少年の願い
窓の外で小鳥のさえずる声が聞こえる。ゆっくりと目を開くと、鎧戸の隙間から薄っすらと光が漏れていた。体を起こし、ベッドの縁になんとか腰掛けて大きく伸びをする。
やっと少しだけ頭が覚醒してくる。いつまで経っても朝というのは少し苦手だ。重たい腰を上げ、窓の前に立って鎧戸を押し開けると、ふわりと若草の香りが部屋に広がる。
まだ朝の空気は冷たいが、森の芽吹きを感じる春の香りだ。大きな川と森に囲まれたこの街に来て、もう十年以上になる。エルフである私にとっての十年はさほど長いものでもないが、これまで二、三年おきに街や国を点々としていた私にとって、ひとつの街に根を張って生きることは大きな変化だったように思える。
「そろそろ準備しなくちゃねぇ」
誰に言うでもなくぽつりともらし、窓を離れる。ベッド脇のテーブルに置かれた革紐を口にくわえ、扉を開ける。軋む階段を降りながら、長い裏葉色の髪を適当にひとまとめにする。
まだ薄暗い部屋の戸棚から硬いパンをひとつ取り出し、暖炉に吊るした昨日のスープが入った小さな鍋へパンを適当にちぎって放り込む。鍋を片手に調理場脇の扉を開くと、煤と鉄の匂いが鼻を抜けていく。
炉の上部へ鍋をかけ、火かき棒を手に取る。前日に灰をかぶせた炭をかき出し、新しい炭を足す。手をかざして魔法で優しく風を送ると、炭がゆっくりと赤く色を取り戻し始めた。
徐々に風を強めると新しい炭へ火が移り、炉の温度が上がって部屋も少しずつ暖まっていく。
私はこの街で鍛冶屋をしている。誰がそう呼び始めたのか、今では「エルフの鍛冶屋」と呼ばれているようだ。この辺りではエルフ自体が珍しいので、自然な流れなのだろう。
旅先で鍛冶に興味を持ち学び始めた頃から、「変わったエルフ」と言われ続けてきたので、私としては特に気にするようなものではない。さらに言えば、ほとんどのエルフが自国の中で一生を過ごすのだから、人の生活圏で暮らし、鍛冶屋を営む時点で、エルフから見ても変わり者なのかもしれない。
そんな暮らしを始めるより、ずっと昔のこと。交易品に紛れて持ち込まれた人の作った道具や書物に興味を持ち、親の反対を押し切って国を飛び出してから数百年。興味の赴くまま旅をしながら、様々な技術を学んだ。
そのひとつが鍛冶だった。
初めは「エルフが鍛冶なんて」という言葉に反発したのがきっかけだったように思う。
当時まだ若かった私は意地になって鍛冶を学んだ。非力さから大きな道具や武具の加工は苦手だったが、真剣に向き合い続けるうち、不思議とこの仕事が好きになっていった。
刃研ぎや細かな細工を認められ、自信が付いた頃には、世界中の鍛冶屋を巡って様々な技術を学ぼうと心のどこかで決めていたのかもしれない。色々あって、今ではこの街でこうして鍛冶屋をやっている。
物思いにふけりすぎたようで、いつの間にか鍋からはコーンミールの甘く香ばしい香りが漂い始めていた。食器を準備しようと立ち上がったところで、外扉を叩く音がする。
「おはようございます」
そう言いながら、一人の少年が扉から顔を覗かせた。亜麻色の髪がさらりと揺れ、目が合うと楽しそうに表情をほころばせる。
教会の孤児院に住むこの少年が、こうやって週に二度ほど私の工房へ手伝いに来るようになって、もうすぐ一年になる。工房の前で迷子になっていた彼を見つけ、興味の赴くまま投げかけられる質問に答えているうちに、どうやらこの工房が気に入ってしまったようだ。
教会のシスターと話し合い、手伝いという形で私の工房へ出入りしている。初めのうちは暇つぶしの話し相手くらいになればと思っていたが、孤児院でしっかり教育されていることもあり、文字は読めるし掃除は丁寧だ。今では手伝い以上に、この工房を支えてくれている。
「おはよう。今日は随分早いんだね」
私は立ち上がると、炉にかけた鍋を作業台へ移した。
「少し話したいことがあったので、朝食の後すぐに孤児院を出たんです」
少年はそう言いながら、水場に置かれた食器を作業台へ運んでくれる。本当に気が利く、しっかりした子だ。
「ねぇ親方」
「親方じゃないけど何?」
このやり取りも、もう慣れたものだ。まだ仕事に就く年齢ではないので、少年は正確には弟子ではない。あくまで手伝いなのだが、工房の主人は彼にとって『親方』なのだそうだ。立場的にも、その堅苦しい響き的にも否定しているのだが、すっかりその呼び方で定着してしまった。
「朝食の前にズボンくらい履いてください」
そう言われて足元を見ると、黒の緩いタンクトップの下から素足が覗いていた。どうやら服を着るのを忘れていたようだ。
「朝食は僕が準備しておきますから」
少年はテキパキと食事の準備を始める。
服を着替え、作業台で朝食をもそもそと食べ始める。少年は外の掃除をしてくれているようで、ときおり表を通る街の人と挨拶を交わす声が聞こえてくる。
「さて、今日は何をしようかねぇ」
いつもの癖で炉に火は入れたものの、納品予定の品物は昨日仕上がったので急ぎの仕事はない。鉄や炭の在庫もまだ十分あるし、適当に調理器具でも作ろうか。そう考えていると、掃除を終えた少年が工房へ戻ってきた。
道具を片付けると向かいに座り、少し神妙な顔つきになる。これは何かを伝えたい時の少年の表情だ。無理に言葉を促さず、ゆっくりとスープを口に運びながら少年を見守る。しばらくすると、少年は顔を上げて私の目を真っ直ぐ見つめた。
「僕をこの工房で働かせて下さい」
私は目を丸くする。何かお願いでもあるのだろうとは思っていた。
「もう君はここで働いてるでしょ?」
手伝いとはいえ、週に数度この工房を訪れては掃除や道具の整理、細々とした用事を引き受けている。この歳の子供からすれば十分に働いてくれていると私は思っていたのだが。
「この春で僕も十歳になりました。街では十歳になれば正式にお仕事を始める子供も多いですよね」
どうやら手伝いではなく、正式に鍛冶屋の弟子として働きたいということなのだろう。確かに十歳ともなると、家業を継ぐ者であれば親元で正式に仕事を覚え始める時期でもある。だが、親元を離れて住み込みで働く場合は、十二、三歳まで親元で教育を受けることが多い。
少年の場合は孤児院でしっかり教育も受けているし、実質私の工房の仕事を一年手伝ってきた。状況だけを見れば受け入れても問題ないように思うのだけれど。
「君は鍛冶屋になりたいの?」
少年が鍛冶に興味を持ち始めていることには気付いていた。ここへ来た頃は私の蔵書を開いては、興味の赴くまま色々な質問をしてきていたが、いつの頃からか私の手元をじっと見つめる時間の方が長くなっていたように思う。
「鍛冶屋というより、親方と仕事がしたいんです」
「私?」
どうやら少年は鍛冶ではなく、私という鍛冶屋に興味を持っていたようだ。懐いてくれている自覚はあったし、子供であっても認めてくれるのは嬉しい。だが、まだ十歳の少年の未来を私の一存で決めてしまっていいものか。私自身に、まだその覚悟が足りないようにも思えた。
しばらく工房に沈黙が流れる。私はどう答えるべきか悩み、少年はその答えをじっと待っている。
「ちょっと出かけようか」
私は立ち上がると、先ほど起こしたばかりの炭に灰をかぶせた。
「どこに行くんですか?」
不安そうに私を見上げる少年の頭を優しく撫で、納品物の入った木箱を持ち上げる。
「君を雇うべきか、私もちょっと悩んでてね。ここで考えてても答えは出ないし、ひとまず仕事をしよう」
そう言うと、少年も頷いて工房の扉を開けてくれた。朝食を終えたばかりだというのに、陽はいつの間にか高く昇り、暖かな風が表を駆け抜けていた。
※本作は『エルフの鍛冶屋 ―ねぇ親方―』と同じ世界・登場人物で描く新章ですが、本作からでもお楽しみいただけます。
※しばらくは毎日20時過ぎ頃に投稿予定です。




