21話 旅立ちと別れ
2話更新です
穣司が異世界で初めて降り立った場所は、始まりの地と呼ばれている島だった。正式な名称は不明だ。この地に住まう子供も、始まりの地と呼んでいた。どこの国に属しているのかも分からない。
自然豊かな森と、美しい山麓の湖。そこから流れ出る清流は、透視度の高いターコイズの海に繋がっていた。潜ってみると、魚影も濃く、様々な海洋性物が生息している。岩場には丸みを帯びたヤシガニに似た蟹もいた。横歩きではなく、前歩きの蟹だ。食してみると甘みの強い肉で絶品だった。
思えば初日は大変だった。
病に侵され、暴れ狂う狼に似た獣がいた。獣に攻撃されて死に瀕した少女もいた。どうにか助けてみると、言葉も上手く伝わらない。想定外の事が続き、トラブルも多かった。成り行きで義理の娘も出来てしまった。テネブラという少女だ。
テネブラはおそらく母親を亡くしている。父親は蒸発しているか、既にこの世にいないのだろう。日本人である穣司とは似つかぬ少女だったが、なぜか父親と思い込まれていた。物心つく頃から父はいなかったのだろう。会った事もない父に、父性を求めていた独りぼっちの、可哀想な少女だった。穣司は否定する事もなく、この世界にいる内は、少女の父である事を受け止めた。
それもいざ時が経つと、良い思い出となる。
初日は分からない事だらけで大変な思いをした。翌日は突然の告白や、銃マニアになってしまった少女に、困惑する事ばかりだった。それが三日目ともなると、嘘みたいに穏やかな日々が続いた。
島にある住居を兼ねた神殿のような建物で、銀髪褐色肌の人達と寝食を共にした。ダークエルフという種族の人達だ。
起床すると、全員で女神像のある部屋で、朝の祈りを捧げた。それから朝食を取り、家事等を終わらせると、農地の世話と食材探しの探索に出掛けた。森の恵みを頂き、時には海辺に出掛けて、海の幸を獲る。その際に泳げないダークエルフの子供に、泳ぎを教えた事もある。
昼になると建物に戻り、皆揃って昼食を取る。その後は自由行動なる事が多い。自らを父と慕うテネブラと、アンジェリカという銃マニアの少女は二人で出掛ける事も多い。見た目は姉妹に見えるが、上下間系は幼いテネブラの方が上であった。
他の人達はゆっくりと過ごし、平和を享受している。
難民の彼女達は心穏やかに、この地で過ごしているように思えた。争いの心配もなく、衣食住も足りている。元の世界のように家賃や光熱費、水道代やその他の雑費の心配は不要だった。どれも揃っていて、魔法でも賄える。貨幣は必要なく自給自足で生きていける。そんな安穏とした暮らしがあった。
穣司はこの島でお気に入りの場所がある。
この島で最も高い位置にある、島を一望できる場所だ。山の頂きにある突き出た岩から見る景色は絶景だ。この地に住まう狼にも似た獣の、お気に入りの場所でもあった。
穣司は頻繁に、この場所に足をのばしては、景色を眺めていた。何をする訳でもなく、ただ呆けているだけだ。そうしていると何処からともなく獣が現れる事も多い。
病気を治した事で懐かれたらしく、穣司が一人でいる時は甘えに来る。その懐き具合が可愛くて、穣司も獣を甘やかしていまう。時には獣と一緒に昼寝をしてしまう事もあった。
穏やかで優しい世界だった。何の憂いもなく、満ち足りている。もしも終の棲家にするなら、ここしかないだろうと思える程だった。
あまりにも居心地が良すぎて、穣司は気が付くと、この地で90日以上も滞在していた。
旅人は時として一つの場所に長く滞在する事がある。観光する訳でもなく、目的もないまま漫然と過ごすのだ。旅に疲れて無気力に陥ると、こういった症状に陥る事がある。旅人はそれを沈没と呼んだ。
穣司も元の世界では沈没した事はあったが、ここでは違った。大した事はしていないのに毎日が楽しかった。ダークエルフ達に持ち上げられるのは気恥ずかしかったが、慣れればなんて事はない。それに寝食を共にしていると距離感も近くなり、更に仲良くもなれる。そんな人と人との繋がりがあるこそ楽しく感じて、つい長居してしまったのだ。
しかし、そんな日々も終わりにしなけらばならない。
このままではいつまで経っても旅に出られないだろう。
だから穣司は決心した。この地を離れて旅に出る事を――
テネブラは同族であるダークエルフと、生まれた頃からの仲間のように接している。ダークエルフもまた、テネブラと仲良くやっている。出会った頃のように、幼い少女は独りぼっちではない。
そろそろいいだろう。
彼女達は平穏に暮らしている。だから安心してこの地を離れられると、穣司は感じていた。
いずれはこの地を去らなければならない。父と慕ってくれるテネブラの事を考えると心苦しいが、いつまでも一緒にはいられないのだ。距離が近くなった分だけ別れは辛くなる。それでも、彼女達と生きる世界が違う。だから此処等が分水嶺だ。
とはいえ、そう簡単に割り切れるものでもなかった。
テネブラがどのような反応を見せるか考えると心は重くなる。
一緒に付いていくと言われたら、なんて返せばいいのだろうか。幼い少女と旅をするには不安も残る。とはいえ、潤んだ瞳で懇願されてしまえば、拒否するのも難しい。穣司は考えるだけで気が滅入った。
しかし、いざ旅に出る事を伝えると拍子抜けだった。
テネブラは満面の笑みを浮かべて「いってらっしゃい」と言った。名残惜しそうな様子も見られない。
予想外の反応だった。泣いて引き留められる事も予想していたが、随分とあっさりした反応だった。父親は不要になったのかと思うと、少しだけ複雑な気分になる。
アンジェリカ達も笑顔で「いってらっしゃいませ」と口を揃えて言った。
こちらもあっさりした反応だった。以前、旅が目的でこの世界に来た事を伝えていたからだろうか。特に変わった反応もなかった。
拍子抜けな反応ではあったが、よくよく考えれば、今生の別れという訳でもない。彼女達だって二度と思えないとは思っていないだろう。空を飛べる事だって知られているし、会おうと思えばいつだって会える事を知っている。だから軽い反応だったのだろう。穣司は一人で深刻に考えていた事に失笑する。いずれ帰るとしても今じゃないのだ。
そういった会話があったのが五日前の話だ。
翌日も何ら変わりのない穏やかな日々が続いた。
そしてついに旅立ちの日になる。
穣司は獣の背に乗って、山の頂にある、突き出た岩に来ていた。
この世界で、初めて朝日を浴びた時は、獣と一緒だった。ならば旅立ちの日も、獣と一緒に朝日を浴びたいと思っていた。
「この景色もしばらくおあずけかな」
「わふ」
一人と一匹で、山の頂きの岩から、島を見下ろす。
眼下には朝焼けに染まる島が映っている。朝日の反対の空では、星達が姿を隠し始めていた。
いつ見ても絶景だ。しかし、この景色も当分見る事はない。この獣を撫でまわすのも、しばらくおあずけになるだろう。寂しく感じるが、仕方がない事だ。
「じゃ、帰ろうか」
「わふっ、わふっ!」
またこの地で一緒に朝焼けを眺めたい。
そんな気持ちで獣に跨がり、山を後にする。
下りながら眺めていると、山麓の湖が朝日を乱反射して煌めいていた。
ここでも潜った事があった。泥が沈殿しておらず、底に触れても泥が舞う事もない。綺麗過ぎる湖だったが、不思議と魚も多かった。
子供達と一緒に泳いだ事もあれば、魚を捕まえて、その場で焼いて食べた事もあった。羆が前足で鮭を捕えるような方法で、アンジェリカが魚を捕まえた時は、吹き出して笑った事もある。
彼女は鼻を穴を膨らませながら「見て下さい!大きい魚が獲れましたよ!」と得意げに笑ったのだ。その直後に頭を撫でて下さいと要求するものだから、更に笑いが込み上げた。
その時の自慢気なアンジェリカの表情が頭に過り、穣司は思い出し笑いをする。
色々と驚かされる事ばかりではあったが、この地に縁があったのも彼女のお陰と言えるだろう。救難信号を打ち上げなければ、出会う事もなかったかも知れない。
いつか壊れてしまいそうな危うさがあった彼女は、今では子供のような無邪気も感じられる。
おそらく心を癒した影響なのだろう。それが良い事だったのか、穣司は今でも悩んでしまうが、彼女のリラックスした表情を見ていると、以前の彼女に戻してしまう事も出来なかった。
こうして風景を眺めていると、至るところに思い出が詰まっていると実感する。どれも大切で、かけがえのないものだ。
「この世界に来れて良かったな」
「わふっわふっ、わおーん!」
穣司がしみじみと呟くと、獣は喜んでいるかのように遠吠えした。
そうして穣司は建物の前の階段に着く。獣は走り、先に屋内に入っていった。
穣司は一段ずつ噛み締めるようにゆっくりと歩いた。入り口の消える扉を通り抜けると、ホールで皆が待ち構えていた。
「おはようございます!」
「うん、おはよう!」
打ち合わせでもしていたかのような揃った声での挨拶だ。穣司も顔を綻ばせて挨拶を返した。
その流れで食堂に向かう。
いつもと同じ様子で皆と朝食をとる。旅立ちの日でも変わる事のない穏やかな朝の時間だ。うっかり、このまま今日一日を、この地で過ごしてしまいそうになる。
食後に朝のお祈りを済ませると、いよいよ出立となる。穣司は建物を出て、皆と一緒に海辺を目指した。
しんみりとした雰囲気は欠片もない。いつものように他愛のない話に、花を咲かせながらの散歩だ。
昨日の時点でガルヴァガに近況報告を済ませ、旅の支度も整えていた。ザックの中身は地図と多少の食糧しか入れていない。インゴットは女神像にお供えした。あんなに高価そうな物を持っていると気が引けてしまうのだ。盗難にでもあったら目も当てられない。
なんだったらアンジェリカ達が使ってくれてもいい。ガルヴァガも穣司の好きにすれば良いと何故か上機嫌で言った。それに、あの程度の金塊ならば、いくらでも用意出来るという事だ。
インゴットの事をアンジェリカに伝えると「とんでもないです!」と言って、慌てふためいた様子で断わられた。
穣司もその気持ちは分かった。自分自身がそう感じたのだから。とはいえ持っていくつもりもない。
あくまで彼女達が、どうしようもなく困った時の、保険のようなものだ。今は使い道がなくても、この先必要になってくるかも知れない。
穣司がそう伝えると、アンジェリカは困ったような様子で、どうにか頷いた。
無一文の旅になってしまうが、そういうのも面白いかも知れないと、穣司は内心考えていた。なにせ死ぬ恐れがないし、いざとなれば空を飛んで、どこにでも行ける。加えて便利な能力もあるのだ。
それに金に困れば働けばいいのである。元の世界では、観光目的の旅の最中に働くなんて事は、法的に不味い事ではあったが、この世界では合法かも知れないだろう。
穣司は元の世界では考えられない程、安易な考えになっていた。なるようにしかならないのだ、と。
そうして穣司は、海辺に辿り着いた。
今日も穏やかな海だ。幸先の良さを感じる。
「じゃあ行ってくるね」
穣司は海に下りて、振り返ってから手を上げる。
その渡航方法は馬鹿げたものだった。その手段を見た彼女達も目を丸くしていたが、すぐに笑みを浮かべた。
「はい!ここはジョージ様の家です。いつでもお帰りをお待ちしております」
ティアが笑みを浮かべながら言った。
「この銃は大切にします!いってらっしゃいませ、ジョージ様!」
アンジェリカは銃を慈しむように撫でながら言った。
「おとーさん、いってらっしゃい!きっと、世界中の人が、おとーさんを待ってる」
テネブラが両手を大きく振りながら笑っている。
チコやニーニャ、他の人達も「いってらっしゃいませ」と言いながら、大きく手を振っていた。
そうしてダークエルフ達に笑顔で見送られながら、穣司は大海原へ向けて旅立って行く。陸から離れていき、アンジェリカ達の姿が少しずつ小さくなってゆく。
その時、何が聞こえた気がした。
人の声のようにも感じるし、獣の鳴き声のようにも聞こえる。
「ん?」
振り返ってみるが、特に変わった様子もなかった。きっと獣の鳴き声だろうと、穣司は納得する。海辺にはいなかったが、どこかで別れの遠吠えでもしてくれているのだろう。
「気のせいか……。さて、とりあえず、真っ直ぐに進んでみるか」
何も計画のない旅だ。
どの道、この辺りの情報はない。ならば行き当たりばったりでいいじゃないかと、穣司は穏やかな海を進んでいった。
そんな穣司の背中を見つめながら、テネブラは小さく呟いた。
「おかーさん。おとーさんが、世界を救ってくれるよ」




