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こちら、駒桜高校将棋部  作者: 稲葉孝太郎
第5局 部内格付け編(2013年5月13日月曜〜5月14日火曜)
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19手目 伝言する少女

 歩美(あゆみ)先輩に負けた私は、翌日再戦を挑んだ。結果は……負け。この前と同じ角引きかと思ったら、穴熊に囲まれてそのままボコボコ……あれはへこむわぁ……。

 というか、穴熊って卑怯じゃない? 美濃囲いより堅いし、振り飛車党の敵よ。敵。

 私はいきどおりながら、廊下を直進する。部室とは逆方向。今日も再戦する気だけど、ちょっと用事を思い出した。その用事を済ませに、私は1年1組の教室を目指す。

 放課後だから、いない可能性が高いけど……なんだか無駄足な気がしてきた。明日の昼休みにしようかしら……でもここまで来ちゃったし……ついでに……。

 1組のドアは開けっ放しだった。男女の笑い声が聞こえる。私は首だけのぞかせて、教室内をぐるりと見回した。おお、いるいる。放課後なのにご苦労なことで。

 だけど、誰も私に気づかないわね。

「すみませーん」

 大声で挨拶すると、室内にいた生徒が一斉に振り返った。

 同級生だし、気兼ねする必要も無いでしょ。私はぐっと胸を張る。

松平(まつだいら)って男子いません?」

 私がそう尋ねると、1組の生徒はみんなお互いの顔を見合わせた。

 そして、ニヤニヤし始めた。

 ……なによ、感じ悪いわね。

 私が内心不快になっていると、男子のひとりが教室の奥に声をかけた。

「おーい、松平、また女子が告白しに来たぞ」

 ……はあ? 一発ぶん殴ってやろうかしら。

 私が腕まくりをした途端、生徒の影になっていた机から、ひとりの男子が立ち上がった。

 その男子の容貌に、私は息を呑む。

「俺になにか用か?」

 ……え? なによこの金髪男……いかにも不良ですって感じの……。

 背は170台後半。スポーツをやっているのか、体格はよかった。

 とはいえ、筋肉質という感じでもなく、たぶん体育会系じゃない。

 顔はまあイイというか、ちょっとファッションモデルっぽいところがあった。

 ただ目つきがどこかよそよそしくて、まったく愛想がない。

 さすがにこれで将棋はないでしょ。人違いだったかも。

「あ、あの……松平……くん……?」

「ああ、俺が松平だ……で、なんの用?」

 ど、どうする? 私がドギマギしていると、後ろの生徒がまたニヤニヤし始めた。

 こ、これはマズい。誤解を解かないと。えーい、ぶっちゃけちゃいましょう。

升風(ますかぜ)千駄(せんだ)って人、知ってる?」

 私が千駄会長の名前を告げると、相手の表情が変わった。

 え? もしかして本人? ……とてもそうは見えないけど。

「知ってるぜ……つーか、なんでおまえが千駄さんのこと知ってんだ?」

「せ、先週、将棋の大会で偶然……」

 将棋という言葉を聞いて、野次馬がぽかんとし始めた。

 そりゃそうよね。とてもそういうシチェーションじゃないし。

 松平くんも、なんか迷惑そうな顔してる。趣味をばらしたのは不味かったかな?

「千駄さんから、なんか言われたのか? 俺にメッセージとか?」

「えっと……よろしく……だって……」

 わ、我ながら内容がしょぼすぎる。

 私が言葉に詰まっていると、松平くんは髪をかき上げた。

 こういうタイプで将棋指す人間、初めて見たわ……いや、偏見だけど……。

 私がそんなことを考えていると、松平くんはふと顔をあげる。

「もしかして、女子将棋部?」

 か弱い乙女をにらむな。

 私も負けじとにらみ返して、首を縦に振る。

 松平くんは大きくタメ息をついた。タメ息を吐きたいのはこっちよ。

 せっかく名簿をチェックして来てあげたのに。

 適当なことを言ってその場を離れようとしたとき、松平くんが口をひらいた。

「おまえ、もしかして駒込(こまごめ)に指示されて来たか?」

「指示……?」

「千駄さんの話は口実で、駒込(こまごめ)歩美(あゆみ)の使いっ走りじゃないか、って意味だ」

 今のは聞き捨てならないわね。なんで私が使いっ走りなのよ。ふざけないで。

 私は猛然と抗議する。

「ただの部活の先輩よ。だいたいあなた、歩美先輩と顔見知りなの?」

「ああ、中学のとき、散々お世話になった」

 松平くんは苦虫を噛み潰したような顔をした……もしかして、過去の因縁ってヤツ? なにがあったのか知らないけど、訊くのは止めときましょ。触らぬ神に祟りなし。

 私は退散の準備をする。

「と、とにかく、そういうことだから。じゃ」

 なにがそういうことなのか、私にも分からなかった。

 踵を返し、廊下を駆け抜ける。数メートル進んだところで、教室から松平の声がした。

「おい、あの駒込って女には気を付けろ。あんまり口車に乗るなよ」

 

  ○

   。

    .


 静かな部室に、チェスクロの音だけが響く。56秒で私は金を敵陣に打ち込んだ。


挿絵(By みてみん)


 詰めろ──

 私が指を放し、チェスクロを叩いたところで、歩美先輩は8五桂馬。

 

挿絵(By みてみん)


 ……詰みよね。同歩は8四金、同銀、8三金、9四玉、8四金。取らずに9四玉は、8三馬、同玉、7三飛、9四玉、8三銀、8五玉、8六金。ほんとに簡単な詰み。

「負けました」

 私が頭をさげると、歩美先輩も礼を言ってチェスクロを止める。

 感想戦前にただよう、恒例の沈黙タイム。先に口をひらいたのは、歩美先輩。

「もうちょっとなにかなかった? 全体的にあっさり指してたみたいだけど……」

「あっさりと言うか……いまいち穴熊の崩し方が見えないんですよね……」

 私が言い訳すると、歩美先輩は「ふむ」とわざとらしくうなった。

 そして一言。

「それは困ったわね」

 うぅ、確かに……私もこの状態は不味いと思ってる。おじいちゃんが穴熊を指さないから、私は穴熊に対する経験値が低い。でも、この前の大会を見る限り、振り飛車には穴熊というのが普通で、他の戦法を採用する人はあまりいないみたいだった。この前の飯島流引き角だって、歩美先輩がハンディを背負ってくれたのかもしれないくらい。だって穴熊に組まれると、全然勝てる気がしないから。

 ただ、私が集中できない理由は、それだけじゃなかった。

 

 あの駒込って女には気を付けろ。あんまり口車に乗るなよ。

 

 ……どういうこと? 私も最初のストーキングにはうんざりしたけど……そんなに悪い先輩じゃないと思う。本人が言うほど過干渉ってわけじゃないし、他人の悪口を言うわけでもない。ちょっと無愛想で、将棋キチってのが玉に傷。そんな感じの先輩。

 私の疑念をよそに、歩美先輩は将棋のことしか考えてないみたいだった。

「プロでもそうだけど、居飛車側の穴熊採用率は凄く高いわ。アマチュアの振り飛車党が使う対抗手段は……3つくらいかしら。1、相穴熊にする。2、穴熊に組まさせない。3、腕力で押し潰す」

 ……3番目は策なのかしら? なんか暴力で捩じ伏せてるだけのような?

「香子ちゃんは、穴熊は指さないの?」

「指さない……ですね……」

「だったら、相穴は難しいわね。あれも経験値の問題だし……穴熊に組ませない方法は、昔は藤井システムがあったけど、今はどうかしら。地方のアマチュアレベルなら、いくらでも旧バージョンが通用するかも……ただ香子ちゃんの場合は……」

 歩美先輩はそう言いながら、今日も絶賛観戦中の八千代(やちよ)先輩を見た。

「八千代ちゃんはどう思う?」

 八千代先輩は眼鏡をなおし、まじめな顔で答えを返した。

「そうですね……藤井システムは体系的ですし、今から6月に間に合わせるのは無理だと思います。一手一手に意味がある戦法は、どうしても暗記の要素がありますので」

 八千代先輩の回答に、歩美先輩もうなずき返した。

「そうね……残念だけど、新人戦を視野に入れる限り、3しか選択肢がないわ。とりあえず対穴熊戦を鍛えて、当日はいつもの形で終盤ねじ伏せることね」

 歩美先輩は、ぱちぱちと端の香車でビニール盤を叩いた。

「ただ、そうやって棋風改造を先延ばしにしてると、いつまでたっても進歩しないわ。たまには穴熊を指したりしてみるのもいいかもね。それに……」

 歩美先輩は、ぎっしりと本の詰まった棚に目を向ける。

「そこに部費で買った棋書もたくさんあるし、適当なの読んどいて」

 うーん、そう言われてもですね……私が知ってる将棋の本は『羽生の頭脳』くらいなんですよ……それは実家にあるから……でも、あれってちょっと古いから、最新の穴熊対策が載ってないっぽい。

「そうそう、藤女(ふじじょ)のさっちゃんの棋譜は参考になるわよ」

「さっちゃん……? 姫野(ひめの)咲耶(さくや)先輩のことですか?」

 歩美先輩は一瞬きょとんとして、それから言い直した。

甘田(かんだ)幸子(さちこ)よ。先週会ったんでしょ?」

「ああ、甘田さん……」

 幸子だから、さっちゃんか。

 冴島(さえじま)先輩もさっちゃんだから紛らわしいと思うんだけど。

「そう言えば、甘田さんも振り飛車党なんですよね?」

「振り飛車党って言うか、三間党。コーヤン流の使い手よ」

 うぅ、またよく分からない専門用語を。

 歩美先輩は八千代先輩のほうに顔をむけた。

「八千代ちゃん、今年は何人くらい新人がいそう?」

「今年は比較的少ないですよ。会場をチェックした限りでは、15、6人ですね。全員が出るとも思えないので、実質12、3人ってとこでしょうか」

「12、3人……決勝まで3、4回戦か。要チェックなのは?」

「升風の(つじ)、藤女の鞘谷(さやたに)横溝(よこみぞ)です。辻くんが頭ひとつ抜けてて、鞘谷さんと横溝さんが同じくらいかと」

 ん、その3人は知ってるわよ。ってことは、有力者とは全員会ったんだ。

 いや、辻くんは対局してたのを見ただけか。

 一方、歩美先輩は、

「あら、なんか面子的に微妙ね」

 と返した。

 八千代先輩は、

丸目(まるめ)くんは市外通学ですし、松平くんは……」

 と、言葉をにごした。

 ん? 松平? さっきの男子だ。

 訊こうかどうか迷っていると、歩美先輩は先をつづけた。

「というわけで、香子ちゃん、今年はチャンスよ。層が薄いから」

「んー、層が薄いところで勝っても、なんだか……」

 私の慎重な態度に、歩美先輩は意外そうな顔をした。

「あら、そんなことないわ。勝ちは勝ちよ。優勝すれば優勝。それだけのこと」

 ……? なんだか今の言い回し、気になるわね。私に言ってるんじゃなくて、まるで自分に言い聞かせてるような感じだったけど……気のせいかしら。

「ま、後はクジ運よね」

「クジ?」

「個人戦は全部トーナメントだから。最初に参加者で籤を引いて、トーナメント表を作るの。奇数人ならシードになるかもしれないし、逆にいきなり強豪と当たる可能性もあるわ。辻、鞘谷、横溝の3連戦も、その3人とは全然当たらないことも考えられる」

 んー、そっか、トーナメントって、結構運の要素が強いのよね。

 だからスポーツでは、総当たりのリーグ戦をするわけだし。

 私が考え込んでいると、歩美先輩はふたたび玉を定位置にもどした。

「じゃ、もう一局指しましょ」

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