50・HAPPY WEDDING
本編の後に、ちょっとしたお話があります。
内海君の憂鬱、というタイトルです。どうでもいい方は、どうぞスルーしちゃってくださいませ!
結婚式の準備が着々と進む中、ようやく休みを貰う事ができたまもちゃんが、その日、私が会社から帰ってくるなり笑顔で駆け寄って来た。
「おかえり、香澄」
「た、ただいま……どうしたの? 何か、ご機嫌だね」
「まぁね。そうそう、明日、旅行しようね」
「明日!? また、随分唐突だね」
明日から土日で会社も休みなので、行けることは行けるのだけれど、あまりにも唐突過ぎて、少しだけ怪訝な表情をしてしまった。すると、先程まで輝かんばかりの笑顔を向けていたまもちゃんの表情が、みるみる暗くなり、肩を落としてガックリしてしまった。
「……ごめん。一応、前にも旅行しようって言ったんだけど……やっぱり急過ぎるよね。無理だよね」
「だ、大丈夫! 行こうよ、旅行。まもちゃんと旅行するなんて嬉しいに決まってるじゃない」
「本当? ……良かった」
ホッと安堵の息を吐きながら、みるみる明るい表情に戻るまもちゃんを見て、思わず胸がときめいてしまった。いつまで経ってもまもちゃんの不意打ちの笑顔に、きゅんとしてしまう。いつになったら慣れるのかしら。うっかりときめくたびに、つい首を縦に振ってしまうのは、可愛い彼氏を持った女の弱いところかもしれない。
玄関先で突然旅行の話をされ、私はまだ靴を履いたままだ。まもちゃんは私のスリッパを目の前に置いてくれて、そそくさとキッチンへ向かう。
「ごめんね、玄関先でこんな話して。さぁ、夕飯作ったから着替えておいで」
「うん。久々だなー、まもちゃんのご飯。楽しみ!」
エプロン姿のまもちゃんが、にこにこ笑顔でキッチンに向かい、食器をかちゃかちゃと鳴らしながら用意してくれている。その姿を見るたびに、なぜか嬉しくて頬を緩ませてしまう私。仕事からクタクタになって帰ると、そこには最愛の人が出迎えてくれる。それは、心温まるくらい素敵なことかもしれない。
部屋に戻りスーツから私服に着替え、ダイニングへ降りていくと、テーブルには純和風のおかずが並び、ご飯の美味しそうな匂いとお味噌汁の温かな湯気が食欲をそそる。まもちゃんのご飯はいつ見ても完璧だ。「いただきます」と二人で言いながら箸をすすめる。まもちゃんのご飯で困ることと言えば、美味しすぎて食べ過ぎちゃうことくらいかもしれない。和食だし、ローカロリーだし、と自分に言い聞かせて、ぱくぱくと食べ進めるのであった。
「そういえば、旅行って何処に行くの?」
食事中、思い出したように旅行の話をした私。でも、まもちゃんは、ちょっとニヒルな笑みを浮かべて「明日のお楽しみ」と言いながら、再び食事を始めてしまった。行き先も知らないまま、私は明日を迎えることになりそうだ。それはそれで、楽しいかもしれない……?
次の日は、雲ひとつない青空。まさに旅行日和といっても過言ではない。朝のお天気コーナーで、お天気お姉さんが「この冬、一番の冷え込みです。暖かくしてお出かけください」と、えらく薄着の格好で言っていた。なんとなく寒くないのでは? と思わせるような格好はやめていただきたいものだ。
家を出て、ひとまずタクシーに乗り込み、いつもと違う駅まで向かう。勿論、まだまもちゃんは何も言ってはくれない。タクシーの中でも「内緒」を貫き通すまもちゃんに、ちょっとだけ不安を覚えた。
少しくらい教えてくれたっていいのに。
つん、と窓の外を向き、少しだけ頬を膨らませる。まるで子供のようなことをしているなぁと思いつつ、これから何が待っているのか全くわからないことへの不満が募るばかりだ。隣のまもちゃんは、窓に肘をつきながら外を眺め、嬉しそうに小さな声で鼻歌を口ずさんでいる。一人だけ楽しそうで、なんだか寂しく感じてしまっていたけれど、まもちゃんの空いている方の手が私の手を握り、ちょっとだけ力を入れて握り締められた。悔しいけれど、それだけで私の機嫌が直ってしまうから困ったものだ。馬鹿な女だと罵られても、仕方ない。だって、それくらいまもちゃんが大好きだから。
タクシーを降り、改札からホームへと向かう。その駅から出ている特別列車に乗り込み、約一時間ほど揺られると、列車は終点に辿り着く。そこは、温泉街から少し外れた所で、小高い丘の上にある駅だ。周りは少し閑散としているが、観光者向けに色々駅前には出来ている。お土産屋さんも、観光案内所もある。
「さぁ、もうすぐ着くよ」
まもちゃんは笑顔で私の手を引いて歩き出した。
目的地はもうすぐ。ここは温泉街の少し外れた場所。だけど、なんとなく風情ある旅館や、少しセレブ向けのホテルが点在している。静けさの中で過ごしたい人には、もってこいの場所のようだ。
まもちゃんに手を引かれ、辿り着いた場所は、古くからあるのか、趣を感じさせる老舗旅館だ。まもちゃんによると、創業百年以上続いているということだが、しっかりリフォームされていて、過ごしやすいように改装されている。
「香澄は座って待ってて。僕、フロントで受付してくるから」
「うん」
旅館に入るなり女将さんが出迎えてくれ、スリッパを前に差し出された。荷物も運んでくれて、窓際のソファーでまもちゃんを待っている間に飲み物とお茶菓子を用意してくれた。
至れり尽くせりは、すでに始まっている。旅行する時、こんな風におもてなしされるのが実は好きだったりする。
「お待たせいたしました。ではどうぞ、ご案内致します」
そう言いながら近づいてきたのは、この旅館の女将さんだ。入り口でそう挨拶されたので、女将さんの顔だけはしっかり覚えている。でも……
「あの、私の連れは……?」
「渋沢様でしたら、少々御用があるそうですので。先にお部屋にお通ししてほしいと仰っておりました。ですから、どうぞ」
こんな時に突然用事なんてできるものなのかしら? それとも、担当さんから緊急の用事が入ったとか。ま、まさか、東京帰って来い! なんて言われないよね?
悪い方へ悪い方へと物事を考えてはいけない、分かってはいるけれど、人間って案外ネガティブな方へ色々考えてしまうことはないだろうか。それって、私だけ?
心配しながらも女将さんに部屋へ案内されると、そこは畳の良い匂いがして、しかも広い庭園が臨める。そして庭園の向こうには湖が煌いているのが見える。この旅館は、少し小高い場所に建てられているので、部屋からの眺めは絶景だった。そしてその最高のロケーションを楽しみながら、部屋についている露天風呂も楽しめるという、なんとも贅沢な部屋だ。
「では。私はこれで。どうぞ、最高の一日をお過ごしください。私達、従業員一同、お手伝い致します」
温かいお茶を淹れてくれた女将さんが、畳の上で三つ指揃えて頭を下げる。向けられた笑顔は、女性が見ても美しいと、思わず呟いてしまうほど綺麗な人だ。
女将さんが部屋から出て行き、私は庭園を眺めていた。淹れてもらったお茶を啜りながら、湖を眺める。
「最高の贅沢だわ」
日頃の喧騒を忘れ、体の奥にマイナスイオンを吸い込みながら大きく腕を伸ばした。
しかし、それにしてもまもちゃんは一体いつ帰ってくるのだろうか。携帯に電話してみよう、と思い、バッグに手をかけた瞬間、部屋にインターフォンの音が響く。
「おまたせ」
扉の向こうにはまもちゃん。でも、さっきまでのまもちゃんじゃない。
「さ。香澄も準備しよう」
「ちょ、ちょっと待って! どういうこと?」
「ここで、僕達二人きりの結婚式を、挙げよう」
そう。目の前にいるまもちゃんの服は、いつのまにか白のフロッグコートに身を包み、手にはドレスとメイク道具が沢山詰まった箱がある。
「実はね、香澄を驚かせようと思って色々準備してたんだ。旅館の人にも話はしてあるから」
「でも、ここって教会とかないけど……」
「神様の前で愛を誓うのは、今度の結婚式でいいかなって。今日はドレス姿の香澄を、僕が独り占めにしたいっていう願望だから」
照れくさそうに頬を染めるまもちゃん。でも、凄く嬉しかった。
「香澄が綺麗になる姿を、一番最初に僕が見たいんだ。……我が儘かもしれないけど、どうしても譲れなかった」
そう言われて、恥ずかしそうにまもちゃんの唇が私の唇に重なると、私の瞳からは涙が零れ落ちた。
それは、突然のことで驚いたけれど、まもちゃんが私をとても愛してくれているのが伝わったから。そして小さな独占欲が、嬉しい。放置されるのも嫌。がんじがらめにされるのも嫌。適度な束縛や独占欲は、私を幸せにするの。まもちゃんに愛されているという、何よりの証拠だから。
部屋に二人、そして私はまもちゃんに化粧を施されている。筆を駆使して私の顔に色を乗せる。そしてドレスに合うように、器用な手付きで『夜会巻き』の髪型にしてくれた。頭上には、燦然と輝くティアラが乗せられ、ティアラと同デザインのイヤリングをつける。そしてウェディングドレス。
「あ、これ!」
「気付いた? 前に一緒に結婚情報誌見たときに、香澄が素敵って言ってたドレスだよ。あの後すぐに、電話して予約したんだ」
「嘘……どうしよう。すっごく嬉しい」
憧れのドレス。しかも、自分が一番気に入っていたドレスだ。それをまもちゃんが覚えていてくれた!
ドキドキしながらドレスに袖を通すと、それはまるで、私のために仕立て上げられたようにサイズがピッタリで、まもちゃんも私も自然と笑みが零れた。
「凄く似合ってるよ」
ベールを被せながら、まもちゃんが優しく微笑む。少し上を見上げながらまもちゃんの顔を見るが、なんだか恥ずかしくて思わず顔を伏せてしまう。いつもの自分ではないような気がして、気恥ずかしいのだ。でも、まもちゃんがそっと私の頬に触れ、私の顔を上に向かせると、満足気にニコニコしたまま可愛らしいキスをした。
着替え終わってから、私達は特別教会などへ行くこともなく、この旅館自慢の庭園をドレス姿で散策していた。芝生が庭一面に敷かれており、ウェディングドレスの白がよく映える。まもちゃんの白のフロッグコートもよく似合っていて、私のブーケとまもちゃんの胸元の花は、お揃いのカサブランカが飾られていた。
庭からは湖がよく見える。この、素晴らしい景観に思わず見入ってしまうほど、緑豊かな庭園。庭園には人が殆どおらず、私達はゆっくりと二人きりの時間を過ごしていた。
「ねぇ、お腹空かない?」
まもちゃんが突然言い出した言葉に、私は曖昧な返事をした。
「んー、なんだか胸いっぱいで……よくわかんない」
「そっか。でも喜んでもらえたみたいで嬉しいよ」
「うん、勿論。まさかドレス着て庭を散策するなんて、思いもしなかったよ」
「そうだよね」
ドレスを着て過ごすなんて、聞いた事がない。でも、これはとても良い記念になった。
私とまもちゃんの、二人きりの結婚式。それはなんとも贅沢で、幸せで……
「っくしゅん!」
「……やっぱ寒いよね」
季節は冬。ドレスの上にケープを羽織っているとはいえ、寒いものは寒い。折角のドレス姿で、鼻をずるずる鳴らす女なんて、なんてみっともない!
しかし、冬の寒さにはやはり勝てず、私とまもちゃんは旅館に戻ろう、と言って、館内に向かって歩き出した。すると、女将さんがカメラを持って私達にカメラを向け始めたのだ。
「女将さん!? どうしたんですか、それ」
「せっかくの記念ですから、お写真を残されたほうがよろしいのでは、と思いまして……。これでも昔、かじる程度ですがカメラを嗜んでおりましたので」
カメラを嗜むって、日本語として成立しているのかしら? なんて余計なことを思いながらも、今日の日の記念として写真を撮ってくださるという厚意は、とても嬉しかった。
私とまもちゃんは、庭園をバックに写真を何枚か撮り、最後は従業員の方も一緒に記念として集合写真を撮らせてもらうことにした。皆さんが私達のために、色々してくださったことを忘れないために。いつまでも感謝の気持ちを忘れないために。
私達は暖かい館内に戻り、自分たちの部屋の扉を開けると、そこには、驚くほど沢山のご馳走がテーブルの上に並べられていた。テーブルの位置も庭園がよく見えるように動かされていて、ドレス姿のままでも食べやすいように、色々工夫されていた。
「あの、これは……!」
「当旅館から、心ばかりのお祝いでございます。どうぞ、受け取ってくださいませ」
女将さんはニコリと微笑み、そそくさと部屋を立ち去る。まさか、旅館からのサービスで、こんなに豪華なお料理を堪能できるとは思わなかった。
私達は、二人並んで座り、豪華絢爛な料理に舌鼓を打つ。どれもこれも、見た目も味も素晴らしく、そしてこの景観を楽しみながら二人きりで過ごす。今までの人生で、今が一番、素敵な時間を過ごしているかもしれない。
シャンパングラスを、まもちゃんが突然グビッと飲み干し、私を真っ直ぐ見つめる。少しお酒が入ったからだろうか。まもちゃんの瞳は潤んでいて、頬もほのかに染まっている。
「どうしたの?」
「いや、大丈夫」
こほん、と一つ咳払いをして、改めて私を見つめると、まもちゃんはゆっくり話し出した。
「香澄と出会ってから、色んな事があったね。香澄とはこんな風に付き合うことになるとは思いもしなかったし……」
「それは、私もそうだったなぁ」
「でも、なんか気になって、いつも傍から見守ってた。僕は暗かったし、人にもあまり好かれてなかったし、香澄の傍に寄れば香澄も僕みたいに嫌われてしまうかもって思ったら、自分から近づけなくて……ちょっとじれったかったな」
「……うん」
まもちゃんと付き合うまでの話を聞きながら、思い出が頭の中に甦ってくる。本当に、こんな風に彼と付き合うとは思いもしなかったけれど、まもちゃんが私を気にしてくれていたように、私もまもちゃんを少しずつ意識していっていた。あの時は、突然冷たくなったり、優しくされたり、まもちゃんの気持ちが全然わからなくなって落ち込んだりもしたけれど、今、こうして私の隣に彼はいる。人生って本当に不思議だなぁと思わずにはいられない。
「僕は、世界一の幸せ者だよ。香澄が隣にいてくれるだけで、僕はもう充分すぎるほどの幸せを貰ってるから。香澄、僕と一緒になると言ってくれて、ありがとう」
両手で私の手を握りながらはにかんだように笑うまもちゃんは、いつも以上に可愛くて、私はここでもまた、彼の可愛さに胸をときめかせたのだった。
世界一の幸せ者。それは私も一緒だよ。
喉まで出かかった言葉は、胸がいっぱいすぎて言えなくなってしまった。代わりに、瞳からは涙が溢れ、首を縦に振ることしか出来なくて。それでもまもちゃんは、私をそっと抱きしめて、瞳に堪った涙を唇で拭ってくれた。
私、幸せよ。本当よ。
だって、まもちゃんと一緒だもの。
お互いの手を取り、額を合わせ、視線を繋ぐ。
微笑んだ顔を見つめながら、自然に唇が重なる。
幸せなキスは何度も何度も続き、それはやがて深く激しいものへと代わり……背中のファスナーがゆっくりおろされた。
ファスナーが下ろされる音すらも愛おしい。彼とのこの時間が、愛おしくて堪らない。
幸せの波が押し寄せる中、私達は深く愛を確かめ合ったのだった。
ミステリアスな彼は、世界で一番、私を愛してくれる男性でした。
おわり
~ちょっぴり切ない 内海君の憂鬱~
冬。それは人のぬくもりが恋しい季節。世間はクリスマスだお正月だと浮かれている。そんな中、俺は今日も悲しい残業。
「はぁ……なんか虚しい」
久しぶりに燃えるような恋に出逢ったと思ったら、それは親友の女装姿という悲劇。その場は慰められて立ち直ったものの、家に帰ってから滝のような涙が俺の枕を濡らした。
部屋に明かりを灯すことなく、酒に溺れていた日々……あいつらは知らないだろう。
くすっと小さく虚しい笑いを浮かべ、テレビをつける。テレビでは可愛らしい女子アナがクリスマスイルミネーションの紹介や、プレゼントするならコレ! と様々なものを紹介している。
「プレゼントって……なんだっけ?」
小さい頃は両親がくれたっけなぁ。クリスマスは……過去には彼女に貰った記憶はあるけれど、ここのところそれもない。特定の彼女を作りたくないわけではないけれど、近づいてくる女の子はなんとなく、彼女にするのは違うような気がする。でも……
「彼女欲しい! くそっ! なーにがメリークリスマスだっ!」
と、ビールの空き缶を握りつぶしながら、男、一人泣き。
男・内海。彼女募集中です。
おわり
以上をもって、「続・ミステリアス眼鏡」完結です。
最後まで読んでくださった方、少しでも読んでくださった方、ありがとうございます。
読者様に励まされて、完結する事が出来ました。深く感謝しております。
どうも、ありがとうございました!
再び、お会いできることを願っております。
2010年12月29日 こたろー