第一話 呪いの映画 1
「また呪われた人が出たって」
「えー、こわっ」
大学の食堂でひとり、日替わりA定食を食べていると聞こえてくる会話。今大学内で最も話題を呼んでいるらしいそれは、『呪いの映画』と呼ばれている。
キャンパスどこに行っても聞こえてくるその話題。もう、正直聞き飽きた。
Aランチのメインであるトンカツを齧る。音を立てる衣と、口の中に溢れる熱をもった肉汁が揚げたてであることを舌に知らせてきた。
僕の通う邦明大学は、学食が美味しいと評判だ。
「あっちでもこっちでも同じ話題。よく飽きないもんだ」
定食の乗ったお盆を僕の向かいの席に置き、椅子を引いて座った彼は呆れながら言う。
「しっかし、本当美味しそうに食べんね、千界は」
「別に意識してないんだけどね」
口の中にあったものを飲み込んでから答え、みそ汁を一口飲む。優しい温かさが喉を伝い胃に辿り着いたことを感じた。この瞬間は至福のひととき。
「……生きていてよかった」
「ははっ、そりゃよかった」
あれま、口に出ていたか。
彼は音を立てて手を合わせると、始まりにみそ汁へと手を伸ばした。
「あー、あったまる」
みそ汁を優しく置いた彼は、次に生姜焼きへと箸を伸ばす。大きな豚肉をそのまま口に運び噛み切ると残りを皿に置き、すかさず白米を頬張った。
「味しみっしみ。白米合うー」
語彙力のない食レポだけれど、表情から美味しさが伝わってくる。彼が選んだのはB定食。僕もぎりぎりまで悩んだものだ。
そんな彼――近本 幹史は、同じ人間文化学部 歴史文化学科三年の学生だ。茅ヶ崎である僕とは学籍番号が前後且つ学部も学科も同じということで、いつの間にか行動を共にすることが多くなっていた。
両頬が膨れるほどに頬張る彼から自分の定食へと視線を移す。みそ汁からはまだ湯気が立ち上っている。さあ、定食が冷める前にいただこう。
お互い一言も話さず定食を平らげると、返却口へと向かう。
「おばちゃん、今日も美味しかった。ごちそうさま!」
「ごちそうさまでした。美味しかったです」
「そう、ありがとね。またおいでね」
片手を振る幹史に続き軽く頭を下げた僕。ちょうど二限の終わりを知らせるチャイムが鳴り響く。食堂に人が押し寄せる前に出ることができて良かったかも。
「どこで時間つぶすか」
「いつものところでいいんじゃない?」
金曜日の時間割は一限と五限といった学生が最も避けたい組み方。しかし、そのどちらも必修科目であり、二百を超える大人数での講義で別枠が用意されていなかった。単位を取得するにはこう組む外ないのだ。こればかりは致し方ない。
「マジ、金曜日って暇だよな」
「まあね。でもあと少しで終わる」
「たしかにー」
今は六月下旬。前期の講義も残すところあと三回。来週の回では試験の科目が多数ある。この空きコマで復習するのも悪くない。
中庭を通り、キャンパスの端に位置する二号館へと向かう。お昼時もあって、中庭は賑わっていた。ベンチや芝生に直に座ってお弁当を食べていたり、ビニール袋にスズランテープを付けて凧みたいに揚げていたり……。凧、ちょっと楽しそう。きっと教育学部の学生たちだろうな。
二号館は所謂研究室棟。目的地は四〇五の研究室だ。――なので気乗り薄に階段を使用する。
いつも思うのだけれど、なぜこの館には人間用のエレベーターがないのか。ちなみに、小中学校にある給食専用のエレベーターみたいなのはあるらしい。荷物を運ぶために。
やっと三階だ。あと一階分。誰か進言する先生いないのかな。毎回これじゃ大変じゃんか。
ようやく目的地に到着。僕とは違い息切れしていない幹史が「失礼しまーす」と、研究室のドアをノックしてそのまま開く。しかし、そこには誰の姿もなかった。
「あれ、先生いないじゃん」
「……いるよ」
姿はないのに聞こえてきた声。
「まったく君たちは、僕が返事をしてから開けるように、って言っているでしょう」
本の山から覗いた頭が説教じみたことを言う。黒く柔らかな髪に天パだろう緩やかなウェーブも相まってモダンが垣間見える、産座のような頭だ。
「あ、いたんだ」
軽く返した幹史は、書類の散らばる机に近づくと椅子を引き座った。
「そりゃいるさ。ここ、僕の研究室なんだから」
口をへの字に曲げた男性は盛大なため息をついた。そして、座っていた椅子から立ち上がると、冷蔵庫へ近づく。
「ブラックしかないわ、すまんね」
百リットル冷蔵庫(買った時に自慢された)から二本のブラックコーヒーのペットボトルを取り出し、僕と幹史に向かって投げる。
「ありがとうございます」
受け取った僕は、幹史の向かいの椅子を引いて座った。ブラックコーヒーが好きな僕にとっては有難い。一方、苦手な幹史は「えー」と文句を言う。
「文句を言うなら返しなさい!」
母親のような説教を横耳で聞き、僕はキャップの蓋を開け一口飲む。
うん、この苦さが丁度いい。
「ほら、千界くんはこんなにも美味しそうに飲んでいるじゃない」
「俺は苦手なの」
まあ、ブラックコーヒーは好みが分かれるだろう。僕も欲を言えば、アイスよりもホットが好き。でも、たまに飲むアイスもこれまたなかなか。
「どうせ、他にも入っているくせに」
幹史は勢い良く立ち上がると、男性が抱きしめて守る冷蔵庫へと飛びかかった。あっけなく冷蔵庫を守る腕をはがした幹史は、そのまま冷蔵庫を開ける。
「あー、イチゴミルクあるしー」
「だってそれ僕のだもん。あ、おい、返せ!」
「また買えばいいだろ?」
「君が自分で買ってくればいいだろう!」
イチゴミルクを掠め取った幹史を追いかける男性。
「あーあ、こんなところで鬼ごっこなんかしたら……」
ドスンっと響く鈍い音。
言わんこっちゃない。
僕はブラックコーヒーを置いて立ち上がると、鈍い音がした方へと近づく。
「大丈夫ですか、先生」
僕が差し出した手を掴み立ち上がる男性。無造作な髪の間から覗いた目と視線が合う。男性は目を細め、口を横に開き歯を見せて笑った。絵に描いたような無邪気な笑顔。
「ありがとな、君は優しいなぁ」
その大きな手が僕の頭に乗せられる。誰かに感謝されるのも、悪くない。
「幹史くんは怪我ないか?」
「……平気。イチゴミルク返すよ」
「おー、ありがとう」
「俺が悪いのになんでありがとうなんだよ」
「ん? まあ、そういうことだ!」
「どういうことだよ」
誰とでもコミュニケーションが取れ、自分のペースに持っていくのが得意な幹史が調子を狂わされている。この人はこうやって善意で人を振り回す。どこか憎めない人だ。僕は思わず笑っていた。
「ふふ、資料の整理手伝いますよ」
転んだ拍子に床に散らばった資料、そして、机の上にも散らばった資料。このままにはしておけないだろう。
「本当? 助かるよー」
「幹史も」
「へいへい」
三人で資料を整理していると、一枚の資料に目が留まった。資料の内容ではない。下部に黒鉛で書かれた文字に。「アンノウン」と、カタカナで書かれている。
『アンノウン』つまり、不明や未知。何も知らない人が見れば、書かれている意味が正しく伝わらないだろうこの単語。他の資料にもところどころ書かれている。
「でたよ、『アンノウン』」幹史が一枚の資料を見て笑う。
「紛らわしいことこの上ねぇぜ」
「それが僕の名前なんだからしょうがないだろう?」
名前は庵乃雲 零。邦明大学の教授だ。三十七歳にして教授になり、現在は三十九歳。本人は四十の壁に日々怯えている。
所属は、人間文化学部 歴史文化学科であり、専攻は民俗学。講義は面白くわかりやすいため、履修登録では枠がすぐに埋まってしまうほど。僕たち二人はこの教授のゼミ生でもある。
猫背なのだけれど背は高く、一歩誤れば不潔だと捉えられてしまうような絶妙な塩梅を保っているおしゃれ上級者の髪が印象的。ほぼ目が見えない故のミステリアス?な雰囲気プラス書生服というらしい一風変わった装いからも注目の的で、一部の学生から隠れイケメンと称されているとかなんとか。
学生との距離も近く話しやすい。勿論、一定の距離は保っているけども。
ゼミを決める二年生の時期から庵乃雲ゼミを多くの学生が狙っていた。しかし、募集枠は四枠という激戦区。僕たちは、そんな学部一人気ゼミの座を勝ち取った猛者なのだ。
ゼミが始まった時は、それはそれは多くの人に感想を聞かれたもの。感想としては一言、「想像の倍楽しい」に尽きる。
文化や風習など資料で調べるだけでなく現地に赴くことが多く、直接その目で見られることが何より面白い。先生が細かく解説を入れてくれるし、現地の人とすぐに仲良くなるものだから、直接風習や文化に触れることもできる。
活動日数は多いけれど、きっとどこのゼミよりもやりがいを感じるゼミだ。
「あ、そうだ。飴ちゃんをやろう」
先生は若草色の着物の胸元に手を入れると、僕に手を広げるよう促す。手に持っていた資料を置き両手を広げれば、十は優に超える飴が置かれた。
「あ、ありがとうございます」
飴は嬉しいけれど、この量はちょっと予想外。
「幹史くんもいるかい?」
「いらーん」
「そうか。では、チョコをあげよう」
もう一度胸元に手を入れた先生は、幹史に握った手を差し出す。
「いらねーって」
「ん!」と、某映画のあのシーンばりの頑なさで握った手を出す先生に観念した彼は、ため息をつくと握られた手の下に開いた右手を持ってきた。満足げに笑った先生は幹史の手に握っていたものを落とす。それは、一口大のチョコ三粒だった。しかし……
「溶け溶けじゃねーか!」
そのチョコは原形を留めていないほど溶けていた。透明なフィルムからこちらを見上げるチョコ。溶けている様は意識を失う寸前のようで、早く食べてくれと懇願しているみたいだ。なんと哀れなことか。
「そんなところにチョコ入れてたら、そりゃあ溶けるわな!」
「えー、溶けているチョコも美味しいよ? きっと千界くんなら美味しく食べてくれるんだろーなー」
うわ、飛び火した。
「遠慮します。僕飴食べているし」
すかさず、先生からもらった飴の一つを口に放り込む。舐めて数秒、なんとも言えない味が口腔内に広がる。食べた飴のパッケージを見ると、そこには「?味」と書かれてあった。
――うん。本当に「?」な味だ。一般的に「フルーツミックス」のような味として作られることが多いだろうに、何の味も感じ取れない。フルーツは一切入っていないような、でも甘さも感じられて、酸味も急に飛び出してくる。リピーターは少なそうだけれど、一部の人には刺さりそうでもある。僕とは最初で最後の出会いだったね。
他の飴の味も気になり見てみると、どれも「なぞなぞ味」「ひみつ味」「ふしぎ味」など、味が不明なものばかりであった。
なるほど。先生はこういった飴を好んで買うのか。にしても、よくこんなにも珍しい飴を見つけられるものだ。
「ほら、この子も幹史くんに食べてもらいたがっているよ! 息絶え絶えの中、叫んでいるよ! 『食べて……』って」
「そうさせた張本人が何言ってんだよ! 責任取るのはあんただろ!」
視界の隅では、先生と幹史がチョコの押し付け合いをしている。押し付けられるチョコの身になってみると、どこか胸が痛むってものよ。
「やっほー!」
「失礼します」
大学生と教授とは思えない醜い争いをコーヒー片手に見ていると、研究室のドアが開き二人の女子学生が入ってきた。
「何してんの? あ、千界もいるじゃん。いいところにいたねぇ」
あー、嫌な予感。
「ちょっと二人に一緒に来てほしいところがあってさ。例のやつ確かめにいこう!」
きたよ、ほら。
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