バックアップを忘れてしまった
ダンジョン経営には、やってはいけないことが三つある。
客を無駄に死なせること。金を無駄に使うこと。そして、バックアップを取り忘れること。
「……やっちまった」
薄暗い洞窟の中で、目の前に浮かんだ管理画面を、俺はしばらく黙って見ていた。
【ダンジョン管理システム】
【復旧処理が完了しました】
【復元データ:最終バックアップ】
【ダンジョン名:グラン•パレス】
【階層:1】
【ランク:F】
【所持金:100G】
【魔物:0】
【施設:0】
【従業員:0】
【冒険者:0】
「…………」
見間違いじゃなかった。
俺の名前はノア•グラン。二百三十七年前、ある理由から故郷のエルフ村を飛び出して、なけなしの100Gを元にグラン•パレスというダンジョンを立ち上げた。グラン•パレスといえば、世界最大級のダンジョンと言われた場所だ。年間の来場者は二千万人を超え、世界中から冒険者が集まっていた。
全七十二階層。武器屋、防具屋、鍛冶屋に食堂、酒場、宿。怪我を治す回復施設もあれば、疲れを癒やす温泉もあった。初心者が安全に歩ける区域もあれば、命懸けの戦いを求める上級者向けの区域もあった。
魔物にしても、ただ冒険者を襲わせていたわけじゃない。スライムには掃除を、ゴブリンには採掘と建築を任せた。オークは食堂の厨房に立ち、強い魔物たちは高難度区域の管理をしていた。
冒険者が来て、戦って、素材を持ち帰って売る。飯を食い、酒を飲み、宿で寝て、翌日また潜る。ダンジョン内で全て完結できる仕組みを最初に作ったのが俺だ。利益は全てグラン•パレスの投資に注ぎ込んだ。そうして、二百三十七年かけてグラン•パレスを世界一のダンジョンにしたのだ。
冒険者なら誰でも知っているダンジョン総合サイトの『ダンナビ』の人気ランキングでも、グラン•パレスは長年一位の座にいた。
【総合評価:★★★★★ 4.9】
【口コミ数:127,843件】
【総合ランキング:第1位】
《初心者でも安心して楽しめる》
《施設が充実しすぎている》
《温泉だけでも行く価値あり》
《高難度区域は本当に歯ごたえがある》
《何度行っても飽きない》
世界ダンジョン協会(WDA)の格付けも、最高位の五つ星だった。
……昨日までは。
「……全部、ないのか」
七十二階層も、施設も、従業員も、マイホームも。魔物も一匹すらいない。
「ちょっと待てよ。
ということは…..カイルも消えたのか(泣)」
カイルはダンジョン経営が軌道に乗ってきた頃に採用した初期の幹部のヴァンパイアだ。経営危機や迷宮大災害など、二百年以上の間色々な苦楽を共にした俺の右腕のような存在だった。
所持金は百ゴールド。
理由は分かっている。バックアップだ。
ダンジョンには一つの核があり、それにダンジョンの全てのデータが刻み込まれており、それを元にダンジョンが存在する。ダンジョン内で生みだしたもの、つまり建築物や、魔物などは全て核に帰属する。しかし、ごく稀に核が異常を起こしてデータが消えることがあるという。そんな時のためのバックアップだ。核を取り替える際にデータを移すことができ再びダンジョンを復元できる。バックアップが大事なものだということは、もちろん俺も知っていた。
ただ、ダンジョンが大きくなりすぎた。
最初は数分で終わったバックアップが、階層が増えるたびに長くなった。数時間になり、半日になり、しまいには完了まで数日近くかかるようになった。そのうえ、保存中はダンジョンの核を止めなければならないのでダンジョンを閉めなければならない。数日も営業を止めたら、損失は馬鹿にならない。
だから、こう考えた。
「次の大型改修が終わったら取ろう」
大型改修は終わった。けれどその日は新施設の開業準備があった。次の日は来場者数が過去最高になった。その次は従業員の配置換えで、そのまた次は新しい魔物の大規模採用。
気づいたら、バックアップを取ること自体を忘れていた。
保存できるスロットは一つだけだ。新しく保存しない限り、古いデータが残り続ける。
最後の保存は、二百三十七年前。グラン•パレスを作ったばかりの日だった。確かその日は名前を決めて満足し、バックアップをとって終わったんだったな。それからというもの経営第一で、一度もバックアップをとっていなかった。
ダンナビを開いてみたが、トップニュースで
【世界最大のダンジョングラン•パレス突如消失…
ダンジョンにいた冒険者約5万人が地上に打ち上 げられる】
とのことだ。あと、ダンジョン検索ページでいくら検索をかけても昨日までの世界最大のダンジョンであるグラン•パレスはヒットせず、出てくるのは口コミ0件のたった一層の名前だけ登録されているダンジョンが一件。
「……経営者失格だな」
つい笑ってしまった。笑うしかなかった。一つの過ちで俺の二百三十七年が消えたのだから。
ただ、俺の記憶まで消えたわけじゃない。冒険者が何を求めているのか。どこに金をかけるべきか。どんな施設が儲けを出すのか。どんな魔物なら従業員として働いてくれるのか。二百三十七年分の経験は、全部この頭に残っている。俺にはダンジョン経営しかいないのだ。
深く息を吐いて、管理画面を開いた。
【所持金:100G】
「百ゴールドか」
初めてダンジョンを作った日と、まったく同じ額だった。
懐かしい商品一覧が出てくる。
【松明 5G】
【木製扉 10G】
【スライム召喚 30G】
【簡易罠 40G】
【小型宝箱 50G】
【簡易休憩所 100G】
「今買えるのはこれだけか…..」
全部使い切るのは簡単だ。でもそれは経営とは言わない。
手持ちが百ゴールドしかないときに大事なのは、何を買うかじゃなく、何を買わないかだ。
簡易休憩所は百ゴールド丸ごと飛ぶから論外。簡易罠は、初心者しかいない一階層で冒険者に怪我をさせたら評判が落ちるだけ。木製扉は、客が増えてから考えればいい。
残ったのは三つ。
【スライム召喚 30G】
【松明 5G】
【小型宝箱 50G】
合計八十五ゴールド。手元には十五ゴールドが残る。
スライムは弱いが、初心者にはちょうどいい。松明があれば洞窟らしくなる。宝箱は、冒険者が来る理由として欠かせない。やっぱり報酬がないと人は動かないからな。
スライムを一匹召喚すると、ぽよん、と半透明の身体が床に落ちた。
「名前は……そうだな」
少し考えて、決めた。
「セーブだ」
安直だが、自分への戒めをこめてこの名前をつけた。命名したモンスターはダンジョンの正式な一員として登録される。
準備はこれで終わりだ。
しかし、この簡易的すぎるダンジョンをわざわざ選ぶやつはそういないだろう。俺の手元に残っているのは元世界最大のダンジョンであるグラン•パレスという名前だけなんだから。とりあえず入場料は無料にしておこう。
これでダンナビに登録した。あとは客を待つだけだ。
昼ごろ、洞窟の入口から声がした。
「すみませーん!」
若い冒険者が三人。剣士に魔法使い、それに弓使い。装備は三人とも安物で、見るからに初心者だった。
「ここ、グラン•パレスで合ってます?」
「ビックリすると思うが合ってるよ」
「よかった!俺たち今日がダンジョンデビューなんです!初めてのダンジョンはグラン•パレスって決めていたんですよ!」
「そうですか。それは申し訳ないことをしましたね。期待していたグラン•パレスは無くなり、こんな形で迎えることになってしまって…..」
「いえいえ!もしかして俺たちが最初の冒険者ですか?それならむしろ嬉しいですよ!あのグラン•パレスの最初の冒険者になれるんですから」
そんな無邪気な言葉に涙腺が緩みそうになるのを堪えて、三人を中へ案内した。少しして、先頭の剣士が声を上げる。
「いた!」
セーブを見つけたらしい。
「弱そう!」
「いけるって!」
ザシュッ。
セーブは一撃で倒された。
三人はそのまま奥へ進み、宝箱を見つけた。
「宝箱だ!」
蓋が開く。中に入っていたのは、薬草がひと束。
「やった!」
三人は大喜びで、そのまま帰っていった。
俺は管理画面を開いた。
【本日の来場者:3名】
【売上:0G】
【支出:85G】
【利益:-85G】
【冒険者満足度:93%】
しばらく数字を眺めた。
客は来た。魔物は倒された。宝箱も開けられた。冒険者たちも、一応は満足して帰った。
それでも。
「……赤字だなぁ」
当たり前だ。入場料を取っていない。店も宿も温泉もない。何もないんだから。
二百三十七年、俺は何を見てきたんだろう。巨大な施設も、細かい料金体系も、何百人もの従業員も、年間百万を超える客も、最初からあったわけじゃない。全部、ここから始まったんだ。
百ゴールドに、魔物一匹と宝箱ひとつ。それから三人の冒険者。
「……面白いじゃないか」
不意に笑みがこぼれた。
世界最大級のダンジョンを作った俺が、またゼロからやる。しかも今度は、二百三十七年分の知識つきでだ。
「今度は、もっと上手くやってやるよ」
管理画面を閉じる前に、最後にひとつだけ確認した。
【バックアップ】
【最終保存:現在】
最後まで読んでいただきありがとうございます。
バックアップ本当に大切ですよね…..
私も、スマホのバックアップをしていなくて、全てのデータが消えたことがあります…..
それまで撮り溜めた写真やゲームのデータなど二百三十七年まではいきませんが、まるで長い年月の歴史を失ったような喪失感はかなりのものでした。
さあ、不本意ながらダンジョン経営界の大型新人となったノアが、失われた二百三十七年をどのように奪還していくのか、またこの先出てくるそれぞれの経営理念に則った様々な「癖」があるダンジョンなど、「続きが気になる」と思ったら、ブックマークや★で応援してもらえると嬉しいです。




