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「あれ……リール? え、なんで? えっと……本物?」
リガルドの容赦ない耳元での叫びによって一気に現実へと引き戻されたスーザンがいたのはリガルドの腕の中だった。
スーザンの目の前に広がる場所は確かに王城へと向かうジュードと離れたリガルドの靴工房の前で、ジュードは確かにリガルドはここにはいないと言ったのだ。
あのジュードがスーザンに嘘をつくなんてことはあり得ないのであの情報は間違ってはいないはずだ。だが事実としてリガルドはここでスーザンを抱いている。
「なんで、ってこっちが聞きたい。お前はなんでこんなところで寝てるんだ! ジュードさんからスーザンが工房の前にいると聞かされて急いで帰って来てみれば……。いくら治安がいいとはいえ女が一人、外で寝てたら危ないだろう!」
「え、あ、その……ごめんなさい」
リガルドの言っていることは確かに正論であるため謝ることしかできないのだが、まさか起き抜けに怒られるとは思ってもみなかったスーザンは戸惑いを隠すことができないでいた。
「いいか、よく聞け。ここはカインザス領みたいに人がいいやつばかりじゃないんだ。女とくれば襲う不届きな輩だっている」
それもこれは長くなりそうなお説教だ。
初恋の相手に、それももう何十年と想いを抱き続けている相手になぜこんなことをされなければいけないのだろう。もう幼子でもないというのに……。すっかり頬を膨らませてしまったスーザンだがその反面で昔に帰ったようで嬉しかった。
もう何年も怒られることのなかったスーザンがリールに再会できたのだと実感が持てたのだ。それはあまりにムードがなかったが二人には初めからそんなものなどなかった。
「スーザン、聞いてるか?」
「聞いているわ」
そう適当に返事をすると、その声よりも大きな音が二人の間に響く。グググゥーとタイミングを読まずに鳴き出したのはスーザンのお腹の中の虫たちだ。
さすがのスーザンも恥ずかしさのあまり顔を真っ赤に染め上げてリガルドから目を背ける。
「……とりあえず工房に入れ。適当に朝食用意するから」
「遠慮するわ」
「お腹空いてるんだろ? 無理すんな。これでも一人暮らしは長いから腕には自信がある」
「遠慮なんかじゃない」
「じゃあ何でだ? そこまでの音鳴らしといてお腹すいてないなんて嘘が通るわけないだろ?」
「ご飯はお兄様が持ってきてくれるから」
本当はすぐにでも何か食べ物にありつきたかった。だがスーザンは意地になっていたのだ。例え相手が幼い頃のスーザンを知っているリガルドであっても恥ずかしいことには変わりはなかった。
リガルドはそれを察したのかスーザンに食事を勧めることを諦め、代わりにドアを開け工房の中へ入ることを勧めた。
「そうか。ならとりあえず工房に入れ。まだこの時間は冷え込むからな」
「……わかった。私はここで待ってるからリールはご飯食べてきて。それで食べ終わって時間があったら……私の話を少しだけ聞いてもらえるかしら?」
さすがに好意からくる言葉を二度も無下に出来ずにありがたくその申し入れを受けたスーザンは少しだけワガママを言うことにした。
もう会うことはないだろう幼馴染で初恋の、リガルドに向けて。
「何だよ、話って?」
「ご飯の後でいいわよ」
「スーザンが食べないなら俺も後ででいい。だから話って何だよ?」
わざわざ朝食を遮るまでもないと思ったのだが、リガルドはすでにスーザンの話を聞くことを決めてしまっているらしく、手近な椅子を向かい合わせに置き、その片方に腰をかけた。
リガルドのその様子にスーザンも腹を決めて、彼の向かいの席に腰掛け、そして口を開くことにする。
「なんであの時……何も言わずに行ってしまったの? ……生誕祭、一緒に行くって約束してたじゃない」
本当は気持ちを伝えるだけで終わらすつもりだった。
だがいざ本人を目の前にして口から出たのはその言葉だった。今も昔もずっと心の中に残り続けていた疑問。
その答えが聞けたならきっとスーザンは過去の初恋の相手に捕らわれずに前に進むことができるだろう。それだけスーザンの心の中に大きな傷を刻んだ出来事だったのだ。
聞くまでにもう何年とかかってしまったその言葉は何度も頭で繰り返していた割には格好悪くも震えてしまっていた。
どんな言葉が返ってくるのか、聞きたいような、それでいてずっとわからないままがいいような、矛盾した感情はせめぎ合ってスーザンの両手を揺らしていた。
そして怖さからかついには目を瞑ってしまったスーザンに返ってきたのはスーザンが予想もしていなかったような言葉だった。
「…………俺は、俺はな、王子様になりたかったんだ」
「え?」
「お前が望むならそうなってやりたかった。……だけど俺はそんな大層な身分じゃない。ただの靴屋だ。王子様になりたいって言ったところでなれっこないんだ」
「知ってるわよ、そんなことくらい」
そんな当たり前のことは幼かったスーザンでもよく知っていて、それでも共にありたいと願ったのだ。
それがどんな形であろうとも共に居られるのならそれでいいと。
けれどリガルドはいなくなった。
よりにもよってスーザンがそう決意して一ヶ月と経たないうちに。
王子様と結婚したいなんてリールと共にいるための手段に過ぎず、彼がいてくれるのならば王子様なんてどうでもよかった。
噂でしか耳にしたことない、子どもにとっては天の上ほど遠い王都に暮らしている王子様なんかよりも、歩いてすぐ着く工房に篭っている無愛想だけど優しいリールという少年に惹かれたのだ。
「たが俺には王家に認められるだけの技術はあったんだ。そしてそれはスーザンを楽させてやれるだけの金を稼ぐことができるものだった」
「……」
「王子様にはなれなくても、王妃様にさせてやれなくても、スーザンにいい暮らしをさせてやれるならと俺は国王の話に乗った」
「なら一言くらい言ってくれれば良かったじゃない!」
もしそうだと言ってくれたのならばスーザンも心の中身を吐露しただろう。そして行かないでくれと止めた。お金なんか要らないからと泣いて縋ったことだろう。
実際はそんな機会など与えられず、布団に包まって一人涙が枯れるまで泣き続けただけだった。
「それは……格好悪いじゃないか」
「は?」
「あの頃の俺には何も出来なかった。今も靴を作るくらいしか出来ないが……。だから待っていてくれなんて、言えなかった。それでも7年前の生誕祭、お前が星のオーナメントを飾っていてくれていると知って、嬉しかったんだ。まだ誰とも結婚していないんだって」
スーザンは忘れていた。
オーナメントには形ごとに意味があることを。
氷の花だったら永遠に誰かを愛する。星だったらいつか出会う君に捧ぐと言った風に意味があるのだ。
だが今ではそんなこと気にして作っている人など少ないだろう。昔はともかく今の子供たちが星のオーナメントを作るのは一番簡単だからである。
今も守られていることといえば役目を終えたオーナメントは大事な人に贈ること。自分の新婚の夫婦は作ったオーナメントを互いに贈り合い、リビングに並べて飾るということくらいなものだろう。
まさかあの場所を離れて久しいリガルドがずっとあの場所で暮らしているスーザンよりも詳しいとは思わなかった。いや、詳しくとも長い間離れていたからこそ今はその風習が変わっていることを知らなかったのだろう。
「今も誰とも結婚してないわよ」
「嘘なんかつかなくてもいい。わかってるんだ……。俺はただお前が幸せになってくれればそれでいい」
リガルドは今も昔もスーザンの幸せを願って行動していると言うのだ。
スーザンの意見など耳も傾けないくせに。
スーザンはそんなリガルドの態度に苛立って、目の前の彼の腕を強く握った。
ずっと言えなかった言葉を伝えるには十分なほどに強く、痕が残るほどに。
「嘘なんかじゃないわよ! 相手なんかいないもの! リールのこと、ずっとずっと忘れようとしてたのに……忘れ、られなかった」
「でもオーナメントが……」
「言ったでしょう? 不器用なのよ」
「7年前のオーナメントは誰に渡したのか聞いてもいいか?」
「今も家のどこかにあるわよ。お父様に聞けば出してくれると思うわ」
「……」
「ねぇ、リール。言いたいことがあるの」
「……なんだ?」
「私と結婚して」
それが昔の夢だった。
一生に一度だけ必ず願いが叶うとしたら今も昔もリールといることを願うことだろう。
「なっ……!?」
「そんなに嫌なら別にいいわ。聞きたいことも聞けたし、言いたいことも言ったし。それに夢、叶ったから。……もう、満足したから」
「……」
「お兄様が迎えに来てくれるらしいからここで待たせてもらってもいい? あの頃みたいに邪魔したりなんてしないから」
座りながらスーザンは足を振る。
王子様とは出会えなかったし、たくさんのお金が手に入ることはなかった。
けれどリールの靴を履くという、二番目の夢はもう叶った。
だからずっとリールと一緒に居たいという一番の夢が叶わなくとも、もう諦めなければいけないのだ。
子どものように駄々をこねてリールを困らせるようなことはしない。
突然、しっかりとしまっていたはずのドアが力任せに開かれる音が工房内に響きわたる。そしてそれと同時にスーザンの待ち人であるジュードが息を切らしながら工房の中へと入ってきた。
「はぁ、はぁ……。スーザン、いるか?」
「お兄様、どうしたの?」
「イノシシが追ってきている。さっさと帰るぞ」
二人の間ですっかり『イノシシ』の名前で定着してしまった相手がお姫様だということは瞬時にスーザンに伝わった。そしてそれから逃げなくてはいけないのだということも。
タイミングがいいことにすでにスーザンの用事は済んでいた。そして長年悩み続けたものの答えももらうことができた。もう悔いは残っていなかった。
「ええ! じゃあ、リールさようなら」
だがジュードに引かれる手と反対側の手を振ろうとするとその手はリガルドによって掴まれた。
「待ってくれ!」
「リール?」
「落ち着け、落ち着け……」
「どうしたの?」
「スーザン、あのな「見つけたわ、ジュード!」
「げっ……」
リガルドの言葉を待っていてくれたジュードの背中に抱きつく女性はきっと姫君なのだろうとスーザンはすぐに理解した。
艶のある髪と彼女の仕立てのいいドレスを見る限りはそう思える。裸足で、しかも手にはなぜか串刺しの肉が握られていることはこの際気にしないことにした。
「さぁ、城に帰りましょう?」
「俺、実家に帰るんですが」
「あなたの辞表なら焼いてきたわ!」
「その手の肉は、その火で焼いたものですか……」
「せっかく火をつけたんだもの。何か焼かないともったいないでしょう? リガルド=マドリール、あなたに一つ分けてあげる」
「はぁ……」
「だからさっさとその娘と婚姻を結びなさい!」
「はぁ⁈」
突然の登場に続き、突然の爆弾発言によりスーザン、リガルド、そしてジュードの三人の声が見事に重なり合う。
けれど姫君は気にせず話を続ける。
「お兄様に聞けばジュードが実家を継がなければいけないのはジュードに妹しかいなくて、その妹が婿もとっていないかららしいじゃない? それで、その問題の妹っていうのがそこにいる子なんでしょう? スーザン=カインザスもリガルド=マドリールも結婚相手どころか婚約者すらいないんだからちょうどいいじゃない。あなたたちが結婚してジュードの実家を継げば何の問題もないわ!」
そう言い切った姫君にスーザンとリガルドは何も言えずに口を開いて惚けていた。唯一姫君の問題発言に抗体があるジュードは躊躇することなく姫君の頭をたたいた。それはもう力任せに。
「おい馬鹿」
「何かしら?」
ぱぁんと工房内に大きな音が鳴り響いたのだが、叩かれた本人は案外けろっとしている。ジュードが姫君の問題発言に免疫があるのならば、姫様もジュードからの攻撃にはそれなりの免疫があるのだった。
「ほら、城いくぞ」
「! ええ、ジュード」
「リガルド、スーザン、それぞれの気持ちをしっかりと伝えて、そして相手の気持ちを聞きなさい。答えを出すのはそれが終わってからでいいんだからな」
年長者としてアドバイスを残してから、ジュードは姫君を引きずるようにして連れて帰った。それでも姫様は幸せそうな表情を浮かべ、最後にはスーザンとリガルドに手を振って工房を去った。
台風のような姫様が去り、再び工房は静寂な空気が流れる。
それを先に断ち切ったのはリガルドだった。
「……スーザン、俺は、お前が好きだった」
初めての告白にスーザンが長年持ち続けていた思いを降ろす決心がついた。
「私はリールが好きだった」
そして一つの思いを降ろせばまた一つ。また一つと落ちていく。
「ずっと一緒に居たかった」
「幸せにしてやりたかった」
「幸せにするためなら何でもしようと思った。……数年くらい、我慢しようと思った」
「突然居なくなった時は胸を抉られたみたいに苦しかった。……忘れたいのに、忘れられなかった……」
「今でも昔と気持ちは変わらない」
「今も、好きなの……」
「スーザン、俺と結婚してくれ」
「だから私と結婚して。ずっと一緒にいるって言って?」
「お金はまだまだ王子には足りないけどな……」
「うちは裕福な方ではないから苦労かけるけど……」
「それでも幸せにしてみせるから」
「一緒に幸せになりましょう」
スーザンの手と合わさったのと逆の手には先ほど姫様から渡された串刺しの肉が握られていて、周りにあるのは古ぼけた木の椅子と綺麗な靴用の革。
ムードなんてものはないけれど、昔も今も二人にとって落ち着く場所はやはりこの工房の中なのだ。
20年近くかけて遠回りをした二人はやっと再び共に歩き出す。
スーザンのもとに王子様は来なかった。
けれど彼女は一番の夢を実現させたのだから十分幸せ者だろう。
その数ヶ月後、王都では2組の結婚式が同時に挙げられた。
1組はスーザンとリガルド、そしてもう1組がジュードと、あの日工房にやってきた第2姫のものだった。
王都に頑固な職人として有名なリガルドを落とした女性としてスーザンの名はすぐさま王都中に知れ渡った。
そしてわずか2年にして近衛騎士団長まで登りつめた田舎の下級貴族、ジュード=カインザスの妹だという事実もそれに拍車をかけることとなる。
「リール、私ね、今一番幸せよ」
「ああ、俺も」
「ジュード、もう逃がしませんよ」
「さらば俺の独身生活……」
国をあげて盛大に行われた結婚式から数十年が経った今なおスーザン=カインザスの名は国を跨いで広く語られている。
一人はその名を聞いて、頑固な靴屋の妻だという。
そして一人はとても強い騎士の妹だという。
そしてまた一人は大商人を骨抜きにした女だという。
そしてそのまた一人はこう言った。男を狂わす魔性の女であるーーと。




