最終話 名無し怪奇譚
八月二日。
僕たち七人は二号館四〇五の研究室に集まっていた。先生はまだいない。研究室は空いていたから大学内にはいるだろうけど。
他愛ない会話をすること数分後、両手にお菓子と飲み物を抱えた先生がやってきた。
「おはよう、ゆっくり休めたかな?」
挨拶を返した僕たちの視線は自然と先生の手元に集中する。
「あれ? ここでは食べるの禁止なんじゃなかったっけ」
瀬名さんが真っ先に尋ねた。
「禁止さ。資料についてしまったら大変だからね。だから、これはお土産だ」
なるほど。
「折角の『お疲れ様会』なのに、お菓子がないと盛り上がらないでしょう?」
口角を上げ楽しそうに机の上にお菓子を積み上げていく先生。
「でも食べられない、と」
頬杖をついた瀬名さんは、恨みがましくお菓子を見つめて呟いた。
「うん。見て楽しむんだ!」
「楽しめねーよ!」
「楽しめないから!」
両手を上にあげ無邪気な笑顔で言った先生に、すかさず幹史と瀬名さんのツッコミが同時に炸裂した。
「もう、あーだこーだ言わないの。ほら、好きな飲み物とって」
不満げな顔をしつつも、各々好きな飲み物に手を伸ばしていく。幸いというべきか、考えられていたというべきか、誰も被ることなく飲み物がそれぞれの手に行き渡った。
「それでは、カンパーイ!」
先生の掛け声とともに、僕たちはペットボトルなり缶なりをぶつけ合い、口に運ぶ。
――うん、ホットのブラックコーヒーはやっぱり美味しい。
「皆様方はお話に花を咲かせていてね。僕はやることがあるから」
先生は鼻歌交じりに隅の棚の引き出しを開けると色鉛筆を取り出した。一体何をするつもりなのだろう。
「あ、そうそう。飴とかチョコとかグミとか、一口で食べられるものは食べても構わないからね。資料の上じゃなければ」
山盛りに積まれているスナック菓子の隙間から、一口チョコのパッケージが覗いていた。その下には飴の絵が描かれたパッケージも見える。
「なら、遠慮なくー」
葉山先輩が一口チョコの袋へと手を伸ばした。
「うち、グミ食べたーい。あるかな? 瑠花も食べるっしょ?」
「うん」
お菓子の山を崩し始めた眞尾は、ここで食べられそうなお菓子を選別してくれる。そのうちのひとつに小袋のチューイングキャンディーがあったので、僕はそれを貰った。味はいつぞや出会った「?味」。よく見ると、あの日貰った飴のパッケージに描かれてあったキャラクターと同じものが描かれている。間違いなくシリーズもの。口に入れてひと噛み、ふた噛み……。
うん、このなんとも言えない不思議な味が懐かしいね。でも、これもまた最初で最後になると思う。
「でさあ、あっちでのこと詳しく教えてよ」
身を乗り出した葉山さんが瀬名さんと竜也さんを捕まえる。二人は面倒くさそうな顔をしながらも、質問にはちゃんと答えていた。その話に眞尾と三船さんも聞き入っている。
暇を持て余した僕は研究室を見渡した。そこでふと思い出す。
「幹史。前に先生が、活動報告書があるとか言っていたよね?」
「あー、そうだっけ?」
「ちょっと探してくる」
僕は席を立って、資料が並んでいる棚を眺めた。一つだけ色の違うファイルだったからか、ものの数秒で見つけることができた。
「あ、マジであったんだ」
「むしろないわけがないんだけどね」
自主活動とかではなく、ゼミ活動なのだから。
そこそこいい値がしそうな水色のクリアブック。その表にはマジックペンで大きく『アンノウン』と、その下にやや小さめで『ホウコクショ』と書かれている。
「だから、紛らわしいっつーの」
隣から覗き込んだ幹史が『アンノウン』を見て呆れ声を漏らした。
僕は、何とはなしに惹かれてクリアブックを開いてみる。
「な、なんだこれ⁉」
一番初めのページを見た僕たちは目を丸くした。
「えっと、保育園生の絵日記?」
思わずそう呟いてしまう。
では、説明しよう。まずは紙の上部に描かれている絵。はっきり言って何を書いてあるのかがさっぱりわからない。足が三本あるような未確認生物の隣には、辛うじて木だと分かるもの、それを囲むように――木霊?が描かれている。紙下部、文章にあたるところにはすべてカタカナで文字が書かれてあった。紙最上部のタイトルにはカタカナでこう。
『テングノマモルタイジュ』と。翻訳は『天狗の守る大樹』であっているだろう。
とまあ、こんな感じである。僕たちの反応も頷けるだろう。
「これ、間違いなく先生の字だよな?」
「うん。癖のある大きな字にあまつさえカタカナだから、絶対先生」
顔が当たりそうなほど近くでこの絵日記を眺めていた僕たち。顔を見合わせて頷き合うと、次のページへとポケットをめくった。そして……、
「うわー……」同時に落胆の声を漏らす。
次のページも同じ有様だったからだ。
「とうとう君らも見つけてしまったか」
いつの間に背後に回っていたのか、瀬名さんと竜也さんが僕たちに同情の視線を送ってくる。正面にいる葉山先輩も両手で頬杖をつき苦笑いをしていた。
「もはや庵乃雲ゼミの名物よねぇ」
机に置かれたファイルブックを見ながら微笑む彼女。
「安心しろ。これは活動報告書では断じてない。正規のものはこれだ。しっかりと残っているから案ずるな」
竜也さんは棚からリングファイルを取り出すと、僕たちに見せてくれた。パソコンで打ち込まれたちゃんとした文書に安堵の息が漏れる。
「できた!」
研究室内に先生の明るい声が響いた。手には一枚の紙が握られている。もう見るまでもなくわかる。あれは、最新の絵日記だ……!
「見せて、見せて」
伸ばされた幹史の手にその紙が渡る。彼によって机の中心に置かれた紙を僕たちは上から覗いた。
「おお、これまた……」
タイトルは『ヒャクノオニノノロイニカケラレタイチゾク』。絵は……、すみません、何一つわかりそうにありません。この木霊――、いやこれ人間か! 二頭身くらいで顔に丸が三つだから勘違いしてしまったけれど、これ人間を表しているんだ……! じゃあ、後ろのが鬼? うん、まったくわからないや。
「なんて言うんだっけ? あのー、変な話とか怪しい話とかが書いてある不気味な書物、みたいな。怪談とかじゃなくって、もっと昔の言い方で……」
こめかみに手を当て何かを思い出そうとしている幹史。不思議な物語が書いてある不気味な書物を昔の言い方で……。
あ、もしかして――
「怪奇譚?」
「それだー!」
僕がその名を出すと、音を立てて椅子から立ち上がった幹史が僕を指さして叫ぶ。その勢いに体をのけ反らせてしまった。まあ、当たっていたなら良かったよ。
「怪奇譚か。言い得て妙だな」
何度か首を縦に振った竜也さん。
「『アンノウン』と書かれた怪奇譚か……。うん、さしずめこれを『名無し怪奇譚』とでも名付けようか」
手を打ち鳴らした瀬名さんが提案する。
賛成の意を込めて僕と幹史は彼にサムズアップを向けた。
「君たち、少しは自重を知りなさい。僕が一生懸命書いているものを『怪奇譚』だなんて」
「下手くそな絵に、文章は全部カタカナ。これを怪奇と言わずなんて表現しろと?」
両手を左右に広げ肩をすくめた瀬名さんに、先生は「だって僕は……」と零しかけたが押し黙った。
口をへの字に曲げ、机に広げられた一口チョコを自分の口に放り込むと、甘味を楽しむ間もなく噛み砕いて嚥下し、口を開いた。
「いや、何でもない。でも、僕は君たちに何と言われようとこのスタイルを曲げる気はないからね!」
「ま、いんじゃないっすか」
「うんうん」
「先生らしいですよ」
つっけんどんに言い放った先生に、幹史、眞尾、三船さんが順に肯定を示す。
「……君たち……」
先生の口は、あれよあれよという間にいつもの弧を描いていた。
身を乗り出して僕は尋ねる。
「それより、次の予定は決まっているんですか?」
無造作な髪の間から覗いた目とぶつかる視線。彼は目を細め、口を横に開き歯を見せて笑った。まるで絵に描いたような無邪気な笑顔。
「勿論さ! それはね――」
ご高覧いただき感謝の至りでございます。
完結です。
ここまで読んでくださりありがとうございました。




