1ー1 「一人の少女の物語は幕を閉じた」
「エンゼル・リライト」始まり始まり〜!
テレジア神聖国 神聖歴1958年
テレジア神聖国の西の西、最西端に位置する人気のない森の奥に何やら大きい屋敷がポツンとあった。
そして、その屋敷の執務室で、薄茶の髪の少女が盛大なため息をついていた。
「はぁ〜」
名をリリー・フロスティア、テレジア神聖国で5本の指の中に数えられる天才魔術師である。そんなリリーは今、書類の山に埋もれている。いや、正確には表面が見えないほど書類が積まれている机に、死人のように突っ伏しているというべきか。
「魔術が恋しいよぅぅっ」
ニ年前リリーは、戦場での立派な功績を讃えられ、〈星屑の射手〉という魔術師にとって光栄な二つ名を貰い、神聖国で最も偉大な魔術師集団の一員となった。だが、その業務内容(主に書類整理)はリリーにとって過酷なことのようだった。
机に突っ伏していたリリーは顔を上げ、残っている書類の枚数を数え始める。
「1、2、3、4......ざっと2万3400枚かぁ」
リリーの顔が青白くなってゆく。なんと、この処理せねばならない書類の期日は明日の正午までなのだ。リリーが頭を抱えながらあうあうと嘆いていると、窓の近くから声がした。
「あんたねぇ、書類数えるよりも手ぇ動かしなさいよ」
窓の方に振り返ると窓辺に白いイタチ、ティーネが佇んでいた。
「ティーネ様ぁ!」
リリーは嬉し涙を流して、手伝ってくださいと言わんばかりに目で訴えかける。
しかし、ティーネはため息を漏らしてそっぽを向いた。
「そんなに目を輝かせても無駄よ。元々あんたが魔術の研究ばっかりやってたのがいけないんでしょ」
「そっ、それは......」
図星だったようでリリーは黙りこくり、目を泳がせる。
実は、書類が届いた日から期日まで一ヶ月と少しあったのだが、それを無視して屋敷で新しい魔術の開発を一昨日までしていたのだ。でも、ティーネはその間、西部で開催される貴族のパーティー巡りをしていたはず。さっき帰ってきたのを見るに、このことを知るはずがないのだ。
しかし、そんなことよりもティーネに手伝ってもらうことの方が重要である。
(よし!少しティーネを刺激してみようか)
リリーは咳払いをすると、今できる精一杯の笑顔で言った。
「まさか、氷の大精霊であるティーネ様がパーティーで長時間人間に擬態していたせいで人間に擬態できなくなった......とか言いませんよね?」
それを聞いたティーネは目つきを変え、リリーに近づいていく。途中、ティーネの身体は白く冷たい靄に包まれた。
「あたしに扱かれたいのかしら」
リリーを鋭い目つきで見下して立っているのは、薄水色の長い髪が特徴の美女、人間に擬態したティーネである。
さすがは上位精霊のさらに上、大精霊であるティーネの威圧。数々の戦場を経験してきたリリーでも身体が強張る。
「すみません。冗談ですよ」
リリーは机の下で手をぎゅっと握りしめながら苦笑いした。
ティーネはリリーの書類の山に目を一瞬移すと、またため息をしてから、微笑した。
「今回だけよ。半分だけなんだから」
ティーネはこう言っているが、実のところもう数回ほど同じようなことがあったのだ。
「ありがとうございます、ティーネ様」
(同じ手が通用するとは思わなかったな......ティーネって結構単純?)
リリーはそう思いながら、さらりと自分の机の向かいに土魔術で机と椅子を創り出し、風魔術でその机の上に自分の机の上にある書類の山の半分を移動させた。
そして、ティーネはリリーの机の上にそれぞれ二つずつある羽根ペンとインク瓶のうちそれぞれを一つずつ持ってから椅子に座った。
そして、その日の夕方。
「う〜ん!」
リリーは得意げな顔で席を立ち、伸びをした。朝から休憩も取らずに、無理をして書類を処理し続けたおかげで書類が半分ほど片付いたのだ。
一方のティーネはというと、勝ち誇った顔で優雅に足を組んでティータイムを楽しんでいるではないか。しかも、書類は全て片付いている。
「この紅茶美味しいわね。ねぇ、これはなんの茶葉なの?」
リリーはティーネの持っているティーカップの中で輝く緑色の紅茶を見て「ああ、それは......」と言いかける。そして、少し考え込んでから口を開いた。
「......の紅茶です」
「もう一度言ってくれる?」
「えっとぉ、風魔竜の血を固めて砕いて作った粉に、南部の玉露という茶葉を混ぜて作ったもの......です」
ティーネはそれを聞いて「ああそうなの」と言いかけたが、驚いた顔をして紅茶?とリリーの顔を交互に見つめた。
「あんた、なんてもの茶葉に混ぜてるのよ!」
「実験で作ったものはキッチンに保管してあるって言ってませんでしたっけ?」
数秒の沈黙が流れる。
「そんなことやってないで、他の人間の女みたいにやってればいいのに。あなた、顔は整ってる方なのよ」
言われてみれば、リリーの顔はかなり整っていると言える。しかし、薄茶の髪はボサボサで適当に結われており、服はダボダボのローブ。顔以外が致命的に整っていない。
「これ結構古風な感じでいいと思うんですけどね」
口ぶりからするに本人は気にしていないようだが。
「そろそろ新しい服を買いなさい。お金はあるんでしょう?」
リリーはうんともすんとも言わずに、額に汗を浮かべて指をこね続けるばかり。
リリーは神聖国一の魔術師集団、七聖天の一員であるため、普通の平民の100倍、貴族並みかそれ以上の給料を貰っている。だが、そのお金をほとんど魔術の研究に費やしていた。神聖国の奥深くにポツンと建っているこの大きな屋敷も例外ではない。リリーが去年稼いだお金の3分の2を使って建てた屋敷である。......魔術の研究用に。
「私、書類の処理をするのでティーネ様は隣の部屋でくつろいでください」
リリーはニコリと微笑むと、そそくさとティーネの机に置いてあるものを浮かせ、土魔術で創った机と椅子を分解した。そして、ティーネを浮かせたものごと風魔術で隣の部屋へ移動させた。
バタンっ!
勢いよくドアが閉まる。
「書類に集中しよ」
リリーは羽根ペンを持ち、黙々と各都市からの陳列書、予算の承認待ちなどの書類に目を通してゆく。
この事務的な作業は、貴族がやるべきことなのだが王命なので仕方なくやっているのだ。そう、仕方なく。
この作業を初めて行った時、リリーはとんでもない量の書類から逃げようとして神聖国の東部に逃亡した。だが、何故かそこに待ち構えていた七聖天の一人に拘束され、監禁されたのをリリーはよ〜く覚えている。
ちなみに、その魔術師は七聖天の中のリーダー的存在で巷では魔王と呼ばれていたらしい。
リリーはそんなこんなを思い出しながら、スラスラと羽根ペンを動かしていく。
「ふぁ〜」
何時間経ったのだろうか。執務室の窓からはやわらかい月光の光がゆらゆらと綺麗に降り注いでいる。つまりは、夜中である。
「徹夜はきつい......」
リリーは机の上に頭を預け、ボソリとつぶやいた。その姿たるや、死んだ魚のような目が月光と相まって、偉大な魔術師というよりも成仏しきれなかった亡霊のそれである。
視界がぼんやりと暗くなっていくのだが、書類はあと数枚。今日終わらせられれば明日は魔術の研究ができるのだから、今寝るわけにはいかないのだ。
リリーはゆっくりと深呼吸をすると両手で頬をパチンと叩き、目をカッと見開く。
「よ〜し、やるぞ!」
リリーは勢いよく羽根ペンを持ち、その先端をインクの入ったボトルにつけた。そして、羽根ペンで書類にサインをしようとした時。
「あっ......」
インクの入ったボトルが倒れ、流れたインクが処理し終わった書類の一部に染みてしまったではないか。
「明日、遣いの人になんて説明すればいいの.....うぅ」
リリーは頭を抱える。このような重要な書類には、偽造防止のために特別な紙が使われているため、染みてしまったインクを抜くことはできないのだ。それに、遣いの者は厳しい者が多いのである。(特に眼鏡をかけているあの人)
リリーは椅子の背もたれにもたれかかると一人、深く天を仰いだ。
「あ〜」
この世の終わり、とまではいかないが希望を失った冷たい感じが混ざった声が執務室に響き渡る。
「コーヒーでも飲むかなぁ」
リリーはのそりと立ち上がると、厨房までぼてぼてと歩いて行った。
「あぁ、やっと着いたぁ〜」
リリーはがくんと崩れ落ちる。普段全く運動をしないリリーにとって、執務室から厨房まではとても長い道のりなのである。
「もう動きたくない......あっ、魔術でコーヒー淹れちゃおっか」
そう言うと、リリーは風の魔術で厨房の戸棚からコーヒーを入れるのに必要な道具を用意し、火の魔術で沸かしておいたお湯をコーポットに少しずつ注いだ。
「うーん、この匂い!」
リリーはコーヒー特有のあの芳しい匂いが好きなのだ。だが......
「匂いがしない?」
いつもなら、お湯を注ぐとコーヒーの匂いがふわりと厨房いっぱいに広がるはず。
いつもと違う豆か、何か違うものを入れてしまったのだろうか。リリーは不審に思い、立ち上がった。
瞬間、コーヒーポットから出るはずのない閃光が飛び出す。
「うっ!」
リリーは咄嗟に両腕で自身の視界を塞ぎ、うずくまる。
(この感じは、魔力?)
リリーが感じたようにコーヒーポットを中心として魔力が渦巻いていた。
「まさか!」
リリーは眩しいのを我慢してコーヒーポットに手を思い切り伸ばした。だが.....
もう手遅れだった。
バァァン!!!
轟音と共に屋敷が段々と深紅に染まっていき、煙は高く高く夜空を登ってゆく。
テレジア神聖国 神聖歴1958年
満天の星がかつてない輝きを宿し、幾千の流星が雨の如く降り注ぐ日。
魔術師である少女の人生は呆気なく幕を閉じたのだった。
次回、「終わりの始まり」




