面倒な人に絡まれる
午後の仕事をしながら考える。
平民の私は、貴族からの誘いを断れない。
不敬にあたるでしょ。
それにもう誘われないと思う。
貴族から見たら庶民は珍しかったから誘っただけだろうから。
棟も離れているから偶然出会う事もないはずだし。
それよりも、シリルと見つけた『みつめ草』の方が気になる。
他言してはいけないと言われたので、もちろんキャロルにも内緒だ。
みつめ草の事を考えながら、魔法窯の洗浄を始めると、肩を叩かれた。
振り返るとシリルだった。
「クリスティーナ、事務局から呼び出しだよ。何度呼んでも全く気が付かないから」
「ごめんなさい。考え事をしていて」
「よくわかるよ。あの花のことだよね?ベルツ教授に伝えたから、僕たちは静観するしかないよ」
シリルに言われて頷く。
「事務局ね。今から行くわ」
洗浄した釜をシリルは持ってくれて、片付けてくれた。
「一緒に片付けたほうが早いでしょ?僕も呼ばれているんだ。一緒に行こう」
何気ない話をしながら事務局に行くと、シリルがドアを開けてくれた。
まるで貴族のエスコートみたいで、ちょっとドキドキする。
「クリスティーナ、お先にどうぞ」
にっこり笑うシリルの所作はスマートで、こんな時やっぱり貴族なんだなぁと感じる。
「ありがとうございます」
お礼を伝えて一歩踏み出した時、走ってくる足音が聞こえ、その足音の主に勢いよく押し出されて壁にぶつかりそうになる。
なんとか踏ん張り、壁に激突するのを免れた。
危ない危ない。
顔をぶつけるところだったわ。
胸を撫で下ろして、私を押した相手を見ると、ルイーズ・トールマン伯爵令嬢だった。
以前、キャロルと買い物に行った時に、カフェでシリルとお茶をしていた女性だ。
「シリル、ごきげんよう」
可愛らしい声を出して笑顔でシリルの顔を見ている。
シリルは一瞬、驚いた表情をしたが、すぐに貴族の態度になった。
「今日もお美しいですね、トールマン伯爵令嬢ルイーズ様」
トールマン伯爵令嬢は、シリルに対して右手の甲を差し出すと、シリルはその手を取り貴族の礼をする。
「公の場で、ルイーズ様と呼ぶのはやめてくださいといつもお願いしておりますのに。いつものようにルイと呼んでくださればいいのよ」
少し上目遣いでシリルを見る。
「いくら友人といえど、そこは守らないといけないマナーですから」
研究室の中のシリルとは違い、所作や話し方がスマートだ。
これは女性にモテるのが何となくわかる。
「シリルはいつも素敵ですわね。そのスマートな佇まいも、それから所作も。でも、平民を我々貴族と同等に扱うのは、いけませんわ」
私を視界に入れるのですら憚られるのか、こちらを一切見ない。
「クリスティーナは平民ですが、ベルツ魔法薬学科の職員でもあるのです。ベルツ魔法薬学科では、すべての学生と職員は平等なのですよ」
シリルが控えめに私を庇ってくれたが、トールマン伯爵令嬢は気に入らなかったのか、ため息を吐いた。
「それは、ここに所属する方々が皆、貴族だからですわ。平民が学園の敷地内を歩いているだなんて、配達員意外あり得ませんから」
ツンとして口を尖らせる様子は、拗ねているようにも見えるけれど、確実に怒っている。
シリルに言ってもダメだと思ったのか、こちらを向いた。
トールマン伯爵令嬢は、シリルに背を向けているため、その表情は私にしか見えない。
だからなのか、すっごく意地悪で怒りに満ちた顔をしている。
一瞬で人の表情ってこんなに変わるものなのかしら?
「貴女、平民でしょ?私より先に入ろうとした上に、貴族男性にエスコートしてもらえると思っていませんこと?貴女はその立場に無いわ。それに、貴女はここを通ってはいけないわ。貴女の入り口はあちら」
指を指されたのは、事務局奥の非常口だった。
たまに清掃員さんが、このドアからは入れないような大きな業務用の清掃魔道具を持って出入りしているのを見かける。
あのドアを使うには、一度建物から出て、外側を周り、中の事務員さんにお願いして開けて貰わないといけない上、事前に使用許可を貰わないといけないらしい。
今から使用許可を取っても、認可されるのは1週間後だわ。
トールマン伯爵令嬢の顔が怖すぎて、何も答えられないでいると、シリルが代わりに返事をしてくれた。
「ルイーズ様がそうおっしゃるなら、そうなのでしょう。クリスティーナは外側から回ってもらいますが。あっそうだ…」
シリルは言葉を切ってあからさまに困った顔をする。
「外側のドアを使うには1週間前から申請が必要なんですけど、クリスティーナが事務局に来るように呼ばれたのは先ほどなんですよね。困ったな」
シリルは考えるように天井を見た後、トールマン伯爵令嬢を見る。
「僕からベルツ教授にドアの申請をしましょうか…。でも1週間後になりますし…。クリスティーナの仕事への用事は私が代わりに承りましょう」
困った顔をして演技をしているけど、こんなに下手な演技では誰も騙せないわ。
ルイーズ・トールマン伯爵令嬢がここにいる限り、私は事務局にはいけない。
ベルツ教授には、謝りの手紙を書いて夕方にでも挑戦しよう。
この硬直した雰囲気を脱するにはそれしかないわ。
「それはいけませんわ」
可愛らしい声でトールマン伯爵令嬢は反論するが、顔は相変わらず怖い。
「この雑用係はすぐにでもベルツ教授のところに行かなければなりませんわ。遅れるだなんて言語道断。平民なのにあり得ませんわ」
そう言った後、甘える表情でシリルを見る。
表情の違いがあからさますぎる。
「でも、クリスティーナはこのドアを通れないので。代わりに私が用事を聞くしか」
堂々巡りに陥ってしまった。
この硬直した雰囲気、どうしようと思っていたら、足音がして、真後ろでため息が聞こえた。
ため息の主は、ローランド伯爵令嬢だった。
「皆様、どうなさったの?こんなところで。入り口付近で立ち話は邪魔ですわ」
不機嫌を隠さない口調にトールマン伯爵令嬢が怯む。
「ごっ、ごきげんよう。ローランド伯爵令嬢」
「あら、ルイーズ様。あなたって暇なのね。ウチの雑用係と、落ち着きがないダメ子爵令息を捕まえて立話なんて。いつまで拘束しているのかしら?こんなところでお茶会でもしようっていうことですの?」
トールマン伯爵令嬢が答える前に、ローランド伯爵令嬢は笑い出して、答えられないように話を被せる。
「フフフフ。ざーんねーん。この二匹の雑種に用事があるのは、わたくしとベルツ教授。あなたではありませんわ」
口出しできないトールマン伯爵令嬢はイライラした顔でワナワナと震え出した。
せっかく取り作っていた可愛らしい表情が消えてしまっている。
シリルにその顔見られてますよ?と言いたくなる。
「用事があるのではなくて、マナーについて…」
ローランド伯爵令嬢の自信に満ちた強いオーラに押されて、トールマン伯爵令嬢は最後まで言葉がつながらない。
「マナー?何のことかしら?暇人は、小さな事が気がつく細やかな性格じゃないと務まりませんのね。わたくし、初めて知りましたわ」
鼻で笑った後、トールマン伯爵令嬢を押し除けて事務局に入り、シリルが開けているドアを中から押さえて、シリルに手を離すように促す。
「シリル、クリスティーナ、早くお入りなさい」
ローランド伯爵令嬢自らがドアを押さえたまま、私たちに入るように言ったので、そそくさと事務局に入る。
小さな事に気がつく細やかな性格って、かなりの嫌味だわ。
「それでは、ご・き・げ・ん・よ・う」
ローランド伯爵令嬢がそう言ってドアを閉める。
閉まる直前の隙間から見えたトールマン伯爵令嬢は、笑顔が崩れて怒りで歯軋りをしていた。
以前キャロルから聞いた話だと、同じ爵位の中にも序列があるらしい。
ローランド伯爵令嬢と、トールマン伯爵令嬢では、序列が全く違うのかもしれない。




