番外編 その後
リリの前世の息子、長男視点の話です。
それぞれのその後。
ざまぁではないかな。リリは、子の不幸を望まないでしょうから。
今日は自分たち兄弟にとって「ハレの日」。
……めちゃくちゃ雨降ってるけれどね。
本日、末の妹が結婚し、コレで兄弟全員が所帯を持った。一人バツイチだけど。
今時「長男」なんて流行らないけれど、やっぱり長男という意識が自分の中にはあって、娘を嫁に出し、ようやく肩の荷が下りた父親のような気分になっている。
じいちゃんとばあちゃんは雲の上で見ているだろうか。
……出来れば、そこにお母さんもいてくれたら良いのに。
もう四十をとうに過ぎ、母が亡くなった歳と同じになってしまったというのに、未だに母を思うと胸が苦しくて、つらい。
十五歳の時に、父と母が離婚した。
高校受験間際のことだった。
原因は父の浮気。
浮気相手は二十代半ばの父の職場の女性で、妊娠していた。
母は一人で実家に戻り、自分たちの親権や財産について話し合って、そのまま父と離婚した。
兄弟三人とも、母について行かなかった。
というのもその頃、兄弟全員、母と折り合いが悪かったのだ。
今思うと、なんであんなに母が気に入らなかったのか、どう考えても分からない。
思春期と一言で言ってしまえば終わりだが、弟たちも母との関係は拗れていた。
父は時々、母がいない時を狙って浮気相手を自分たちに会わせた。
会社の部下で、会社の買い物もあるからとか言い訳して、一緒に買い物やらご飯やら兄弟全員を連れ出した。
母とは違う女性と親しくする父に戸惑いを覚えたが、末の弟がすぐに懐いたのをきっかけに、会う回数は増えていった。
母は働きながら年子の三兄弟を育て、子どもの目から見ても随分と貫禄がつき、作ってくれるお弁当はいわゆる茶色い弁当で、母も弁当も友達に見られるのが恥ずかしいと思っていた。
大好きなのに。
父は浮気相手と一緒に出かけた時、気前良く欲しい物を買ってくれ、飯も食べたい物を食べさせてくれ、一切説教をしなかった。
これが母と一緒ならば、必要のない物はもちろん買ってくれないし、肉ばかり食べる兄弟の口に野菜を突っ込んでくるし、行儀が悪いとすぐさま長い説教が始まるところである。
父と母よりも父と浮気相手と一緒の方が居心地が良い、と錯覚してしまった。
自分自身も結婚して子どもに恵まれ、息子の十五歳の反抗期に頭を悩まされている身としては、因果応報という言葉が頭を巡っている。
口うるささはそのまま愛情の深さでもあったことが、今ならば理解出来る。
どうでもよい相手には、どうなっても構わない無責任な言葉を並べるものだとも。
それが上辺だけのものか優しさかなんて、子どもには見分けがつかなかったんだ。
父母の離婚が成立し、受験も乗り越え、高校に入学して十六歳になった頃、妹が生まれた。
可愛くて可愛くて全員がメロメロになった。
けれども、赤ちゃんはペットでもぬいぐるみでもない生きた人間である。
赤ちゃんのいる生活は凄まじい程大変だった。昼夜関係なく、全てが妹中心の生活となった。
父の浮気相手は家事をあまりしなかった。
ご飯は惣菜、洗濯は全部乾燥機、掃除らしい掃除もせず、家の中はどんどん荒れていった。
あんなに美味しかった肉中心の惣菜も、一月経つ頃には飽きた。
父は育児にほとんど参加せず、よく二人で喧嘩していた。
元々父は育児にあまり参加していない。自分たちの時も「いるだけ」「見てるだけ」「言うだけ」だったな、と思い至る。
母が出て行った後、父の浮気相手は家にやって来て一緒に住み始めたが、二人は籍を入れなかった。父は妹を認知する形で、「片親家庭」と「片親家庭」の集まりとなった。
だから、自分たちにとって父の浮気相手は「義母」ではなかった。
なぜ籍を入れなかったのかは分からないが、父なりの何か考えがあったのかもしれない。
最初から歪な家庭は、壊れるのも早かった。
妹が三ヶ月の時、妹の母は妹を置いていなくなった。
父は言葉を濁していたが、どうやら男と出て行ったらしい。
途方に暮れた父は、仕事に逃げた。
兄弟三人で赤子の面倒を見る羽目になり、可愛いだけじゃない赤ちゃんの世話をし、自分たちの生活をし……すぐに限界が来た。
洗われない食器、汚れたトイレ、排水口が詰まった風呂、山になったゴミとおむつ、溜まる洗濯物。
何で俺が……と皆がやらなければ、当然そうなる。
兄弟三人で大喧嘩となり、罵り合い、殴り合い、父が浮気したのが悪いのに、自分たちが母に反抗していたのが悪いのに、「母がいないのが悪い。家に帰ってくれば元通り」だと、大声で泣く妹を放置して、そう考えた。
父と浮気相手の子どもの面倒を母にみさせるなんて、ゲスい考えなのは三人とも薄々分かっていたが、母ならば笑って許してくれると思っていた。
んもうっ、って言って、笑ってくれると思っていたんだ。
三人で妹を連れ、バスと電車を乗り継いで、母のいる祖父母の家に向かった。
祖父母の家は、線香の匂いがしていた。
明日、納骨だと、祖父が言った。
嘘だ! と暴れて骨壺を開けたのは誰だったか。
作り物のような骨を見て、骨って真っ白じゃないんだ……と意外に思い、ふと冷静になって、ようやくコレが母なのか、と現実を見た。
信じたくない。
信じたくない。
お母さんが、もうどこにもいないなんて、信じない。
男三人が暴れ泣き伏すという混乱の中でも、じいちゃんとばあちゃんは静かに見守ってくれていた。
祖父母にとっては憎い相手の子である妹の面倒もみてくれていた。
それから。
色んなことがあった。
まず、我が家の家庭が崩壊しているため、子ども四人は一時施設に保護された。
次に、浮気相手は父を保証人に、結構な額の借金をしていたことが判明した。迂闊な父は、内容をよく読まずサインをし、印を押していた。
そして、妹は父の子ではなかったことも判明した。
嘔吐下痢が酷く、病院で検査をした時に血液検査もした。妹は、父と浮気相手からは生まれない血液型だった。赤ちゃんのうちは血液型を判定しても精度が低いらしいが、それを知った父は妹とのDNA鑑定を行い、その結果、親子関係が否定された。
当時、大人たちがどういった話し合いをしたかは分からないけれど、兄弟三人は父の元に帰り、妹はそのまま施設にいることになったと、父から言われた。
納得出来るはずもない。
血が繋がらなくても、妹は既に「妹」で、だけど、自分たちで世話が出来ないことは身に染みていた。
どうにか兄弟四人、離れずに済む方法はないか。もう意地だったのだと思うが、そう足掻いていた三人に、祖父が問いかけてきた。
「歪な家族関係から離れて、まっさらな人間関係の元で育つ方がこの子にとっては幸せかもしれない。なんで手を離してくれなかったと、恨まれる未来があることを覚悟出来るのかい? ……依子は、お母さんは、お前たちの幸せを願ってお前たちの手を離したんだよ」
手を離すことが、その人の幸せかもしれない。
そんなこと考えたこともなかった。
母が、自分たちの幸せを考えてくれていたのはなんとなく分かるけど、妹の幸せは、どこにあるのだろうか。
反抗したまま別れた母を亡くした自分たちの幸せは、一体どこにあるのだろうか。
急に目の前に突きつけられても、分からない。
それくらい、子どもだったんだ、と今ならば分かる。
結局、覚悟がない自分たちは何も返事が出来なかった。
ただ「もう家族がいなくなるのはいやだ」と呟いただけだった。
祖父はため息をついて、「依子のお人好しを笑えないなぁ……」と静かに笑って、兄弟四人とも、引き取ってくれた。
戸籍上の難しい話は分からなかったけれど、妹は、歴とした「妹」になった。
大切な人は、いつまでもいてくれるわけではない。
大切にしなければ自分の手からすり抜けていく。
母が残してくれた大きな戒めは、人生の確かな指標となり、それなりに幸せな人生を歩んでいると思う。
困難がないとは言っていない。
祖父母が相次いで他界した時、妹はまだ義務教育で、思春期の女の子の扱いなんて分かりもせず、結局、自分の嫁さんが寄り添って育ててくれた。
祖父母が心配したとおり、「血が繋がってないなら、こんな家じゃなくてどっかにやって欲しかった! この偽善者!!」と妹から罵られた時には、リアルに血を吐いて入院した。
その後、妹は謝ってくれたが、心からの叫びだろう。
すぐ下の弟は、嫁さんがダブル不倫の末、子どもを置いて駆け落ちし、泥沼の争いの末に離婚した。今は父一人息子一人で頑張って暮らしている。
弟は、恥ずかしながら自分が浮気サレて初めて、しかもこの年になってようやく、母の気持ちを少し汲めたという。
悲しくて悔しくて、朝になってももう目覚めたくないくらい、つらい。
でも俺には息子がいてくれるが、母は……と、弟は力なく笑った。
一番下の弟は、勤める会社が倒産して転職に手こずり、家を引き払って嫁さんの実家に厄介になっている。
それでも、弟の家庭は笑いが絶えないから悲壮感はない。この弟は、自分の妻子や義両親を壊れ物のようにとても大切にしている。大切にする人を間違えないように、恐れながら。
父は家を売り、終生一人で暮らし、背負わされた借金を返しながら静かに生きた。
祖父母から母の墓の場所を教えてもらうことも出来ず、自分たちとも数年に一度会うか会わないかの関係のまま、交通事故で他界した。
皮肉にも、父の生命保険で父の浮気相手が作った借金は完済出来た。
最期まで、何を考え、何を思い生きた人なのか、分からなかった。
そして妹は、端的に言うとグレた。
王道にグレた。
それも祖父母が亡くなった後は自動収束し、自分で選んだ学校に進んで就職し、数多のライバルを蹴散らし(物理でなかったことを祈りたい)、好いた男と本日結婚した。
妹の幸せを考えて考えて、結局兄三人は何の力にもなれず、妹は自力で幸せになっていったのだと思う。
幸せそうに微笑む妹の花嫁姿が滲む。
お母さん。
お母さんもこうやってお父さんと結婚して、子どもが生まれて、幸せだと思ってくれていただろうか。
お母さん。
お母さんに謝りたい。
お母さんに叱られたい。
お母さんに、会いたい。
お母さん。
後日、反抗期真っ只中の息子に自分の体験を踏まえ、産んでくれたお母さんを大切にしろと、腹を割って話をした。
息子は少しは分かってくれたのか、収めどころが分からなくなっていただけで、きっかけが欲しかっただけか、日に日に態度を軟化させた。
が。
「親父ってマザコンだよな」
「あら、どうしたの」
「四十過ぎても『お母さんお母さん』ってさ」
「いいじゃない。私もあなたが四十過ぎても一緒にご飯食べたりしたいわ。お嫁さんと孫がいたらなお良いけど、あなたが元気で自立して生きていれば、それでいいのよ」
「……うん」
「それにね」
「?」
「お父さんは、マザコンだけじゃないわよ」
「分かる! 絶対シスコン」
「それだけ?」
「ブラコンもあると思う! 歳が変わらないのに叔父さんたちにチョー過保護!」
「子煩悩は、なにコンて言うのかしら?」
「コンプレックスの塊じゃん!」
あはははははと笑い声が重なって響く。
笑い合う妻と息子をドアの隙間からのぞき見て、眉間の皺を解しながら息を吐いた。
真面目な話をしたというのに……ちくしょうメ。
でも、まあ、いいか。
笑い合う二人を見るのは久しぶりだ。
息子の反抗期は、いかんせん態度が悪かった。
夜中に妻が隠れて泣いていたのも知っている。
もう、いい大人だし、ここで間違えて大切な人を失うのは真っ平ご免だ。笑われるぐらいなんだ。
お母さん。
自分も、何かきっかけがあれば、お母さんともっと過ごせただろうか。
笑われたって、何だっていい。
きっと、死ぬまでお母さんに会いたくて、寂しく思うんだ。
いつか死んだら、会えるだろうか。
謝らせてくれるだろうか。
……抱き締めて頭を撫でてくれるだろうか。
お母さん。
この先、天寿を全うして母のお迎えを探しても、とっくに生まれ変わってもうここにはいないし、なんなら前世を思い出す暇も無いくらい今の夫に溺愛されて、子どもたちに囲まれて、色々あるけどまあまあ幸せに生きてるよー、と神様っぽい人に言われて、八十歳を過ぎた男の魂が泣き伏したことは、それこそ神のみぞ知ることである。
読んでくださり、ありがとうございました。
ランキングにも入れていただき、感謝です(´∀`)!
誤字報告、たくさんありがとうございました。
すべて目を通しています。
表現の訂正は、分かりづらくても間違いでなければそのままとしているところもありまので、ご了承いただければと思います。
また、別の作品でお目にかかれたら嬉しいです。
よろしくお願いいたします。