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眠りが変になってきた。眠いけれども寝られない。なぜか深夜に目が覚める。お腹がすく。喉が渇く。トイレに行きたいと思う。けれども眠くて動けない。枕元に置いた携帯のゲームを開いてナンプレしている間も物語のことを考えていた。35万字のところで物語を書く手を止めた。物語のシーンとシーンを繋ぐ時間を作れなくなってしまった。けれどもまた書き始めると思う。なんせ物語の結末が見えているし、物語はこの場所を書ききってしまえばきっと終わりになるだろうから。そしたら少しは楽になるだろうか?
時間が欲しいと思うようになった。時間があれば解決するとは思っていないけれども時間をかけて悩みたいと思った。私は人より悩む時間が長いのだろうか、朝に始めた思考をふと止められるところ止めて外を見たらオレンジ色に変わっているのだ。
時間が足りない。どうやら1日にできることが減ってしまったようだ。2つぐらいしかできない。先日部屋の掃除をした。綺麗になってすっきりした、良かったと親から言われた。そうだ、その前に友人と会ったことを書かなければいけない。友人と会ってカラオケに行った。新しい歌は知らない。昔覚えた古い歌を延々と歌って、歌詞に苦しくなって泣いた。声を出すのは好きだ。どこかで話しただろうか?声を出せて少しすっきりした。少しだけ気持ちを上向きにできた。友人に旅の話を聞いてもらった。話せるだけでよかったのかもしれない。少し、次へ進もうという気持ちになれた。本当に素敵な友人を持てて私はよかった。
家に帰った頃には23時を過ぎていた。以前はよくこんな時間に帰って来ては怒られていた。ちなみに言ってしまえば、何度かオールもした。親はそう言った類を許さない人間だ。だからそのことを一切話してなどいない。朝に帰って来て、適当な言い訳でやり過ごす。そんな日を送っていたこともあったっけ。あれが「普通」の学生の姿だったのだろうか。だったとしたらこの姿は「異常」なのだろうか。
また少しだけ考えよう。「普通」と「異常」は本当に相反するのだろうか。合コンやら友人との遊びにしょっちゅう行く学生もいれば自宅に引きこもってゲームや読書、テレビやネットに明け暮れる学生だっているはずだ。どっちも「普通」じゃないのだろうか。私は半々ぐらいだったと思う。遊びに誘われれば行くし、誘われなければ家に帰る。時々気が向いた時に友人を誘って遊びに行ったり、などとしていたが、どうだろう。それもまた「普通」だったんじゃないかと思う。
「異常」な人ってなんだろう。私にはまだ分からない。私の異常性はこうやって文字を打ち始めたら止まらないほどに思考が流れることぐらいだった気がする。もう1つあった気がするが忘れた。なんだったっけ。時々思い出しては忘れる。よく忘れることだったか。もうどうだっていいや。
忘れたくないことはたくさんある。特に感情は忘れたくない。「あの日の気持ちを忘れない」「あの感情は昨日のように思い出す」、そんな言葉が巷に流れているが、私はそれらを理解できない。私は気持ちも感情も思い出せない。身を焦がすような恋愛経験?片思いなら、あったかな。けれどももう、相手の顔も声も薄らぼんやりとしか思い出せない。いつか送ってもらった写真を見て、ようやく思い出した笑顔に口元が緩むことがあるけど、それだけだ。いい思い出、で済ませてしまう。そんなもんなのだろうか?わからない。苦しくて仕方のなかったような経験?過呼吸が激しいので時々ある。でもそう言う時は大体意識が吹っ飛ぶものだ。覚えているわけもない。ただ、先日、そうだ、有人と遊んだ後の話をしていたっけ、先日は意図的に過呼吸の状況を作り上げた記憶がある。
私には2つの人格に似た、思考の違う存在がいるようだ。「普通」の人もそうなのだろうか?こいつのせいでいつも思考が止まらないのだ。特に、自分にとって嫌で仕方ないことをやる時や苦しい時、何かしらの感情が付きまとう時にはいっぺんに考えが私に溢れ出して止まらなくなる。
言い方が違うかもしれない。訂正すべきだ。私の中にはきっと「普通」の私と「異常」な私がいる。私自身は私が「異常」だと認めているだろう。しかし「普通」は「異常」を嫌うことも知っているから、私は表に「普通」の私を出すように「異常」な私が制御していると言ったところだろうか。2人の人格が存在するわけがない。張りぼての「普通」を作るために「異常」の思考をフル回転させて「普通」を演じているだけだ、きっと。その時に「異常」が「異常」でありたいと願う反面で「普通」であろうとするから思考がオーバーフロウして計算できなくなるんだ。
「普通」の人はこのような感情を持つ。それは本や漫画、ゲームなんかで学んだ。そしてそれが私と乖離し始めたのがいつなのか私にはもう思い出せない。初めて狂った時だったか、狂ったという言葉でよかったか、初めて精神病院に行った時だというべきか、もうどうでもいいがおかげさまで苦しくて仕方ない。
昔そう言えば母に怒られたことがあった。目を見なさい、どうしてこんなことをしたの、そんなありきたりな文句をぶつけられながら私は俯いていた。笑っていたのだ。面白しくて仕方がなかった。まるでどこかの漫画のワンシーンか、物語によくありそうなシチュエーションだった。目を見なさい、人間の目ほどおかしくて怖いものはない。どうしてこんなことをしたの、一体何をしたのかもう忘れたけどなんでそれをやったのかは自分でもわからなかった。ただ、貴女のせいでこうしたんでしょう?と笑っている私がいた。小学生か中学生の時だ。そしてほっぺたを掴まれて、顔を無理矢理上げさせられて、聞いてるの!と怒られた瞬間に堰が切れた。私はゲラゲラ笑い出した。なんで笑うの!と散々怒鳴り散らされて、数秒ほど狂ったように笑い転げて、ピタッと止まった。どこかの映画のワンシーンのようだと自分で思っていた。あの頃からかもしれない。あの笑い方はまるでピエロのようだった。作り物の、張りぼての、貼り付けたような笑い。それを人は「可愛い」と言うことがある。楽しそうだということがある。そこに「普通」の感情が伴うからそういった感想が出てくるはずなのである。私は笑顔が上手くなったと思う。
あの日、あの後どうなったか忘れた。姉がやって来たんだか、母がしびれを切らしてどこかへ行ったのだか、私が笑いを止めた後に謝って再度、笑ったことを怒られたのか、もう覚えていない。けれどもあの日、間違いなく私はおかしかった。
私は感情が制御できない。これは数か月前の話だった気がする。ああ、どんどん話したいことから離れて行くのを感じている。今日は随分たくさん文字を書いてしまいそうだ。感情が制御できない、言葉に語弊があるかもしれない。笑いと涙を制御できないだけかもしれない。まるでピエロだな。顔の半分を隠せば笑っていて、もう半分を隠せば泣いているように見える、そんな仮面をつけているような日々が続いていた。笑っていなければ泣いている。真顔の時も無くはないけど大体はそんな感じだった。これは「普通」なのだろうか?わからない。
幼い頃から泣き虫だった。涙ばかりがよく出てきた。くだらないことで泣いたし、いじめられて泣いたし、苦しくなれば泣いた。最初は感情表現のために泣いていたと思う。けれども、そのうち逃げるために泣いていたようにも思う。甘えたくて泣いていたように思う。最近は、よくわからないけれども泣いている。
母から、「大人になったら感情が制御できるようになるよ」と言われたことがある。時間が解決してくれると思った。けれども大人になり切る前に私は気づいた。自分から変えなければ大人になれないということに気付いた。そこから、もしかしたらおかしくなり始めたのかもしれない。
大人ってなんだろう、小さい頃から大人になりたいと思ったことなどなかった。ある程度の年齢にはなりたいと思ったことはあった。大人になれば自由になれると信じていた。学校を卒業したら大人になると思っていた。保育園の頃の話だ。そうして大人になったら、好きな人ができて結婚して幸せになれると思っていた。
それも小学生になると同時に変わり始めた。私は他と違ったらしい。いじめられるようになった。ありもしないことで叩かれて、私は泣いた。助けを求めて先生に縋りつき、その先生の気を引くために勉強していた、ような気がする。この頃は本をよく読んでいた。どこかで書いたな、これも。姉と同じ本を読むことが当時は多かった。勉強は母からも言われてやった気がする。テストの点数は悪くなかった。満点で喜ぶことも多かった。いじめはそんなにひどいものじゃなかった、気がする。もう覚えていないだけかもしれない。ノートを書いていた気がする。3つあったかな、自由帳に好き勝手な絵を描いていた。あとサインページとか言う名前のページを作って人の名前をたくさん書いてもらっていた記憶がある。色んな人の名前を知るのも見るのも面白かったし、何より話題性があって学童なんかで知らない人と会話するきっかけになった。そんな自由帳が1つ。本を読んでいて好きになった言葉をためておくといいよ、と姉に言われて書き始めたノートが1つ。これももうどこにあるかわからない。多分捨てたのだろう。姉がvol.2まで持っていたことだけは覚えている。私が一体何冊、何ページそのノートに記したかはもうわからない。私の字は姉より下手だったから、それを数年後に見るのが恥ずかしくなって捨てたのかもしれない。そして3つ目のノートはいじめ日記と名付けていた気がする。親から書けと言われた。ボールペンで、その日にあった出来事をこと細かに、天気や日付もしっかり入れて書けと言われた。多分化学繊維だとは思うけど、柔らかい毛で表紙が覆われたさわり心地の良い、ちょっと高そうなノートだった覚えがある。そこに記した名前は、思い出せそうで思い出せない。間違いなく書いた名前、今思い出した。書きたいけど書かないでおこう。よくある苗字だから、きっとどこかで誰かを中傷してしまうかもしれない。
話をどこまでも戻そう。先日の話に戻ろう。友人と会った次の日だったか、その次の日だったか。でも掃除をしたのは友人と会った翌日だから2日後だ。つまり昨日か。過呼吸を無理矢理起こしたんだ。体を動かせば気が晴れるかもしれないと言われて連れて行かれたジムで面白くもない筋トレをやって、ふと自転車に似た機器が目についてそれに乗った。
クソほどにつまらなかった。面白いわけがなかった。景色が流れないのだ。あえて存在するのはニュースを垂れ流すテレビばかり。ウィンウィンと周囲で動き続ける機械の音。世界の広がりも何もなかった。
私は旅をしていた。日本を回った話は以前した。旅の中で私は最初こそ70-80km、最終的には100km以上を毎日進み続けた。別に観光名所を回るわけでもなく名産物を食べるわけでも酒をたしなむわけでもなく延々と走り続けた。なんでそんなことをしたのかって、色んなものを見たかったからだと思う。別に世界遺産を見たいわけじゃない。別に観光スポットに興味があるわけでもない。ただい、私は見たかった。自分の目で見たいものを見たかった。その時できる一期一会に会いに行きたかっただけだったんだと思う。とにかく、どこかへ行ってみたかった。そうすれば私は変われると思ったから。親からは何が楽しかったのかと散々言われた。これが一番、嫌だった。
祖母の言葉を姉から聞いたことがある。祖母は画家だ。絵を描くのが好きだった。ところが今は寝たきりだ。もうあまり話すこともできないだろう。今度会いに行こうか。覚えていたら。姉の言葉は一体いつ効いたのかは忘れたが、中学生とか高校生とか、それぐらいの頃だった気がする。「好きな物に理由をつけてしまうと好きでなくなってしまうことがある」、この話は一体どこかでしただろうか?わからないから書いてしまおう。
例えばここにリンゴがある。リンゴが好きだったとしよう。なぜ好きなのかと考えてみる。一般的に味が好き、と答えるのではないだろうか。私はリンゴより梨の方が好きだが、これはリンゴだと食べた後に残るべたつく感じというか、舌の両脇に残るダマっぽい味というか繊維というか、これが嫌いだからだ。味は好きだが実自体にみずみずしさがないせいで口の中の水分を持っていかれるうえ、勝手に喉の奥に流れて行ってくれないところが好きになれない。
閑話休題。こうやって理由を並べることができる物のことを話したいわけではない。理由なく好きな物を好きである理由を考えるとそこに虚無感を見出してしまって好きでいられなくなってしまう話をしたいのだ。
祖母は絵を描くのが好きだ。だから画家になった。ところがなぜ絵を描くのが好きなのかは漠然としていたという。私は祖母とあまり話したことがない。年末年始に少しばかり話をして、よく来たねぇと声をかけられ、あけましておめでとうございますと返事をするぐらいにしか話したことはない。覚えていることと言えば、小さい頃に書けもしないポケモンの絵を描いて祖母に見せてとても褒められたことと、熱を出して預けられた時に虫眼鏡を何度も解体して軽く叱られたことと、偶然帰って来ていたおじさんと父が煙草のことで大ゲンカしたこと(父は煙草が嫌いだ。そのせいもあってか私も煙草の煙は得意ではない。なお、おじさんは喫煙者だ。)、祖母の家の近くの公園に1人で行ってブランコに乗ったこと、小さい頃に遊びに行くたびに渡されていたウンコみたいな形のチョコレートをもらっては帰りの車の中で食べていたこと、その他小さなお菓子をもらったことと、画材をいくつかもらったこと、ぐらいか。思い出せば結構かけるかもしれないが、それらは断片でしかない。思い出そうと思えばもう少しかけそうだ。水彩色鉛筆と言ったか、色を塗って、その上を水にぬらした筆や刷毛で伸ばしていくと色をにじませて広げることのできる、変わった色鉛筆があった。あの水色が今でも思い出される。あと、画材が1つのバッグ状の箱に一式詰まっているやつももらった。まだ残っていたはずだ。もったいなくてあまり使わなかったけれども、これも気に入っていた。あと、私の描いた下手くそな絵をいつまでも壁に貼っていてくれたこと、嬉しかったなぁ。幼いながらにコレ、私が書いたんだよって父や母や姉に自慢していた気がする。そんな、日があったっけ。父が使っていたというレゴに近い木のおもちゃでプロペラ作って遊んだりもしたか。1階が洋風な雰囲気があるにもかかわらず2階が和風でギャップの差に驚いたこともあったっけ。大きくなって初めて1人で行った時、こんな場所だったっけと悩んだこともあったっけ。またどうでもいい話ばかりしている。
祖母は絵を描くことが好きだったのだろう。けれども、祖母はなぜ絵を描いているのかわからなくなったという。たしか、そんな話だった。絵を描いている理由がわからなくなったのは、なぜ自分は絵を描くことが好きなんだろうと考えてしまったからだという。
祖母の絵は優しい絵が多い。きついタッチの絵は見たことがない。私の赤ん坊の頃を描いた絵が未だに私の部屋にある。祖母からもらった1対のインコの絵も部屋に飾ってある。どれも優しい絵だ。いくつか作品を見せてもらったことがある。補色ですら目に痛くない絵ばかりだった。唯一違ったと思えた絵は、祖父を描いた絵だ。自身の打った球がホールインする瞬間にクラブを肩に乗せて満面の笑みを浮かべた祖父は直立不動で、貼り付けたような笑顔をしていた。補色も何もなかった、明るい緑を背景にした笑顔の男の絵だったのに、その絵だけはなぜか怖くて覚えている。
またどうでもいい話だった。人間は理由を求める生き物だという。なぜあの人が好きなのか、なぜゲームすることが好きなのか、なぜ文字を書くことが好きなのか、なぜじっとしていることが好きなのか、「好き」という感情は本来もっと細分化されていい言葉のはずなのに趣旨の違う、ニュアンスの違うものですら全て「好き」という言葉で表現されてしまうせいできっと祖母はどつぼに嵌ってしまったのではないかと私は思う。「好き」は理由のある好きと理由のない好きとなんとなくの好きと嫌いじゃないという意味の好きと、多様な状況下で使うことのできる便利な言葉だ。便利すぎてなんでもかんでもそれで表現するもんだから、そして理由を求めてしまうから、「好き」には理由のない好きが含まれているにもかかわらず理由があるはずだと思ってしまう。だから祖母は好きなものを「好き」でいられなくなってしまったのではないかと思う。
もう1つ考えられるかもしれない。祖母は絵を描くことが好きである理由を本当は持っているけれどもそれに気づくことができなくて苦しくなってしまったのではないかと思う。どちらにしろ、祖母は「好き」という言葉のせいで絵を描かなくなったと姉に話したらしい。この話は、ここで終わりだ。
とっちらかした話をどうにかまとめたい。何を話したか。祖父を描いた絵の話を1つ終わらせよう。あの絵は今思うと、私によく似た笑顔だった。思えば祖母の作品に人を描いたものはほとんどなかったように思う。見たことがあるのは私の赤ん坊の絵と、姉の赤ん坊の頃の絵と、祖母が昔書いたという裸体の若い頃の祖母のデッサンと、例の祖父の絵だけだった。それらの絵は、どれも笑ってなどいなかった。赤ん坊と言えども表情の乏しい頃の絵だ。2人とも笑っちゃいないでこちらに顔を向けずどっか見ていたり焦点があっていなかったりする。祖母のデッサンも笑ってなどいなかった。祖父の絵だけが唯一笑っていた。こうやって思うと、私は祖父に似たのかもしれない。
思い出した思い出した、私の感情の話をしていたんだ。気付いたら意味の分からない話ばかりに跳んでいる。「異常」な私が「普通」のフリして生きている話だ。ずっとその話しかしていなかったっけ。
私はいつからだったか忘れたけど、「普通」のふりして生きていたのだ。母に怒られているのに笑っていることが発端かもしれない。あの日、間違いなく私は「ここで笑ってはいけない」という思いと同時に「アホみたいに面白い、声をあげて笑いたい」という思いの間で闘っていた。結局笑ったわけだが。今でも思い出すたびに笑えてくる。あの日の母の顔は思い出せないというのに、あの日に浮かべていただろう自分の笑顔だけは容易に想像できる。覚えている限りで一番「楽しい」と思った時に出てくる笑顔だ。その笑顔だけであの日のことを覚えている。
他にとても笑った日などあっただろうか?友達の話に愛想で声をあげて笑ったり、一瞬で冷めて行く「楽しい」の感情を持続させるために笑ったり。場の雰囲気を壊さないために笑ったり。勝手に出てくる笑顔はもはや癖になってしまったのか、心配された時に大丈夫と答えるときに出てくる笑顔ぐらいだ。そいつもまともな笑顔になりやしない。逆に抑え込んでいるだけかもしれない。笑顔の制御はほとんどやっていないからどうでもいい。あーでも、褒められると喜ぶし、声をかけられれば嬉しいし、友人に会えば、それは愛想笑いだったか。ゲームの対戦は楽しくて笑顔になれるし、口も悪くなって「性格変わるよね」とよく言われたっけ。物語を書いている時に登場人物の笑顔に合わせて笑ってみたりすることもあるが、こいつは意図的か。好きな歌を久々に聞くと、笑顔になる時もある。そう言えば思い出した。先日精神病院に行った時に医者の前で泣きながら笑ったっけ。何が楽しかったのかは、今でも全くわからない。ただ、「今日が晴れだったらよかったのに」と言って笑った気がする。青い空が好きだ。
笑顔の制御は簡単だ。笑うべき時に口角を上げて笑えばいい。どうすれば笑顔の形になるかはもう十分に知っている。問題は泣くときだ。涙の制御ができない。泣きたくないのに涙が出る。物語の悲しいシーンは涙が出るし、助けてと書くたびに悲しくなる。今は、一瞬心が痛んだ。時には虚無感に襲われて気づいたら泣いているし、怒られれば泣く、あまり優しくされても泣く、苦しければ泣くし、死にたいなぁ、なんて言った日には結局悲しくなって泣いた。そこには理由が伴わなくて、見つけた理由も結局言葉と矛盾している。それもまた、苦しくて泣く。
大学に入ってから涙を制御しようと努力してきた。体力もないくせに体力勝負のことをやってくるしくて倒れたりもしたけど、結局続けた。苦しくて泣きながらも続けた。それも終わった今、私には達成感もない。でも精神病院で笑いながらたくさん泣いた日に、ようやく少しだけ涙が止まった。それを良しとするべきかどうかはずっと悩んでいる。今もずっと悩んでいる。
旅の間だけ、感情を制御せずに生きようと決めた。笑いたいときに笑った。泣きたいときに泣いた。泣くことの方が多かったかもしれない。笑ったこともでも、少なからずあった。久々においしい物にありつけた日には、本当に嬉しかったし美味しかったし、それで笑った気がする。でもどこかで、「ここで笑え」と言う私の影がちらついていたのは、どんなに思っても忘れられない。
感情の制御はまだできそうにない。特に涙が。私が「普通」でいたいと思わなければこんなに苦労しないのだろうけれども、「普通」でいなければ認めてくれないのがこの社会である以上は愛想笑いをしなければいけないし、この社会からはじき出されてしまえば私の生きて行ける場所がなくなってしまうのではないかと思うと怖くて「普通」でいようと努力してしまう。でもどんなに外面だけ「普通」を装っていても内側の「異常」を私から隠すことはできない。天知る地知る己知る、そう言えばいいのだろうか。他の誰かもきっとこれに気付いているはずだ。私が楽しくもないのに笑っていることも、私が嬉しくもないのに喜んでいることも、私が「普通」を演じている「異常」であるということも、きっと誰かは気づいている。何よりも、私は気づいている。欲しくもない物をもらった時に「ありがとうと言って喜べ」と言う声がしていることも、親友だと思ってもいない友人から親友だよねと言われた時に「私もそう思っているよと言って笑え」と言う声がしていることも、親から1人じゃ何にもできないんじゃないと言われた時に「そんなことないと言ってその場を後にしろ」と言う声がしていることも、全部全部気づいている。これが「普通」だと信じてやっている。そうすれば、まだ世界から疎外されることはなくなる。
友達の定義がわからない。仲が良ければ友達なのだろうか?友達だよねって確認したところで人が本音を話すとは限らない。誰も彼もが「異常」を抱えて「普通」に生きているならみんな「友達だよ」と答えてくるはずだから。話ができれば友達ならば、私には100人など優に越えた数の友達がいることになるだろう。一緒に遊んだことがある人が友達ならば、せいぜい6,70人ぐらいは友達なのではないだろうか。連絡先を知っていて、今もやり取りしている人と言われたら、きっと両手で事足りる。親友ってなんだろう。親しい友なのか、一番の仲良しなのか、それによって定義も変わる。確かあの日「親友だよね」と言ってきた友人は「一番の仲良しだよね」という意味で言ってきたはずだ。だとしたら、答えは「いいえ」だ。あなたは1人の友達としてカウントされている。
繋がっていたいと思う人が親友ならば私に今、親友はいない。友達と言って怪しいかどうか程度の友人がポツリポツリ、4人ほどいるだろうか。今この状況を話した友人は3人しかいない。そしてその相談に乗ってくれる人は2人だ。そして連絡が取れているのは、たった1人だ。
エゴだ。私は何もしたくないという感情にかまけてこうやって精神異常者をやっているエゴイストだ。そう思って仕方がない。きっとそうだと思うから。サッサと人目に付かないところで飛び降りてしまえばいい。今日はいい天気だ。でもどうせ勇気がなくてそんなことしないんだろう。この状況から脱出する方法を私は知っている。この家から出て行って日雇いにでもなんにでもなって生きて行けばいいのだ。学歴も何もいらない。そう思うのが若気の至りなら年取った時に後悔すればいい。逃げた自分を責めればいい。後悔の仕方を覚えたんだ。この話はしただろうか?ようやく後悔ができるようになった。日本一周をもっと早くにやればよかったという後悔、もっと色んなことに挑戦すればよかったという後悔、部活ばかりでなくもっといろんなことをやればよかったという後悔、色んな後悔ができるようになった。そして今までの人生が無駄だと、ほんの数日前まで思えていた。友人と会った日、友人と会う直前で、少しだけ自分の人生のそういった無駄だと思えたところに価値があると思え始めて、今また喪失した。それを誰かのせいにするつもりはないけれども、笑う気も起きない不意に出てくる涙を止める気も起きず今はただパソコンのキーボードを叩くだけだ。
2時間も経ってしまった。まだ足りない。時間が足りない。そろそろやらなきゃ。