【幕間】魚々島 洋 ー瞼の兄ー
二人稽古は、時に挑戦的な意味合いを帯びる。
実力伯仲の《神風》候補同士なら、なおのことである。
例えば、かつて烏京の披露したカード投げ。自在に飛ばすのはもちろん、壁で跳ねたカードの軌道まで計算し、ケースの中に導くなど、松羽の高度な投擲術を見せつけた。一種の示威行動であり、「貴様に出来るか」という挑発でもある。
ボウリング・キャッチボールでの蓮葉の一投もその類だ。こちらは遊びに近く、挑発的な意図は皆無だったが、洋は妹との実力差を思い知らされた。
洋と烏京の指相撲勝負は、殊更にわかりやすい。ルールの枠内において、互いに修めた技術を用いて勝利を目指せば、児戯でも真剣勝負になる。応用力を試され、相手の抽斗に学び、何より大怪我の心配がない。
二人稽古には、一人ではけして届かぬ高みが存在する。自身と比肩する、或いは凌駕する者と技を見せ合い、死合ならぬ比武をすることは、時に飛躍的な成長に繋がる。烏京が望み、洋が受けた、それが理由である──
蓮葉と浪馬が火花を散らした、《神風天覧試合》第二試合から、三日後。
洋に誘われた烏京は、目的地も知らされぬまま、工場街の小道を黙然と歩いていた。
「──どこまで行く気だ」
「もうすぐだよ」
廃スタンドを出て十五分。夜道に咲く月華を楽しむ洋の背中と、この問答をするのは三回目だ。
そもそもこの辺りは此花区。大阪の沿岸部で、小規模な工場が集まる地域だ。景勝も名所も存在しない。油臭い路地をぶらついて、これだけ楽しめる洋がどうかしている。
業を煮やし、踵を返そうかと考え始めた矢先、洋の丸い背中が停止した。
「着いたぜ。ここだ」
振り向いた洋の背後には、トタン張りの壁が左右に続くばかり。その壁の向こうには、巨大な何かが聳えている。見上げる烏京の瞳の中、それは屑鉄の塔となり、月明かりを浴びて鈍色に輝いた。
「廃品置場──か」
「そういうこった」
「いい修行がある──と聴いたはずだが」
「嘘は言ってねえさ。おまえさんも気に入るって」
「…………」
訝しむ烏京に鷹揚に応じると、洋の掌中に《鮫貝》が現れた。
《神風》候補、魚々島 洋の専用武器。見た目は拳大の巻尺だが、硬軟自在の薄刃は比類なき汎用性と意外性を併せ持つ。
手首を軽く振ると白線が真上に伸び、トタン壁の上端に掛かった。頑丈とは到底言えないそれを手掛かりに、でっぷり肥えた身体が壁に足をかけ、一息に駆け登る。影こそ「たまごおとこ」だが、うさぎのように軽やかな跳躍である。
壁の上から手招きする洋に鼻を鳴らし、烏京が後を追う。こちらは空を薙ぐように長い脚を使い、手をつくことなく、自身より高い壁を飛び越えた。つかの間広げた袋袖が、さながら凶鳥の翼の如く、月を遮り、不吉な影を落とす。
「言っとくが、無断侵入じゃねえぞ。
門が反対側だから、近道したってだけだ。
文殊の紹介で、夜だけ借りてんだからな」
「ほう──あの男のか」
疑惑の色濃い烏京の瞳が、幾分和らいだ。
吉田 文殊は元暴走族の頭で、洋の喧嘩相手だった男だ。第二試合の後、浪馬と組むと決めたようだが、敵方になっても交流は続いているらしい。ともあれ、体型以上にふざけた性格の同盟相手に比べれば、至って常識的な人物だ。くだらない目的に協力するとは思えない。
「以前はこっちを塒にしてたんだとよ。
持ち主が族のOBとか言ってたか。
けど屋根はないし、溜まるには不便な場所でな。
それで近場の廃スタンドに引っ越したらしい」
それを掃除したのが縁の始まりだ、と洋が笑う。
敷地内に降り立った烏京は、改めて周囲を見渡した。
ヤード内は広く、種類別のジャンクの山がそこかしこに放置されている。冷蔵庫やテレビといった家電から、バイク、自転車、もちろん車も。壁の外から見えた一番大きな塔は、廃棄バスが積み木のように組み上げられたものだった。すでにプレス加工されているが、安定感はなく、風が吹くたびにギィギィと揺れている。油と鉄錆、そして潮の匂いのする風だ。
「──錆び放題だな」
「だからここには、まともな廃品は集まらねえ。
正真正銘のくず鉄置場ってわけだ。けど……」
赤錆まみれのネジを拾い、洋は続ける。
「そのおかげで、出入りの管理も緩い。
素性の怪しいオレらが見逃されるくらいにな」
「フン──なるほどな」
烏京は覆帯の下で冷笑した。
「──それで、ここで何をするつもりだ?
死合うにはお誂え向きの場所だが」
「確かに、礫には困らなそうだな。
それも面白そうだが、今夜は別の修行だ。
ここにあるジャンクを、オレたちで解体する」
「──それの何処が修行だ?」
「言ったろ、礫には困らないって。
何でも投げる松羽流だが、町中じゃそうはいかない。
田舎と違って、石は転がってないからな。
けど解体する術を覚えれば、どうだ?」
「──礫を作れるというわけか」
実のところ、松羽流は市街戦にも順応している。
例えばガラスだ。入手しやすく、普遍的に存在する手裏剣として、とくにガラス片の扱いは習熟を重ねている。
とはいえ、どこにでも窓があるとは限らない。屋外や地下ならば、ガラスの調達は困難になる。その点、車や自転車は、都会ならすぐ見つけられる。
「それにその……なんだ。
バイク乗りが相手なら、バイクを知るべきだろ」
珍しく口ごもる洋だが、その理由は察せられた。
《機馬武者》という浪馬の戦術は、もはや武術の領域を越えた、革命的なスタイルだ。その脅威は、人外の技である《鯰法》に勝るとも劣らず、あの蓮葉を圧倒するほどだった。
格下と見ていた浪馬の、それも馬から対策が必要だと認めるには、幾ばくの葛藤があることは想像に難くない。
八百万 浪馬という男は、それほどまでに危険なのだ。そして文殊と組んだ以上、さらなる飛躍を遂げる可能性がある。
「──いいだろう。
解体すればいいんだな──工具はどこだ?」
洋はニヤリと笑うと、両手を突き出した。
「そんなもん、用意してねーよ。
オレらには立派な手が二本あんだろうが」
目を剥く烏京の前で、わきわきと指を躍らせる。
「安心しな。教材は無限にある。
朝までやりゃあ、解体なんてすぐ覚えられるさ」
洋の宣言は誇張ではなかった。
工具はおろか軍手の一つもなく、二人はジャンクの解体に取りかかったのだ。
「練習用」として、まずは自転車のスクラップをバラすところから始めた烏京だが、一台目から早くもつまずいた。大きなボルトが外せないのだ。
烏京とて《神風》候補である。投擲を極めた男として、指の鍛錬には自信を持っている。
実際、小さなビスの類は、苦もなく外すことが出来た。ネジを緩めるコツは回す力より圧力だ。プラスマイナスに関係なく、指先を押し当て、十分な圧をかけて回せば緩められる。この程度で苦痛を覚えるような鍛え方はしていない。
だが、フレームと車輪を繋ぐ、大きなボルトは強敵だった。本来、レンチを必要とする主軸パーツは、人の指では歯が立たない。鍛えた指先で挟み込んでも、力いっぱい握っても、虚しく空転するばかりだ。赤錆の浮いた表面の滑りやすさが、それを助長する。
──人間技では不可能ではないか?
隣りで作業する洋がいなければ、そう考えてしまったかもしれない。
魚々島出身の風船男は、すでに四台目の自転車に取りかかっていた。車輪はもちろん、ハンドルまで素手でやすやすと外している。朝飯前だと言わんばかりに、鼻唄を漏らしながら。
癪に触るが、この分野に関しては一日の長を認めざるを得ない。
洋のからかいは日常茶飯事だが、こんな場所まで呼び出すほど悪趣味ではない。烏京なら出来る──そう考えた上での誘いと考えるべきだろう。
洋とは指相撲の際、文字通りの「手合わせ」をしている。指先のパワーは洋が、器用さでは烏京が勝るが、僅差にすぎない。肉体的に同格なら、違いは使い方にあるはずだ。
烏京は息を殺して、洋の手元に見入った。
先にチェーンを外し、後輪に取り掛かる。スタンドの後ろの地べたに胡座をかいたまま、タイヤを左右の手で挟むようにしてボルトを摘む。
くい、と無造作に捻ると、労せず車輪が外れた。
まるで魔法のような手際だが、烏京の目は呼び声高き《神眼》である。魔法の種を二つ、即座に見抜いた。
一つは異常な腕の強張り。
もう一つは、わずかに地面から浮いた尻。
──そういうことか。
二つ目は難しいが、一つ目だけ真似るなら。
烏京は同じ姿勢を取り、後輪に手を伸ばした。
ボルトを挟む指に力を入れる。
入れるが、ボルトは挟まない。ただ指を固め、固定する。握り潰すのではなく、ボルトを摘んだ形で固めてしまう。
腕も同じだ。力を加えるのではなく、硬化させる。腕力ではボルトは回らない。より大きな力を伝達するための「道具」に徹するのだ。
硬化する力、即ち脱力に対する「緊力」。
両腕を鋼で作られた工具だとイメージしながら、そこに体重を乗せ、体全体でボルトを回す──
ぐりん、と小気味良い感触とともに、ボルトが回り、車輪が外れた。
覆帯の下に浮かんだ会心の笑みを、慌てて引っ込める。洋がニヤニヤしながら振り返ったからだ。
「もうコツを掴んだかよ。流石だねえ、旦那。」
「──当然だ。俺は《投げを極めた男》だからな」
腕力だけでは限界があり、全身の連動こそが真のパワーを生む。百も承知の理論だが、指先にまで伝える発想には至らなかった。投擲術にも応用可能な気付きである。業腹だが、洋に教えられた格好だ。
「──《仙骨エンジン》の方は真似できんがな」
「せん……何だって?」
「貴様の力の源泉のことだ──」
烏京がそれを見抜いたのは、京都御所における洋との試合に於いてである。
仙骨を軸とし、骨盤自体を回転させることで、エンジンのような動力源に変える。体内でアイドリングするエンジンは外から動きが見えず、肥満体にあるまじき反応と速度を生み出す。
今しも洋は、胡座の状態ながら、地面から尻を浮かしていた。骨盤が自由でなければ《仙骨エンジン》は機能しない。尻の落下エネルギーでエンジンを回し、尻を浮かすという半永久機関を維持しながら、その余力でボルトを外していた。それ故、至極簡単に見えたのだ。
「あぁ、これのことか。
オレは適当に《尻回し》とか呼んでたが」
「──ならば《尻回し》だ」
「馬鹿言うな。
そっちのが、どう見てもカッコいいじゃねーか。
《仙骨エンジン》ね……へへ、悪くねえ」
相好を崩す洋の横顔を眺めながら、烏京の脳裏をよぎったのは、まったく別の考えだった。
あれは二日前のことだ。
今日と同じく、廃スタンドから淀川堤防に呼び出された烏京は、青沼から相談を受けたのである。それを最後に、情報屋は福井に旅立った。《神風》候補の一角、宮山たつきを調べるために。
しかし青沼の依頼は、それ以上に困難で薄氷を踏むものだった。
失敗は許されない。
そして真夜中のヤードに二人きりという状況は、絶好の好機だと気が付いたのだ。
洋の実兄──魚々島 航について、尋ねるには。




