ』って説得してきたわ。」
そこまで気を使ってくれた彼女に、隠すのはむしろ失礼かもしれない……
正体を明かすか迷っていたけれど、覚悟は決まった。
「自分は……自分たちは、魔法のルーンそのものなんだ。それと……ナスマは幽霊って信じる?」
《おいおいおい!0.5秒で全バラしてんじゃねぇよ!俺らの苦労返せ!!》
ソーンが言う苦労が何かわからないけれど、正体を明かしても彼女が自分たちに危害を加える人じゃないのは確かだ。
けれど……やっぱり、いきなり過ぎたみたいで彼女は驚愕した顔だ。
真っ直ぐに、自分を見つめている。
しかし、すぐにその表情を柔らかく崩すと、ぷぷはと楽しそうに笑い出した。
「神官の貴方がそれ言うの?でも……そうね。私はいたらいいなと思うわ。父が、『悲しまなくていい』って言ってくれたらって思ったことはあるもの。」
「………ごめん、辛いことを思い出させたよね。」
「いいのよ。貴方が言いたいのは『それ』じゃない、でしょ?」
頷いて、自分たちの後方。
なぜか距離を取っているミコを見た。
「魔除け」のルーンは、ナスマにも使っていないし、腰紐のアグレットに刻んであった自分用のは削って無効化した。
一番の理由は、自分のために懸命になってくれたミコに、可哀想なことをしたと思ったこと。
あとは、同じ術を多重がけしたり範囲を広げ過ぎると魔力消費が格段に跳ね上がってしまうから。
二つの理由で魔法効果は、完全にないはずだけど……
よく見れば、ハムスターのように両ほっぺをぷくーっと膨らませてた。
「ミコ、理由がよくわからないけど……機嫌なおして。」
〘……うぅ。案内は私に任せてくださると約束しましたのにっ、とても綺麗な方に案内させるなんてルソ様酷いです……!〙
言われてみれば、古城で頼んだ記憶がある。
律儀にあの約束を握りしめていたミコ。
その健気さに、呆れるを通りこして胸の奥が温かくなるのを感じた。
「そんなに楽しみにしてくれてたんだ。そしたら次の案内はミコ、君にお願いするよ。」
〘本当ですか、ルソ様!絶対、絶対ですよっ!!〙
なだめるように手を伸ばしたところへ、ミコが突進でもしたかのように飛び込んでくる。
「ちょっと待って!」と言う言葉は「ぐへぇ」という呻きに上書きされ、地面に仰向けに倒れる羽目になった。
その瞬間、背中の下敷きになった革鞄からガシャンと音がした。
「ふふふ、あははは!ルソ、貴方についてきて正解だわ。面白すぎよ!あはは!」
「こっちはすごく……大変なんだけどね……」
幽霊であるミコの悪寒のせいで全身は怯んで動かせず、地面に大の字になりながら荷物が無事であることを願うしかなかった。
肺や胃が縮みあがるその中で、せっかく落ち着いた脇腹の傷がピリッと火花を散らせた。
ナスマの軽快そうな笑い声と、自分にまとわりつくミコの冷たい感触。
彼女のじゃれ付きがようやく収まっても、地べたから起き上がれない。
幽霊の冷気がやっとのことで引き、泥を払い落としながらフラフラと立ち上がると、慌てて革鞄の中をバッと見る。
音の正体は、一番上に乗せてあった小鍋だ。
その中の手つきの木製コップは、一緒に巻いて入れた綺麗めの布おかげでヒビもない。
鍋を少し退かし、さらに鞄の左隅にある乾燥させた薬草が入った袋。
手前側の大事な聖書に、硬いパンや、水の入った布袋も破れず、中身は無事だ。
ほっ、と胸を撫で下ろすと、ナスマの案内で再び東へ歩き始めた。
「そういえば、ルソ。特定の所属がないってことは、貴方は何か目的があって旅をしてるのよね?差し支えなければ、聞かせてもらえるかしら?」
並んで歩くナスマの問いかけに頷き、答える。
「世界を見て回りたいって単純な興味もあるけど、今は「無敵」のルーンを探してるんだ。ただ……24文字のどれがそれに該当するのか、自分にもわからないんだよ。」
ルーンの文字はそれぞれが単一の記号でありながら、複数の意味と事象。
そして「魔法」の権能をその核に内包している。
太古の昔に紡ぎ生まれた自分は、兄弟たちが宿す光彩をある程度は把握し熟知している。
しかし、その全てを掌握してるわけではないのだ。
「どんな文字かわからないなんて……それじゃあ、宛のない旅ってこと?」
確かに得られる情報は少な過ぎる。
ナスマの指摘はもっともだ。
だけど、まったく手がかりがないわけじゃない。
「実は、ミコに『貴族』がルーンの輝きを宿す物を持っているって聞いてて、今はそれが頼りかな。それに自分たち兄弟は『共鳴』ってお互いに呼び合う不思議な性質を持ってるんだ。」
その性質は無意識でも引き合うし、近づいて合流できれば、その文字が「無敵」かどうかもわかる。
「そうなのね。貴族だったら、私も力になれるわ。それにディヴァイニ領はとても広い土地だから、何か情報があるかもしれないわね。」
地図を見つめる彼女の横顔は頼もしい。
道標になる「ケルン」と呼ばれる石積みを見落とさず、迷いなく進む彼女の導きは間違いなく頼りになる。
何より、ナスマが持つドライ・コンパスは、どれほど霧が深くても東西南北を正確に指し示してくれる優れ物だ。
たった一つだけ、難があるとすれば……
「それ……かなりの業物だよね。城が一つ建つぐらい価値がある……」
銀貨なら2500枚、金貨でさえ15枚は下らない。
ただでさえ金貨1枚で、宿にベッドと食事つきで宿泊したらおよそ2ヶ月と3週間は居られるほどの価値なんだ。
それを考えると、普通の旅人には到底手の届かない超高級品だ。
「よく知ってるわね。これはこの地特有の霧でも迷わずすむ、我が家の『道標』なのよ。」
針が微かに震えるたび、宝石のように磨かれたガラス細工が陽光を反射して、彼女の身分の高さを改めて突きつけられた気がした。
湿地を避けながら3日、針葉樹が並び立つ街道にようやく差し掛かる。
「ここまでくれば、宿のあるスカルド村まであと少しね。頑張りましょ。」
ナスマが笑ったその瞬間。
自分の脳内に『ピーーーッ!』という鼓膜を刺すような鋭い警告音が鳴り響く。
音の発信源は「監視」のヴァルザだ。
《ミーの眼が観つけた!ルソ、右から来る!》
その叫びに身体が反射的に動き、前を歩いていたナスマの腕を強引に引き寄せた。
直後、彼女がいた地面に黒い液体が塗られた小さな石の矢がジジジュと不気味な音を立てて突き刺さる。
「ヒヒッ、ヒヒヒッ!」
樹の根本、その濃い影の中から輪郭をグニャリと歪めて現れたのは漆黒の身体を持つ子鬼ドヴェルグだ。
錆びたナイフを怪しく光らせ、1体、また1体と影から這い上がってくる。
〘ルソ様、さらに奥から3体来ますっ!〙
物理的な干渉を受けない幽霊のミコにとって、影に潜む魔物の動きは筒抜けのようだ。
完全に包囲される前に、まずは目の前の3体を叩きたい。
左手で「波動」のスウェグを紡ぎ、右手でボロの短剣を引き抜く。
その瞬間、左脇腹の傷跡がピリピリと疼いた。
「ッ⋯⋯エオル、「守護」の力でナスマを頼む。」
《承知》
自分が自衛できると判断したエオルの、柔らかくも強固な守護がナスマを包む。
「エゼ、スキルド、一気に行こう!」
《ダッシュ〜ダッシュ〜》
少し重たい体を奮い立たせるように、テンションが高めの「翼」のエゼを紡いで加速した。
《心得たり!》
1体目のドヴェルグの毒矢を「盾」のスキルドで弾き飛ばし、一歩踏み込んで引き裂いた。
けれど、右腕を振り抜いた瞬間。
力を込めた左脇腹から、刺すような痛みがズキッと走った。
完治を放棄した怪我が、内側から脈打ち熱い。
《『ピー』!ルソ、後ろ!!》
傷口に意識が向いて庇ったから、動きが一歩遅れた。
「監視」のヴァルザの警告音と叫び。
背後に迫ったドヴェルグのナイフの風斬り音に、反応が追いつかない。
けれど。
「私は、お姫様でもお飾りでもないのよ?頼ってくれてもいいじゃない!」
エストックを構えたナスマが、魔物の胸元を正確に突くのが見えた。
そして自分の背中にピタリと寄り添うように立つ。
今まで単身で戦ってきた。
なにより、護衛する彼女がこうして並び立ってくれることが、これほどまでに心強いなんて。
「なるべく……無理しないで。」
「貴方こそ、私を庇って死なないでよ?」
心当たりがありすぎて言葉が詰まる自分に、不敵に微笑む彼女。
なんて強くて、カッコイイ女性なんだろう。
《ケヒヒ、こんな状況でイチャイチャしてんなよ!》
魂の空間から「疑似」のドランの自分を茶化す声がする。
イチャイチャなんてしてないと思うけど……
なにより今は、戦いに集中しないと油断は命取りだ。
ドランの魔力によって生み出された自分たちの「偽物」に惑わされ、2体のドヴェルグが集まっていく。
魔物はその幻影を攻撃した瞬間、はっきりとした姿になる。
ナスマは「守護」のエオルに守られながら、完全に実体化している1体を逃さず屠った。
その後ろの1体。
「翼」のエゼで駆け、ボロの短剣で切り裂くけれどグニャっと歪み影と同化して逃げられてしまった。
背中側にあった革鞄が遠心力で前側に移動し、邪魔するように揺れる。
「ッ……!完全な実体じゃない、風圧を感づかれて逃走態勢になってたんだ……!」
けれど、これでドヴェルグの影移動のルールはわかった。
あの魔物は「殺意を持って攻撃を完了させる瞬間」にしか肉体を実体化しない。
だから、どんなに超高速で奇襲をしても察知されれば「半実体」のまま影に受け流されてしまう。
「だったら……蛇、監視!」
2つの文字を紡ぎ、重ね合わせてバインド・ルーンとして駆動させる。
「蛇」のウィルムは、魔力の振動や臭いや微かな温度差を感じる特性がある。
それを軸に「監視」のヴァルザの力を加え、感度を上げ視覚を広げた。
魔力で編まれた見えない無数の小蛇が、空間全般に解き放たれる。
それらがレーダー網となって魔力の揺らぎを把握、地面の影に潜み蠢く怪しい影の位置を特定した。
《ルソ兄の右側、2番目と5番目の樹だよー!ソレカラ、ナスマの右側、6番目が出るよー!》
ウィルムの声が響く。
彼が解析した敵の座標から、ミコの言っていた新手の3体なのか。
革鞄を邪魔にならない位置に押し戻し、気合いを入れ直す。
こっちの手の内が知られていない今なら、戦術を変えられる。
「ナスマ、右の6番目の樹と、その反対側の樹だ!自分が実体化の隙を作る!」
自身の右側に潜んでいる2体の魔物。
その内の5番目の樹に揺らめき立った影を、悪条件とわかった覚悟の上で「わざと」大きく振りかぶる。
魔物に絶好の反撃の機会を与え、襲いかからせることで、強制的に完全な実体へ引きずり出す作戦だ。
狙い通り、自分に釣られて肉体を表したドヴェルグをナスマとの連携で1体、さらに1体と倒し追い詰めていく。
けれど、敵も一筋縄ではいかない。
「ヒヒヒッ!ヒヒーッ!」
「しまっ……ッ!」
気づいた時には遅かった。
一瞬の隙をつき、自分の影の死角を使って不気味な笑い声を放つ魔物が現れた。
「盾」のスキルドは紡いだ前方に顕現する。
彼の自発顕現でもナイフと自分の間に割って入ることは物理的に不可能だ。
ギリギリ「岩」による皮膚の魔法膜硬化が間に合うか……
真後ろにいるドヴェルグのナイフが、自分の背中側の荷物を越えて迫った。
まさにその時。
〘ルソ様をイジメないでくださいっ!!〙
感づいたミコが、背後の魔物向かって空中から弾丸のような体当たりをぶちかました。
途端「ごふぅ!」と変な声を上げてドヴェルグは吹き飛ぶ。
「ミコ……君の、幽霊としてのアイデンティティはどこへいったの……?」
物理的な実体を持たないはずの幽霊が、なぜか物理法則を無視して魔物を吹き飛ばしてる……
色々ありえな過ぎて、ツッコミが追いつかない。
「ふふふ、ミコちゃんっていうのね!見えないけれど、頼もしいわ!」
同じ血縁として通じているのか嬉しそうなナスマ。
なんか、凄く混沌としてる……
けれど、ミコの強烈な一撃で吹き飛んだ魔物は気絶したのか地上に転がっている。
他のドヴェルグたちも、見えない方向からの奇襲を恐れたのか足が完全に止まった。
この一瞬は、最大の好機だ。
《奴らを足止めせよ!後は某が閉じよう!》
「施錠」のルーン、ロカの言葉に頷き、「疑似」と「集約」の文字を重ね行使した。
脈動する黄金の光を放つ魔法の文字が、実体化しているドヴェルグたちを吸い寄せ透明な縄で一網打尽に拘束した。
そこへ、ロカの魔力による重厚な錠前の幻影が「ガチャリ」と重々しい音を立てる。
逃げ道は塞いだ。
けれど、魔物はまだ攻撃を「影に受け流す」ことができる。
殺意を持って斬りかかる以上、エストックでもボロの短剣でも致命傷を与えるのは難しい。
確実に倒すには、「監視」のルーンを紡ぎ、影の奥に隠された『魔核』を探して穿つしかない。
それには……魔力残留があまりにも少なすぎる。
『導く運命の力がある、ティールの剣なら……倒せる。けど……』
魔法余波で柄の革紐が焦げてしまったボロの短剣を、仕方なく鞘に収める。
意を決して腰から引き抜いたのは、月光のように輝く白銀の短剣だ。
『……やっぱり、ティールは鉄の塊のように冷たい。まるで拒んでるみたいだ……』
重たい沈黙ままだったけど、ティールの「導く運命の力」の特性で3体のドヴェルグの『魔核』を正確に、一撃で砕けた。
魔物たちは悲鳴を上げる間もなく、ドロドロと沼のように地面に溶けて消えた。
あとに残ったのは、ただの濡れた黒い染みだけだった。
「はぁはぁ……ナスマは、怪我、してないよね?」
「大丈夫よ。それより、貴方の方が辛そうね……ルソ、手を貸すわ。」
「助かるよ……」
さすがに魔力を使い過ぎた。
とくに複数のルーンを重ねる『バインド・ルーン』で発生するノイズのすべてを、自身の精神や魔力で抑え込んでいる。
それに加えて、「制御コスト」も必要だった分、疲労が激しい。
普通、そのコストは魔法を使う人は適当な調整をするために『魔法媒体』って避雷針になる「魔法道具」を持ってを地面に流すものだ。
けれど自分の場合、その『魔法』自体が強力過ぎて普通の魔法道具では、粉砕して壊れてしまう。
だから、逃がせなかった『魔力』を余分に浪費して魔力切れしやすいのはわかってたけど……
こめかみの奥がドクドクと脈打ってる。
立っているだけでも、意識が軽薄になるような倦怠感が全身を支配している。
『凄く、情けない格好だよね……』
護衛しないといけないナスマに抱えられるようにして、スカルド村に着く羽目になった。
スティブと呼ばれる杭打ち柵を越えて、村の中に入ると、どこからか繊細で美しい音色が聞こえる。
疲れた体に染み入るような音の出どころを探して、見てしまった。
あちこちを平然と浮遊する、半透明な『幽霊』を。
「ご、ごめ……ナスマ。わ、わ、悪いけど……引き返して……」
〘大丈夫かい?〙
透けて足のない男性が心配したのか、すぐ近くまできて自分の顔を覗き込み声をかけてきた。
「ひぎゃああ!!!!」
その瞬間、魔力限界とトラウマで精神の糸がプッと切れた音がした。
ただでさえまともに歩けないのに足腰から完全に力が抜け、ふっと視界が真っ白になった。
そして再び目を覚ました時には、宿屋のベッドの上で寝かされていた。
心配そうに見つめるミコ。
起きるのを待ってくれていたのか、傍らで林檎を剥くナスマ。
宿屋の主人らしい、男性。
そして……自分を取り囲むように立っている、沢山の半透明な『幽霊』たち。
「……これは悪夢かな。うん、二度寝しよう。」
《おい、いきなり現実逃避すんな転生!俺らの威厳丸潰れじゃねぇか!》
「棘」のソーンがいう威厳なんて、持ってなんかない。
そもそも、自分は魔法なんだから偉大な存在になりたいわけじゃない。
額に皺を寄せ苦い顔をしていると、ナスマがクスクスと笑った。
「表情がコロコロ変わって、ルソって本当に不思議よね。ミコちゃんは、心配してるのに。」
「自分の表情を楽しまないで……って、ナスマ。今なんて言ったの?!」
「この娘でしょ?ミコちゃん。」
本来なら生者の、ナスマに見えないはずの幽霊であるミコ。
彼女の頭を正確な位置で、優しく撫でている。
透過してしまうはずのその指先は、まるで見えない磁石が引っ付き合うように柔らかく輪郭をなぞっていた。
ミコも〘伯母様に撫でてもらってるみたいで、温かいですっ〙と、嬉しそうに目を細めている。
『何がどうなってるんだ?ミコが実体化しようとしているのか……?それともナスマが、霊感に目覚めた……?』
幽霊に過剰な接触を繰り返されると、確かに生者の魂が反応して霊能力が開花することはある。
だけどそれは、四六時中ベタベタされたり突進されたりしなければならない。
それは自分がされていることで、『転生の魔法』だから生死の狭間のミコの干渉を受けるのはわかるけれど、ナスマに影響が出るのはおかしい。
あまりのことに頭が混乱している。
そんな自分に冷静な声が、静かに言葉を落とした。
《私達の仲間……の可能性なら、この現象を説明できない?》
「浄化」のラーグが言う可能性は、確かにある。
ただ一つ、気になることがあった。
「……ナスマ、なぜそうも簡単にミコを受け入れたの?は、半透明……なんだけど。」
幽霊なんて見慣れていないはずなのに、平然としているのが不思議だ。
「あら?ミコちゃん、可愛いじゃない。」
可愛い、は、否定しないけども……!
いや、何を考えているんだ自分は。
ぶんぶんと頭を軽く振り、ナスマに聞く。
「その……除霊依頼があるぐらいだから、普通は幽霊が見えたら驚くと思うけど……?」
「道中、あんなにも『ミコ』って騒いでたじゃない。だから貴方を心配する姿が見えたら『この娘がそうね』って合点がいったの。それに私、適応力には自信があるのよ。」
適応力とかそんな一言で、苦労せずあっと言う間に馴染まないでほしい。
深くため息を付き、ベッドから起き上がろうとしたその時だ。
〘神官様、お願いです。この「呪い」を解いてください。〙
「ひぎゃ」と一瞬出そうになった声を飲み込み、一旦目を閉じる。
『これはたぶん普通の人、これはたぶん普通の人、これはたぶん普通の人……』
何度か自分に言い聞かせ目を開ける。
……やっぱり透けて足はない。
けれど、困っているのも事実だ。
「えっと、その……「呪い」について詳しく聞かせてください。」
元村長だと挨拶した男性の霊体は、現象は15年前にぼんやりと出始め2年前に生者にもクッキリ見えるようになったという。
最初こそ戸惑っていた人たちも、大切な人と再び会えるので今は普通に過ごしている、と。
……確か、道中ナスマが『父が大丈夫と言ってくれたら』とも口にしていた。
だとしたら。
「大切な人に会えるここは、あなた方には理想郷のようなもの。どうして解いてほしいんですか?」
〘その大切な人を苦しめてまで、ワイらは居たいとおもわんですよ。もう十分に幸せでしたわ。〙
彼らの姿がはっきりし始めた頃、家族たちが目眩やふらつきに襲われるようになったと霊体たちは喋る。
《『ピー』観える!ルソ、この村全体を覆う細い糸!》
「監視」のヴァルザは、それは幽霊の彼らから出ているんじゃなく、地下から伸びていると断言した。
どうやら、幽霊の彼らの姿を維持する力は『不自然』な繫がりにあるみたいだ。
「わかりました。皆さんがいう「呪い」を絶ち切ってみます。『地下』で思い当たる場所はどこですか?」
〘それなら『地下墓地』だねぇ。案内するとしよう。〙
腰が抜けつつ、ベッドから這い出した自分にナスマが手を差し出す。
けれど、さっきの今だ。
「ははは、足がガクガクで説得力ないけど自分で歩くよ。ナスマの護衛なんだし。」
「ふふふ。本当、説得力ないわね。でも、幽霊の怖い護衛がいてもいいんじゃない?」
〘ナスマ様、ズルいですっ!ルソ様のエスコートは、私がするんです!〙
ナスマと自分の間を割って、ミコが雪崩のように飛び込んでくる。
そして、もはやお約束のように床へ大の字に倒れる羽目になった。
「……さっきから思うんだけど。ミコ、なんでこんなこと出来るようになったの?」
ミコを物理的な触感として過敏に受け取る自分ならともかくとして、本来なら子鬼ドヴェルグを飛ばしたりできないはずだと今ごろ気づく。
すると。
〘ルソ様を想ってたら、できましたが……いけませんか?〙
キョトンとした顔で言われたけど、その理由になんとなく見当がつく。
つまり「棘」の魔除けの力と、彼女の強い感情が高い圧力を発生させて、一時的に魂という『家』を硬化。
ようするに、霧のような『家』が氷の粒となって密度を増して、半実体化したことで衝撃になったんだ。
『なんか、ミコもナスマも強くなってないか……?』
剣を握るナスマの凛とした背中と、やる気満々のミコ。
なんとか立ち上がって革鞄を肩から下げると、二人の背中を追いかける。
〘具合が悪そうだねぇ、大丈夫かい?〙
「だ、だ、大丈夫です!本当に大丈夫ですからッ!」
苦手の巣窟に泣きたい気持ちを押さえて、地下墓地の入口めがけ走った。
ーー向かう『地下墓地』……幽霊が苦手なルソは無事に呪いを解くことはできるのだろうかーー
─続く─
〈文字たちの脳内談話〉
─ルソ救助編─
それは「守護」のルーンとの戦闘直後である。
意識を喪失したルソの影響は魂という家にいた文字たちにも、響いていた。
フィルターの役目をしていた『家』の中にいた文字たちも、魂が削られ、チクチクとした感覚を感じていたのだ。
なにより、肉体が深手を負ったことで生命維持をすべく魔法たちへの魔力供給が遮断。
エネルギー源を絶たれたルーンたちは、活動を維持できず〈強制睡眠〉へと移行した。
いうなれば、突然停電が起こって急激な眠気に襲われたのである。
〈強制睡眠〉のことを知らなかった彼らが目を覚ましたのは、依り代のルソが倒れてから15時間後の翌日。
魂の『家』は、かつてない静寂に包まれていた。
《転生!おい、返事しやがれ!!》
一番最初にルソに駆け寄ったのは、「棘」のソーンだった。
彼の核に自らの力、魔力を少し放ってみるが反応がない。
ルソの魔力の流れが完全に止まって摩耗は起きていないが、危険な状態だった。
《おい!治癒起きろ!お前らも、全員!!!》
いつもと違う様子のソーンの声に文字たちが起き出す。
中でも異常事態だと気づいた「治癒」が駆けつけてきた。
《核が損傷してる。転生兄、死なないで!》
治癒が己の核の力を引き出そうとした。
しかし《待って》と冷静な声に止められる。
彼女の治療を遮ったのは「浄化」のラーグだった。
《なんで、止めるの。このままじゃ転生兄が!》
《……言われたでしょ。あなたの治療の力は確かに強いものよ。けれど、それをすれば私たちの正体が明るみになる。それは転生も全員も望まないことでしょ。》
「浄化」に強めの口調で言われフルフル震えた「治癒」だったが、ルソの方を向き治療を施し出す。
《……治癒、あなた、自分が何してるかわかってるの?》
《わかってる、わかってるよ浄化姉。だけど……》
小さな声を絞り出すようにリヴは言った。
《文字に戻った後も転生兄が意識ないのは、私ヤダよ!正体がバレるのと、転生兄がいなくなるなら、私は正体がバレたっていい!》
受肉した肉体そのものの情報は、その力を執行した文字。
ルソそのものに、一番強く流れる。
魔法に痛覚はないが、核からの魔力が流出しきれば「その魔法がそれである定義が消失」して記憶も絆も虚無になってしまう。
ルーン生命体にとって一番の恐怖であり、それは「死」と呼ぶものだった。
そしてその果ては、魔力のないただの文字、概念の残骸になってしまう。
《『ピー』警告!ルソの核、損傷部分からの魔力流出……検知不可能!》
「監視」のヴァルザが警告音を発した。
本来なら溢れ出ているはずの魔力が、まるで時が止まったかのように核から一切漏れていないのだ。
人間でいうところの血が流れない、生命の理に反する静寂。
《……どうして?……転生にぃは手遅れ……なの?》
「泡」のブルムが泣きそうな声を出した。
それは自体が、より深い絶望の前触れに見えたからだ。
《懸念不要、某が閉じるより前に転生の魔力は保存されていた。》
「施錠」のロカは、ルソの状態に気づき
魔力の流出を止めようとした。
しかし『何か』によって、処置は済んでいると悟ったのだ。
その声に言葉を返したのは「波動」のスウェグである。
《たぶんねたぶんね、伝わってくるよ。この感じは、外からの響きだね♪》
外からの響き。
そう聞いて、気づいたのはラーグだった。
《守護ね……おそらく、契約が完了した時からルソを守っていた。》
《……だとしたら、バレてるかもしれねぇな。》
苦々しい表情の「棘」のソーンに、「疑似」のドランが焦りを浮かべて言った。
《ケヒヒ……今からでも、オレが紛らわせてやろうか?》
ドランの提案に、ソーンは《いや、いい》と短く否定した。
「守護」のエオルによる止血は、見られたのだろう。
1時間後にはナスマが呼び寄せた三人の神官が複製の「回復」のルーンを紡ぎ、活力を補充していった。
意識喪失間も、何度か回復処置も行われたのだろう。
《待とうぜ……転生が起きるのを。》
「治癒」の力で一命をとりとめたルソが目を覚ますのは、そこまで長くないはずだ。
彼らは下手なことはせず、依代でもあるルソの意識が戻るのをひたすら待ち続けた。
─終わり─




