第2話 赤い楔形の影
〈Hidden Parameter Pane〉の余韻が、まだ目の奥でちらついていた。
Luckをほんの少し動かしただけで、世界がざらりと変わる。NPCの視線、宝箱の出現、戦闘の微妙な手触り……すべてが裏で繋がっている。
だが、それを見ていた者がいる。
〈System Whisper〉――黒い仮面のアイコン。
彼は、僕に問いかけた。
「それ、どこで覚えたの?」
答えられるわけがない。僕自身だって理解していないのだから。
返信を打とうとした指が止まる。そこでタイミングを重ねたように、白百合の剣姫からフレンドチャットが届いた。
『裏仕様は噂で聞いたことがある。危ない橋よ。でも、守る。だから、うちのギルドに来ない?』
黒と白。
選択肢が、同時に差し出されるなんて偶然があるのだろうか。いや、偶然ではないのかもしれない。Luckをいじった直後に起きたことだ。
“運”は、僕の手で傾き始めている。
◇
「……蓮、だよね?」
広場の屋台通りで、背中を叩かれた。
振り向くと、かつてのギルド仲間、リディが立っていた。彼女は回復役で、よく僕の隣にいた。
だが今の瞳は、かすかに冷たく濁っている。
「聞いたよ。アッシュが言ってた。“凡人の補助士は見学で十分”って」
胸が刺されたように痛む。けれどリディはさらに声を潜めて、囁いた。
「でも、さっきの草原……見てた。蓮、動きが違った。何かした?」
「……偶然だよ」
「偶然? 宝箱が二つも出たのも?」
言葉に詰まる。
知られている。いや、気づかれている。
裏仕様は“秘密”であるはずなのに、数字を少し動かすだけで目立つのだ。
「ねえ、もし何か知ってるなら……私と共有してくれない? アッシュの連中に内緒で。ふたりだけの秘密にすれば、私たち――」
甘い響き。しかし僕の視界の隅、〈Hidden Parameter Pane〉がわずかに揺れる。
Favorability:+0.2 → +0.3
……好感度すら、僕の知らないところで動いている?
背中に冷たい汗が流れた。
これはただのゲームじゃない。
人間関係そのものが、裏の数値に絡め取られている。
◇
その夜。
ログアウト直前、再び〈System Whisper〉が点滅した。
『裏仕様を持つ者は二種類に分かれる。利用する者と、利用される者』
『お前は、どちらになる?』
返答する間もなく、ログは途切れた。
真っ暗な六畳間の天井を見上げる。
凡人でいることすら許されないのか。
――いや、許されないのなら、もう一歩進むしかない。
「利用する。僕は……凡人のまま終わらない」
呟いた声は、現実の部屋でだけ響いた。
でもその瞬間、枕元のスマホが震えた。
見覚えのないアプリ通知。
そこに表示されたアイコンは、あの赤い楔形と同じ形だった。




