9 三者の思惑
そして、もうすぐ殿下方も卒業という時に、事件は起きた。
いや、事件と言うか事故なんだが。
殿下とリリエラ嬢は事件にしたがった。
なんでも、リリエラ嬢が階段から落ちたらしい。
そしてその原因は、アルマディア嬢に突き落とされたからだと彼女は主張した。
「リック!あんな人が将来王妃になるなんて私怖い!このままじゃ、私殺されるかもしれないわ…!」
……ああ、なるほど。リリエラ嬢の目的はこれか。下地を作っていたわけだ。
突然アルマディア嬢が乱心したのではなく、嫌がらせがエスカレートしたのだと殿下に思わせるためか。
そういう行動をしてもおかしくないと、周囲に印象を与えるために画策していたんだな。
「リリエラ…怖かっただろう。可哀想に…。あんな性悪女と結婚なんて冗談じゃない!私の妃に相応しくない!」
悲劇の主役を演じている二人を横目に、俺は侍女にひっそりと指示を出し、アルマディア嬢が事故当時どこにいたか確認させた。
殿下との会話の中で、リリエラ嬢は放課後、学院の階段を昇っている時にアルマディア嬢に突き落とされたと証言していた。
しかし、それはおかしい。
卒業が間近に迫り、それによって婚姻式の日取りなど詳細を決めるために、ここ連日アルマディア嬢は学院を休んで、王宮に詰めているはずだった。
勿論今日も登城しているはず。
フレデリク殿下は、同席を最初から拒否し、すっかりその事実を忘れているようだが。
「くそっ、どうにかしてアルマディアとの婚約を破棄しないと、この国は終わりだ」
むしろ、あんたが国を継いだ方が終わるだろ。
法律もろくに覚えていない、国政も理解していないくせに何を言っているんだ。
「ねえリック。私にいい考えがあるの!」
「いい考え?」
ろくでもなさそうだ。
俺は胡乱な表情になりそうになり、無表情を心がけながら耳を傾ける。
リリエラ嬢は得意気な笑顔を浮かべ、そのいい考えとやらを披露してみせた。
「この前観たお芝居を真似するのよ!真実の愛で悪役令嬢を懲らしめるのがあったでしょ?」
「……ああ、そんなのもあったような」
「もう!あったようなじゃなくて!あれを私たちがすればいいのよ!卒業パーティーで、王子様が悪役令嬢に婚約破棄を叩きつけてたでしょ!あんな風に、皆の前で宣言してしまえばいいのよ!」
「なるほど!」
なるほどじゃねぇよ!
馬鹿なのか!いや馬鹿なんだな馬鹿だった!知ってたろ俺!
全力でツッコミたかったが、辛うじて俺は罵声を飲み込んだ。
あれは、あくまでお芝居だから許される話であって、現実は甘くない。
確か劇のシナリオでは、平民女性が特待生として入学した学校で王子に見初められ、悪役令嬢と呼ばれる王子の婚約者に様々な嫌がらせを受けながらも、二人で愛を育んでいく、という内容だった。
最終的に王子は、卒業パーティーで悪役令嬢の悪行を暴露し、婚約を破棄してヒロインの女性と結ばれるというサクセスストーリーだが、現実なら色々ツッコミたいところが多々あった。
現実でそれをやったら、王弟派がここぞとばかりに王太子を引きずり落としにかかるだろう。
アルマディア嬢に、瑕疵なんて一つもないんだから。
リリエラ嬢が言っていた苛めや嫌がらせに関して、物証なんて用意してないだろうに。
自分たちの証言だけで、どうにか出来ると思っているのか?
不貞を働いていた自分達の方が分の悪いことに、どうして気づかないのか。
俺には到底理解出来ない思考回路だ。
「皆の見ている前で、アルマディアを吊し上げにしてやる。これまでの不敬を思い知らせてやろう!」
「そうよ。リックは次期国王様なんだから、皆の前であの女の鼻をへし折ってやって!」
すっかりその気になっているらしい。
自分達の首を締める行動だと、欠片も気づかずに。
フレデリク殿下とアルマディア嬢の婚約は、王命によるものだ。
それは当事者であろうと覆すことの出来ない約定で、俺には手も足も出なかったこと。
それを、殿下は愚かにも破棄しようと目論んでいる。
―――むしろ、これはチャンスなんじゃないか?
公衆の面前で婚約破棄を宣言すれば、フレデリク殿下は失脚するかもしれない。
少なくとも、娘を愛するバルドゥール公爵が恥をかかされて、そのまま結婚を許すとは思えないし、公爵が殿下の後ろ楯につく義理はなくなる。
むしろ公爵を敵に回す愚行だ。
陛下だって、王室側の有責では婚約続行なんて強行手段には出られまい。
陛下は、殿下を勿論息子として愛しているだろうが、盲目的に可愛がっているわけではない。
親として為政者として、真っ当で賢明な判断を下されるだろう。
このまま殿下との婚姻を進めたところで、アルマディア嬢が幸せになれるとは思えない。
今はまだ陛下も公爵もいるからいいが、いずれフレデリク殿下が国王になった時、アルマディア嬢がどんな境遇になるか、考えるまでもない。
良くて離宮に封じ込められるか、妃として遇さずに責務だけを押し付けられるに決まってる。
「………………」
これは、主君への裏切りだろう。
だが、その主に主君たる器がなかったまでのこと。
如何に効果的に婚約破棄を言い渡すかと、盛り上がる二人を眺めながら、心は驚くほど凪いでいた。
決めてしまえば、あとは沈黙を守ればいいだけだった。