第43話 埃を被った本
鍛冶屋の立ち並ぶ職人街を抜け、大通りに戻ってきた僕たちは、ノクスが行きつけだという一軒の大きな食堂の暖簾をくぐった。
店内は昼時から少しズレているというのに、活気ある声と、食欲を暴力的なまでに刺激する焦げた油の匂いで充満していた。
「このデュグラスの北部は、鉱山が近いせいで冬の寒さが厳しいんだ。だから、香辛料をたっぷり揉み込んだ肉や、体を温める濃厚な乳製品を使った料理がこの地域の主流なんだよ」
案内された木造りのテーブル席で、ノクスが向かいに座りながらそんな解説をしてくれた。
(なるほど。気候風土に合わせたカロリー設計と保存食の知恵か。ファンタジー世界の食文化って、こういう地域ごとの特色があるからたまらなく面白いんだよな)
僕は運ばれてきた水差しからコップに水を注ぎながら、ワクワクと目を輝かせた。
やがて、ジュージューと凄まじい音を立てる分厚い鉄板が、僕とノクスの前に一つずつ置かれた。
「お待ちどお! 『岩甲豚』の厚切り香草焼きと、たっぷりチーズ乗せだ!」
威勢のいい店員さんがテーブルに置いた瞬間、香ばしい肉の匂いと、とろけたチーズの暴力的な香りが弾けた。
僕はナイフで肉を切り分け、とろけるチーズをたっぷりと絡めて口に運んだ。
「……っ! 美味しいです! 鼻に抜ける香辛料の香りと、お肉の濃厚な脂が最高ですよ、ノクス!」
僕は思わず頬を押さえ、満面の笑みでノクスを見た。
「落ち着いて食え。誰も取らないから」
ノクスは呆れたように笑いながらも、どこか満足げに自分の肉を切り分けている。
至福の時間を堪能し、半分ほどお肉を食べ進めたところで、僕はふと、これからの予定について口を開いた。
「ノクス、食後に少し本屋に寄ってもいいですか? 魔法について書かれた本を探したいんです」
「本屋? ……お前、あんなデタラメな威力の魔法を使えるのに、今更魔法の本なんて読む必要があるのか?」
ノクスは怪訝な顔をして、フォークの手を止めた。
「僕の魔法は独学みたいなものですからね。森から出てようやく落ち着ける場所に来られましたし、せっかくだから一般的な基礎やセオリーを勉強してみたいなと思いまして」
僕は愛想よく微笑みながら、適当な理由を並べた。
だが、僕が本気で魔法の文献を探したいのには、もっと切実な理由があった。
森でのサバイバル中、僕は自分の持つ理科の知識や物理法則を無理やり当てはめ、試行錯誤の末にいくつかの魔法──方程式を構築してストックしてきた。
だが、そこから先、新しい魔法のストックをさらに増やそうとしたり、一度組み上げたものを改良しようとすると、どうにも上手くいかなかったのだ。
魔法をいじろうと意識を向けると、頭の中で組み上げた「法則」同士が矛盾を起こし、自分の中の理の繋がりがプツリと切れて、マナが上手く流れなくなってしまうイメージが直感的に見えた。
矛盾が解消される新たな方程式を完璧に構築し直すまでは、魔法そのものが使えなくなってしまう。さらに言えば、無理に改良を加えて『自分の理屈の矛盾』に気づいてしまえば、今まで使えていたストック魔法すらスムーズに発動できなくなる恐れがある。
そんな感覚的な情報からの推測があったからこそ、僕は魔法の改良に手を出せずにいた。
だからこそ、この世界の「本職の魔法使い」たちが使っている既存の魔法体系を学び、方程式のストック容量を圧迫している『矛盾』を解消するためのヒントを得たかったのだ。
「まあ、好きにしろ。大きな本屋なら知ってるから、食後に案内してやる」
ノクスはそれ以上深く追求することなく、あっさりと頷いてくれた。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆
食後に連れてこられたのは、大通りの一角にある、重厚な石造りの書店だった。
しかし、店内に足を踏み入れた僕は、棚に並べられた本を見て愕然としていた。
「……た、高すぎませんか、これ」
「当たり前だろ。魔導書なんてのは、先人たちが心血を注いだ一級品の知識だぞ。一般人がおいそれと買える値段じゃない」
ノクスが腕を組んで肩をすくめる。
背表紙に『初級魔力操作理論』や『属性変換の基礎』と書かれた本は、どれも僕の全財産(ノクスが預かっている僕の素材の売り上げ)をひっくり返しても買えないほどの高値がつけられていた。
(まいったな。ファンタジー世界の技術書が超高価なのは定番だけど、まさかここまでとは……。これじゃあ手が出ないぞ)
僕が落胆して店内を見回していた時、ふと、店の隅にある埃を被った木箱が目に入った。
そこには、一冊だけ古ぼけた本が無造作に放り込まれていた。
値札を見ると、他の本が金貨数枚する中で、これだけは「銅貨三枚」という破格の値段だった。
「ノクス、この本はどうしてこんなに安いんですか? 魔法について書かれているみたいですけど」
僕がその本を手に取ると、ノクスは顔をしかめた。
「ああ、それは魔導師ギルドから『内容が間違っている』と見放された本だよ。既存のどの魔法体系にも合わない意味不明な理屈が書かれているらしくてな。魔法の文献としてすら扱われていない、個人の哲学書みたいなもんだ。だからそんな値段なんだろ」
(なるほど、ファンタジー世界特有の「魔力」や「属性」のセオリーから完全に外れた、誰にも理解されないポエム本ってことか。入門書としての役には立たないだろうけど……既存の枠にハマらない独自の哲学なんて、設定資料集みたいでちょっとワクワクするな)
僕の中のファンタジー好きの血が騒いだ。
どうせまともな魔導書は買えないのだ。暇つぶしの読み物としてなら、銅貨三枚の出費は痛くない。
「ノクス、僕の取り分からこれの代金を出してもらえませんか? 面白そうなので、読んでみたいんです」
「お前なぁ……。まあ、お前が自分で稼いだ金だし止めはしないが、そんなものを読んだところで、魔法の勉強にはならないぞ」
ノクスは呆れたようにため息をつきながらも、懐から銅貨を取り出し、僕の代わりに会計を済ませてくれた。
僕は手に入れたばかりの古びた本を大事に抱えながら、早くこれを読んでみたいという純粋なオタク的探求心で胸を躍らせていた。
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