視察に行こうと思います
ダンジョン経営歴、二百三十七年。
これだけ長くやっていれば、業界に知らない顔はほとんどいない。他のダンジョンの経営者と交流する機会もあった。
年間来場者数は二千万人以上。七十二階層に、業界最高峰の魔物数、さらには温泉、宿屋、飲食店、治療所まで完備。一種のテーマパークのようなものだった。
……まあ、その自慢のダンジョンも、今は跡形もないわけだが。
「現実は厳しいな」
階層は一階。所持金は十五G。魔物兼従業員はスライム一匹。施設はなし。
世界一から最底辺への転落だ。経営書に載せれば、反面教師としては最高の教材になるだろう。
とはいえ、嘆いていても金は増えない。前よりもより優れたダンジョンに建て直してみせるのだから。そのためにはまず情報収集と経営戦略の決定だ。この際他所のダンジョンを視察してみようか。
知ってるダンジョン経営者を思い浮かべてみた。
「…..あっ。」
幸か不幸か最初に思い浮かんだのがあの男だ。
ロイ・ムスケル。
筋肉を愛し、筋肉に愛され、筋肉のためにダンジョンを攻略するという概念を壊したやつだ。
経営者としての評判は悪くない。ただし、本人の評判となると少し事情が違ってくる。
以前、業界の会合で顔を合わせたとき、あいつは初対面の俺にこう言い放った。
『君は、もっと筋肉と対話するべきだ!』
あのときは握手を求められただけのはずが、なぜか腕相撲をする羽目になった。
「まあ、経営の参考にはなるだろう」
そう自分に言い聞かせて、俺はロイのダンジョンへ向かった。
入口の看板には、堂々とこう書かれていた。
『筋肉は裏切らない。裏切るのは己の甘えだ』
「……帰りたい」
まだ入口に立っただけなのに、嫌な予感しかしなかった。
中へ入った途端、妙な音が聞こえてきた。
「フンッ! フンッ! フンッ!」
何かを殴る音かと思ったが、違った。冒険者たちの掛け声だった。
広いホールには、武器を持った冒険者より、汗だくで体を鍛えている冒険者のほうが多い。鉄の塊を持ち上げる者、巨大な岩を押す者、ゴブリンに見張られながらひたすら階段を駆け上がる者。そして、床に倒れ込んだまま動かない者。
最後の一人が気になったので、近くの受付に尋ねた。
「あの人は大丈夫なのか?」
「ご安心ください。限界まで鍛えた結果、休憩しているだけです」
「そうか。ならいいが」
「先ほどから十分ほど、同じ姿勢ですが」
「本当に大丈夫なのか?」
「たぶん」
「受付が言うことじゃないだろ」
俺は頭を抱えた。このダンジョン、本当に大丈夫なのだろうか。
そのときだった。
「おおおおおおおッ!新たな筋肉の持ち主が来たぞおおおおおッ!」
鼓膜を揺さぶる大声が、ホール中に響き渡った。
振り向くと、巨大な男が立っていた。身長は俺より頭二つ分は高い。腕は丸太のように太く、胸板は鎧でも仕込んでいるのかと思うほど分厚い。なぜか上半身だけ、妙に露出が多かった。
男は俺を見るなり、満面の笑みを浮かべた。
「久しいな、ノア!」
「……相変わらず元気そうだな、ロイ」
「当然だ!筋肉が元気である限り、俺も元気だ!」
「筋肉が元気じゃないときのお前を、見たことがないんだが」
「見せていないだけだ!」
「そうか」
見せなくていい。
ロイ・ムスケル。会合で何度か顔を合わせたことのある、筋金入りの筋肉至上主義者だ。昔から変わった男だったが、まさかダンジョン全体をここまで筋肉一色に染めるとは思わなかった。
「それで、今日はどうした! ついに筋肉の素晴らしさに目覚めたか!」
「違う。経営の参考に来ただけだ」
「なるほど!経営も筋肉も、基礎が大切だからな!」
「今の会話に共通点があったか?」
「ある!すべてに筋肉が必要だ!」
「もういい」
会話が成立しているようで、していない。昔からそうだった。こいつは筋肉の話になると、こちらの発言を都合よく変換する特殊能力を発揮する。
俺は早々に諦めて、施設を案内してもらうことにした。
「まずは脚部強化エリアだ!」
ロイが連れてきたのは、起伏の激しい広大な通路だった。床には大小の障害物が並び、途中には急な坂や曲がりくねった道もある。その中を、冒険者たちが必死に走っていた。
後ろから追いかけているのは狼型の魔物だ。ただし、普通の狼とは違う。冒険者が速く走れば狼も速度を上げ、遅れれば少し距離を空ける。障害物を跳び越えれば、狼も同じように跳び越えた。
「なるほど。追跡型の魔物で、速度や持久力、方向転換の技術を鍛えているのか」
「その通りだ!魔物には制御魔法をかけてある。冒険者を本気で仕留めることはない!」
「それなら安心だな」
「ただし、手を抜くこともない!」
「そこは少しくらい手を抜いてやれ」
「甘やかしは筋肉の敵だ!」
「お前、客商売向いてないだろ」
「だからこそ、客の筋肉を鍛えている!」
「話を聞け」
とはいえ、施設そのものはよくできていた。魔物を置いて冒険者を追い回させるだけではない。走る速度、障害物の配置、魔物との距離。すべてが訓練として成立するよう調整されている。転んでも大怪我をしないように、床の一部には衝撃を吸収する魔法陣まで組み込まれていた。
「よく考えられているな」
「当然だ!脚力は冒険者の生存率に直結する!強い魔物に勝てなくても、逃げ切れれば生き残れるからな!」
その言葉には、意外なほど説得力があった。ただ筋肉を大きくするのが目的ではない。冒険者が実際のダンジョンで生き残る力を鍛える。それがこの施設の本質なのだ。
「……なるほどな」
「どうした?」
「いや、思ったより真面目に経営しているんだなと思って」
「思ったより、とは何だ!」
「そのままの意味だ」
「俺はいつだって真面目だ! 筋肉に対しても、経営に対しても!」
「筋肉に対して真面目、という言い回しは初めて聞いたぞ」
次に案内されたのは、胸や腕を鍛えるエリアだった。冒険者たちが、巨大な盾を持ったオークや、岩でできたゴーレムと向かい合っている。
「盾を押し返すことで、腕力だけでなく全身の使い方を覚える! ゴーレムを押し込む訓練では、姿勢を崩さずに力を伝える技術が身につく!」
「単純な筋力だけじゃなく、実戦での踏ん張り方も学べるわけか」
「その通り!筋肉は量だけではない!使い方が重要なのだ!」
「お前の口からまともなことが出てくると、少し戸惑うな」
「俺を何だと思っている!」
「筋肉の化身」
「よくわかっているではないか!」
「褒めてない」
冒険者の一人が、巨大な盾を押しながらうなっていた。
「くっ……あと少し……!」
盾がわずかに動いた。周囲から歓声が上がる。ロイが満足そうにうなずいた。
「見ろ!あの冒険者は先週まで盾に押し返されていた!だが、今日は自分の力で前進している!」
「成長を記録しているのか?」
「当然だ!入場時の能力、訓練内容、達成記録、疲労度。すべて管理している!」
「疲労度まで?」
「無理をさせれば怪我をする。怪我をすれば訓練ができない。訓練ができなければ筋肉が育たない!」
「最後だけ妙にお前らしいな」
「最初から最後まで筋肉の話だ!」
言っていることは極端だが、管理の考え方は合理的だった。客の能力を記録し、成長を目に見える形にする。成果を実感できれば、客は通い続ける理由を持てる。
俺のダンジョンにも、来場者の記録を残す仕組みはあった。ただ、それは主に攻略記録や獲得報酬の管理用だった。訓練の成果を客自身に実感させる仕組みは、もっと工夫できるかもしれない。
背中を鍛えるエリアでは、冒険者たちが重い扉を開けようとしていた。扉には太いロープがつながっていて、その先では猿型の魔物たちが必死に引っ張っている。
「……あれは何だ?」
「背筋と握力の訓練だ!」
「なぜ猿がロープを引いている?」
「人間が相手だと、手加減してしまうかもしれないからな!」
「猿なら手加減しないと?」
「猿は筋肉に忠実だ!」
「その理屈は初めて聞いた」
猿たちはキーキー鳴きながらロープを引いている。冒険者も負けじと扉を引き、しばらく拮抗した末に、扉が少しだけ動いた。
「おおっ!」
「いいぞ!その調子だ!」
ロイが拳を握る。冒険者は最後の力を振り絞って、扉を開けた。その瞬間、扉の向こうから小さな看板が飛び出してきた。
『おめでとう! あなたの背筋は先月より十二パーセント成長しました!』
「……看板まで飛び出してくるのか」
「達成感の演出だ!」
「普通に表示すればいいだろ」
「筋肉の成果は、盛大に祝うべきだ!」
冒険者は看板を見て、疲れ切った顔で笑った。そして、記録用の魔道具に自分の成果を保存していた。
なるほど。ただ訓練させるだけじゃない。頑張った結果を、その場で実感できるようにしているのか。こういう小さな仕組みの積み重ねが、客の満足度を上げるのだろう。
看板が飛び出す必要があるかどうかは、別の話だが。
その後も、俺はいくつもの施設を見て回った。
不安定な足場を渡るバランス訓練。不規則に飛び回る小型魔物を避ける反射神経訓練。坂道を駆け上がりながら、追ってくる魔物から逃げる持久力訓練。最後には、それらをすべて組み合わせた実戦形式のコースまで用意されていた。
種類は多いが、どれも目的がはっきりしている。しかも初心者向けから上級者向けまで、難易度が細かく分けられていた。
「これだけの施設を維持するのは大変だろう?」
「もちろんだ!」
ロイは胸を張った。
「魔物の食費、設備の修繕費、魔法陣の維持費、回復施設の運営費! 金はいくらあっても足りん!」
「だろうな」
「だからこそ、俺は定額制を採用している!」
ロイが案内したのは、受付の横にある料金表だった。
『ブロンズプラン:月額五百G』
『シルバープラン:月額二千G』
『ゴールドプラン:月額一万G』
ブロンズは基本の訓練エリアが自由に使える。シルバーはそれに加えて、全身を鍛える訓練エリアと、定期的な能力測定がつく。ゴールドになると、高難度エリアの利用、専属トレーナーの指導、回復施設の優先利用まで含まれていた。
「月額制か」
「そうだ! 一度きりの利用料ではなく、継続して通ってもらうことで安定した収入を得る!」
「客にとっても、毎回料金を払わなくていいのは便利だな」
「その通り! しかも訓練を続けて成果が出れば、さらに上のプランを選ぶ者もいる!」
「自然に上位プランへ移ってもらえるわけか」
「もちろん、無理な勧誘はしない! 本人が必要だと感じたときに選んでもらう!」
意外だった。筋肉のことしか考えていないように見えて、経営の基本はしっかり押さえている。継続的な収入があれば、設備の維持や魔物の育成にも計画的に投資できる。客は自分の成長のために通い続け、施設はその需要に応えて利益を得る。双方に得がある仕組みだ。
「それに、会員が友人を連れてくることも多い!自分の成長を見せたい者もいれば、仲間と一緒に鍛えたい者もいる!」
「口コミで新しい客が増えるのか」
「そうだ!強くなった冒険者が、別の冒険者を連れてくる!素晴らしい循環だ!」
「なるほど」
俺は料金表を見つめた。
十五G。俺の全財産だ。
月額五百Gのプランにすら入れない。見学に来ておいて、会員登録もできないとは。世界一のダンジョン経営者が、他所の受付で金額を眺めているだけ。人生とはわからないものだ。
「どうだ、ノア!筋肉の素晴らしさがわかったか!」
「経営の参考にはなった」
「筋肉は!」
「そこは参考にしていない」
「なぜだあああああッ!」
ホールに悲鳴のような叫びが響いた。周りの冒険者たちは、誰も気にしていない。どうやら日常の光景らしい。
見学を続けていると、一人の若い冒険者が目に入った。
訓練用の武器を握って、何度も同じ動作を繰り返している。腕は震え、呼吸も乱れていて、明らかに限界が近い。
「もう一回……あと一回だけ……!」
若者が武器を持ち上げようとした、その瞬間だった。
「そこまでだ!」
ロイの声が飛んだ。彼は若者の前に立って、武器を取り上げた。
「今日は終わりだ!」
「で、でも、あと少しで記録を更新できそうなんです!」
「疲労が限界を超えている! 今続ければ、怪我をする可能性が高い!」
「でも、せっかく会費を払ったのに……」
「金を払ったからといって、自分の体を壊していい理由にはならん!」
その声は、さっきまでの大声とは違っていた。厳しいが、真剣だった。
「筋肉は休んでいる間にも成長する。休息も訓練の一部だ。今日の限界を知ったなら、次はそこを超えればいい!」
「……はい」
若者は悔しそうにうつむいたが、やがて武器を置いて、回復施設へ歩いていった。
ロイはその背中を見送ると、いつもの調子に戻った。
「無茶をさせて怪我をされたら、こちらも困るからな!」
「それだけか?」
「もちろん、それだけではない!」
ロイは腕を組んで、訓練場を見渡した。
「俺は冒険者に強くなってほしい。強くなれば、今まで倒せなかった魔物を倒せる。今まで行けなかった場所へ行ける。仲間を守れる可能性も高くなる! そのために、ここを作ったのだ!」
俺は黙って、その横顔を見ていた。
筋肉を愛しているのは間違いない。だが、それだけじゃなかった。ロイは、冒険者を強くすることを本気で仕事にしているのだ。
俺のダンジョンは違った。冒険者に楽しんでもらうこと。何度でも来たいと思ってもらうこと。攻略の達成感を味わい、仲間と飯を食い、温泉に浸かり、土産を買って帰る。冒険そのものを、一日がかりの体験にする。俺はそういうダンジョンを作ってきた。
どちらが正しいという話ではない。ただ、同じダンジョン経営でも、目指すものが違えば、作る施設も、雇う魔物も、収益の仕組みも変わってくる。
「……ロイ」
「何だ!」
「お前のダンジョン、思ったよりずっとよくできているな」
「思ったより、とは何だ!」
「そこは気にするな」
「気になるわ!」
俺は笑った。久しぶりに、他の経営者から学ぶことがあった。
世界一だった頃の俺は、少し自分のやり方に自信を持ちすぎていたのかもしれない。成功した方法が、いつまでも最善とは限らない。環境が変われば、経営も変えなければならない。
今の俺に、昔の巨大なダンジョンはない。あるのは、十五Gとスライム一匹だけだ。ならば、今の規模でできることを考えるしかない。
「ありがとう、ロイ。参考になった」
「うむ!では次回は、ぜひ君の筋肉を見せてくれ!」
「なぜそうなる」
「経営の相談に乗ったのだ!次は筋肉の相談だろう!」
「そんな取引はしていない」
「遠慮するな!俺が責任を持って鍛えてやる!」
「遠慮じゃない、拒否だ」
「なぜだあああああッ!」
俺は逃げるようにダンジョンを後にした。
外へ出ると、夕日が傾き始めていた。
今日の見学で得たものは多かった。客が何を求めているのか。続けて通ってもらうには何が必要か。設備を維持しながら利益を出すには、どんな仕組みが有効か。どれも、これからの俺に必要な知識だった。
ただ、ひとつだけ問題がある。
「……金がない」
経営の勉強をしたところで、懐事情が改善するわけじゃない。所持金は十五G。スライム一匹。施設はなし。この状態から、どうやって客を呼び、金を稼ぎ、ダンジョンを大きくしていくのか。まずはそこからだ。
「まあ、やるしかないか」
俺には二百三十七年分の経験がある。昔のダンジョンをそのまま再現する必要はない。今の規模だからできる経営が、きっとある。
いつか必ず、以前のグラン・パレスを超えてやる。
「ノア!俺も俺の筋肉はいつでも君を待っているぞおおおおおッ!」
遠くから聞こえてきた声に、俺は思わず足を速めた。
再建より先に、あいつとの付き合い方を考えたほうがいいかもしれないな。
お読みいただきありがとうございました。
筋肉の勢いに押されっぱなしのノアですが、ロイから学んだことを活かして、次話では本格的な経営戦略を練っていきます。次話もお付き合いください。
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