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六道輪廻抄 〜 戦国転生記 〜  作者: 条文小説


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41/54

041 ~延徳4年(1492年)5月 根羽宿~

挿絵(By みてみん)

製麹…蒸米に種麹を撒く。麹室へ入れ繁殖させ麹を造る。

【右側】日本山海名産図会/文化遺産オンライン

https://share.google/mV2bNyKYAGagvydKJ

    ~延徳4年(1492年)5月 根羽宿~



 (ふか)しを終えた米は前室で息を整えていた。梁にも熱が残り、(むろ)の戸口だけ空気が違う。


(むろ)を開けます。」


 紫乃が小さく告げる。結んだ手拭いが汗で色を深め、こめかみの毛が一筋だけ頬に貼りつく。


 指先が〆縄に触れた瞬間、周りの男たちは自然に足を引いた。かつて“捕虜”と呼ばれた鈴木の衆も、今はその合図に呼吸を合わせる。


 戸が滑る。冷えた甘い匂いが押し出され、白木の床に薄麻がぴんと張られている。足の置き方、手の差し入れ角度——慈円の教えを越え、所作はもう彼女の体に染みている。


「引き込み始めます。四十手前で。」


 通いにのった蒸米が(むろ)に入る。紫乃はひと掬いを掌にとり、指の間から落ちる速度と音を確かめた。表は乾き、芯に温みが残る。顎をわずかに引く。


「まず床もみ。」


 蒸米の山を軽くひらき、両手で抱いて空気を含ませ、静かに重ねる。掌の拍は淡く、熱の上で波紋のように広がる。その拍に男たちの手が揃い、粒がほどけ、面が整う。


「切り返しの刻は、私が呼びます。」


 視線は米肌の艶と山の脈を追う。目だけで合図すると、近くの手がすぐ動く。


 湿りが均されたところで、慈円が本願寺から持参した袋を差し出す。口が開くと空気が少し張った。細かな種麹(たねこうじ)



――――種麹(たねこうじ)


 種麹(たねこうじ)は、蒸米に特定の麹菌の胞子だけを均一に付着させ、増殖させたのち乾燥した「初期接種材」である。

 わずか100gでおよそ200kg分の麹を起こせる力を持つ。


 種麹(たねこうじ)の成立要件は、室温30〜40℃、相対湿度ほぼ100%、微弱な通風、そして雑菌負荷を限りなくゼロに近づけた環境である。

 いずれかの要件が外れれば目的外の真菌(カビ)・細菌が優占し、糖化力や蛋白(たんぱく)分解力など酵素プロファイルが崩れる。


 近代装置のない時代には温湿度制御も衛生管理も高度な熟練技術に依存せざるを得なかった。

 政治面でも、京都で北野天満宮を本所とする「北野麹座」が幕府の認可を背景に、種麹の製造・販売権を独占した。製法は麹屋(もやしや)や麹座の内部で秘匿され、一子相伝で継承されたと伝わる。


 酒屋や蔵元、その上部組織にあたる比叡山延暦寺は、この供給独占に不満を蓄積し、強訴や実力行使で幕府に圧力をかけ続ける。やがて文安元年(1444年)の「文安の麹騒動」で幕府は独占廃止へ傾き、北野麹座は社に立てこもるも鎮圧され、北野天満宮は一時焼失した。


 以後、麹屋(もやしや)の排他的支配は後退し、種麹(たねこうじ)の製造は徐々に醸造側の工程へ組み込まれ、寺院系の僧房酒が技術と流通の主導権を握るなど供給構造が再編された。


 ここで重要なのは、独占の解体が直ちに「誰もが作れる」を意味しない点である。寺や蔵元が麹そのもの(製麹)を学ぶことはできても、強い菌株を維持・選抜し、純培養から胞子化まで安定させる種麹(たねこうじ)づくりは依然として高度な技術的障壁であり、とりわけ一般の蔵元には難度が高かった。


 要するに「種麹(たねこうじ)がなければ酒は成り立たない」のだが安定供給の手段を持たない蔵元にとって、種麹(たねこうじ)は大寺院の傘下にある麹屋(もやしや)から購入するほかなく、種麹(たねこうじ)は大寺院の巨大な権益と影響力の象徴だった。



ーーーーー



 慈円が高く構え、種麹を霧のように振る。紫乃は箕で面を撫で、種麹を馴染ませた。


 谷はやや厚く、角は薄く。うなじにかかった手拭いの結び目がそっと揺れる。米を寄せ、掛布で覆い、室の口を半ば閉じる。外の音が一段遠のき、場所の鼓動がここへ集まった。


 昼過ぎ、布を剥ぎ、切り返しへ。外は乾き、指先にざらり。中は柔らかい湿り。粒の表に白が立ち、撫でると粉がつく。


 紫乃は山を崩し、抱え、積む。襟を作って呼気を逃がす。温みは上、冷えは下——手の甲で温度差を拾い、無駄のない動きで均す。動くたび、袖口から細い手首がのぞき、汗が一滴、床に落ちた。


 夕刻、室の内側が薄く温室の匂いになる。慈円が「盛り。」を告げ、麹箱が並ぶ。男たちが米を解き、薄く敷く。紫乃は箱の隅に触れて角の落としを微調整した。


 角が立てば熱が籠る。眠れば冷える。配置も入れ替える。風の通りを想像し、癖のある位置に“元気な箱”を置く。顎先で小さく指示し、足音を立てない。


「仲仕事は申の刻。」


 刻を告げ、皆を外へ。紫乃だけ室に残る。布を捲り、箱に手を入れる。指先に刺さるような微かな熱。粒をほぐすと、ふう、と米が息を吐く。箱をわずかにずらし、別の箱と入れ替える。場所で性格が変わる。室の癖を相手に、同じ顔へ寄せる。


 夜。仕舞仕事。外は蒸した闇。灯りを落とし、室の灯だけで手を動かす。箱を開けると白い気配がふわりと上がる。粒の表に絹の毛。手のひらにまとわる温さ。


 紫乃は両手で掬い、ほどき、置く。言葉は使わない。代わりに一定の拍。たん、たん。列がその拍に合わせ、波のように揺れる。耳の横で結んだ手拭いが、呼吸のたびに小さく上下した。


 仕舞いのあと、室の隅の机で帳面をひろげる。拍、温み、山の崩れやすさ、箱の入れ替え——細い字が静かに並ぶ。筆を持つ指に粉が白く残る。灯りに照らされて、睫毛が短い影を落とした。


 皆は交代で仮眠。紫乃は畳に横たわるが、目はすぐ開く。室の熱が浅い眠りの底から呼ぶ。裸足で立ち、音を立てずに室へ。


 予定より早く熱を上げた箱が一つ。面を浅く崩し、山をわずかに落とし、日陰へ移す。逆に鈍い箱は日向へ。

 布の襟を撫で、息を揃える。額に触れた汗を手首で拭う仕草が、子の頃の癖のままだ。


 明け方、外気がひと息冷えた刹那、室の香りが変わる。若い栗と草の甘さに粉の匂いが重なる。紫乃は一粒を割り、芯の周りの白を確かめる。破精回りはまだ浅い。視線だけで「半日。」と伝え、布を戻す。


 昼、出麹(でこうじ)。箱から麹を掬い、前室でゆっくり温みを落とす。急がない。

 紫乃は広げた麻布の上で手を通し、さらりと離れる感触を聴くように確かめる。

 表の毛が指にふわり。口元がごくわずかに緩む。その動きに、周りの顔にもようやく笑みが戻った。


「良い顔です。」


 慈円が麹の山に頬を近づけて香りを吸い、ひとつかみを指の間から落として頷く。慈円は短く言う。


「蔵が甘い。よく咲いた。」


 戸を閉める前、紫乃は額を木にそっと当てた。木目に呼吸を合わせるように一拍置き、離れる。声にはしない。


 梁が低く鳴り、応える。麹の花は、小さな手のひらの拍で咲いた。教えを礎に、彼女自身の工夫で。



――――製麹


醸造において重要な工程の順序を示す言葉

一麹(いちこうじ)二酛(にもと)三造(さんつく)り。」


 最も重要な「(こうじ)づくり」は杜氏とうじが特に神経を注ぐ味や香りの基盤を作る工程だ。


 目的は二つ。蒸米のデンプンを麹の酵素で糖へ変えられる状態に導くこと、そして後の酒母・醪に必要な酵素群(アミラーゼ、プロテアーゼなど)を、狙った量と質で持ち込むことだ。


 だから“白くなれば良い”ではない。どんな麹を、どこに使うかまで見据えて仕立てる。


 麹造りは、三日の小さな判断の積み重ねで決まる。


 初日。前室で荒息を抜いた蒸米を、室に“引き込み”40度前後から30度台前半へ落ちる過程を見計らって種麹を振る(種切り)。


 狙いは表を乾かして“さばけ”を出しつつ、芯に適度な水と温みを残すこと。米の面を整える床もみで空気を含ませ、切り返しで湿りと温みを均す。ここでの失敗は後で取り返しづらい。種は谷にやや厚く、角は薄く。面で風を通し、道に沿って胞子が落ちるように振る。


 二日目。朝いちに山を崩してほぐし、盛りで麹箱へ薄く広げる。


 意図は二つ。品温の上昇を助け、群れの中での温度ムラを減らすこと。箱の配置は室の癖(風、壁の冷え、天井の熱)で変える。午後は仲仕事で一度手を入れ、酸欠と局所過熱を防ぐ。夜は仕舞仕事でさらに均して、最高温度への上がり方を穏やかにする。


 以後は夜伽のように経過観察。上がりの早い箱は崩して“日陰”へ、鈍い箱は“日向”へ移す。


 三日目。出麹。箱から取り出して手でほぐし、室内でゆっくり冷ましてから外へ。


 急冷は結露や粘り戻りを招く。出来栄えの指標は、見た目の白さや毛の出具合だけではない。指でひねった割れ目の艶、粒の離れ方、香り(若草・栗・粉)、掌に残る温み。


 麹には型がある。吟醸を狙うなら突き破精つきはぜで芯に余白を残し、掛米の溶けを抑える方向に。ふくよかな旨味を狙うなら総破精そうはぜ寄りにして酵素を厚く持たせる。洗米・浸漬・蒸しで整えた“張り”が、ここで花の形を決める。


 全体を貫くのは、温度・水分・酸素の三つ巴の調律である。


 温度は上げれば力がつくが、行き過ぎれば菌糸が荒れ、香りが粗くなる。水は多ければ回りが早いが、外柔内軟の差が潰れてしまう。酸素は必要だが、当たり過ぎれば乾きが先行して割れが出る。


 布の襟を直し、山の襟を作り、箱の位置を替え、手入れの拍で“怒らせず、甘やかさず”進める。麹造りは、静かな演奏だ。

~超難解・清酒醸造工程~

(順) (工程)  (状態)

1.精米     米 ◁036話

2.洗米・浸漬  米 ◁039話

3.蒸し (ふかし)  米 ◁040話

4.製麹  (こうじ) 麹 ◁041話

5.酛 (もと)   酒母

6.仕込 (三段)   醪

7.発酵  (もろみ) 醪

8.上槽  (もろみ) 醪

9.滓引  (もろみ) 醪

10.濾過  (もろみ) 醪

11.火入     酒

12.割水     酒

13.出荷     酒


~参考記事~

室町時代の麹騒動とは?!/日本発酵文化協会

https://share.google/b2egyKXHxxyCuQuIc


麹造りを取り仕切っていた「北野天満宮」/SAKETIMES

https://share.google/DlJR9bFd0Slu2LBgr


種麹(たねこうじ)造りを担う「もやし屋」とは

https://share.google/mbY4tATOLz5Sq0xKQ


~舞台背景~

 日本酒の醸造工程はとにかく難解でした。1週間ネット記事を読み漁った限りでは、その理由は醸造手順の多さにあります。

 葡萄(ブドウ)を放置すれば勝手に酒になるワイン、蒸留酒と呼ばれる麦のビールや穀物の焼酎などは酒の素である酵母の餌「糖」が麦や穀物の素材自体に含まれています。

 しかし、米は「糖」を含んでいないため米のデンプンを糖化する工程から始めるので、手順が他の酒類の倍になります。

 で、それぞれの手順や手法、酒の状態に、専門用語で聞き慣れない名前が付けられており、文字起こしするとグチャグチャになります…てかなりましたw

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