29. 聞こえなかった声
途中で屋台の食べ物を味わいながら買い物を終え、『迷いの森』へ戻る頃には、辺りは薄暗くなっていた。
「ずいぶん遅くなっちゃったわね」
そうアルヴィンに言うと、彼は「そうだな」と呟いてから、立ち止まって笑った。
「……でも、楽しかった」
「……私もよ」
私は彼の笑顔を直視できずに、近くの木に手を当て、家の方向を探った。木の精霊は朝通った私たちのことを覚えていて、『森の家はどっちに行けばいい?』と聞けば方向を答えてくれる。
「こっち?」
葉っぱが揺れる方を指差すと、アルヴィンが「もうばっちりだな」と満足げに頷いた。
◇◇◇
出かけるとき、森の奥の一軒家には赤い夕日が差していた。
その周囲の空は、今では紫がかった夕暮れに変わっている。
家の扉を開けると、白い犬が駆け寄ってきて、アルヴィンに尻尾を振りながら飛び掛かる。黒猫は窓際の机の上で丸くなっていて、顔だけ上げて「にゃあ」と鳴いた。
アルヴィンは、街で買ってきたものを袋から出し、元の大きさに戻していた。
私はその横で、掌に乗るほど小さくなった紅茶の袋を持ち上げようとして――
「重いわ……」
ずっしりとした重さを持ち上げきれず、床に落とした。どすっと大きな音がする。
アルヴィンは「うわっ」とびっくりした声を上げて私と床に落ちた袋を見比べた。
「――重さは変わってないから、重いぞ」
「でも、アルヴィン、全部袋に入れて持ってたじゃない?」
私は首を傾げた。
「袋の中でこうやって浮かせてたんだ」
アルヴィンは指をくるっと回した。周囲にいくつもの小さなつむじ風が生まれ、袋は空中でふわふわと上下した。
「そんなやり方があるのね」
私は感心しながら頷いた。
魔法を使いこなせるようになるまでまだまだかかりそうだ。
「それより、服をメリルに合わせたいから、着てみてくれないか。細かく調整するよ」
アルヴィンはソファの上に今日買ってくれたドレスを三着並べた。
「――わかったわ、ありがとう」
私はそれを手に取って、一階の奥のタイル張りのバスルームに行った。
◇◇◇
「――似合っている」
一着ずつ着替えるたびに、アルヴィンはしばらく黙り込んで、頷いてそう呟く。
『似合っている』と言われれば嬉しいけれど、彼が答えるまでの奇妙な沈黙が気になって、心臓がばくばくした。
『あなたはとても素敵だから』
そのたび、彼に向かって言った言葉を思い出して、私は気が変になりそうだった。
――どう思われたかしら。変なことを言っていると思われた? どう思ったのかしら。
だけどその疑問は口に出せずに、私はぴったり合うサイズになった洋服を持って、二階の師匠さんの部屋――私が使わせてもらっている部屋に上がった。
クローゼットを開けて、クリーム色や薄い緑色のドレスを掛けると、今まで黒一色だったそこはずいぶんと華やかになった。
――魔女だから、黒い服ばかり着ていたのかしら。
黒いドレスを手に取って、そんなことを思う。
彼の師匠の、魔女イブリンという女性はどんな人だったのだろう。
“色んな色があるといいね!”
“メリルには、お花みたいな色の方が似合うよ!”
そのとき、耳慣れた妖精たちの声がした。私は顔を上げ、部屋を見回した。
そういえば、街へ出てから、いつも私の周りを飛び回っている妖精たちの姿を一度も見かけなかった。
私は彼らに問いかけた。
「あなたたち、今日は静かだったのね。街は嫌いなの?」
妖精たちは互いに顔を見合わせて、口々に拗ねたように呟いた。
“だってメリル、ボクたちがいなくたって楽しそうだったんだもん”
“そうそう、私たちがいなくっても気づかないし”
“話しかけても聞こえてないみたいだった”
「――話しかけてた?」
私は首を傾げた。街中で妖精たちに話しかけられた記憶はなかった。
――賑やかだったから、聞こえなかったのかしら。
どれだけ騒がしい場所でも、妖精の声だけはいつも耳元にはっきり届いていたはずなのに。




