第三十一話 乙守島【三日目】「盾の両面を見よ」
「たしか、先代の園丁は狭霧さんの父親でしたよね?」
腕で涙を拭った幹史が問いかける。その声はまだ微かにくぐもっていた。
「ええ。この本を知らなくとも、父は気付いていたのでしょう。いえ、父だけではありません。あの日から代々園丁にだけこの真実は受け継がれてきていたのです。残りの九十九人に知られないよう、一人で隠し続けながら……」
それが、どれほど苦しいものか。逃げ出したくなるものか。
園丁の職を与えられた人達が罪悪感を抱いていたかは知る由もないけれど、一人で抱え込まないといけないと悟った時、そこはきっと色のない世界。真っ黒かも、真っ白かもしれないその世界で、ただただ一人沈んでいく。
ここまで続いているということは、誰もその役を投げ出さなかったということ。次の代に引き継ぐまで全うしたということ。それが例え殺人に手を染めることだとしても、万が一の可能性でもいい。たった一言でも誰かが褒めてくれるのなら、この人たちは少しでも浮かばれるのだろうか。
月華さんと狭霧さんは理解している。この一族は数多の園丁という尊い犠牲のもとに存続できていたことを。
いつ死ぬか分からない人生。常に意識していなくとも、死はすぐ隣にある。だけど、死んだとしても魂が別の器に移っていくとわかったら、死に怯えることなく生を謳歌できる。だからこそ、ここの人たちの顔はあんなにも生き生きとしているんだ。
「何をいまさらと思うかもしれません。止めたいなら今すぐにでも止めればいいのに、そう思われるでしょう。ですが、駄目なのです。私は、月華の言葉を一族に伝える手段を持ち合わせていない……!」
ああ、そうか。そうなのか。文字が読めないここの人たちは、月華さんの書いた文字という思いは届かない。
「月華さんの思いを狭霧さんの言葉で伝えればいいじゃないすか」
「ええ、幹史さんの言う通りなのでしょう。……ですが、ここには私の言葉を信じる者は誰一人としていないのです」
狭霧さんは目を細め苦しそうに笑みを浮かべた。
月華さんは血が滲むほど唇を噛み俯く。座卓の上に置かれた拳は震えてしまうくらい強く握られていた。
僕たちはこの人達のために何をしてあげられるんだろう。そもそもできることがあるのだろうか。
「……そういう時は、何歩でも下がろう。一人が怖いなら誰かと一緒でもいい。見えなくなったものが見える場所にまで下がってしまおうよ」
静かで落ち着いていて、でも意志がこもった声が耳に届く。
皆が顔をあげた。この人の声は曇天をも晴れに変える。
「いいんだよ。前に進み続けなくたって。後ろを向いて戻ってもいい。後ろへ向きたくないなら前を向いたまま下がればいい。だって戻ったら、別の行き先を見つけることができるかもしれない。別の道を進みたいと思うかもしれない。やり直しは決してできないが、戻ることができたならもう一度挑戦権を得ることができるのだから」
どうして、この人の言葉は心に直接届くのだろう。
紡がれた言葉が、月華さんと狭霧さんの背中を押していく。
「君たちは何のためにここまで頑張ってきたんだい?」
「……呪いをとめたいと、思ったからです」
「どうしてここまで頑張ってこられたんだい?」
「……森羅さんに託されたからです」
「君たちに託したのはどうして?」
「…………」狭霧さんの言葉が詰まる。
紙が風を切る音がした。月華さんが紙を先生に向ける。
『俺たちにしかできないことだから』
そこには、力強い字でそう書かれていた。
「ほら。見えなくなっていたものが、また見えた」
先生はこどものように無邪気な笑顔を見せる。
「君たちはここまで頑張ってきたんだ。ここに加苅くんがいたらきっと『お前ら、よくやった! 俺が特大のぎゅーをしてやる』とか言っていたかな」
「ええ、想像がつきます」
狭霧さんは眉を下げて微笑んだ。月華さんは、膝の上にいたナナを後ろから抱きしめ、背に顔をうずめる。
「……実はね、僕も加苅くんから預かっていたものがあったんだ。『当主様が思い悩んでいたら渡してくれ』と」
先生は胸元から封筒を取り出して月華さんへ渡し、交換というように膝にいたナナを抱き上げ自分の膝の上に座らせた。
封筒を裏返し、おそらく宛名を見た月華さんは狭霧さんへ手招きした。狭霧さんが隣に来て座ると月華さんは封筒を開ける。
何が書いてあるのかはわからない。聞こうとも思わない。親しい先生にまで二人のことを話さなかった森羅さんが、二人だけに向けた最後の言葉。なら、僕たちはいつまでだって知らないままでいい。
手紙を見ていた月華さんが吹き出し笑い始めた。狭霧さんは苦笑いをしている。
そんな反応されると中身が気になるじゃないか。でも、我慢、我慢。
「最後まで愉快な方です、まったく」
月華さんが読んでいた便箋を裏返し僕たちに向ける。
そこには、便箋の線なんて無視に、大きく「がんばれ」とだけ書かれてあった。
なんて適当で、適当な言葉だろう。この人もきっと、雨が降っていても楽しませてくれる人なんだろうな。会って、みたかったな……。僕は顔も知らないその人に思いを馳せた。
突然すっくと立ちあがった瀬名さん。
「善は急げ。今の園丁に会いに行こうよ」
今の園丁――即ち殺人を行っている人物に会いに行く。でも、あの木々や花壇の花を育てている人物でもある。その姿があまりにも結び付かないと思ってしまうのは僕だけなのだろうか。
狭霧さんは俯き正座のまま動かない。何か迷っているような、躊躇っているような、そんな様子が伺えた。
「……ええ、行きましょうか」
心に決め顔をあげた狭霧さんは、立ち上がり襖へと歩いて行く。
月華さんに視線を送れば、彼は僕たちに向け片手を振っていた。どうやら月華さんはお留守番のよう。ナナと一緒に。
周囲を見渡しながら慎重に廊下を進んでは立ち止まり、また周囲を確認する狭霧さん。これを繰り返しながら誰ともすれ違うことなく、やがて薄暗く細い廊下に出た。胸を撫で下ろした彼を先頭に廊下を進んでいく。
小走りで狭霧さんの隣に並んだ瀬名さんが尋ねた。
「事前情報を仕入れたいよね。今の園丁ってどんな人なの?」
「お会いいただければわかりますよ」
これ以上何を聞かれても答えないという意のこもった微笑みを向ける狭霧さん。瀬名さんはおとなしく引き下がり、竜也さんの隣へと戻った。
狭霧さんは止まることなく進んでいく。木塀を通り過ぎるほど長い廊下を進んでいけば別館に辿り着いた。いや、別館と呼んでいいかもわからない。倉庫のような小さい小屋しかないのだ。恐らく、ここが園丁の住処。誰にも見つからないよう、一人で仕事をするための……。
これではまるで隔離だ。辺りは木で囲まれており、物々しい雰囲気を漂わせていた。
狭霧さんは戸を三度叩く。
「……どうぞ」返ってくる声。
「失礼いたします」
引き戸が狭霧さんの手によってゆっくりと開けられる。
「初めてですね、ここにいらしたのは」
その声は先程聞いたばかりの声だった。開けられた戸から光が差し込み、中にいた人物の顔が露になる。その人物は狭霧さんだけでなく、僕たちもいることに気が付いて呟いた。
「……あー、そういうこと」
そして、糸目を開き、不敵に笑う。
「……ゆう、づつ?」
幹史がその名を零す。
「はい。この夕星が園丁ですよ」
夕星さんは顔を少し傾け、目を細めて微笑んだ。
「でたよ、開眼……! 覚醒時のお決まり展開キタコレ!」
小さな声で楽しそうに言いながら、僕の両肩を後ろから掴み揺らす瀬名さん。
はいはい、そうですね。というか、ちょっと黙っていてください。
すかさず竜也さんが瀬名さんの頭をはたいた。
「狭いですが、どうぞ中へ」
案内された中は謙遜でもなんでもなく本当に狭かった。四畳に、角には小さな文机とたたまれた布団しかなく、衣紋掛けには割烹着と麦わら帽子、手ぬぐいが掛けられていた。
「すみません、茶すらお出しできず……」
いつの間にか糸目に戻っていた夕星さんが申し訳なさそうに零した。
「構いません。突然来たのは私たちですので」
「有難く存じます」
長い沈黙が続く。誰も口を開こうとはしない。
「……ぷはぁ。堅苦しいのは好かんのです。……好かんのですよ」
耐えきれなくなった夕星さんが息を漏らす。
「この際、腹を割って話しましょうよ。ね?」
首を大きく傾け、薄く開いた目を僕たちに向ける。鋭さも何もない、ただただこの空気を変えようとしている優しい顔。
「ぷはあ!」先生も大きく息を漏らした。
「僕も堅苦しいのは好かんなぁ」
二人のおかげで空気は僅かだけれど和んだ。
「では僕からいきますね。この際、丁寧な言葉遣いはくそ食らえでいきますので」
宣言した夕星さんは一瞬の沈黙後、静かに語り始めた。
「違和感を覚え始めたのは、僕が園丁になってから三度目の祝福を終えた時でした。気付いてはいたのです。『祝いのニンニク』に何かが混じっていることは。僕だけではない、祝福を何度も経験している人間は皆。わかっていながら『祝いのニンニク』を口にする。それが、永遠の魂の輪廻となるから」
夕星さんの手は太ももの上で強く握られていた。
「当時の当主、黎明様に園丁を任されて以降、僕は桜の季節になると『祝いのニンニク』を育て収穫をしました。先代の園丁、垂氷さんは、何も言わずに輪廻へと還ってしまわれて、僕は手本通りに植物を育てるしかなかった。でも、おかしいでしょう。同じ畑で無作為に収穫しているうちのひとつが、魂を次の器に移してしまうなんて」
「……え?」
僕から無意識に声が零れていた。意味がわからなかったから。
「はじめは枯らさないように必死で、そこまで気が回っていなかったんです。でも、いくら比べても同じなんだ! どれも同じだったんですよ!」
夕星さんの語気が次第に強くなる。
「……だから、僕は思ってしまった。これは本当に『呪い』なんだ、と。僕たちに抗うすべはないんだ、と……」
「夕星……」
俯き肩を震わす夕星さんに近づいた幹史が、その背に手を添えた。
どういうこと? 園丁が犯人だっていうそんな単純な話じゃなくなってきた。でも、必ず人為的なものではある。始まりを作ったのが人間である以上。
なら、他の誰かがギョウジャニンニクひとつとイヌサフランを取り換えているということになるんじゃ?
じゃあ、誰が?
先生も先輩も幹史も、皆この事実に気が付いているようだった。
それができる人間は……。
――パンッ、と空気を切り裂くように手が打ち鳴らされる。
「よし、戻ろう。実は、僕お腹がペコペコでね。腹の虫を抑えるのに必死だったのさ」
お腹をさすりながら先生が笑った。
「……そうですね」
狭霧さんが同意を示す。
「夕星くんもどうかな? 食事はあっちでとるんだろう?」
「僕は……。すみません、今は空いておりませんので」
「そうか。では、僕たちは失礼するね」
この閉ざされた空間に夕星さんを一人残し、僕たちは月華さんの部屋へ戻っていった。
絢爛豪華な襖を開けると二人が笑顔で出迎えてくれる。
「月華くん、いろいろとありがとう。助かったよ。そうそう、加苅くんから頼まれていたものがもうひとつあってね。後で届けに行こう」
『楽しみにしています』
月華さんにお礼を述べた後、僕たちは狭霧さんとナナと共に家へ向かう。ナナは、先生が優しく羽織で包み抱きかかえた。なぜか違和感がなかった。きっと先生が書生服を着ているからだろう。そして、大きな荷物を抱えているところをよく見るからでもあるだろう。
大きな荷物といえば、あの麻袋。中身はいったい何だろうか。
屋根に雨が打ち付ける音で目が覚める。部屋はまだ暗い。夜が明けていないからだ。窓の外を見れば音ほど雨は降っていなかった。小雨だ。
何か物音がする。視線を反対に向けると、先生が寝室のドアを開けて出ていこうとしていた。
「……先生? どこに行くんですか?」
「ん? 夜の散歩さ」
そんな大きな荷物を持って? 外は雨も降っているのに。
もう、瞼を開いているのもやっとだ。夢が僕の腕を引っ張り連れていこうとしている。
「君はまだおやすみ」
「……お気をつけて――」
先生は静かに寝室を後にした。そして、僕の意識も途切れた。
僕はここで違和感を持つべきだったんだ。あんなことになる前に……。
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