エピローグ 美しい死
あの死神との邂逅から、二ヶ月が経った。
まるで少女マンガのヒロインが経験するような不思議体験をした私だけど、だからと言って、私のパーソナリティが劇的に変化することはない。
私は相も変わらず、憂鬱そうな顔でくっだらないことをぐだぐだと考えながら、不安定な毎日を生きている。
あの後、色んなことを知った。
学園の噂。
朝霧学園の地下には〝特異点〟と呼ばれる摩訶不思議な空間・【幻想世界】が広がっており、そこでは他次元の世界とこの世界とが、重なり合って共存しているらしい。
そしてその空間では、こちらの世界には無いチカラ……俗に『魔法』や『超能力』、『神様の奇跡』と呼ばれるような、他次元の世界のチカラを行使できるんだとか。それらのチカラを総称して【ツバサ】と呼ぶらしい。
そして驚くことに、その【ツバサ】をこちらの世界に持ち帰ることもできると言う。もっとも、その条件が鬼過ぎる。全ての【ツバサ】を使うことが許された学園長を相手に戦って、打ち勝たなければいけないのだ。
真偽はさておき、過去何百人もの生徒が学園長に【幻想戦】を挑んだらしいのだが――見事、学園長に勝利して【ツバサ】を持ち帰ったのは、二人だけ。
一人は、今現在、朝霧学園に在籍中であり、ぶっ飛んだ頭脳を持つ宇宙人・神無紘。
そしてもう一人は……子供っぽい笑顔が印象的な、短髪の男子生徒だったらしい。
……所詮、噂話だ。こんなオカルトでぶっ飛んだ話、信じる方がどうかしてる。ちゃんと世界観考えてくださいよ。この科学が支配する時代に魔法? 超能力? 神様? そういうのは、マンガの中だけで十分だ。
だが私は、こう見えても結構フェアな人間である。なので、私自身が体験し、見聞きしたことだけは信じる。それだけは、真実だ。疑いようがない。
あの一週間だけは、決して〝嘘〟にしてはいけないのだ。
夕希には全てが終わった後、今回の出来事を洗いざらい白状した。
死神と出会ったこと。死刑宣告されたこと。幸せになるための一環で夕希に話しかけたこと。不思議で不気味な教室のこと。崩壊家庭で育って、辛かったこと。夢を持ったこと。初恋の人が、死んでしまったこと。その人が、私を幸せにするために頑張ってくれたこと――――。
夕希は最後まで神妙な顔で静かに聴いてくれ、私が全ての話を語り終えるや否や、私の頬を思いきり平手打ちした。
そして次の瞬間、驚くほど強く、優しく……私を抱き締めてくれた。
「…………バカ……美空の、バカ……」
誰かから本気で心配されたのは、生まれて初めてのことだ。
泣きながら、きつく私を抱き締める夕希の温かさと優しさが、とても心地よくて……柄にも無く、私も気が緩んでしまった。気付いたら、一緒になって泣いていた。
どうして夕希に、正直に経緯を話したのかは、わからない。
昔の私ならテキトーにはぐらかして、関係者にもなぁなぁな態度を取っていたはずだ。だけど夕希には……なんとなく、きちんとしないといけない気がした。私の全てをさらけ出して、誠実に向き合わないといけない気がしたのだ。それを受け止めてもらえることが、こんなにも嬉しいことだというのも……驚きだった。
それ以来私は、夕希と話す時や、夕希に関する話をする時だけ、毒舌も解禁している。
私の本性と口の悪さを知った夕希は、当初、目を白黒させて驚いていたけど……「なんか、そっちの美空の方が、美空っぽくて好き」らしい。……危うく、本気でレズに目覚めるところだった。
「おー、淡居ー。気をつけて帰れよー」
「…………」
すっかり寒くなったというのに、相変わらず薄い真紅ドレス一枚で校門に立っている学園長。十二月の夕方だというのに、寒さを感じないのだろうか? 最近は律儀なことに、生徒の出迎えだけでなく見送りまでしている。
「……と言いますか、平気で私に話しかける貴女の神経を疑います」
「んー? なんだ、根に持ってるのか?」
「…………」
いや、根に持つとか、最早そんなレベルじゃないだろう。
この人は私を殺そうとしたのだ。そしてそれ以上に、私が大好きだったセンパイを殺したのだ。消滅させたのだ。それなのに、よくもまあ、こんなフレンドリーに挨拶できるものである。
「まっ、過ぎたことは水に流すのが一番だ。ほら、なんだっけ? 『過ぎ去った過去は変えることができない』、だったか?」
黙れ。ぶっ殺すぞ。
「おー、怖。触らぬ神に祟りなし、ってやつだな」
「……その言い回しが適切かどうかは知りませんが、とりあえず私の心中を見透かしたみたいに対応するのはやめてください」
それをしていいのは、あの死神だけだ。
私の心の内側を全て知って、それでも隣に居てくれるのは、あいつだけだろう。
「それじゃあまぁ、淡居のご機嫌が直るのを気長に待つとしよう。じゃあな」
私は無視して校門を抜ける。二言三言会話してやっただけでも、ありがたく思え。
冷たい風が吹く通学路を、いつも通りの道順で帰宅していく。
歩道の並木には、イルミネーションが巻かれていた。
それを見て、今日がクリスマスイヴだったことを思い出す。天気は絶好の曇り空だ。これならホワイトクリスマスの可能性もありそうだな……と思っていると、実際に雪がちらつき始めた。広島県でも特に標高の高いこの町は、温暖化が進んでいる今でも、しっかりと雪が降る。
本来なら、爆発すべきリア充共がはしゃぐクリスマスにぶち切れて、毒の一つや二つや百つくらい吐きたいところだが……今日のところは自粛しておく。雪ならぬ夕希が、今日は勇気を出して想い人にアプローチをかけているからだ。
しかし、夕希の想い人がまさかの神無紘だったとは、驚いた。あんな面白味の無い女顔のどこがいいんだ。あれか。頭がいいからか? ……と、正面から夕希に訊いてみたのだが、そうではないらしい。女の私が惚れてしまいそうなほど可愛くて真っ赤な顔をしながら、「…………優しいとこ」と呟いていた。惚れてまうやろーーーっ!
しかし、それほど可愛い夕希に想いを寄せられているというのに、肝心の神無はと言えば、ボケーっとしたままだ。
よく周りをうろちょろしてるアホっぽいロリ少女に興味があるのか、他に好きな女がいるのか、はたまたゲイな人なのかはわからない。わからないが……とにかく、夕希をおざなりに扱うのに腹が立ったので、コンパスの針で脅しといた。
「……失礼。神無紘さんですね?」
「……え? うん、そうだけど……君は?」
「私は淡居美空と言いまして、雪城夕希の友人・第一〇〇三二号です」
「あいつ、そんな友達いんの!?」
「当然でしょう。夕希ですよ?」
「う、うん……。そうなんだ……」
「で、藪からスティックで恐縮ですが、クリスマスイヴの予定はございますか?」
「…………え」
「おいこら、なに誤解してやがる? おお? 誰がお前みたいなナヨっちぃ男に興味持つか。単純に予定を訊いてんだ、コラ」
「なんか性格変わってない!?」
「とりあえず、イヴは夕希とデートしろ。つーか、お前から誘え。わかったな? わかったら、ハイかイエスで答えろ」
「は、ハイス!」
「よし。それじゃあ今から、夕希を誘いに行け。もし誘わなかったら、コレ(コンパス)だからな?」
「わ、わかりました……」
「資金は、百万もあれば足りる」
「百万!? 無理だよ、どう考えても! 一介の高校生に百万なんてっ!!」
「私がデートした時は、相手がそれくらい用意してたぞ? なに? 刺されたいの?」
「り、理不尽だーーー! うわーーーんっ!!」
という具合である。上手く行くといいね。
「…………はあ」
寒空の下、白いため息が宙に浮かんで消える。
私みたいな一匹狼……いや、一匹ヒョウのアウトローでも、極稀に淋しくなったりすることもある。そう。たとえば、恋人と寄り添って歩くのが当然という雰囲気のある日とか。
クリスマスを家族や友人と過ごす人もいるだろうが、私にそんな選択肢は無い。家族となんてあり得ないし、友人は夕希しかいない。その夕希は「……な、なんてことしてくれたのっ」と、怒りと照れが半々くらいの真っ赤な顔で神無と出掛けてしまった。
つまり、完全にぼっち。
まぁ、いつものことだが。
本来なら、こんな日はずっと家に引き篭もっていたいのに、朝霧学園では十二月二十四日までが登校日だった。なんでも、学園長が「その方が異性を誘いやすいだろ? はっはっは。青春しろよ、若者ども」と笑っていたらしい。……ぶっ殺すぞ。
そんなわけで、今日も私は絶好調の鬱顔で自宅へと辿り着いた。
もちろん、ケーキもチキンも買ってない。プレゼントも、何も無い。当然だ。あんなもん、企業側の陰謀なんだから。偉い人には、それがわからんのです。
いつも通り自宅に入ろうとすると……いつもとは違い、自宅のドアのポストへと一通の手紙が挟まっていた。
珍しい。私のマンションにはポストが二箇所あり、一つはマンションのオートロック扉の外にある。だから、大抵はそこのポストに郵便物が届けられるのだが……。
何気なく抜き取った。
キレイな空のイラストが入った封筒。ラブレターにでも使えそうだ。
そこで私はデジャヴに襲われた。あれ……なんだろう……? 私は前にも、この封筒を見たことがある……?
封筒の裏には差出人の住所も名前も、何も書いてない。表にも切手は貼られていないし、私のマンションの住所も書かれていなかった。
だが、たった一言だけ宛名が書いてある。
〝淡居ちゃんへ〟。
「――――――――っ!?」
私は弾かれたように周囲を見回す。だが、誰もいない。
急いで自室の鍵を開け、中に入った。だが、誰もいない。
だけど、それ以外考えられない。
私は、私をちゃん付けで呼ぶ人間には、たった一人しか心当たりがない。
薄暗い部屋の中、明かりも付けずに慌てて封筒を開ける。
中から数枚の便箋と……小さな銀色の鍵が、私の手のひらに滑り落ちてきた。
◇
やあ、淡居ちゃん。久しぶり。元気してる? 僕だよ。
きっと今日は、クリスマスイヴだよね? メリークリスマス! こんな日は、ぜひとも淡居ちゃんにサンタコスをしてもらって――という話をしようと思ったんだけど、どう考えても蹴られる予感しかしないから、自粛しておくよ。
まず始めに、誤解を解いておこう。
ハッピーなクリスマスに残念なお知らせで大変恐縮だけど……僕は、間違いなく死んでいる。いや、消滅していると言った方がいいのかな?
この手紙は、僕が居なくなっていたら、君の元へ届くようになっているんだ。だから、今、君がこの手紙を読んでいることが、なによりの証拠だ。……あはは。少しは悲しんでくれた?
ほんとなら、クリスマスイヴまでに淡居ちゃんと初体験まで済ませちゃおうと思っていたのに……残念だ。本当に残念だよ。触れてみたかったなぁ、淡居ちゃんの柔肌。
本音はさておき、そろそろ本題に入らせてもらうよ。最初に言っておきたいんだけど、学園長のことはあまり恨まないでほしい。
彼女だって、好き好んで君を殺そうとしたわけじゃあないんだよ。
むしろ君を救うために、あらゆる可能性を模索したんじゃないかな? でも、無理だった。自分が世界の歯車にされちゃったんだからね。どうしようもないさ。そこで泣き言を言ったり、君に詫びを入れて赦しを乞わなかった辺りが、彼女なりの正義だったんじゃないかな。
だから、恨まないでほしい。正直、僕は学園長のことなんてどうでもいい。だから、こんなに長々と彼女を擁護したけど、全ては淡居ちゃんのためなんだ。誰かを恨むと、それだけで心が暗くなるからね。淡居ちゃんには、そんな風になってほしくない。まして、無いとは思うけど、僕が殺されちゃったからって学園長を恨むのは、絶対にやめてね?
僕は君のことが大好きだ。
だから君には、幸せになってほしい。
今だから白状するけれど、僕は死んだ時、【ツバサ】を使ってすぐに生き返ることもできたんだ。君を幸せにしてから殺すことで、どうこう……ってのは、真っ赤な嘘。……ごめんね。でも、君を幸せにしたかったのは本当だ。だからこそ僕は、自分の生き返りよりも、〝死神〟として君に接することを選んだ。
君は文化祭の日に初めて僕を認識したみたいだけど、僕はずっと前から、君のことを知っていた。
初めて君を見たのは、学食だ。入学当初は淡居ちゃんも学食を利用していたよね? 高校の学食で、集団大好きなはずの女子高生が、たった一人で堂々と食事をしていたのには驚いたよ。でも、もっと目を引いたのは、君が「ごちそうさま」と手を合わせたことだ。
君はきっと、「そんなことで?」と言うだろう。だけど、僕はそれ以来、君のことが気になって仕方なかったんだ。
廊下でゴミを拾う君を見た。体育の時間、マラソンで最後尾を走る女の子の少し前を、黙ってキープし続ける君を見た。下校中、迷子になって泣いている子供に、めんどくさそうな顔をしながら話しかけている君を見た。
君を見つける度、僕は目を奪われ、どんどん君に魅かれていったんだ。
文化祭の片付けがあった、あの日。
僕はあれでも、ものすごく緊張していたんだよ? あの時は今みたいなキャラ作りもしていなかったから、死ぬほど勇気も出した。でも……それがきっかけで、君が僕に興味を持ってくれたんだから、僕はあの時の自分を褒めてあげたい気分だ。
……ああ、しまった。すっかり喋り過ぎちゃったよ。
長々と言葉を並べてしまったけれど、僕が言いたいのは一つだけなんだ。
僕は淡居ちゃんに、幸せになってもらいたいんだよ。
君はゲームの中の女の子じゃない。だから、僕のことなんてさっさと忘れて、いい男を捉まえるんだよ?
……でも、僕は理解している。この手紙を君が読むことで、君の中に僕という存在が、永遠に刻みつけられるということを。
いったい、何がしたいんだろうね? 僕自身にもわかんないや。きっと、淡居ちゃんの情緒不安定が伝染っちゃったに違いない。ひどいよ、淡居ちゃん。責任とって、君も僕のヘラヘラ笑いに伝染ってくれ。僕なんかと違って、淡居ちゃんの笑顔は本当に可愛いんだから。
君は今回、一度死んだ。
僕は死神として、君が一番望んでいた〝美しい死〟をプレゼントしたんだよ。
だから、昔の君はもういない。これから先の君は、新しい君だ。
いっぱい笑って、幸せになってほしい。友達が一人いれば、この世界は生きていける。夢があれば、なお無敵だ。だから、きっと大丈夫。
それじゃあね、淡居ちゃん。
次に会った時は、ランジェリーな下着をつけた君のスカートでも、捲らせてくれ。
美空のことを世界一愛している死神より
◇
私は、涙が止まらなかった。
ズルい。ずるいずるいずるい。ズルイ。
こんなことをされて、忘れられるわけがない。私を一生、処女のままでいさせるつもりか。
口惜しかったので、死神の真似をして笑う。
涙でぐしゃぐしゃになった笑顔で、そっと呟いた。
「……人生なんてチョロイ。もし失敗したら、気のせいだ」
それは、彼が教えてくれた言葉。
彼が守って、真実にしてくれた言葉。
きっとこれからも、色んなことがあるだろう。いい事なんてまるで起きなくて。トラブルだらけの人生で。ひょっとしたらまた、死にたいと思う日も来るのかもしれない。
だけど、きっと大丈夫。
だって、あの死神が奪り還してくれた人生なんだから。
あの死神が、守ってくれた人生なんだから。
途中で何が起こっても、ラストは絶対、ハッピーエンドに決まってる。
私は笑う。恋人達が騒ぐ聖夜に、たった一人、暗い部屋の中で。
それでも、手に収まった宝物があるだけで、私は世界一幸せな女の子だった。