1-8 憧れたもの
冷え込んだ風が吹くようになった夜。
レゾ達のたどり着いた母校は、魔法や松明の明かりで夜闇を払いながら、警衛隊に物々しく守られていた。
「学生さん、お子さん、ご老人は体育館へ! 体調の悪い方は近くの隊員に相談してください!」
案内された体育館には、既に多くの人が集まっていた。
これからも続々と増えるだろう。
避難のために人々が足下を照らしながら歩く。その光の列は、まるで街という生き物を弔う葬列のように続いていた。
レゾが窓から校庭を見れば、大人達はそちらに集められていた。
寄り添って励ましあう人も居れば、積極的に避難誘導を手伝っている人もいる。
ただ、誰もが不安そうな表情だった。
仕方ない。少なくとも、レゾが訪れてからこの二年には無かった騒ぎだ。
警衛隊の隊員に文句を付ける人までいる。どうしてこんな事になったんだと。そういきり立って何が変わるのか。
「カッコ悪い……」
レゾが呟きにトゥラが頷く。
「守ってくれる人に文句を言うって、どういう考えなんだろうな」
「そっちも、カッコ悪いけど」
「逃げて来た自分もカッコ悪いって?」
「……また、私は何もできなくて」
膝を抱えて座り、レゾが溜息で手を暖める。
二年前のあの日。レゾは逃げる事しかできなかった。
逃げて、逃げて、逃げて。
助けてと叫んだ。
そして、助けに来てくれた人たちを危険に巻き込んだ。
アモレ中尉や部下の人たちは、レゾに『当然の事をしただけだ』と言っていた。
けれど、もしアイドルが助けに入ってくれなければ、レゾが彼らを死なせてしまっていたのは間違いない。
助けて欲しいと言うことは、誰かを巻き込むかもしれないことだ。
もしそれを望まないなら、自分が常に助ける側に立つか、助けてもらう必要が無いくらい強くなるしかない。
もちろん、それが非現実的な理想だというのはわかっている。
ただ、少しでも自分を変えたいと思うには十分だった。
誰かに助けられるのを待つだけ。
助けてもらわないと何もできない。
そんな、理想と真逆の場所に落ち着くのが怖かった。
そのために、少しでも戦えるように訓練も受けてきた。
アイドルを目指した理由の一つは、助けられてばかりが嫌だったからだ。
「また、何もできないのかな」
「ムチャ言うなよ。訓練もしてない十四歳の女の子が、何かしたいって理由で歩き回ってたらその方が迷惑だろ」
「わかってるよ」
理性的で落ち着いたトゥラの言葉に、少しだけ反発してしまう。
トゥラの言っている事は正しい。
正しいけれど、その正しさ一つで飲み込めない思いが、レゾの胸の中でくすぶっているのだ。
取り出した短杖に明かりを灯して、何かできないかと手帳を開く。
「なあレゾ。アタシらは避難をしろって軍の命令を受けたんだ。命令を無視してウカツな事をするヤツに、鬼軍曹と名高いアモレさんがアイドルになる許可なんか出すか?」
「アモレさんは中尉だよ」
「せっかく許可をもらえる目があるんだ。捨てることはないって」
トゥラの縋るような説得に、レゾも渋々と頷く。
言っていることもその通りだ。命令を端から無視するような人間は、間違いなく軍人には向いていない。
もしこんな状況で外をうろついたりすれば、アモレ中尉はアイドルに限らず、軍関係では一切の許可を出さなくなるだろう。
おとなしく、警戒態勢が終わるのを待つしかない。
短杖から魔力を抜いて下ろし、手帳も腰に下げ直す。
よかったと安堵するトゥラの姿に、申し訳ない気持ちになる。
暴走娘だ、アイドル・バカだと言いながら、見捨てること無く手綱をとってくれるトゥラ。
ありがとうと言う代わりに、そっとトゥラの肩に体重を預ける。
「こら、重いだろ」
嫌がっているような言葉で、トゥラが照れたようにそっぽを向く。
このまま大人しくしていれば、きっとすぐに騒ぎなんか収まるだろう。
そう思っていた時に、聞き慣れた声がレゾの耳に入ってきた。
「なあ、頼む! 娘を迎えに行くだけなんだ!」
「できません。市民の方はどうか、ここを動かないで」
入り口に立つ兵士に詰め寄っていたのは、レゾ達の担任だった。
いつも授業で着ているスーツ姿だ。長期休暇に入ったにも関わらず、この時間になっても学校で作業をしていたのだろう。
放課後、遅くなっても生徒が相談に行けば断らないという担任だ。その間に滞ってしまう業務を、こうして自分の時間を削る事で対処していたのだろう。
しかしそれが問題に繋がったらしい。
「娘が、イノが病気で寝込んでたんだよ。まだ来てないって事は、警報に気づいてないんだ。俺が行けないなら、誰か人を行かせてくれ!」
頼む、頼むと、何度も頭を下げる。
目に入れても痛くないほど娘をかわいがっていた人だ。
こんな時に離ればなれなのは、身を切るほど辛いだろう。
「分かりました。手の空いている隊に向かわせますので」
なんとか休むように言い聞かせた兵士に、担任が住所らしい紙を渡して身を引いた。
大丈夫ですよと身振りで示して、兵士が通信の魔法陣を書き始める。
その様子に、レゾは再び短杖を取り出して、トゥラの体の陰で同じ魔法陣を書き上げた。
「おい」
「静かに」
レゾが鋭くトゥラの言葉を止める。
アモレ中尉の部下から習った通信魔法は軍で使われている物だ。いくつかの記号で部隊ごとの切り替えを行って情報の混線を防ぐが、その記号さえ見えていれば横から聞くのは難しくない。
『――ですので、子供の保護をしてほしいと』
今も建物の入り口に立っている兵士が口を動かすと、魔法陣からその声が流れる。
『それどころじゃない! 中型が三体もいたんだ! 街の街壁に穴があいて、小型が入り込んでやがる!』
町中に"終わりの夜"が入り込む。
それは、虐殺が起こると言っているのと同じだ。
トゥラの表情が凍り付き、レゾは真剣な顔でさらに耳を澄ます。
『討伐中隊も工兵中隊も出ずっぱりだ! くそったれ!』
『中型の排除は?』
『そろそろ済むだろうさ。だが、町中はまだこれからだ』
『避難所の護衛から何隊か、そちらに動かすように意見しようか?』
『いや、防衛に専念してくれ。何匹か行ってもおかしくない。それに、街の近くにいた部隊が救援を――』
レゾが通信魔法を解除する。
分かった事は一つだ。
このままでは、寝込んでいるという担任の娘は見捨てられるに違いない。
もしこれが地震なら、まだ助かる可能性はあるだろう。
しかし、相手は"終わりの夜"だ。
人間を憎み、たとえ視界の外にあっても、人間の気配を追いかけて殺しに動くような怪異だ。見逃される可能性がどれだけあるか。
立ち上がろうとしたレゾの腕をトゥラが掴む。
「ダメだ」
「まだ何も言ってないよ」
「せっかく夢が叶うんだ。記憶も無い中で、二年間必死に勉強したんだろ? 諦めたくないって言ってただろ?」
トゥラの言葉に、レゾはうつむく。
「アタシも、レゾにその憧れを叶えて欲しいんだ」
だからバカな事はやめてくれと、トゥラは懇願する。
レゾは、どうしてもすぐに頷けなかった。
あの炎と硝煙に満ちた運命の日を思い出すからだ。
見上げた空は赤く染まって、空気は喉を灼いて、ここはもう生者の居場所ではないと言っているようだった。
足下は瓦礫だらけで、街は亡骸そのものだった。
そんな場所でおぞましい怪異に追いかけられて、なんとか追い払ったと思ったら、何倍にもなってまた襲われる。
あの時に一緒にいた誰もが、死ぬしかないと諦めていた。
そんな時だ。
あの輝きに、救われた。
「私は、アイドルになりたい」
煌めくような憧れを見つけたのだ。
思い出すだけで、胸の奥が燃えるように熱くなる。
諦めないでと歌った声は、今でも耳に残っている。
たった二年。
だけど、レゾにとっては唯一で全ての二年間だ。
それを否定するのは、自分自身の全否定と変わらない。
「だから」
ごめんねと。
「行かないと」
立ち上がる。
トゥラが慌ててのばした手は、するりと、すり抜けていた。
「誰かを見捨てるのは、一瞬でできるから」
助けられるかもしれないと知って、それでも見捨てるのは、群で生きる人間にとって本能に逆らう行為だ。
損と利益を天秤に掛けて、必要ないから切り捨てる。
それは、とても賢く理性的な選択だろう。
けれど、アイドルがそんな賢さを持つ人達なら、レゾは既に死んでいたはずだ。
「身近な人を切り捨てるのに、見ず知らずの人の為に戦うなんてできないよ」
レゾが憧れたのは、アイドルという立場じゃない。
多くの人が傷ついて、生きることを諦めてしまうような極限の最前線。
生きている人なんか見えないくらい、街も、空も赤く染まった街の中。
そんな場所に飛び込む生き方だ。
必要なのは、きっと理性や賢さじゃない。
私は助けたい。
そんな『想い』だ。
それだけでいい。
それだけは、無視しちゃいけない。
「私は、私が憧れたアイドルになる」
泣きそうなトゥラに、笑顔を向ける。
死にに行くわけじゃない。
小さな女の子を助けにいくだけなんだ。
「大丈夫、先生の住所はすぐ近くだったから、ちょっと散歩くらいだよ」
また遅くなってすみません。
五月一日分の投稿です。
二日目の分もきちんと投稿します。