42 父の飲酒
父は兄に連れられて、かつてわたしが通っていた隣町の大学病院を受診した。
下された診断は、『鬱病』。
定期的に通院し、抗うつ剤を服用することになった。
仕事を終えハルキを連れて帰宅すると、父はたいていこたつに横になって、ぼんやりと天井を見上げている。
「調子悪いの?」
意味がないと知りながらも、それしか言葉が見つからない。
父の気を少しでも引き立てようと必死に話題を探して話しかけてみるけれど、緊張をはらんだことばは虚しく空回りするばかり。
「無理に励ましたりせず温かく見守ってください」と言われても、具体的にどうしたらいいのか皆目見当がつかない。
そもそも温かい関係が築けていたら、こうはなっていないに違いないのだ。
どこまでも無力な自分を、思い知らされるだけの日々。
何か月か経っても父の病状は一向によくならなかった。
それどころか、昼間からこっそりお酒を飲むようになっていた。
仕事を終えて帰ると、居間が明らかに酒臭い。
けれど怖くて問いただすこともできない。
「だるくてしょうがないから、寝るわ」
そう言って風呂にも入らず食事もとらずに部屋に行ってしまう父。
タンスの引き出しに隠してあった本を見つけたときには、息が止まりそうだった。
『アルコール依存症について』
なんでもないようなそぶりを見せながら、父もまた自らの異常な状態に気づき、自身が壊れていくかもしれない恐怖と戦っているに違いなかった。
20代のころ、心を病んで泣き暮らしていた私に、父がぽろりとこぼしたことがあった。
「俺には、落ち込むっていう感覚がよくわかんねえ」
おそらくそのころの父は、弱い心を切り捨て自らを奮い立たせ生きていたのだろう。
けれど姉は他県に嫁ぎ、兄の妻とは関係がこじれ、そうこうするうち長年連れ添ってきた母があっけなく逝き、憎んでいた祖父も亡くなった。
その数年後には、ついに末っ子のわたしも結婚し家を出た。
気がつくと父は、守るべきものをすべて失っていたのだった。
お金も時間もあるのだから、あとはのんびり自分の好きなことをして過ごしたらいいと、皆が口をそろえてそう言った。
けれどずっと周囲のために自分を押し殺すことが当たり前になっていた父は、今さら自分のためにどう生きたらいいのかわからなかったに違いない。
一緒に生きていくはずだった母も、もういない。
やりきれない孤独と虚しさを埋めようと手にしたのが、アルコールだったのだろう。
胃癌の手術後にはきっぱりやめていたはずなのお酒。
今思えば、夜中に酔って泣く父の声が母屋から聞こえてくるようになったのは、ちょうどわたしが夫と付き合い始めたころだった。
あとになって兄が話してくれたが、わたしが結婚して家を出た後、父の顔は毎朝むくんでいたという。あるときは、帰宅するとこたつ布団がびしょ濡れで、酒の匂いがプンプンしていたと。
わたしに知らせなかった入院も、何度かあったらしい。
思い返してみれば、ハルキが生まれたときも、義母の葬儀のときも、兄と車で駆けつけてくれた父の足元はふらつき、顔は黄ばんでむくんでいた。
あのときすでに父は、アルコールと一緒に堕ちはじめていたのだ。




