18手目 感想を述べる少女
7五飛……強い攻めの手。
でもこれは7四桂くらいで受かって……ない。同成桂、同歩に4六角がかなり利いてる。負けではないかもしれないけど、7三桂、同桂成、同銀、8五桂のおかわり。
(※図は香子ちゃんの脳内イメージです。)
ぐッ……7四桂とは打てない……6二金と上がって粘る?
でも4六角と足されたら同じことになっちゃう。
ピッ
し、しまったッ! 30分使い切っちゃったわッ!
60秒以内に指さないと……受けが無いなら攻めるしかない。それに、4六角と打たなかったから、さっきよりも寄せ易くなってるはずよ。7九銀不成、同玉、6七桂。そこで同銀なら6八金、8九玉、6七と、同金、同金、7九銀、7七銀、7八銀打、同銀成、同銀、同金、同玉、6六馬。
(※図は香子ちゃんの脳内イメージです。)
き、際どい……ッ!
ピッ、ピッ
えーいッ! 侭よッ!
私は光速で7九銀不成と入り、チェスクロを押した。先輩はノータイムで同玉。
次は6七桂で決まってるけど、ここはきっちり60秒使わないと。さっきの局面を思い出しましょう。6六馬から7七金打……6九銀、6八玉、5七銀、7九玉、7八金、同金、同銀成、同玉、7七金、7九玉、6八銀成、8九玉、8八金……詰みだわッ! 最初の金打ちに代えて桂馬なんかは6七金で終わり。6六馬の局面は受けなしのはず。
ピッ、ピッ
6七桂馬ッ!
私が桂馬をパシリと打ち付け、それからチェスクロのボタンを押した。
歩美先輩はノータイムで……8八玉?
これはどういうこと? 6八とで一手パスしてるだけじゃない?
……ち、ちがうッ! 6八と、6七銀のときに6八金と打てないんだッ!
ん、待って、その前になにか飛車を動かす手があったような……。
……5六飛車? 確かに一枚足さないと攻め切れそうにない。
あれ? もしかして6七桂馬が悪手だった? 単に6八ととしておけば……いや、それは足りてないか……やっぱり飛車を走らないと……。
ピッ
うッ、読み切れないッ!
ピッ、ピッ、ピーッ!
私は残り1秒ギリギリでボタンを押す。指した手は──
それを見た瞬間、歩美先輩の表情が変わった。
なんだかよく分からないけど……背筋が伸びた? かなり真剣に読んでるみたい。
もしかして、この飛車走りを予想してなかったとか? 私は盤面を見る。
……次の6八とを受けないといけないはず。6九銀打、6八金、同銀、同と、8八玉と逃げて……7九金? なんか冴えないけど詰めろだし……放置なら7八と、同金、同金、同玉、5八飛成……。
「香子ちゃん」
いきなり名前を呼ばれ、私はびっくりした。盤から顔を上げ、変な声で返事をする。
「は、はい?」
「あなた、強いわね」
でしょでしょ? 私もそう思ってたんだ……なーんてね。その手には乗らないわよ。そういうのを盤外戦術って言うのよ。いきなり話し掛けたりして、相手の集中力を乱す戦法。これを使ってきたってことは、歩美先輩は私の読み通り苦戦してるはず。
私がもう一度局面に集中しようとしたとき、ようやく歩美先輩が動いた。
持駒の銀を摘んで、それを自分の陣に……打たない。それはもっと先へと伸びた。
……6三銀? 攻めた? この局面で攻めるの?
……え、ちょっと待って。これって銀が手に入るから悪手なんじゃ……6三同銀、同成桂は7九銀、8九玉、8八金で詰んじゃうわよ。
……? ……あ、違うッ! 6三同銀に同成桂じゃなくて7三成桂だわッ! 同桂は同飛車成、9二玉、8四桂、同歩、8三銀。同桂じゃなくてすぐに9二玉だと……9三桂成、同桂……んん? 詰まないじゃない……あ、そっか、そこで6七銀が詰めろ逃れの詰めろだ。
(※図は香子ちゃんの脳内イメージです。)
で、でもこれはさすがに受けがあるような……。
ピッ
ぐッ! さすがにこの筋は飛び込めない。6八とッ!
私はと金を入り、秒読みを止めた。7八と、同金、6六馬の筋だ。
それに、銀はまだ6三に落ちてる。いつでも回収できる状態。
私の思考は、さっきの詰むや詰まざるやの局面へと戻った。例えば先輩はここで6七銀と桂馬を補充する手があるかもしれない。そこで同ととするか、それとも6三銀とするか。6三銀は詰めろ(7九銀、8九玉、8八玉まで)だけど、さっきと同じ7三成桂がある。今度は9二玉と逃げても8四桂で即死ね。
却下。6七とは同金で堅いから……ん、そうでもないかしら?
例えば5八飛成、6八角に6六馬はどう?
(※図は香子ちゃんの脳内イメージです。)
これは勝ちでしょ。同金とできないし、7七銀なら6七馬で勝勢のはず。7二銀成から殺到されても、こっちはさすがに詰まないだろうし……そっか、ということは6七銀で桂馬を補充できないんだ。先輩、読み抜け? それとも7二銀成からバラす気? 7二銀成、同金、7三成桂、同桂、同桂成、同金、同飛成、同玉、6五桂……これはさすがに詰まないんじゃない? 飛車が利いてる。それにこれだけ駒を貰ったから、もう受けも利かないはず。
私がいぶかっていると、歩美先輩は残り時間を全部使い始めた。チャンスとばかり、私もそれを利用させてもらう。問題は、バラして7三玉、6五桂の優劣。
……私のほうがいい。3分後、私はそう結論付けた。私の玉は詰まない。先輩の玉は詰めろがほどけない。少なくとも、私の棋力で読める限りでは。
でも、歩美先輩のオーラが気になる。まだ諦めてない感じ。ここからなにか手があるの?
私はじっと盤面を見つめる。
「……うん、これね」
歩美先輩は意味深にそう言うと、銀を成り込んだ。
同金、7三桂成、同桂、同成桂、同金。ここまで読み通り。次は同飛成で──
あれ? 先輩、どこに手を伸ばしてるんですか? ……持ち駒?
……血の気が引く。完全な見落とし。
お、お、お、落ち着いて……詰むとは限らない。これだけ広いんだもの……。
9二玉は8一銀、同玉、8二銀、7二玉、7三飛成、6一玉、6二龍まで。だから、7二玉と逃げるしかないけど……そこで7三飛成か……同玉、6二銀、6三玉、5三金、7四玉、7五銀、8五玉、8六歩……あッ、詰んじゃう……でもでも、6三玉じゃなくて6四玉と逃げれば、6五金、7三玉、6四銀、5二玉、5三銀成、4一玉……そうよ、これだけ広いんだから詰まないでしょ、こっちは。うん。
私は軽くうなずき、7二玉と寄った。先輩は60秒考え、ギリギリで7三飛成と指す。
私もさっきの読み筋を56秒確認して、同玉。ここで6二銀なら──
6五桂? ……こっちのほうがいいの? 飛車が利いてるから詰むようにみえない。
6三玉は5三金、6四玉、7五銀、8五玉、8六金、9四玉、9五銀まで。7二玉なら6二金、8一玉、8二銀、9二玉、8一銀でもっと早く詰む……ってことは、最初の6三玉が間違い? 6四玉なら……。
ピッ。
ぐッ! 指運に賭けるッ! 6四玉ッ!
私は玉を斜め前に逃げた。歩美先輩がその玉を狼のように睨みつけた。
パシリ
同飛は同角成でダメだから、5四玉か5五玉だけど……5五玉、4四銀不成、4五玉、3五金……ひ、飛車が邪魔になってるッ!? 4五玉じゃなくて6四玉なら? ……8二角成、5四玉、5五歩、6三玉、5三銀成、7四玉、7五銀、8五玉、8六金、9四玉、9五銀……ダメだ、5五玉は詰むわ。5四玉ならどう? ……4四銀成ッ! 6四玉、8二角成、6三玉、5三金打、7四玉以下はさっきと一緒……そんな……私は呆然としていた。こんな詰み筋があるなんて……しまった……。
ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!
秒読みの音。私は力なく頭を下げる。
「負けました……」
歩美先輩が大きく息をつく。チェスクロはピーッと音を立て、そのまま時間切れを告げて止まった。部室に静寂が訪れる。
「香子ちゃん、途中まで勝ってなかった?」
残酷な指摘。私もそう思う。途中までは勝ってたはず……だけどどこで……。
「感想戦はどうする? 最初から?」
「……重要なとこだけお願いします」
私がそう言うと、歩美先輩はしばらく押し黙った。棋譜を追っているのだろう。
「そう……じゃあ74手目なんだけど……」
先輩はそう言うと、駒を丁寧に戻し始めた。5七歩と打つ前だ。
「6三歩はないの? 結構、そっちを本線で読んでたのよね」
先輩は歩を5七ではなく6三に置いた。
「……6五成桂ですよね?」
「そこで5七歩とされると、こっちが困るのよね。争点がないから……8五桂は5八歩成から7九金、5七と、7七金、6八銀。ここで私に手があるかどうか……」
私は動かされた局面を読む。確かに手がなさそうだ。やるとすれば──
「4二銀……はダメですね。同金、同飛成、7九銀から先手が詰んじゃいます」
私のコメントに、横から八千代先輩がわりこんだ。
「8五桂馬が良くないんじゃないですか?」
勝負に集中してて気付かなかったけど、もしかしてずっと観てた?
私が言葉に詰まっていると、歩美先輩が変事をした。
「私もそう思う。ただ他に手がね……」
「8五桂馬のとこで、先に4二銀はどうですか?」
八千代先輩が指摘した手を、歩美先輩は盤上に再現する。
4二銀のごり押しは全然読んでなかったけど、速いの?
私は飛車の逃げ場を模索した。
「さすがに放置はできないですよね……2一飛車ですか?」
私はそう言いながら、飛車を2一に逃がす。八千代先輩が困ったような顔をした。
「そうなんですよね……そこに逃げられると……」
「そこで4六角とでもしてみる?」
歩美先輩は角を4六に置く。手つきが自信無さげだ。私は先を読みながら、
「次に5七金で歩を払われるから、5八歩成の一手ですか」
と返した。
「だったら7九金ね。今度は5七ととできないわ」
なるほど……私がうなずいていると、八千代先輩がまたコメントをした。
「変な手かもしれないですけど……3七銀と打てませんかね?」
歩美先輩は首をかしげながら、銀を拾い上げて3七に打った。
「……ん、そうか。先手に持ち駒がないから、ありえなくはないわね」
私はその銀をしばらく見つめていた。5五角なら5七と。同角、同歩成は駒損な上、やはり5七とがある。ちょっと棋理に反してる気もするけど……もしかして八千代先輩、典型的な岡目八目タイプなのかしら? 他人の対局だけやたらといい手が見えるってヤツ。
私が感心していると、歩美先輩はこの局面をまとめ始めた。
「だから、6三銀はちょっと良くなかったかも。ごり押し過ぎたわ。6三歩に気付いたのが6三銀と指した後で、修正が効かなかったのよね」
「そうですね……一回6三歩で局面を収めれば良かったかもしれないです」
ということは、攻めを選択したのが間違いなのかしら?
……いや、違うと思う。本譜でも終盤は押してたはずよ。敗着は他の手だわ。
落ち込んだ気分もだんだんと消え去り、私はマジメに棋譜を追った。
「6七桂馬が悪かったですか? 対局中も、ちょっと後悔したんですけど……」
同じように読み耽っていた歩美先輩が視線を上げる。
「たしかにアレはこっちが助かったかもしれない」
私たちは二人掛かりで問題の局面まで進めた。
「じつは6七桂、同銀の筋しか読んでなかったんですよね……」
私はそう白状した。感想戦で嘘をついても仕方がない。
歩美先輩は小さくうなずきながら、桂馬を一回駒台へともどす。
「多分、桂馬を打たずに5六飛車ね」
5六飛? それで攻めが足りてるの? 私は将棋脳を働かせる。
「例えば6三銀、6八と、8八玉で……7九金ですか? 詰めろですよね?」
私が読み筋を披露すると、歩美先輩はあまり納得しなかったらしい。
首をひねって、眉間に皺を寄せた。
「……7九金じゃなくて、7八とじゃない?」
7八と? それは本当に攻め駒が足りて──
「あッ……」
私は喫驚した。歩美先輩も以心伝心と言った感じで、6六馬を指した。
「これは香子ちゃんの勝ちよね。7七銀なら、同馬、同金、7九銀、同玉、5九飛成として、6九歩、8八玉、7七銀成、同玉、5七龍」
盤面にすらすらと寄せの手順が並べられる。
「6七銀、6六金、8八玉、7七金打、8九玉、6七龍か……私のほうは詰みません?」
自陣を確認する。形はさっきと一緒だ。7二銀成、同金、7三成桂、同桂、同桂成、同金に7一角。私たちは盤面をそこまで進める。
「これは1分将棋だとキツいわね……7二玉、7三飛成、6二角打……ん、意外と危ないかもしれない。今度は角が2枚あるし……」
後手必勝だと思っていた歩美先輩は、少しだけ表情を曇らせた。
「例えば6四玉の上部脱出はどうかしら?」
「え? それは7五銀、6五玉、7四銀で詰み……あ、7六玉か……」
そっか、7六に駒が利いてないんだわ。するりと中に入られちゃう。
かと言って、7五金は5五玉、4四角成、5六玉で、真ん中にトライ……。
「だったら金を残して5三角成かしら……でもこれも詰まないわ。6五玉、7五馬に5六玉で入玉が確定するから」
そうかあ……これで私の勝ちなんだ。
あれ、なんの手順を考えてたんだっけ? ……6七桂馬の話か。
「ってことは、6七桂馬が大悪手でしたね」
「大が付くかどうかは分からないけど、緩手よね。いきなり5六飛は読まなかった?」
私は対局中の出来事を振り返る。正確には覚えてない。
「多分、6七桂と指した後に思いついたような気がします」
「そう……それならしょうがないわね……時間もなかったし……」
感想戦は終わった。敗着以降は変化がなさそうだから、一直線負けという結論に。
詰まないと思ったんだけどなあ……7一角〜6五桂馬があったとは。
私はしばらく反省したあと、気を取り直して質問をぶつけてみた。
「ところで、この戦法はなんて言うんですか?」
「え、これ? ……飯島流引き角よ」
「イイジマ流?」
「飯島栄治7段っていうプロが考案したから飯島流」
八千代先輩は、
「升田幸三賞を取った戦法ですよ」
と教えてくれた。なんの賞かは知らないけど、B級じゃないってことか。確かにこれは優秀だと思う。ただ、指しこなすには相当腕力がいるはず。今回は、歩美先輩の腕力に捩じ伏せられちゃった感じだわ。
悔しいけど……実力差を素直に認めるしかなさそうね。
「どうもありがとうございました」
私は丁寧に頭を下げる。歩美先輩も前髪を垂らしてそれに応じた。
「それにしても香子ちゃん、私が思ってたより強いじゃない」
むむ、なんか微妙に刺のある言い方なんだけど。
まあ、冴島先輩との初戦がかっこ悪かったし、公式戦でも猿渡先輩に負けちゃったから、弱く思われてもしょうがないかも……うぅ……。
私がそんなことを思っていると、歩美先輩は席を立った。
「それじゃ、6月の新人戦は期待してるわよ。せめて凖決勝までは行ってちょうだい」
「はぁ……」
歩美先輩はそう言い残すと、そのまま部室を出て行った。
どうやらこれ、新人戦は出ないとダメみたいね。トホホ──
場所:駒桜高校女子将棋部部室
先手:駒込 歩美
後手:裏見 香子
戦型:飯島流引き角vs中飛車
▲2六歩 △3四歩 ▲4八銀 △3二銀 ▲5六歩 △4四歩
▲5八金右 △4三銀 ▲7八銀 △5四歩 ▲2五歩 △3三角
▲7九角 △3二金 ▲5七角 △5二飛 ▲6八玉 △5五歩
▲同 歩 △同 飛 ▲7九玉 △6二玉 ▲8八玉 △7二玉
▲3六歩 △8二玉 ▲9六歩 △9四歩 ▲6六歩 △7二銀
▲6七金 △5一飛 ▲7六歩 △6四歩 ▲7七桂 △4五歩
▲3七桂 △4四銀 ▲2四歩 △同 歩 ▲5六歩 △4二角
▲2四角 △3三桂 ▲6八角 △2三歩 ▲3五歩 △同 銀
▲同 角 △同 歩 ▲3四歩 △3六歩 ▲3三歩成 △同 角
▲4五桂 △1五角 ▲9五歩 △6三角 ▲5五桂 △4五角
▲2五飛 △4八角成 ▲4五飛 △9五歩 ▲9三歩 △同 香
▲6三銀 △同 銀 ▲同桂成 △7二銀 ▲6四成桂 △9六歩
▲9八歩 △5七歩 ▲8五桂 △5八歩成 ▲7九金 △5七と
▲7七金 △6八銀 ▲7五飛 △7九銀不成▲同 玉 △6七桂
▲8八玉 △5六飛 ▲6三銀 △6八と ▲7二銀成 △同 金
▲7三桂成 △同 桂 ▲同成桂 △同 金 ▲7一角 △7二玉
▲7三飛成 △同 玉 ▲6五桂 △6四玉 ▲5三銀
まで101手で駒込の勝ち




