表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
悠遠の旅空に~半神のバックパッカー~  作者: ビール汁
フォルティス大陸東部――シュケル国
66/76

65話 芽生えた役割

 御者台から降りた穣司は、能力(ちから)を用いて腰掛け石を作り出す。

 二人掛け程度の大きさ。凝った意匠ではないが、背もたれと肘掛けを加えたせいか、ソファーのようにも見えた。

 しかし素材は石。実際に座ってみると、今一つの心地だ。公園のベンチとしては問題ないが、家具として考えると落第点といったところである。

 穣司はもう一つ腰掛け石を作り、向かい合わせになるように対面側に設えた。二つの間には、背の低い簡素なテーブルも備える。


(とりあえずこんなものでいいか。……これで気軽い雰囲気で話ができたらいいけど)


 ハリルからどのように思われているのか穣司には知る由がなかった。当然ながら聞けるような機会はない。おそらく神のような存在だと思われているだろう、と推測しているが、ハリルの態度に変化がないために確信を持てなかった。

 だが、もしもの場合を想定していた。神だと思われていると考えるなら、重苦しい雰囲気で会話をしてはいけない。些細な発言が、重大な意味を持つ恐れもあるだろう。


 そう考える穣司の、ちょっとした工作だ。

 創った物は和やかな雰囲気を演出するためだけの舞台装置である。あとは自分の立ち振る舞い次第だ、と穣司は自らの顳顬(こめかみ)を揉みほぐしながら、深い吐息を吐いた。


「お呼びでしょうか」


 溌剌(はつらつ)としたハリルの声が聞こえ、穣司は僅かに顔を上げる。目元を窺われないよう、フードは深く被ったままだが、それでも彼が小刻みに震えているように見えて、首を傾げそうになる。思わず腰を上げ、対面の椅子に座るように手を差し出しながら、柔らかな声で言った。


「どうぞ掛けてください」


「失礼します」


 穣司が促すとハリルだけでなく、何故か牙猫までもが対面に座った。

 着席したハリルは落ち着きがなく、手を震わせて鼻息も荒かった。歓喜に震えて、興奮しているようにも見えるが、ただ緊張しているだけのようにも見えた。それにハリルの態度はピンとくるものがあった


(あ、もしかして重要な話があると思われて、緊張しているのかな。それになんとなく面談や面接っぽい雰囲気だし。……これは失敗したかな。)


 よく考えてみれば自らの言動は面接官のようだった。

 さしずめハリルは就職活動者か。あるいはその逆で、解雇を通告されるための面談。そう思わされるように、ハリルは落ち着きがない。

 もしも神のような存在だと思われているなら、名指しで呼び出されるという行為には、特別な意味がある筈だ。計り知れない重圧があるに違いない。

 だが、穣司はハリルに萎縮してほしくなかった。むしろ感謝の念しかないのだから。


 徹夜して組合証を作ってくれたのは彼である。

 疾駆蜥蜴(ラプトル)乗り逃げの容疑者捜索のために、メデニシエズの森に訪れたそうだが、ゴブリンやオークの境遇に心を痛めて、冒険者達の確保に二つ返事で応えてくれたのも彼だ。


「まずは……そうですね。改めて感謝したいと思っています。組合(ギルド)証もそうでしたが、今回もハリルさんには助けてもらいました。ありがとうございます」


 緊張を解きほぐそうと穣司は微笑みかける。

 するとハリルは身体に電流を流されたように飛び上がった。酸素を求めているのか、口をパクパクと開く。それから間欠泉のような鼻息が鳴り、恍惚としているとしか思えない表情で「あぁ……」と溜め息を漏らしている。


「へ……?」


 突然のことに穣司は躊躇っていると、牙猫が窘めるようにハリルの脚を叩く。軽めの猫パンチだ。

 そこで我に返ったのか、彼は腰を下ろし「失礼しました」と頭を下げた。


(ああ、これは……。なんとなくだけど、出会ったばかりのアンジェリカ達と態度が似ている気がする。やっぱり神のような存在って誤解されているのかな。でも、ハリルさんには魔法もかけてないのに、どこで気付かれたんだろう)


 今回のように常軌を逸した能力(ちから)をフェアティアでは使っていない。故意ではないが、せいぜい街灯を光らせたのと、煌めく光を降らせた程度。空一面を明るく染めるような真似はしていないし、要救護者に治癒を施してもいない。ディランのように、何かを感じ取ったとは考えにくい。が、ハリルの態度からは、特別な想いが込められているようにしか思えず、穣司は頭を悩ませる。


(いや、どのタイミングで気付かれたかは重要じゃないか。期待に添えないようで申し訳ないけど、ちゃんと説明するべきなんだろうな)


 時として真実を告げるのは酷だろう。

 知らぬが仏。そんな諺が頭を過る。

 それに穣司が自らを神と騙ったわけではない。おそらく相手から一方的に、神だと信じられているだけである。

 しかし、それでは恩人であるハリルを裏切っているも同然だ。

 いつか正体が露見する恐れもあるのだから、物事を明らかにさせないわけにはいかなかった。勝手に誤解したのは貴方であり、自分は悪くない――等と不誠実な言葉は選びたくはない。


「森の一件では色々な事がありました。そのあたりや今後について話をしたいと思っていますが、その前に伝えておくべき話があります」


 穣司が静かに告げると、牙猫とハリルは目を丸くした。

 すぐに背筋を伸ばし、どこか不安げな表情を浮かべている。それでも穣司は心苦しくも言葉を続ける。


「……俺はただの人間です。だから俺の言葉が絶対ということもありません」


 誤解のしようがない単刀直入の言葉の後には沈黙が流れた。

 ハリルは牙猫を気にするように視線を向けた。牙猫と見つめ合い、示し合わせたように、同時に小さく頷く。

 そして、安堵したような面持ちになり、張り詰めた空気は弛緩する。


「ええ、もちろん存じておりますとも! ジョージ様ほど、普通で平均的な人間はいらっしゃらないでしょう。ですのでジョージ様の言葉を参考にするのではなく、自分達でこれからのことを考えなさいと……そう仰りたいのですね」


「え? ……ええ、そうですね。余所者である俺は、首を突っ込む立場にないでしょうから、余計な口を挟まずに、成り行きを見守りたいと思っています」


「立場……。ああっ! そういうことですね。確かに、他所から来た人間という立場でしたら、その言葉も頷けます。それに私としては見守っていただけるだけで、有難いと思っておりますよ」


 妙にキレのある動きで、ハリルは一度両腕を広げ、それから胸に手を置いた。そして深い呼吸をして、目を瞑ったまま天を仰ぐ。


(あれぇ、俺の気のせいだったのかな。というか真面目な顔して、恥ずかしいことを口走ってしまった。……こいつ何言ってんだって思われたかも。うわぁ……恥ずかしくて目を合わせられない)


 やけに普通であることを強調された気がしたが、人間かどうか一目すれば分かることだ。そんな単純なことを勿体ぶって告げたような気がして、穣司は込み上げる羞恥心に苛まれる。

 だが、神のような存在だと思われていないのなら、ハリルはどうして妙な態度なのか。他の者に対しては、このようなことはなかった。そう考えると別の疑惑が浮上する。


「あ、あのですね、ハリルさん。……一応聞いておきたいんですけど、ハリルさんには特別な想いを向けている存在はいますか」


 穣司はフードを深く被ったまま尋ねる。

 同時にそれが自分のことではないようにと祈った。アンジェリカの時のような衝撃告白は、心臓によろしくない。


「女神ニナ様でございます。私は女神ニナ様の信徒ですので、幼少の頃からニナ様を愛し、敬っておりました。神に愛されて、この世に生まれ落ちた私が、神を愛するのは当然です」


「おお、ハリルさんは女神ニナの信徒なんですか。奇遇ですね、俺にとっても彼女は特別な存在ですよ」


 予想が外れて、少なからず安堵した。

 重苦しかった穣司の心中は、霧が晴れていくような爽快感が広がった。しかしそれ故に、ハリルにつられて女神ニナが特別な存在だと口を滑らせた。

 その言葉に嘘はなかった。女神ニナがいなくなったからこそ、この世界に足を踏み入れることになったのだ。そういう意味では穣司にも特別の存在だ。


「ああ……それは嬉しい言葉です。心が温かくなりますな。……神という存在でなくとも、愛し、敬う御方がいますが、その……名前を挙げるのは、難しいです。どうしてもと言うのであれば――」


 嫌な気配がして、穣司は僅かにフードを上げる。

 そして熱い視線と交錯したような気がして、さりげなくフードを被り直した。


「いえ、無理には聞きませんよ。やめておきましょう」


「常にその御方の傍にいたいと思っているのです。もっと別の場面、いえ立場でしたら、私がどれだけお慕いしているのか、伝えられるのですが……なにぶん今の立場では、名前を挙げるのも難しいですから」


「そうですか。では、尚のこと、今はやめておきましょう」


 自らとは違う性質を持ち合わせていようとも、彼に対する評価が変わるわけではない。それが理由で友達になれない……ということも穣司にはなかった。驚くことはあっても、慣れてしまえば、どうということはないのだ。ただ、期待には応えられないだけである。しかし神だと思われていないのなら都合は良い。


「俺はハリルさんと、いい友人関係になれたらなって思っています。まぁ、それはともかくとして、本題に入りましょうか」


 友人以上の関係になるつもりはないと牽制しつつ、やや強引に話を戻す。ハリルは「はい」と溌剌と答えたが、本題に入るのが不服ではないようである。


「依頼者の期待に添えられたのか、それとも依頼者すら予想してない調査だったのかは分かりませんが、メデニシエズの森では色々なことがありました」


「依頼者がどこまで予測していたのか私には分かりませんが、おそらく今回の結果を満足していると思います。もちろん悲しい出来事には心を痛めているでしょうが」


「そうですね。リックスブリックスさん達は、言葉で表すのを躊躇うような酷い迫害を受けていましたから」


「神の教えでは、全ての種族が、一つに繋がっていました。つまり人類は全て兄弟というわけですな。ですが今では種族の壁だけでなく、人型の魔物という括りまで生まれています。シュケルには魔物という概念がなかったので、理解に苦しみますな」


 依頼者がハリルなのでは?という気持ちも僅かにあった。穣司が船乗りを助けたと思われている節があるため、その恩返しで名指しの依頼をしたのではないか。しかし新人冒険者に遠方の森に行かせるのは不安だろう。だからこそ適当な理由をつけて、後をつけてきたのではないか……という推測である。


 十中八九その疑惑は外れだ。

 彼の知人が疾駆蜥蜴(ラプトル)の乗り逃げ被害にあっているし、組合(ギルド)の職長ともなれば横の繋がりも強い筈である。森に容疑者が潜んでいる情報を掴んでいても不思議ではない。それ故に心配して急いで駆けつけてくれたのだ。ザフェルだけでなく、リリアンヌの仲間の冒険者と共に現れたのが、その証拠だろう。変わった人ではあるが、良い人には変わりない。少しでも疑った自分を穣司は恥じる。


 ふとハリルの横に座る牙猫を見る。

 森の一件とは無縁と言わんばかりに、別の場所に視線を向けている。が、会話は聞いているのか耳がピクピクと動いていた。その姿が微笑ましく、つい笑みが漏れる。


「ふふ、天は人の上に人を作らず……かな。戦争がなくて、いがみ合うこともない。どんな国でも気軽に旅ができる世界だったら、俺は素晴らしいなって思いますよ」


「――ッ!」


 衝撃を受けたかのようにハリルは目を見開く。


「どうしました?」


「いえ、失礼しました。続けてください」


 しかしすぐにハリルは我に返った。


「……それで、シュケルはどのようにゴブリンさん達を扱うんですか? と言ってもハリルは政治家ではないでしょうから、個人的な意見で構いませんよ」


「もちろん迎え入れるでしょう。他の道を選択することはないと思います」


「へぇ、それはいいですね。ザフェルはザッグダレッグさんと仲良くなっていますし、シュケルなら上手くやっていけそうですね。それにコロちゃんも皆と仲良くなりたいって言っています。もしも世界が一つになるのなら、この国から始まるんじゃないかなって気がしますよ」


「なんとっ! そのように思っていただけるのですか。このハリル、感激に堪えません」


「そんな大袈裟な。でも、そう思わせられる魅力が、この国にはあるんですよ。これは一般的な見解ってやつだと思います」


「そ、そうでした。普通であるジョージ様の意見なら、おそらく一般的な見解でしょう」


「ええ、あ、うん……多分ね。……でも、道は険しいでしょうね。魔物扱いされている人達を受け入れるのは、様々な問題が起こるかもしれませんし」


 難民受け入れというものは簡単ではない。迎え入れてくれた国の文化を尊重する者なら、次第に馴染んでいけるだろうが、必ずしもそうとは限らない。馴染めなかった者達同士が結束し、独自のコミュニティを築けば、現地民との軋轢が生まれないとも言い切れない。異なる文化で育った者だ。それが一つの国で暮らすのだから、対立構造が生まれやすい土壌になる。

 シュケル特有の文化が破壊されるのは避けたいところだ。難民のふりをした悪人が流入する恐れだってある。


「でも、それらを乗り越えられたら、俺は嬉しいですし、見守れたらなって思いますよ」


 今後起こるであろう問題は、別世界の住人である穣司が、手を出していいものか分からなかった。

 だからこそ見守るしかない。他にあるとすれば、別の受け入れ先を提案する、ということくらいか。しかしそれもダークエルフ達と話し合いも必要になる。この先、そういった話を彼女達としなけらばならないだろう。


 人が暮らすというだけで、多くの問題が懸念される。同じ迫害された者同士なら、仲良くできるのではないかと希望的観測もできるが、それほど容易な問題ではない。

 何か共通の文化を持っていれば。そう考えたところで、閃くものがあった。


(あっ、そうか。女神ニナだ。彼女を崇めている人達なら、違う種族でも共存の可能性もあるか。神の教えでは、人類は皆兄弟なわけだし)


 この世界の唯一神であるはずの女神。その神の名の下に集うなら、お互いを尊重できるのではないか。

 だが、同じ神を崇める者でも、宗派が違えば争いは生まれる。しかし極限状態で救われたのなら、それほど争いは生まれないのではないかとも思えた。

 ダークエルフ達だけでなく、ゴブリン達も極限状態だったのだ。聖霊教にもニナの名はあるのだから、共通する存在を崇めている者同士で助け合える気がした。むしろ女神ニナの名の下に、穣司が治癒を施せば、共通点が生まれ続けるだろう。


(この世界の流れのようなものを、俺が変えたらいけないんだろうな。でも傷付いた人は見過ごせないし、せめて女神の名の下に誰かを助けられたら、それが何かの切っ掛けになって、お互いに助け合うようになるかも……)


 それすらも希望的観測だ。

 しかし石橋を叩いて渡るのではなく、危険を予測して諦めるのでは、何時(いつ)まで経っても渡れない。


 だから――自分は橋の中央に立つべきなのではないか。

 そんな想いが込み上げる。

 できるのは文字通り橋渡し。旅人だからこそ、色んな国で報われない環境の人達と、出会うこともあるだろう。

 全ての人の橋渡しはできないが、女神ニナを崇めるという共通点があるのなら、共存は不可能ではない気がした。


(些細なことだけど、余所者の俺だからこそ、やれることなのかも。歴史を揺るがすような戦争には関われないけど、傷付いた人達を癒すくらいならバチも当たらないかな)


 この世界を訪れたのは、女神ニナを知るためである。ある意味では、授かった能力(ちから)は女神ニナのお陰とも言える。その超越した力は、自らが持て囃されるために使うものではない。この世界で神を信ずる者達のために使うべきなのだろう。

 なにも他の神を崇める者を見捨てるということではない。お互いを尊重できそうな考えを持っている者に、あの島を紹介するだけだ。他宗教だからといって、傷付いた者を放置するつもりは穣司にはなかった。


 言葉の途中で生まれた考えが纏まった。

 ハリルは言葉の続きを待っているのか、催促することなく真剣な眼差しで姿勢を正したままだ。


「あ、失礼しました。ちょっと考えごとがあったんですが、もう大丈夫です」


何時(いつ)まででも待つつもりです。気にしないでください」


「ありがとうごさいます。それで言葉の続きなんですが、もしもリックスブリックスさん達が、シュケル国に馴染めないのでしたら、俺に教えてくれませんか。良い島を知っているんで、そこでなら暮らしていけるかもしれません。もちろんシュケルを疑っているわけではないですよ。あくまで選択肢の一つと考えてもらっていいので」


「それは遭難したザフェル君達を救っていただく前に住んでいたという島でしょうか」


「ザフェル達から聞いたんですか? 何度も言いますけど、助けられたのは俺ですよ。……ともかく、その島で間違いはないです。長閑な島なんで、傷付いた心まで癒せるかと思います」


「おお、それはなんという……。ですが、私達の力で立ち向かいたいと思っております。見守られている以上、投げ出したりはしません。お心遣い、感謝します」


 決意を感じさせるハリルの表情に、穣司は心を打たれた。

 やはり獣人種は凄いなと思わずにはいられない。いや、リリアンヌの志も素晴らしいもので、種族で優劣をつけるようなものではないだろう。ヒトの強い意志というものは、それだけで美しい。


(ハリルさんは政治家じゃないのに、ゴブリンさん達を完全に受け入れる気でいるな。そうなることが前提のように話しているから、もしかしてこの国の方針なのかな。それとも国民性? じゃあ……俺が建てた風呂とか、どう思われるんだろう。違法建築でしかないだろうし、あれって大丈夫なのかな)


 神のような存在だと思われているのなら、特別扱いをされて許可される可能性もある。しかし難民だとそうはいかないし、ただの旅人が建てれば、おそらく違法に当たるだろう。


「もしもの話ですが、シュケル国民でないものが、建物を建てたらどうなりますか? どこかに許可をもらわないと違法ですよね」


「許可というのは難しいですな。この世界は女神ニナ様が創ったと信じておりますが、私達の先祖は神に許可を得て、この地に住み着いたわけではありません。我々獣人種がこの地で勝手に暮らしているだけとも言えるでしょう」


「なるほど、そういう考えなら、許可は不要なんですね」


「しかし国を成している以上は、何処に誰が住んでいるのか把握しておきたいでしょうな。それに農業区域に家屋を建てられるのも困ります」


「……そうですよね。何も知らない者が無秩序に家を建てたら、把握も難しいでしょうし。そもそも自国民以外が何の許可も得ずに建てるべきではないですね」


 特に意味もなく設えた入浴施設など言語道断だろう。住むために建てた家屋ではなく、何気なく建てただけの建造物である。誉められた行為ではない筈だ。


「ジョージ様の懸念も理解できます。私達と他種族が争いにならないように、気にしてくださっているのでしょう。もしかして既にゴブリン族が森の中に住居を構えていたのですか?」


「争いも気にしていますが、今のはゴブリンさん達の件じゃないです。その、なんと言うか、自分に心当たりがあるんですよ。機会を見て、元に戻しておきますよ、あはは」


 やはり無許可はよくないな。そう考えて、苦笑した――その時だった。


 牙猫がハリルに飛び掛かり、頬を連打した。

 何に癇癪したのか猫パンチの乱れ撃ちである。

 爪は立てていないのか、傷を負っている様子は見られない。


「こら、人を叩いたら駄目でしょう」


 穣司は言いながら牙猫を抱き上げる。

 猫と目が合う。悲しそうな丸い瞳が、何かを訴えるようだった。

 そういえば風呂には牙猫の像も作っていた。それを消されるのが悲しいのだろうか、と穣司は考えてみたが猫の言葉は分からない。


「わ、私は大丈夫ですので! 先程の件ですが、よく考えなくても、問題はないと思います。ええ、そうです。この地は誰の物でもありません。例えば何もない場所に家屋を建て、そこに何が問題あるのでしょうか。村の始まりは最初の一軒からだと想像します。フェアティアという街ですら、良い漁場に一人の男が住み着いたのが始まりだとされてますし、その男もやはり女神の許可も得ておりません。当時の国を代表する者からの許可を得ていないでしょうから、やはり問題はないかと思います。ですので何者かが住み着いて、その後に村になったとしても、後から管理すればいいだけのこと。ジョージ様が何を作ったのか存じませんが、元に戻さなくてもいいのではないでしょうかっ!」


 ハリルは捲し立てるように言った。体毛で窺えないが、大量の冷や汗が額から流れ落ちる姿を幻視する。


「いや、でもやっぱり問題があるんじゃ?」


「どうか考え直してください!」


「え、あ……はい」


 やけに勢いのある説得に呑まれて穣司は頷く。元に戻しておきますとは言えるような雰囲気ではなかった。

 彼の言葉通りなら、何を創ったのか知られていない。神殿のような入浴施設を設えたとは夢にも思わないだろう。それに普通の人間として思われているのなら、穣司が創ったとは知られることはないだろう。

 後ろめたさも残る。が、やはり元に戻したいとは言えるはずもない。


 しばらくもしないうちに妙な空気は、心地良い微風に流される。狼狽していたハリルも落ち着きを取り戻し、牙猫を撫でながらタイミングを見計らっていた穣司は、最後の質問を投げ掛ける。


「俺は一足先に首都に向かおうと思っています。客車から溢れている人もいますし、容疑者が近くにいるのでは、被害者達も不安でしょう。なので容疑者の引き渡しに相応しい機関を教えてもらえませんか」


「そこまでジョージ様の手を煩わせるわけには……」


「駄目……ですかね」


「い、いえ、駄目ではないのですが……。わ、分かりました。では相応しい機関の名前と添え状も書いておきましょう。それなら話もすぐに伝わります」


 ハリルは懐から手帳を取り出して、丁寧に書き(したた)めはじめた。


「ありがとうございます。交通手段は他にもあるので、俺のことは気にしないでくださいね。容疑者を引き渡したらフェアティアで合流しましょうか。では、コロちゃんに伝えてきます」


 そうして穣司はコロ達に一時の別れを告げ、容疑者三人と荒野に残った。

 コロは話に花が咲いているのか、皆との会話を楽しんでいた。フェアティアでの合流を告げると、寂しそうな表情を浮かべることなく、曇りのない笑顔で頷いた。アセナだけは地団駄を踏み、不服を示していたが、撫でながら「ごめんな」と言うと渋々ながら納得していた。

 交通手段は空だ。普通の人間だと思われているのなら、空を飛ぶのは憚られるが、誰も見ていないのなら気にする必要もない。容疑者には眠ってもらっておけば、騒がれることもないだろう。


 ハリル達の姿が完全に見えなくなり、そろそろ頃合いかと穣司は空を眺めた。

 その時、極大の赤い龍の姿が見え、甘えるような鳴き声が空に響いた。

 直後には別の巨体が落下してくる。着地すると地響きのように大地を揺るがせた。


「おお、なんだ? ……落としたって感じではないし、この大きな生き物は、あの龍の友達かな」


 落下してきたのは、微かに青みのある白い体毛のゴリラのような骨格を持つ生物だった。顔つきは犬のようでもあるが、厳つさもある。頭部からは山羊のような角も生えていた。

 驚くべきなのはその体躯だ。怪獣映画に出演してもおかしくないサイズであり、タワーを登る姿が似合っていそうであった。

 その怪獣じみた生物は、穣司を視認すると、尾を振りながら、顔を綻ばせ近寄ってくる。まるで人懐っこい犬のような行動だ。


「あら、可愛い」


「あ……あ……なんで……」


「……こ、ころされる」


 失神しているディランとは違い、二人はゴリラに似た生物を見て、失禁しそうな雰囲気だ。また漏らされては困ると、穣司は能力(ちから)を用いて、眠らせる。


「大袈裟だなぁ、こんなに愛らしいのに……」


 雪山から吹き下ろす風のような冷気を感じ、ゴリラのような生物が至近距離に来る。そこでようやく、この生物が冷気を纏っていることに穣司は気付いた。

 お互いの顔と顔が、触れる程の距離で突き合わせ、じっと見つめ合う。まさしくゴリラの挨拶のようである。

 ただ違うのはこの生物が、深呼吸をするように匂いを嗅いでいることだ。テイスティングでもしているかのように、吟味している。


 匂いに納得したのか、次は両手で掬い上げられ、頬ずりをするように顔を押し付けられる。

 悪くない気分だった。一見すると凶暴な面構えだが、人に懐いている甘えん坊である。ひんやりとした冷気も心地良い。

 控え目に言っても至福といえるだろう。どうしてこの世界の巨大生物は人慣れしていて、愛らしいのだろうか。思わず抱き返し、頬を撫でた。


「おー、よしよし」


 自然と猫なで声になっていた。このまま愛でたい気持ちも湧いてくる。しかし今は自分の気持ちを優先させる時ではなかった。


「ごめんなー。今はちょっと忙しいんだ。これからメルケズって街に、この人間達を連れていかないといけないからね。だからお前とは遊べないんだよ」


 そう告げると、ゴリラのような生物は涙目になっていた。体育座りのように身体を丸め、地面を指先で弄っていると、何かを閃いたのか、穣司を肩に乗せる。そして冒険者を粗雑に握り締め、走り始めた。

 だが、方向はこの国の首都に向かってはいない。


「おいおい、そっちは北だよ。もう……しょうがないな。メルケズはあっちの方角だから」


 肩に乗せられた穣司は北東に向けて指を指す。

 どこまでも続く蒼穹には龍が舞う。

 大地では白いゴリラが駆け、土煙が舞い上がる。


 初めて会ったはずの動物を、赤子の頃から知っていたような気になる。

 黒き狼、赤い巨大龍、牙猫、そして白いゴリラ。

 それらの動物が本当の家族のように思えてしまい、和やか気持ちが胸の内に広がった。


「いい土地だな、ここは」


 舞い上がる土煙には、煌々とした光が混じっていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ