23 エピローグ
ふ、と意識が覚醒し、俺はぼんやりと目を開けた。
すでに部屋の中は明るい。
色々夢を見ていたような気もするが、起きてしまえば夢の残滓はあっという間に遠ざかる。
そんな曖昧なものよりも、傍らの温もりの方が俺には重要だ。
俺は寝返りを打って、隣で眠る愛しい妻を眺めやる。
長い睫毛に縁取られた淡いブルーの瞳は、まだ瞼に隠されていて、俺はディアの健やかな寝息に安堵した。
ディアは妊娠してから、不眠気味になった。
日中は化粧で誤魔化しているが、今はそれも落としているので、目の下の隈が露になっている。
無防備な寝顔がいとおしくて、つい手が伸びて、目元をそっと撫で上げた。
勿論起こさないよう、細心の注意と力加減はしている。
少しでも長く睡眠を取って欲しい。
朝食までまだ間があるし、ギリギリまで寝かせておこうと決めて、俺は出来るだけ気配を消してベッドから離れ着替えを済ませる。
そして、ちょうど身支度が終わった頃、寝室にノックの音が響いた。
俺はディアが起きてしまわないかと目を向けたが、幸い良く眠っているようだ。
俺は、なるべく音を立てないように扉を開けた。
通常の視線の高さより低い位置にある頭が目に入る。
「父上!おはようございます!」
朝から元気の良い挨拶に、俺は笑いながら人指し指を口元に当て「しー…」と声を落とすよう息子にジェスチャーをする。
そのまま静かに扉を閉めて、膝を折って息子と目を合わせる。
「おはよう、アルドール。母上はまだお休みだから静かにな」
声をひそめて注意すると、アルドールは自分の口を両手で塞ぎ、寝室と俺をキョロキョロと見比べた。
その動作が微笑ましい。
七歳になったばかりだが、聡明そうな瞳はディアそっくりだ。
「……朝食は一緒に取れますか?」
「ああ、それまでには母上も起きてくるだろう」
「違うでしょう、父上」
「うん?」
「母上を起こすのは、父上の役目で特権だって言ってました」
誰がアルドールに言ったんだ。
その通りなわけだが、息子に改めて言われると、なんとも形容しがたい気持ちになるな。
「……確かに、まあそうだな」
苦笑しながら肯定すると、アルドールも笑顔を返してくれた。
「僕、フィニアのところに行ってます。時間になったらフィニアは僕が起こしてあげるね」
「そうか。アルドールは良い兄上だな。でもフィニアは寝起きが悪いから起きるかな?」
「大丈夫です!起きなかったら、抱っこして食堂まで連れて行ってあげるから」
胸を張るアルドールの頭を撫で、ちらとその後ろを見ると、息子の侍従と護衛がなんとも言えない表情をしていた。
わかる。アルドールの抱っこは見ていてヒヤヒヤするんだよな…。
娘は今三歳だが、生まれた当時から平均よりもやや大きめであったこともあり、身長はすでに四歳児に近い。
七歳になったばかりのアルドールには、文字通り荷が重い。
しかも大人のように、腕の上に座らせる抱き上げ方じゃなく、ベアハッグ的な持ち方なんだよな…。
そして子供特有の意地を張り、大人の手を借りず遂行しようとする。
周りの大人は、微笑ましくもハラハラ見守るしかない。
「それじゃあ父上、また後で!」
元気良く手を振りながら、アルドールは妹の部屋に走っていく。
廊下は走らないように注意をしようかと思ったが、声を張らないと聞こえないだろう。
でも下手するとディアが起きてしまう。
そのちょっとの葛藤をしている隙に、小さな背中は、あっという間に去っていった。
まあ、侍従が注意をしてくれるだろう。
どっかのボンクラみたいに、周囲の言葉に耳を傾けず、傍若無人な振る舞いをする子ではない。
むしろ優秀過ぎて、周りの大人を口で負かすことすらあるし、必要な場面での王子としての振る舞いは教育係も舌を巻くほどだ。
さすがディアと俺の血を引く子ども。
将来が楽しみだ。
じゃっかん親バカな自覚はあるが、内心で贔屓目に見るくらいはいいだろう。
部屋に戻ると、ディアは変わらず眠りの中だった。
起こさなかったことにほっとしつつ、ベッドの端に腰を下ろす。
眠り姫を起こすのは王子の役目だが、愛しい妻を起こすのは夫の特権である。
寝姿を堪能出来るのも、勿論夫だ。
ディアの蜂蜜のように輝く金の髪をすきながら、起こすまでのこの時間も、俺にとっては至福の時だ。
女王として母として、多忙なディアを妻として独占できる時間だから。
今しばらく、穏やかな眠りを享受するディアを眺めて過ごす。
目覚めの時間まで、もう少しだけ。
そして起こす時間になったら、いつものようにとびきり甘いキスで目覚めを促そう。
朝食の時間から、身支度に掛かる時間を逆算し、そろそろ洗顔用の水が来る頃だろう。
俺はディアが起きた時の為に、部屋に備え付けられているポットで湯を沸かし始めた。
これも魔女アーティカの発明品で、ポットに魔力を流すと内部が温められて、火を使わなくても湯が作れる優れものだ。
脚本家の才だけでなく、こういった便利な道具を開発するアイディアを持つ魔女は、今では宮廷魔法使いとしての地位に就いている。
非凡な才能を見出だす切欠となったのは、フレデリクの愚行のせいだが、あの呪い騒動唯一の彼のお手柄と言えるかもしれない。
アーティカは意外と子供好きで、時折アルドールたちの相手をしてくれている。
うちの子たちは、彼女の語るお伽噺が大好きで、この前は紙芝居というものを見せてもらったとはしゃいでいたっけ。
魔女は色々な知識を持っていると言うが、彼女は別格な気がする。
ディアもそのことに気がついていて、政策や時事問題などについて意見を聞くと、アーティカは思いがけない考え方を披露してくれると言っていた。
稀有な人材を得たと思う。
程無くしてポットの蓋の色が赤色に変わり、お湯が沸いたことを示す。
お湯が沸くまでの間に、妊婦が飲んでも問題のない茶葉を用意してある。
あとはディアが目覚めるだけだ。
そろそろ起こそうかと、再びベッドへと歩み寄り、妻の寝顔を覗き込む。
その姿を見ていると自然と口角が上がってしまう。
「ディア、朝ですよ」
そっと唇を重ね合わせ、寝癖のついた前髪を整える。
うっすらと瞼を開けて、水色の瞳が露になり、俺に焦点が合うとディアは微笑んだ。
「…おはよう、フィル」
「おはようございます」
ディアの唇に、もう一度ちゅっとリップ音を立ててキスをする。
続けて瞼や鼻先にも同じように繰り返すと、クスクスとディアが笑う。
幸せな朝の光景だ。
「ふふ、フィル。これでは起きれませんわ」
「まだ洗顔の水が届いていないので構わないでしょう」
ディアに覆い被さるようにして、もう一度唇を塞いで、今度は長く合わせたままにする。
「…ん……フィルは相変わらずキスが好きですわね」
「ディアさえ許してくれれば、一日中でもしていたいんですが」
「まあ。唇が腫れてしまいますわよ」
俺の本気を知ってか知らずか、ディアは笑って受け流した。
差し出された手を引き、背を支えて起き上がるのを補助する。
寝乱れた髪を手ぐしで直し、だいぶ目立つようになった腹部にも、そっと唇を落とすと、ディアに子供のように頭を撫でられた。
「ディア?」
「ふふ、なんとなく撫でたくなりましたの」
撫でてくれた手を取り、頬を寄せて、ついでとばかりに唇で手のひらや手首を啄む。
くすぐったいのかディアが手を引っこめようとしたが、させじと力を込める。勿論彼女が痛いと思わない力加減で。
逃げ損なったディアの手首にきつく吸い付いて跡を残すと「フィル!」と焦ったような声が飛んできた。
「ディアから誘ってくれたんでしょう」
ディアにそんな意図がなかったことは百も承知で、俺はそう嘯いて、彼女の腕の内側にも同じように赤い花を咲かせる。
調子に乗って、首筋にも付けようとしたら頬をつねられて阻止された。
不満が顔に出てたんだろう。逆側もつねられた。
「もうっ、見えるところに付けないでと言っているでしょう」
「では見えない所なら構いませんね?」
言質は取ったと言わんばかりに笑みを浮かべれば、ディアは諦めたように俺の頬を摘まんでいた手を離し、身体から力を抜く。
お許しを得て、胸元に唇を寄せ―――響いたノックの音に、ピタリと動きが止まった。
時間的に、侍女が洗顔用の水を持ってきたんだろう。
「ちっ」
思わず舌打ちすると、ディアが苦笑を漏らす。
「残念でしたわね…ってフィル!?」
ディアが入室を許可する前に、隙をついて胸の膨らみにキスを落とす。
さすがにそれだけでは跡はつかない。
「……続きは夜に」
耳に息を吹き掛けるように囁くと、ディアは顔を真っ赤にして睨んできた。
残念。怖くもなんともないですよ、ディア。
ディアの代わりに侍女へ入室を促し、予想通りの洗顔の水を受け取り、紅茶を淹れ、執務用のドレスを用意したりと甲斐甲斐しく彼女の世話を焼く。
今日も忙しい一日になるだろう。
夜のご褒美を楽しみに、今日も一日頑張りますか。
隣には愛しい妻がいて、可愛い盛りの子供たちと食卓を囲み、団欒の一時を過ごす。
物語で言えば、その後公爵令嬢は呪い(の冤罪)をはね除け、幸せに暮らしました。と締めくくれそうな光景に俺は目を細めつつ、早く夜にならないかと思いを馳せる。
お腹の子に障るから、中々身体は重ねられないが、今朝の続きくらいは許してほしい。
今宵もディアにたっぷり愛を囁こう。
そして共に眠り、朝を迎えよう。
明日が続く限り、ディアを目覚めさせるのは俺の役目だ。
運命というものがあるのなら、俺とディア、そしてフレデリクの運命の分かれ道は、あの卒業パーティーの日だったんだろう。
第三王位継承者だった公爵令嬢が至尊の玉座を得て、望む相手を伴侶とし子供にも恵まれ栄光の道を歩み続け。
片や恋人には真実の愛とは真逆の偽りの愛を証明され、王太子の座を失い、投獄された。
あの時、俺が断罪劇を未然に防いでいたら、未来は一体どんな形になっていたのかと、今でも時々夢想する。
恐らくだが、フレデリクの失脚は遅かれ早かれ訪れていたのではないかと思う。
たらればの話をしても想像の域はでないんだが。
今でもフレデリクの行いは語り草になっている。
恋愛にかまけて義務を蔑ろにしたり、結婚前に婚約者と愛人の二股をする男には、「フレデリクの眠りになるぞ」と諫言に使われたりしている。
そして、その本人はというと―――
その後、現実を悪夢にしてしまったフレデリクに、真実の愛で呪いを解いてくれる相手は生涯現れることはなく、ひっそりと人生の幕を降ろしたのは、目覚めてから約一年後のことだった。
ここまでお付き合い頂きありがとうございましたm(__)m
これにて完結です。




