第3話壱 真夏の夜の夢
水鏡を覗き込んでいたガラテアの王子エミリオは、顔を上げ、しばらく考え込んでいた。
いま見ていたものについて自分なりに情報を整理し、推測してみる――白い翼で仲間の少年たちを守っていた少女がルチルだ。それは間違いない。
竜のラズに対し、中心となって対峙していた少年がアッシュ王子の生まれ変わり。
ワダツミ人とガラテア人のハーフという情報は事前にもらっていたが、予想していた以上にガラテア人寄りの顔立ちで、ルチルの生まれ変わりの少女よりも前世の姿によく似ていた。
他の少年たちのことはよく分からない。
グランヴェリー公爵の息子と、オールストン博士の息子とは、彼らが幼い頃に顔を合わせたこともあったが……タイテニアに乗っていたらしく、彼らの姿はあまり見えなかった。
その代わり、アッシュ王子の生まれ変わりのそばにいたワダツミ人の少年二人……。
あの二人も、アミル、スヴェンと同じ力を使っていた。
だが……二人の生まれ変わり、ではないはず……。どういうことなのだろう、と一人、部屋の中で首をかしげるばかり。
そんなエミリオの思考を遮るように、水鏡から女性の声が呼びかけてきた。
『――私の力を利用して、襲撃の様子を見たいとの仰せでしたが……いかがでしたか』
イシュカだ――彼女はいま、ワダツミ帝国の王都にいるはず。王女ジョゼフィンの護衛も任せているから、学院を離れて合宿とやらをやっているルミナス学院生徒会のことは追えていない。
ルチルの生まれ変わりがいるかもしれないと知って、彼女も事実を知りたくてたまらないのだろう。
短い沈黙の後、エミリオは水鏡に寄って答えた。
「よく分からなかった。グランヴェリー家の別荘にはタイテニアが隠されていたらしく、ラズはアッシュ王子の生まれ変わりの少年と、タイテニアの反撃にあってあっさり敗北してしまった。スヴェンを倒してしまうほどの相手だ。ラズでは敵わないだろうということは最初から予想していた」
『それなのに、彼を送ったと?無駄に戦わせて?』
「水を通して戦いの様が見えるかもしれないと自分の能力を紹介してきたのは、そちらだろう。水の紋章を持つラズを利用するのは当然じゃないか」
エミリオの選択を非難するような、呆れているような声で疑問を呈するイシュカに、エミリオも冷たい声で反論する。
……ルチルの生まれ変わりがいるかもしれないのだ。最初から、相手を倒すつもりなんてなかった。ラズになら負けないだろうと考えて、あえてそう選択したに決まっている。
部屋の扉をノックする音が聞こえ、エミリオが言った。
「船員が訪ねてきたようだ。一旦、通信を切らせてもらう」
『船員?いま、どちらにいらっしゃるのですか?』
「船の中だ。僕もワダツミ帝国に渡ることにした。来週にはそちらの王都に着く」
は、と驚く声が聞こえてきたが、無視してエミリオは水鏡から離れ、水鏡を作り出す洗面台の戸を閉めてただの飾り棚に誤魔化し、部屋の外で返事を待つ人間に声をかける。
丁寧に扉が開いた後、上等な身なりをした船員が礼儀正しく挨拶をした。
「当初の予定通り、一時間後、補給のために港に寄ります。荷物の積み下ろしも致しますので――」
「出発前に聞いている。構わず仕事を続けてくれ。僕の荷物を降ろしてしまわないようにだけ注意を」
エミリオの言葉に船員は深々と頭を下げ、要件を伝え終えるとすみやかに部屋を出て行った。
エミリオは再び水鏡でイシュカと話す気にはなれず、部屋の奥の長椅子に腰かけ、長いため息を吐いた。
――もうすぐ、ルチルに会える。
分からない点も多いが、生きている彼女に会うことができる。それが、いまのエミリオにとって最も重要なことであった。
ただのぬいぐるみだったものがもぞ、と動き出し、顔を上げて、周囲を見回す。
表情こそ変わらないもの、ぬいぐるみは先ほどまでと様子がまったく違っていた。
「ラズ」
六花の呼びかけに、ラズがぴたりと視線を止めて少女を凝視する。まさか、という呟きが聞こえた。
「――ルチル?似てはいますが、別人では……。それにあなたは――」
「ラズぅぅうううう!」
戸惑うラズにアミルが飛びつき、彼の困惑は強制的に打ち切られることになってしまった。
離しなさい、と怒鳴りつけた彼からは、わずかな迷いも混乱も吹き飛んでしまったようだ。
「……その声、その口調……それにその幼稚な挙動。あなたはアミルですね。あなたの死は、私が間違いなく見届けたというのになぜ――」
「アミル、俺の時と同じ反応じゃねえか。どんだけ感動の再会やる気だよ」
スヴェンが呆れたように口を挟むが、これが泣かずにいられるか、とアミルは開き直って号泣している。
ぬいぐるみなので本物の涙が流れるわけではないが。
自分に飛びつくアヒルのぬいぐるみ、そばで呆れるクマのぬいぐるみ。
交互に見やったラズは、長いため息を吐く。
「……あなたはスヴェンですか。いったい何がどうなっているのやら」
「落ち着いて聞いて、ラズ。あのね――」
六花が説明する間、ラズは黙って話を聞いていた。
六花の説明をどう感じているのかは分からないが、表情の変わらない顔は真剣そのものに見えて、すべて話し終えた後は、なるほど、と相槌を打った。
「我々は全員命を落とし、あれから一万年の時が経った。ルチルは生まれ変わったものの、ルチル以外の私たちは生まれ変わることもなく魂だけの存在となってさまよい続けていた……と」
「正確には、俺たちの魂をジョーブツさせず、ずっとゲンセに捕らえてた人間がいるんだってさ。タイガが言ってた」
アミルが口を挟む。
聞き覚えのない単語にラズはちょっと悩んでいるが、詳細を尋ねるのは後回しにすることにしたらしい。それよりも、彼も聞きたいことがたくさんある――。
「――ぬいぐるみが、現在の我々のかりそめの肉体となっているのですね。それで……これは何です?」
部屋の片隅にある鏡を見ながら、ラズが言った。
アミルはアヒル、スヴェンはクマととても分かりやすい姿をしているのに対し、ラズは見覚えのない動物の姿だ。
六花が答える。
「カワウソよ。昔、神代にカワウソの見世物小屋がやって来て、お父様に連れて行ってもらったの。本物はとっても可愛かったわ」
「……なぜ私だけ四つ足」
アミルとスヴェンは二足歩行なのに、自分は四つ足動物のぬいぐるみなのがラズはたいそう不満なようだ。
六花は困ったように眉を寄せた。
「水に関わる動物で、他に作ってなかったのよ。アヒルじゃアミルと被っちゃうし。お魚のほうがよかった?」
「水棲動物に限定する必要はないのでは……?」
なおも不満そうなラズに、脱線してる場合かよ、と風花が口を挟む。
「おまえ、もっと話すことがあるんじゃないのか。この状況をすんなり受け入れ過ぎだろ」
「あなたは……」
風花を見たラズは、彼も一万年前の顔見知りの生まれ変わりだということをすぐに察していた。
改めて周囲を見回し、他に見知った人間がいないかを確認する。
それから、アミル、スヴェンに振り返った。
「――とにかく。ルチルのいまの説明したことがすべてなら、カルネ、ロベラの両名はいまもまだ消息不明のままということですね。あなたたちも私も、なぜ魂のままさまよっていたのか……竜になってルチルたちを襲ったのも、謎のままと」
「分からないことならもっとあるぜ。ラズ――あれから、エンデニル傭兵団はどうなったんだ?」
スヴェンがずばり聞いた。
全員が黙り込み、アミルも居心地悪そうにもぞもぞとしている。
一万年前、サンクブルム神聖国の教会に裏切られ、エンデニル傭兵団のリーダーであるカルネは捕まってしまった。
処刑の直前に、当時不在だったロベラ、ルチルを除いた全員でカルネ救出に向かい、逃亡の中でスヴェンが戦死。その後、アミルも負傷がもとで命を落としている。
――つまり、ラズは彼らの死もその後のことも、すべて見届けている人間のはずで。
スヴェンの問いに、ラズはすぐに答えなかった。
……答えることを躊躇っている、と六花は感じた。そんな姿が、その後に何が起きたかを雄弁に語っているような気がした……。
「……アミル、覚えていますか。我々を追跡してきた聖騎士団の武器には毒が仕込まれており、あなたを筆頭にこちらには多数の死者が出ました。傷そのものは致命傷に至らなかったが、毒が命取りになった」
「覚えてる。ルチル様がいれば助かったやつも多かっただろうにって……」
「その毒……あなたたちは即効性の高いものだったのですぐに命を落としましたが……遅効性のものもあったらしい……と言えば、察しますか」
アミルとスヴェンはきょとんとしていたが、六花はラズの言いたいことを察して青ざめた。
風花や勘のいい生徒会長たちも察している。
「我々が救出に向かった時には、すでにカルネもその毒を受けていたのですよ。助け出したところでどうにもならない状態だった――そう仕組まれていた」
「じゃ、じゃあ……」
アミルも血の気が引いている。ぬいぐるみだから顔色が変わったりはしないが、声に絶望と深い悲しみが表れていた。
「俺がいまわの際でラズに聞いた時……カルネ様は、もう……」
「あなたより少し長生きしました。ですが……死の淵にいるあなたがカルネの安否を尋ねた時には、すでに命運が定まっていましたよ。私が嘘を吐きました。知る必要もないだろうと思って」
全員が言葉を失い、重苦しい沈黙が部屋を包んだ。
アミル、スヴェン……六花もショックで絶句しているし、そんな三人の心情を察して、会長たちも何も言えずにいる。
お兄様、と小さく呟く六花を、ラズがちらりと見た。
「――アミルとカルネを埋葬して程なく、ロベラが一人で壊滅状態にある傭兵団へと戻ってきました。ゴットフリートの罠に落ち、ディオの救出に失敗してルチルと共に捕らえられていたと報告してきました」
「ちょっと待て。いま何て言った――ロベラが一人で戻ってきた、だと?」
そう言ったスヴェンの声には、明らかな怒気が込められている。
「初耳だぞ!ルチル、おまえらのほうも罠にかかって捕まったのは知ってたが――ロベラが一人で逃げ出してただと!?」
「ロベラを責めないで!」
即座に六花も反論する。
「私が言ったの。ロベラは牢を自力で脱出できたけど、私のほうは監視が厳しすぎて……私たちだけじゃ逃げ出せない――ゴットフリートの目的は私で、私はすぐには殺されないし、ディオも私を大人しくさせるための人質としてしばらくは生かしておくみたいだから、ロベラはお兄様たちのもとに急いで戻ってって。お兄様に救援を求めるつもりで……お兄様がそんなことになってるなんて、思ってもいなかったから……」
「ロベラもそう話していました。そして、とてつもなく後悔していました」
ラズが落ち着いた声で言った。
「結果的にあなたを見捨て、カルネが窮地に立たされていたことも知らずに死なせ、傭兵団の皆も命を落として――自分は、何一つ守れなかったと……。それで……かろうじて生き残っていた傭兵団の者たちを逃がした後、私とロベラは二人で聖騎士団に八つ当たりの特攻を仕掛けることにしました。元凶である大神官の首か、サンクブルム王の首ぐらいは取ってやりたかったんですがね」
結果はどうなったか、聞く必要もない。
聖騎士団とは、サンクブルム神聖国にあった教会直属の軍隊。個々の実力はカルネたちには劣るものの、ロベラ、ラズの二人だけで壊滅させられるような規模ではない。
それに二人とも、もう生き残るつもりもなく仕掛けた特攻だったのだろう――死に場所を求めて戦いに臨んだ。
……となれば、最初から結末の決まっていた戦いだった。




